2-3 歓迎
魔術学院の敷地は広大である。
食堂や図書室、演習場など、一通りの施設を回るのに数時間を要する。
サルベールの案内のもと、それらを回った生徒たちは歩き疲れている様子だった。
「やっぱりすごいですね……。」
アスカは後ろの生徒に声をかけられた。
16番、つまりアスカより試験の成績が悪かった生徒である。
王女に興味を示しながらも席についていた少女だった。
「ああ、広いけれどどの施設も立派なものばかりだね。」
「そうですよね……。私はもう疲れちゃいました。
あ、申し遅れました。私、ルシア・ハートっていいます。」
「そろそろ休憩を入れてほしいところだね。
僕はアスカ・エレイン。これからよろしく。」
ルシアはアスカよりも小柄な体をたたんで丁寧にお辞儀をした。
「これから、入学式ですね!私この学院に入るのがずっと夢だったんです!
成績はギリギリだったみたいですけど……。」
「それを言うなら僕も同じだよ。どうも筆記試験が苦手でね。」
「あ、それなら私と逆です。私は実技がすごく苦手で。筆記試験でなんとか受かった感じなんです。」
「お、それなら勉強教えてもらおうかな。お互い助け合っていけるといいね。」
「はい!私なんかでよければぜひ!」
ルシアははち切れんばかりの笑顔で答えた。
第一印象は素直で明るい少女といったところだろうか。
三つ編みにした茶色の長髪と、そばかす混じりの頬、大きな眼鏡。
貴族のような華やかさは無いものの、素朴な可愛らしさに包まれている。
「でもまさか王女殿下と同じクラスになるなんて、私びっくりしました。」
「ああ、そうだね。僕もクラス分けを見た時は驚いたよ。」
「私は平民ですから、殿下とこうしてお近づきになれる機会があるなんて、今でも信じられません。」
「それを言うなら僕もさ。でも、随分と王女様を慕っているんだね。」
「あ、はい……。実は昔……。」
ルシアが何か言いかけたそのとき、庭園にさしかかったところで列が止まった。
「さて、いま案内できる学院の施設は以上だ。諸君にはこれより入学式が開かれる講堂に向かってもらう。」
サルベールは生徒を見渡して言った。
「入学式では学長や生徒会長からの祝辞を賜る。退屈な時間かもしれないが、歩き疲れた諸君にはいい休憩になるだろう。大人しく真面目に聞くように。」
随分と正直な物言いをする教師だ。
しかし、その分不思議と好感が持てる。
生徒たちは引き続きサルベールの案内のもと、講堂へと向かった。
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講堂に着くと、既に他のクラスの生徒は到着していた。
開始時刻までにはまだ少し時間があるが、随分と早い集合である。
Bクラスの生徒たちは先程と同じ並び順で着席し、式の開始を待つことになった。
「なんだか緊張しますね、アスカくん。」
再びルシアが後ろから話しかけてきた。
落ち着かない様子でソワソワと周囲を見渡している。
「そうだね。この学院の学長は魔術研究を飛躍的に進歩させた『魔術の生き字引』。どんなお方なのだろう。」
「論文や書物はたくさん出されてますけど、表舞台には全く姿を見せませんからね。不思議なお方です。」
サブロフ・ミッテルン。この王立魔術学院の学長の名だ。
会話にも出てきた通り、世界的にその名を轟かせながらも人物像は謎に包まれている。
出自、年齢、性別、その他一切の個人情報は不明。ただその功績と名前だけが世に広まっている異色の人物。
おかげで妙な都市伝説ばかりが広まっており、神だの悪魔だのと言われたい放題である。
(だがしかし、これは妙だな……。)
明らかに講堂内に異様な量のマナが立ち込めている。
何か大型の魔術でも使おうとしない限り、ここまでマナが充満するのは有り得ない。
それにも関わらず、生徒はおろか、教師ですら対処しようとする気配がない。
「ルシア、この講堂なにかおかしくないか。」
「え、おかしい、ですか?
たしかに王宮にあってもおかしくないくらいの立派な講堂ですけど……。」
ルシアは全く気づいていない様子だ。
実技が苦手という話だったが、ここまでの状態に気が付かないレベルでは学院に入学できるはずもない。
間違いなく何かが起ころうとしている。アスカは身構えた。
Bクラスの生徒が講堂に着いてから10分後、1人の女性教師が壇上に立った。
「皆さん、この度はご入学おめでとうございます。
私は本日の司会進行を務めさせていただく、Aクラス担任のラトヴィア・フローゼと申します。
本日はどうぞよろしくお願いいたします。」
ラトヴィアは深く礼をした。
生徒たちは皆、静粛に姿勢を正して着席している。
平民も混じっているとはいえ、生徒の半分以上は貴族だ。さすがに礼儀作法のレベルが高い。
「早速ではございますが、新入生の代表挨拶に移りたいと思います。
新入生代表、メルトリス・アルモンド。前へ。」
「はい。」
メルトリスは席を立ち、壇上へ向かった。
立ち振る舞いの一つ一つが凛としていて一切の隙が無い。
思わず目を奪われてしまうほどの美しい所作である。
長く伸びた黄金色の髪、スラリと伸びた手足、整った顔立ち、安易な表現にはなるが外見も「完璧」の一言に尽きる。
メルトリスは壇上に立つと、深々と礼をした後、胸に手を当てて軽く呼吸を整えた。
「春の息吹が感じられ、日に日に新緑が鮮やかに彩りを見せる季節となる中、私たちは本日、アルモンド王国王立魔術学院に入学いたします……。」
メルトリスの挨拶は総じて一般的な内容だった。
あえて奇を衒う必要も無いので当然と言えば当然である。
しかし、そんなスピーチでもメルトリスが行えば妙に説得力があるのが不思議なものだ。
メルトリスが挨拶を終えると、会場からは割れんばかりの拍手が巻き起こった。
まるで国王の演説である。
「アルモンドさん、ありがとうございました。
それでは続きまして、生徒会長からの挨拶でございます。
モーリス・トリトリンデ、前へ。」
トリトリンデ家。言わずと知れた有力貴族である。
王国には有力貴族の中にも序列があり、五大貴族と呼ばれる5つの名家が最上位とされている。トリトリンデ家はその五大貴族のひとつである。
名前を呼ばれ壇上に立ったのは、細身の長身で切れ長の目に眼鏡をかけた、いかにも知的そうな外見をした男子生徒だった。
「新入生の皆さん、入学おめでとう。
この学院の門をくぐったということは、その時点で類稀なる魔術の才が認められたことに他ならない。
今年も優秀な同胞が増えたことに感謝しよう。」
モーリスは壇上から新入生をゆっくりと見渡しながら続けた。
「この学院は『貴平平等』を第一の理念として掲げている。
我が生徒会も所属している生徒の半分が平民だ。
そもそも私はこの貴族だの平民だのという階級制が苦手なのだが、まあそれはここでは置いておこう。
この学院に入学した以上、生徒たちには皆等しく機会が与えられる。
だがそれは、裏を返せば甘えは許されないということだ。
皆さんには是非その力を存分に伸ばしていただきたい。
共に学べる日を心待ちにしている。
私からは以上だ。」
生徒会長の挨拶はあっさりと終わった。
そのせいか、拍手は先ほどよりも薄く、生徒の中には若干戸惑いを見せている者もいた。
「生徒会長、すごそうな人でしたね。」
ルシアは拍手をしながらアスカに話しかけた。
「うん。話も明解で短かった。きっと合理的な人なんだろう。」
「トリトリンデって貴族の名門の一族ですよね。私でも知ってるくらい。」
「ああ、そうだね。代々学術的な分野で成果を残している一族だ。きっと生徒会長も相当頭がキレる人なんだろう。」
モーリスが壇上から降りると、司会のラトヴィアが進行を続けた。
「トリトリンデさん、ありがとうございました。
それでは、本日の次第の最後となります。学長からのご挨拶です。」
ラトヴィアが告げたそのとき、講堂に充満していたマナが一切に魔術発生時特有の循環を見せ始めた。
(ついに来たか。でもこれは……。)
アスカはすぐに気づいた。
何らかの攻撃系の魔術を予測していたが、これは幻術系の魔術であると。
(他の生徒たちを守れるほどの魔術は僕には使えない。王女を守るにも距離がある。幻術系ならとりあえずルシアと僕だけ守るとするか。)
アスカはあらかじめ準備していた対抗系魔術を、ルシアと自分の2人を対象に展開した。
しかしその直後、ルシアに展開した魔術が何らかの力によって打ち消された。
「ルシア!幻術の対抗系魔術を使うんだ! 」
「え、え、え?対抗系魔術なんて私まだ使えな……」
ルシアが言い切る前に大規模な魔術が発動した。
講堂内は一瞬真っ白な光に包まれ、アスカは思わず目を瞑った。
アスカが目を開けたそのとき、先ほどまで講堂にいたはずの生徒の多くがその場から忽然と姿を消していた。
講堂に残ったのはBクラス最前にいたメルトリスをはじめ、各クラス1、2名程度である。
教師たちは全員その場に残っていた。
「これは一体……。」
残った生徒たちは周りを見渡しながら困惑した様子だが、相変わらず教師たちは全く動こうとしない。
つまりは、学院側が仕向けた魔術ということである。
「諸君。入学おめでとう。」
講堂内に女性の声が響いた。
壇上にはいつの間にか若い女性が立っていた。
「私がこの学院の学長、サブロフ・ミッテルンだ。はじめまして。」
若干ザワつく講堂の空気を無視して女性は続けた。
サブロフ・ミッテルンは、30年前から数多くの学術論文を世に出しているのだが、壇上の女性の見た目はまだ20代半ばといった様子である。
「この場に残っている諸君なら既に分かっていることだろうが、先ほど私は講堂内に大規模な幻術系魔術を発動した。多くの生徒がいま消失しているのも、幻術系魔術に対抗しなければ仮想空間に転移するよう、少しだけ細工を加えていたからだ。」
仮想空間への転移魔術。
サブロフが考案したもので、それまで現実空間のみを対象としてきた魔術界に大きな変革をもたらした新魔術だ。
だが、その発動にはかなり多くの制約があり、大規模な展開が必要となることから実用化にはまだ至っていない。
それをこの大きな講堂で行ったのだから、先ほどまで充満していたマナについても合点がいく。
「これはその年の入学生の実力を測る名目で毎年行っている私のお遊びでね。
今年この場に残った生徒は8名。例年3名程度だから非常に君たちは優秀だ。」
サブロフは満足そうに拍手をした。
生徒の中にはまだ状況を飲み込めず周囲を見渡している者もいる。
「中には他の生徒を助けようした者もいたね。良い心意気だ。
もちろんそれではこの遊びの意味が無いから、阻止させてもらったが。
中でもメルトリス王女、あなたはこの場にいる全員に対抗系魔術を展開しようとしていた。
まだ荒削りではあるが、もはや生徒の域を超えている。」
メルトリスは黙って深々と礼をした。
あの瞬時に200名程度の人々に対抗系魔術を展開するとなれば、膨大なマナ量と知識、技術が必要となる。
それをやってのけたと聞いて、アスカは驚嘆した。
「なぜ多くの生徒が異様なマナに気づけなかったか。それは企業秘密だから教えられないが、見事発動を見破った君たちには既に魔術の本質を見抜く力がある。
仮想空間に飛んだ生徒たちには、偽りの講堂でそれっぽい挨拶を聞いてもらっている。特段危険は無いから安心したまえ。」
サブロフは生徒名簿を手に取ると、残った生徒を確認し始めた。
「君たちには下らぬ遊びに付き合わせた礼に、後ほど私と個別の面会の機会をプレゼントしよう。
私からもいくつか質問するが、何でも聞いてくれたまえ。
あと、この遊びのことだが、別に他の生徒に公言してくれても構わない。
しかし、仮想空間の私は真っ黒なローブに身を包んでいて素顔を明かしていない。
私の姿を直接見られたというのも、君たちへのプレゼントという事だな。」
サブロフは生徒名簿を閉じ、コホンと咳払いをした。
「改めて、入学おめでとう。今後の君たちの活躍は大いに期待している。
そろそろ仮想空間から生徒たちが戻ってくる時間だ。私はこれにて失礼するよ。」
サブロフはそう言うと転移系魔術を展開し、あっという間にその場から消えてしまった。
そしてその後、再び講堂内が真っ白な光に包まれ、仮想空間に飛びされていた生徒たちが帰還した。
「ミッテルン学長、ありがとうございました。
入学式はこれにて終了でございます。
各自、担任の指示に従いご退出ください。」
「アスカくん、すごかったね!学長のお話!」
ルシアが興奮気味に話しかけてきた。
これは後で何が起きたか説明しつつ内容を聞かなくてはならないな。
若干面倒に思いながら、アスカは頷くのだった。