31話 6回目の月曜日
次の日、あの子からはメールもこなかった。雨のよく降る朝だった。
驚きはあまりしなかったけど、それでもショックだった。仕事なんて、はっきり言って上の空。そんなだからうっかりミスがたくさんあって、上司の人からちょっと注意されちゃった。いつもと同じだけの勤務時間が、その日はすごく長かった。
勤務が終わってクタクタで、でもあの子のことでソワソワして、たぶん何も見えていなかった。聞こえてもない。あなたがあとから言った通り、「隙だらけ」だった。
帰りの電車は座ることができた。でも、クタクタとソワソワがかえって邪魔して、眠りたかったけど眠れなかった。辛うじて降りる駅は聞こえて、ゆらゆら立ち上がった私は、扉の方に歩きはじめた。電車が揺れて、止まったとき、バランスを崩して転けそうになった。ーーそのあと。
「落とした」
男の人の声がした。ーーあなたが、私に教えてくれた。
大きくはないけど張った声、つっけんどんな言い方。私は振り返って、声をかけてきただろう人ーーあなたの顔を見た。
年頃は私と同じくらいか、少し上くらい。Tシャツにジーンズ、頭にかぶったキャップから、金色っぽい髪が見えた。ついでに、鼻にピアス。耳にももちろん、ついていた。
初対面でも、面倒くさいっていう気持ちが伝わってきた、あなたの表情。どう見たって私とはちがう世界からきた、やんちゃそうな出立ち。でもこのとき、あの日初めて冷静にものを見てたと思う。
私がどんな表情であなたの顔を見ていたかはわからないけど、あなたは私を見てイライラしながら歩き出した。
「降りっぞ」
言ったあなたは私の前を横切って、先に電車を降りた。その手には、私の通勤定期。横切ったあなたを目で追ったとき、あなたの立っていた場所があの子のいつも立っていた場所だったと、ふと思った。
あなたを追って急いで私が電車を降りると、あなたは定期を返してくれた。
「隙だらけ」
このときあなたはため息をついたけれど、私にはまだ、その意味がわからなかった。
「ごめんなさい。ありがとうございました」
言ってすぐ私は歩き出した。
あの日の私に関して、言われたことはほんとうだったし、拾ってくれたのはありがたいけど、私の頭はそれどころではなかったから、ほうっておいてほしかった。
ーーなのに。
「あいつのこと、もう忘れろ」
あなたは言った。気圧されたって言ったらいいかもしれない。無視できなかった。
「……あいつ?」
あなたの前を通り過ぎていた私は、足を止めて、振り返った。
「どうせ、もう会えない。てか、もともと関わっちゃいけなかったんだ。だから、もう忘れろ」
冷たい、突き離す言い方。
「だれのことですか?」
あの子のことが、ほんの一瞬頭を過った。でも、あなたは見ず知らずの人。あなたがいきなりあの子の話をするなんて、へんな話だと思った。
あなたは私から視線を外して半身になって、そのまま首を傾げた。
「なぁ、ニュース知らねーの?」
あなたは、イライラしてるというより、呆れてたかも。
「ニュース?」
訊き返した私に、あなたは完全に背中を向けた。
「まじか……」
このときあなたがぼそっと言った小さな言葉は、そう聞こえた。
「あの、なんのことですか?」
私は、あなたの言ってることの訳がわからなかった。でも、あなたは私の訊いたことには応えなかった。代わりに、
「定期、もう落とすなよ」
とだけ言って、改札とは逆の方に歩いて行った。
私は何歩かあなたが歩いたのを見て、足早に改札の方に歩きはじめた。




