2-4 放課後
「え、仮想空間!?
じゃあ私が見てた学長やアスカくんは偽物だったんですか!?」
入学式が終わり、クラスで簡単なガイダンスが行われた後、その場で本日は解散となった。
アスカはメルトリスにせめて挨拶だけでもしたかったところだったが、終始そんな暇はなく、解散後もメルトリスの周りはあっという間に取り巻きに囲まれてしまったため完全にタイミングを逸してしまった。
多くの生徒がメルトリスに話しかけようと集まる中、アスカは席に座るルシアのもとへ行き、講堂での顛末を伝えた。
「そう。学長挨拶の間はね。本物の学長の見た目はお若い女性だったよ。」
「お姿を見られたんですか!?なんて羨ましい……。」
ルシアはあからさまに肩を落とした。
かなり感情が表に出やすいタイプらしい。
「そうか。だからアスカくんは対抗系魔術を使うよう教えてくれたんですね。」
「そう。あの魔術に気づけていたのはこのクラスでは僕と王女様だけだった。」
「凄い……。アスカくんって実はかなりの実力者だったりするんですか?」
学院では目立つ行為を慎むよう命じられているが、思いがけず初日から少し注目を浴びる形になってしまった。
想定外の出来事だったとはいえ、アスカは迂闊だったと反省した。
「いや、偶然だよ。メルトリス王女と何人かの生徒の様子が変だったから、少し警戒していたんだ。」
「なるほど、周囲に気を配っていたんですね。私にはとてもそんな余裕はなかったです。」
ルシアは再び肩を落とした。
マナの増幅を隠していた仕掛けはわからないが、大多数の生徒が気づけなかったのだ。
対処できなかったのは仕方がない。
「それで、気づけたご褒美に学長と個人面談の機会をいただいたんだ。」
「え!?学長と!?個人面談!?」
ルシアは机に手をつき大きく身を乗り出した。
かなり顔が近づき、驚いたアスカの表情を見てハッとしたルシアは恥ずかしそうにすぐ身を引き、着席した。
「そう、この後ね。僕は王女様の後らしい。」
「羨ましい……。よろしければお話の内容を面談のあと伺ってもいいですか?」
「いいよ、許可が降りればね。たぶん世には出してないことも色々と聞けるだろうし。」
何より気になるのは実績と年齢の乖離だ。
サブロフ・ミッテルンは世間の推定では60代よりも上の年齢のはず。
しかし、登壇した学長は明らかに若かった。
「やった!ありがとうございます!」
ルシアは満面の笑みを浮かべた。
本当に素直でわかりやすい少女だ。
「君たち、随分と仲が良くなったようだね。」
アスカがルシアの席の横で話しているところに、ロンバルドが乱入してきた。
先ほどまでメルトリスの取り巻きにいたはずだが、どうやら話すのを諦めてこちらに来たらしい。
「並び順が近かったからね。紹介するよ、こちらはルシア・ハートさん。」
「る、ルシアです!よろしくお願いします!」
ルシアは慌てて席を立ってお辞儀をした。
貴族と話すのは慣れていないのか、どこか緊張した様子である。
「僕はロンバルド・ディーネ。これから同じクラスの仲間としてよろしく頼むよ。」
一方のロンバルドは相変わらず堂々とした振る舞いだ。
成績もメルトリスに次ぐクラス2番目。貴族だからというだけではなく、自らの実力にも自信があるのだろう。
「王女殿下が話しているのを聞いたんだが、学長もやってくれるね。全く見抜けなかったよ。」
ロンバルドはやれやれと呟いてルシアの横に空いていた席に座った。
「アスカくんは見事対処したそうじゃないか。やはり僕の人を見る目には間違いがないらしい。」
「買いかぶりだよ。たまたまさ。」
「謙遜かい?入試の順位はともかく、対応力という面で僕は君に劣っていることがはっきりしたよ。まだまだ精進が足りないな。」
メルトリスが話しているとなると、学院の中で周知の事実になるのは時間の問題だろう。
誤魔化すのは大変そうだ。
「ルシアくんは平民だね。なぜこの学院に?」
「わ、私は実家が薬を売っているのですが、最近売上が良くなくて……。魔術の知識を深めればもっといい薬を作れるんじゃないかと思って入学したんです。」
「なるほど、家族思いなんだね。」
魔術を様々な分野で活用しようとする動きは強く、研究も盛んになされている。
一方で、魔術を使えないということはそれだけで社会を生き抜く上で大きな不利となってしまう。
働き口や収入など、様々な面で大きな格差が生まれており、社会問題になっていた。
アウトサイドの住民も、生まれつきのマナ量が少なく魔術を使えない人間が多い。
「そういえば、アスカくんの入学動機はまだ聞いていなかったね。」
ロンバルドはついでのように聞いてきたが、むしろアスカの方に興味があるようだった。
ルシアも興味深そうにアスカを見つめている。
もちろん、アスカはこうした質問に想定問答を用意していた。
「僕の動機は単純さ。
ここを卒業した学歴があれば、色んな可能性が開ける。
平民にとってはまたとないチャンスなんだよ。」
「なるほど。多くの平民の生徒はそうなんだろうね。
貴族の生徒は家の命令がほとんどだと思うが。僕もそうだしね。」
ロンバルドはため息をついた。
王立魔術学院は世界でもトップクラスの教育を受けられる。
卒業生の進路も幅広く、世界で活躍している人材を多数輩出している。
貴族にとっては家名に泊をつけるため、平民にとっては進路を広げるため、それぞれにとって学院を目指す大きな理由がある。
「さて、僕は帰ろうと思うんだが。王女殿下とアスカくんはこのあと学長に呼び出されているんだったね。」
「うん。だから残ってなきゃいけないんだ。」
「そうか。学長と一対一で話す機会なんて、全く羨ましいな。僕もこれから頑張るとしよう。」
ロンバルドは席を立ち、荷物をまとめて別れを告げ、教室を後にした。
その後、アスカはルシアと雑談を交わしながら自分の番を待った。
同じ平民の友人が早速できたことが嬉しかったのか、ルシアは楽しそうに話をしてくれた。
どうやらルシアの実技が苦手という話は、これまで魔術を使う機会があまり無かったかららしい。
もちろん学院に入る前の学校教育で多少の心得はあるが、それはあくまで最低水準であり、実践レベルには程遠いものだと言う。
一方で、読書が趣味で歴史や魔術の知識については自然と身についたとの事だった。
まさしくアスカとは正反対である。
そうこうしている内にあっという間に時間が経ち、メルトリスがサルベールに呼ばれ、取り巻きたちが解散すると、教室にはアスカとルシアだけが残った。
「いよいよ次がアスカくんの番ですね。なんだか私まで緊張してきました。」
「そうだね。少し僕も緊張してきたよ。」
教室の窓を見るともう既に日が傾きつつあった。
口ではああ言ったものの、実はアスカはさほど緊張していなかった。
死と隣合わせの任務を数多くこなしてきたアスカにとって、重要人物との面会などさほど大きなイベントではなかった。
「ルシアは帰らなくていいの?残ってくれるのは嬉しいけど。」
「アスカくんを待ってます。よかったら、その……一緒に帰りませんか?」
ルシアはもじもじとしながら上目遣いでアスカを見つめた。
まだ会って数時間。随分と気にいられたものである。
「いいよ。一緒に帰ろう。
僕は離れ村で育ったから同い年の友人が少なくてね。すごく嬉しいよ。」
「ありがとうございます!私もアスカくんとお友達になれてとても嬉しいです!」
先ほどからルシアはよく笑う。
屈託のない透明な笑顔に、アスカは内心気味の悪さを感じていた。
アスカはこれまで純粋な感情に触れることなく育ってきた。
計算の無い無垢な好意は、アスカにとって理解できない得体の知れない感情だった。
それからルシアとしばらく話していると、クラス前方の扉が開き、サルベールとメルトリスが入ってきた。
「アスカ・エレイン。時間だ。学長室まで来なさい。私が案内しよう。」
「はい。先生、お願いします。」
アスカはルシアに一旦の別れを告げ、サルベールの元へと向かった。
「お待ちください。エレインさん。」
クラスを出ようとしたそのとき、アスカをメルトリスが呼び止めた。
「私はメルトリス・アルモンド。アルモンド王国の第一王女です。」
「知ってるよ。有名人だからね。」
メルトリスはスカートの裾を両手でつまんで少し広げ、左足を下げながら礼をした。貴族特有の挨拶らしい。
メルトリス側からコンタクトを取られるとは思っていなかったアスカは、幸運に感謝した。
「講堂での一件、このクラスで対処できたのは私とあなただけでした。
どうしてお気づきになれたので?」
「一部の生徒の様子が変だったから警戒していたんだ。気づけたのは偶然だよ。」
アスカはルシアから聞かれた際と全く同じ返答をした。
王女に近づきたいのは山々だが、変に目立つことは避けなければならない。
「……そうでしたか。突然お呼び止めしてしまい申し訳ございませんでした。
今後も仲良くしてくださいませ。」
「こちらからお願いしたいくらいだよ。これからよろしく。」
メルトリスは優しく微笑んだ。
よく出来た笑顔だが、それは作り物であることをアスカは感じていた。
感情を押し殺している者特有の口元の動き。日々実践しているアスカだからこそ気づけた程度の微細なものだが、見逃すことは無かった。
王族だからこそ、民に不安を与えないよう常に明るい表情を振りまいていなければならない。
メルトリスの心労を窺い知りつつ、アスカは教室を後にするのだった。