1-4 家族
「ねえ、ローリエはまだ?」
引越し作業を終えると、マーガレットは退屈そうに背伸びをした。
スラリと伸びた手足が映える。これが12歳の母親役というのは少し無理があるんじゃないか。そう思いながらヴィオラは答えた。
「ローリエじゃない、アスカだ。何度も言ってるだろ。君はダフナ・エレイン。」
「あら、それは明日からの話でしょ、マイダーリン?」
マーガレットはそう言うと投げキッスをしてみせた。
これほどの美貌を持った女性に言い寄られれば、世の男の9割はイチコロだろう。残りの1割はよほどの物好きだ。
「僕らはこれからこの家で暮らす「家族」なんだ。日が変わったからっておいそれとなれるものでもないだろ。今からでも慣れておくべきさ。」
「全く、面倒ねえ。ローリ……アスカはともかくアンタと家族だなんてさ。」
「仕方ないだろ、年齢的に適任が僕しかいなかったんだったんだから。」
ヴィオラは少し顔をしかめた。
「何もラブラブになろうって言うんじゃない。上手く家族ごっこが出来ていればそれでいいのさ。」
「ま、これも仕事のうちだから我慢してあげるわ。せいぜい私好みの男になりなさいな。」
マーガレットは長く伸びた黒い髪の毛を指先で弄りながら言った。
ヴィオラは将来に一抹の不安を覚えつつ、話を変えることにした。
「そう言えば、ガーベラが依頼をしくじったらしいじゃないか。」
「らしいわねえ。」
「らしいって。彼女の指導役は君だろ?後始末もクレマチスに放り投げてるらしいじゃないか。」
マーガレットはうるさそうに眉をひそめた。
「あの子はたぶんアスカよりも若いのよ。それなのに任務を与えるだなんて、それ自体が酷な話だわ。」
「だからこそ、だろ。僕らには出来なくてガーベラには出来ることはたくさんある。」
ヴィオラはリビングの中央にあるソファに腰掛け、深くため息をついた。
「これが僕らに与えられた生き方なんだ。こんな生き方しか出来ないのさ。」
「そんな私たちが幸せな家族ごっこだなんてね。」
マーガレットはヴィオラの横に座った。
高身長で手足が長く、顔の小さい2人が並んで座っている姿は、傍から見れば美男美女のお似合いな夫婦といった光景である。
「まあこれもアスカのためだ。任務とはいえ、彼には彼が送るべきだった日常を与えてあげたい。」
「どうかしらね。それが幸せかどうかは、アスカが決めることよ。この任務を経てあの子が「普通」になっちゃったら、困るのは私たちっていうのもあるし。」
ヴィオラは頷きつつも、はっきりとした口調で答えた。
「でも、それでも彼には知ってもらいたいんだ。ありえたかもしれない未来を。」
「私たちが欲しくても得られなかった生活を、ってことね。」
マーガレットはそう言うと深く目を瞑った。
アスカことローリエが家に到着したのは、そんな2人の会話から数分がたった頃だった。
「ただいま。って言えばいいのかな。」
ローリエは少し気恥しそうに鼻をかきながら言った。
「あら、おかえり!これからよろしくね、アスカ!」
マーガレットはソファから立ち上がるとローリエの元へ駆け寄り、そのまま彼を抱きしめた。
ローリエはマーガレットの胸に押しつぶされ、息苦しそうに悶える。
「アスカ、おかえり。引越しはもう済んでるから、ゆっくりするといいよ。君の部屋は2階だ。」
ヴィオラは2人の様子に微笑みながら思った。
これが家族。自分たちの知らない社会の「当たり前」。
「マーガ……母さん、抱きつくのはやめてくれ。苦しいんだ。」
「あら、男たちはこうするとすごく喜ぶのよ。アスカにはまだ早かったかしら。」
マーガレットはローリエを解放すると、舌を少し出してわざとらしくおどけてみせた。
「そういうのは父さんにしてやりなよ。もうしたのかもしれないけど。 」
「とんでもない!なんであんな軟弱な男に!」
「母さん、仮にも夫婦なんだから仲良くしてよね。」
ローリエはそう言うとケラケラと笑った。
しかし、ヴィオラはその笑顔にどこかぎこちなさを感じた。
「全く、酷い言われようだな。是非とも僕にも優しくしてくれると嬉しいな、ダフナ。」
「あら、それならもっとマシな男になりなさいな、マユラ。」
言い合いつつもなんだかんだ仲の良い2人をみてローリエは微笑えんだ。
夫婦役、にはまさに適任である。マーガレットは少し若く感じるが。
「まあいいわ、そろそろ夜だし夕飯の支度をするわよ。何が食べたい?アスカ。」
「うーん、またビーフシチューが食べたいな。この前作ってくれたやつ。」
「いいわよ、じゃあ食材買ってこなくっちゃ。母さん頑張っちゃうからね!」
マーガレットは明るくはちきれんばかりの笑顔で答えた。
何よりも家族を欲しているのは彼女なのかもしれない。ヴィオラはそう思い、この役割を任された重みを感じるのだった。