23話 4回目の日曜日
「そういえば、さらちゃん元気?」
朝食の片づけを2人でしたあと、コーヒーを飲んでいる時に母が言った。片付けの間中、昨日の祖父の話をしたあとで。
「うーん……」
私は、即答できなかった。前の週のあの子は、自分のことを今までよりは話してくれた。でも、積極的な感じや無理してない感じはなかった。そして、あの金曜日。
「なんかね、すごく無理してるんだろうなって思う」
迷ったあと、それだけ言った。
「無理?」
尋ね返した母に、私はしばらく言葉を探した。
私がじっと言葉を探している間も、母は待っていてくれた。やっと私は話しはじめる。
「先週はね、さらちゃん、自分のこと話してくれたの」
「自分のこと?」
「どういうところで生きてきて、どうして今ここにいるのか。……ぜんぜん具体的じゃないんだけど」
言ったけど、自分でも伝わりにくい説明だと思って苦笑いした。母はただ、優しいで瞳で頷いてくれて。そうして先を促してくれた。
「さらちゃん、前にいたところがすごく怖いところで、いやで、たまらなくて飛び出したんだって。……初めて行くところはどこもキラキラしていたけど、結局前にいたところにいたような人とつながっちゃった。……そう言ったの」
母は静かに聞いてくれた。
「都会から近いけど、みんなが心の底に憎しみみたいな負の感情を持っている、すごく怖い場所にいたらしいの。……だから出たのに、結局そこにいた人と似たような人とつながっちゃったって……」
母の表情が、一瞬だけ強ばった。このとき、あの子がどういう場所の子か母にも伝わったんだと思う。でもすぐに、静かな表情に戻って頷いてくれた。
「木曜ね、さらちゃん、たぶん家に帰ってなかったの。金曜、とても疲れてるみたいだった」
--ここまで言って、言葉が切れた。次の言葉が、わからなくなって。
今までと明らかにちがった様子のあの子のことが、心配で仕方なかった。悩んでいるのか、困っているのか、傷ついてるのか、ほんとうのところはわからなかったけれど、あの子の助けになりたかった。私のことを大事にしてくれているのはわかってたから、私もあの子を大事にしたかった。--その私の気持ちは、ほんとだと思う。でも--。
あの子はどうしてあの日帰れてなかったの? あの子は何に苦しんでるの? あの子はどうして、無理して気丈に「大丈夫」ってあのとき言ったの?
わからないことが多すぎた。
わからないこと、それから、知らないこと。わからないこと、知らないことが多すぎるから、自分がどうしたいのかわからない。どうするのが、あの子の助けになれることかわからなかった。だから、自分がどうしたいのか、どう思っているのかをうまく言えない。--母に説明したこのときに、はじめてそれに気づいてしまった。
「ちょっと見守ってあげたら?」
母の声が優しく沁みた。
「見守る?」
母は頷いて、ほほ笑んでくれた。
「さらちゃんのことを、歩未が大事に思っててあげる」
頭では、わかってた。それは1番大事なことだし、だからこそ何かしたいと思っていたから。私は、納得しきれていないのが伝わるように頷いた。母は、理解してくれていたと思う。母の優しい声は続いた。
「どうしたいかわからない。相手がどうしてほしいかわからない。そういうどうしたら良いかわからないときは、待つしかないの。試して初めて答えがわかるってこともあるけど、そうして相手を傷つけちゃったら、自分だって悲しくなっちゃう。だから、相手を傷つけちゃうかもしれない時は、待ってみるの。そうしたら、思いもしてないことから良い答えが見つかるかもしれないし、待ってる間に見えてなかったものが見えてくるかもしれない」
私は頷いた。気持ちが納得しているかに関係なく、頭はすごく納得できた。
「それにね」
母は笑った。
「歩未はいつも待っていられてると思う。--おじいちゃんとか」
「それとはちがう! おじいちゃんは……」
否定した私に、母は首を振った。
「ちがうように見えてもね、介護も友達付き合いも、職場での人間関係も--どれも一緒よ」
何となくは、聞いてすぐに理解した。
「どんな人間関係でも、やってしまったことは戻れない。あとはそう、後悔しない道を選ぶこと」
母は、それほど厳しくないけど芯はつよい。その母が私が小さいころからずっと言い続けているのは、『後悔しないように生きなさい』。『選んだことを後悔しないような道を選びなさい』--こっちが近い。こういうつよさのある母は、私にはたまに眩しすぎる。でも、この母に導かれてきたことも、数え切れない数あった。
「正しいことはわからなくてもね、さらちゃんのことを大事にしたいと思う歩未の気持ちがあることは、すごく大事よ」
母はそう言ったあとにっこり笑って、空になったコーヒーカップを手に立ち上がった。




