39話 6回目の日曜日
次の日も土曜日と同じような1日だった。祖父の騒動は少しあったけれど、穏やかな日。祖父のお風呂がない分、自分の時間もたくさんとれた。
久しぶりに父も休みで、家族全員が休みだった。でも、父は仕事に行くより朝早い時間から少し離れた畑へ出かけた。
母が朝ごはんを作ってくれて、少し遅く起きた私が祖父を起こした。父はいつも何かつまんで出て行くけれど、しっかりした朝ごはんは畑から帰ったあとに食べている。
祖父は部屋に戻って、私たちは朝食の片付けをした。それが終わった頃、勝手口の扉が開いた。
父は帰ってからシャワーを浴びて、居間に戻った。母は父に食事を運んで、机の角を挟んだ隣に座った。
「今日も変わりなく?」
父が尋ねた。
「変わりなく」
にっこり笑って母は応えた。
「いつもありがとうございます」
父は子どもみたいに笑って、深々と頭を下げる。
「こちらこそ」
満面の笑みで母も深々お辞儀した。
両親のこの会話は、普段夜によくされる。言葉通り日頃の感謝を伝え合ってもいるけれど、これは父から私たちへのお礼だった。
ーーおじいちゃん、騒動はまるく収まりましたか?
ーー収まらなくて、2人はしんどいんじゃない?
ーーいつも、僕の代わりにごめんね。
父が込めている思いは、こんな感じだと思う。
ほとんどの介助や騒動の対応を母と私にさせていること、父はすごく気にしてる。父は人と関わる仕事をしているから、実は祖父と接するのも1番じょうず。それでもそうなってるのには、それなりの理由が存在していた。正反対の気質、ずっと一緒に暮らしてお互いを知りすぎている、たった1人ずつの父と息子として、認知症ってわかっていても話して分かり合える可能性を捨てたくない、とか。でも父が1番言っていたのは、自分も将来祖父のようになっていくのだろうかという戸惑い。恐怖って言葉は違うかもしれないけど、正反対と思っていても、実は自分も祖父と似ているところがあるから“こわい”って言ってた。--そうして父は、祖父の騒動に立ち会うにたび、知らないところで壊れはじめた。
母と私は、優しい父がこれ以上壊れてしまうのを見たくなかった。
そういうみんなの思いから、1日1回このやり取りをするようになった。
「こちらこそ」
私も笑った。
母は父の隣で本を読み、私は母の脇で雑誌を広げた。
この日は、日中ほとんどあの子のこと、考えなかった。でも、朝と夜だけ思い出す。
「おはよ」
「おやすみ」
それだけは、ちゃんとあの子に言っていた。




