43話 7回目の木曜日
祖父はまだ捜しものを続けてた。朝も夜も、暇さえあれば。でも、何を捜しているのか、もう忘れていた。いつ忘れたのか。そんなことは、だれにもわからない。捜しているものがあるという、思いだけに動かされて、祖父はふらふら家の中を捜し歩いた。
「行ってきます」
私が出勤で家を出るとき、祖父は玄関の近くまで来た。
「いってらっしゃい」
母が私に言ったあと、祖父も私にそう言った。捜しものが見つからないから表情は晴れやかではなかったけれど、私の見送りに来てくれていた。
朝の電車に立っている人はいなかったけれど、座る場所は空いてなかった。でも、あの子とよくいた場所は空いていた。
「おはよ」
そこに立ってあの子に言った。起きた時に言わなかったから、この日初めて。しばらく隣を見つめて耳を澄ましていたけれど、あの子の姿は見えなかったし、声も聞こえてこなかった。
(やっぱり、だめかな……)
自分の心にそう言って、窓からの景色を目に映し15分間電車に揺られた。
前の日にあなたと話したこと、自分がそこから考えたこと。冷静に考えたらあり得ないはずのことだけど、矛盾を見つけられなかったから疑おうとは思わなかったし、試すだけ試そうと思ったの。
あの子と電車で会えなくなって、それから何日かあったメールもやり取りできなくなって、メールをしていた履歴も消えて。すごく不安になって、苦しくなって、心の中が大きく揺れた。そんな時期もあったけど、このころは気持ちの整理もついていて、祖父のこともあったからしばらくあの子のことは考えなかった。でもあなたにピアスを見せられて、あの子の話をするようになって。私はまたあの子を捜しはじめてた。だけど、そう……。たくさん疑問はあったけど、あの子を捜す私自身が不安をあまり感じなかったのは、たぶん、初めてだったと思う。
「行ってきます」
職場の最寄り駅に着いたとき、隣の空いてるスペースに、小さな声で私は言った。
帰り、私が職場の最寄り駅に着いたとき、改札の前にあなたは来ていた。
「今日は遅くなるって言ってきたから」
私が言うと、あなたが
「わりぃ」
ってかすかに言ったように聞こえた。
私たちは駅前のカフェに入った。それなりの都会ならどこにでもあるような、有名なカフェのチェーン店。学校帰りの女子高生や、レポートをしてる大学生、カップルが何組かに、サラリーマンらしい人も何人か。注文したコーヒーを受け取って、私たちは、空いたばかりの壁際のテーブル席で向かいあった。
あなたはポケットに手を入れて、出した手をテーブルの中央まですすめた。握った手じゃなくて、透明な袋を載せた掌だった。あなたが袋をテーブルに置くと、小さな音がした。
「袋に入れてくれたんですね」
ピアスを見て言った私に、
「昨日あんたが、受け取るって言ったから」
ってあなたは答えた。
「どうして、あの子はあなたに、これを渡したんですか?」
ほんとうは1番にあなたが誰なのか訊きたかったけれど、それはやめた。いろんな意味で、勇気がなかった。
あなたは、長い間黙ってた。頬杖をついて、下の方へ視線を外して。1度目を閉じて、その目を開いてからあなたは言った。
「恩返し……的な」
「恩返し?」
あなたは頬杖をついたまましばらく私を見ていたけれど、詳しいことは言わなかった。
「あんたこそ、昨日のおれの話を信じたわけ?」
答えない代わりに、あなたは言った。私は、コーヒーのカップを両手で包んだ。
「信じたっていうより……納得……したんだと思います」
「納得?」
あなたの声で、私は心の音を聞いた。前の日みたいな、ざわざわうるさい感じはなかった。私はただ、少し口元を緩めて頷いた。
「これを、誰にも拾われないような場所に置けばいいんですか?」
あなたが前の日そんなことを言っていた気がして私が尋ねると、あなたはピアスに視線を落とした。
「置くとかじゃ生ぬるい。断ち切るんだから、捨てるつもりで」
(捨てる……)
淡々としたあなたの声は、重く引きずるみたいに私の頭に長く残った。
でもあなたのはっきりした言葉があったから、私は尋ねられたと思う。
「あの子はあなたにお願いしたのに、私がやってもいいんですか?」
あなたは、私に目を向けた。私の瞳を見てあなたは答えた。
「どうするのか訊いたとき、あいつ方向性は説明したけど、“こうしろ”とは言わなかった。だからおれは、あんたに会ってどうするかを決めようと思った」
(私に会って……?)
私が首を傾げると、あなたは付け加えた。
「あんたがやってやった方が、あいつのためにも、あんたのためにもなるだろうから」
(ため……)
その言葉がへんに引っかかったから、私は目でそれを伝えた。
「おれはあんたに会って、やっぱりおれがやろうと思った。……初めて会った日、あんたやばかったから。だけどまだ日数的に余裕があったから、もうちょっと待ってみようと思った。あんまり最初の日がやばかったから、さすがに普段はもうちょっとましだろうし、あいつにとって1番いいのは、あんたがやってやることだって、わかってたからな」
「最初の日?」
「1週間ちょい前。月曜だったと思うけど」
あなたは言いながら席を立った。
「待って」
あなたは、もう背中を向けていた。
「だけど何日かで、あんたがちゃんとましになって良かった。あの日、あんたまじで隙だらけだったから」
私はあわてて立ち上がったけど、言葉に詰まった。
「じゃ、それ頼むな」
あなたは言いながら、もう歩きはじめていた。
(とりあえず、今日は帰ろう)
いろんなことに気を張って、まだまだ話を聞きたいあなたに帰られてしまって、とても疲れた。帰ったら家もそれなりに気が張ってしまうけれど、ここに残って考えても何も変わることはない。できるかわからないけれど、電車ではちょっと頭を休めたかった。
あなたが残したあの子のピアスを鞄にしまって、私はゆっくり店を出た。




