第11話 悪意ある崩壊
カナセは与えられた車に乗って下層界から上層界へと出た。
車は目立たないごく一般的な小型車だった。
一応、下層界まではアコンゲルの護衛の車両が付いたが、上層界からはカナセの単独行動となった。
高層ビルが立ち並ぶ中、車は上層界の広い車道を走る。
ゴディバでの運転は澱みのない水路の流れの様に快適だった。
渋滞も無く、行き交う車は常に交通ルールを厳守している。
人間工学に基づいて設計施工された道路は広く整備も行き届いており、アスファルトには亀裂も凹凸も無く、小石のひとつも落ちてない。
当に天国と地獄の天国側、車路の美しさ、走り易さだけならゴディバの道は間違いなく世界一の道路だった。
「こんなに良い物を作る技術があるってのに……」
どうして国のトップだけが異常なのか……。
そのアンバランスさがカナセには不思議でならない。
しかし不思議といえばモンベル団長のカナセに対する態度だった。
「いや、むしろ不思議な所なんて何も無かった」
団長のカナセに対する接し方は常に正常だった。ライカの事を秘密にしていたり、年寄りらしい押し付けがましさはあったが不自然さはまるでない。
それどころか常識を弁え、当初の約束通り、カナセの護衛を真摯に勤め上げていてくれている。
お陰でカナセが団長に対する態度は自然と軟化し、逆に尊敬を込めて敬語で接していた。
しかしそれが逆にカナセにとって不思議でならなかった。
モンベル団長はあの「審判の会」の会員のはずだ。
彼の立場なら新生魔煌技復活阻止の為、カナセ自身の命を虎視眈々と狙うつもりのはずであり、実際にここに来るまでに何度もそのチャンスはあったはずだ。
しかし団長はカナセの命を狙う様な素振りは今に至って一向に見せない。
お陰でつい先ほどまであの老人に命を狙われていた事を忘れていたほどだった。
「もっと、的確なチャンスを狙って居るって事か? それとも今回は諦めたか……」
結局、団長の真意は掴めないままだ。
暫くして車は処刑会場前に到着した。
場所は以前、ゴキブリを使った処刑が行われた場所と同じ公園だった。
園内には既に市民による黒山の人だかりが出来ており、処刑開始を皆、笑いながら今か今かと待ちわびていた。
市民の興味は処刑人の罪状と処刑方法だった。
それは図らずもクレアが目撃した時と同じ市民の反応だった。
しかし元来、粗野な気質のカナセには彼女ほどの絶望感や悲壮感はない。
「こんな日中に処刑見物かよ。ここも世も末だな~」
カナセはゴディバ市民の態度に辟易しながら周囲を伺う。
「さてと……」
カナセは横柄に道端に停車させた車の屋根に登り群衆の向こう側を眺めてみた。
こんな行儀の悪い態度を上層界で取ればすぐにウラ警の目に止まるはずだが、幸い奴等の目も今は処刑場の方に集中していた為、カナセの方を顧みない。
カナセは群衆の向こう側を凝視する。
そこでは壁に向かって銃を構える数名の兵士が立っていた。
更に壁に向かって、拘束されたひとりの男が二人の兵士に捕まれたまま引き摺られながら歩かされている。
目隠しはされていたが死刑囚は写真の男、フィリップ・ギヒンスだった。
「大変だ、今すぐ作戦開始だ!」
カナセは車の屋根から開いたままの窓へと滑り込むと急いで車を走らせた。
そしてクラクションを鳴らしながら公園の中へと乗り上げると群衆に向かって突っ込んでいった。
「退け、退け、退けぇ! 退きやがれぇ!」
「うわあああああああああ……」
暴走車に気付いた群衆が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
更に車が処刑場の前へと進むと銃を構えていた処刑人達までもが蹴散らされていった。
カナセは勢いに任せたまま拘束されたフィリップ・ヒンギスことガーリックの前で車を止めた。
「おい、おっさん! 大丈夫か!」
カナセが車を降りた途端、ガーリックを引きづっていた二人の兵士が銃口を向けた。
だが同時にカナセも手にしていた閃撃来煌丸を振るった。
兵士達の前で青い光が瞬くと、兵士達はカナセは巧みな剣捌きの前に一瞬で切り捨てられてく。
「ふふん、コリン師匠の教えは効果てき面だ!」
来煌丸の威力にカナセも笑みを浮かべる。
一方、公園の中で銃声が響き始めた。
暴走車の突進から立ち直ったウラ警の兵士達が反撃を始めたのだ。
「やべっ!」
カナセは地面に伏せていたガーリックを掴むと乗って来た車の後部座席に無理やり押し込んだ。
「むごぉ!」
拘束具を付けられたまま乱雑に扱われるガーリックがうめき声を上げる。
しかしカナセはそれを無視すると再び車を走らせた。
「あばよ、もうここには用無しだ!」
車は後方を銃痕だらけにしながら公園から通りへと走り抜けていく。
後部座席では縛られたままのガーリックが今も藻掻き続けていた。
「悪いな、アジトに着くまでこのまま辛抱だ
カナセはそう一言、告げると後は車の運転に集中した。
ウラ警による非常線はすぐに張られた。
だがその前にカナセの乗った車は下層界へと潜っていく。
下層界の治安が最悪なら敵もおいそれと追って来ない。特に最近、壱號隊と弐號隊を失ってレベルの落ちたウラ警ならば尚更だ。
思った通り、敵の追跡は無かった。
カナセとガーリックを乗せた車は、やがてライカに指定された場所へと到着した。
そこは腐った板塀に囲まれた空き地だった。
カナセが車を停めると、アコンゲルの兵士達とモンベル団長が待ち構えて居た。
「連れて来たぜ。拘束を解いてやってくれ」
カナセは得意げに後部座席の扉を開けガーリックを彼等の前に曝した。
「ふん! 無事に帰って来られたから良かったものの……」
無事に帰還したカナセを見ても団長は不満気だ。
車から降ろされたガーリックの猿靴と手錠がアコンゲルのメンバー達によって外されていく。
しかし口元が自由になった途端、ガーリックはライカに向かって叫んだ。
「ライカ……お前、余計な事をしてくれたな!」
「余計って何よ。せっかく助けて上げたのにご挨拶ね」
「それが余計な事だって言ってんだよ! お前、その様子じゃ、自分のした事の意味が判って無ぇみたいだな……」
「判ってないって? 何よ、さっきから勿体ぶった言い回しばっかして! 言いたい事があるなら、はっきり言いなさいよ!」
「もうバレてんのさ! とっくの昔に、アコンゲルの動きは! そこに居る総統閣下がここに居わすって情報と一緒にな!」
「何ですって?」
ガーリックの言葉に全員が耳を疑う。
「処刑場に連れて行かれる前、ウラ警のボスが俺に言いやがった! 貴様を餌にしてアコンゲルの元にまで案内して貰う。そこでゴディバのゴミを一掃させてもらうってな!」
「そんな……まさか」
ガーリックの言葉にライカは茫然とする。
「嘘じゃ無ぇ……。そしてそこ、総統閣下!」
ガーリックは今度はカナセの顔を見る。
「初めて会って早々だが、そのボスからの伝言だ。禍つ青き光の滅却を。何だそれ? 何かのまじないか?」
そうガーリックが言い終えた途端、カナセの脳裏に電撃が走った。
しかし頭の中で整理する間も無く、今度は目の前の視界が一変した。
足元が突然、突き上げられる様に大きく揺さぶられていく。
「な、なんだ?!」
「地震?!」
ファイタスの中がざわつく。
地震の揺れは尋常では無いほど大きかった。
空き地の中で誰もが揺れに耐え切れずバタバタと倒れていく。
そして時間の経過と共に更に揺れが大きくなると、周囲のバラックの家々も次々と倒壊していった。
最下層の至る所で土煙が湧きあがり視界が遮られていく。
もう周りの連中の姿も見えない。
そんな中、空き地の地面が突然、傾斜し、急こう配の下り坂に変わっていった。
「うわあああああああああ!」
足元の傾斜に耐え切れず体が滑落し始めると誰もが恐怖心から声を上げた。
そんな中、カナセは坂の上の方から異様な気配を感じる。
それは滑り落ちて来る自分が先ほどまで乗っていた小型車だった。
小型車は土煙を掻き分けながらカナセの目と鼻の先にまで迫って来る。
このままでは滑り落ちる小型車にカナセは轢き殺される。
「儘よっ!」
カナセは傾いた下層界の床を蹴ると、小型車の前から飛び退いた。
だが横を抜けていく車の先には傾斜した床にしがみ付くライカが居た。
「!!」
カナセは滑り落ちていく小型車にしがみ付くとドアの取っ手を掴んだままモーフィング・マギアを発動させた。
ヴァイハーンへと変形を終えた小型車は四肢を突っぱねて滑落を止めた。
ライカが轢かれるのは食い止めたが床の傾斜も周囲の滑落もまだ終わらない。
「ライカ!」
ヴァイハーンの中からカナセが叫んだ。
「カナセ!」
闘神の腕が伸びるとライカがそれにしがみ付く。
「ここを脱出するんだ。この地震、なんか変だ!」
「でも仲間の皆が!」
「悪いが周りを構っちゃいられない!」
そう答えた瞬間、不意に傾斜の下から風が吹き込んでくる。
風は土煙を一掃し、下から差し込んできた光が視界を明らかにした。
カナセとライカが土煙の消えた跡を見て愕然とした。
そこに見えたのは遠く眼下の地表が露になった目も眩む様な光景だった。
「……」
自分達の居る下層界の床が隣の区画から外れて傾斜し体を支えきれないほどの急こう配になっている。
それが自分達の置かれた現実だった。
暫くして傾斜の上のヴァイハーンの体が再びズルズルとを下っていった。
四肢の摩擦力が車重に耐え切れず滑り始めたのだ。
「わわわわわわわ!」
傾いた下層界の床の上で二人が揃って声を上げた。
無論、このまま滑り落ちれば、遥か下の地表へと真っ逆さまだ。
地表にぶつかればひとたまりもない。
しかし驚くのはこれからだ。
今度は傾いた床ごとズルズルと横滑りし沈下を始める。
傾斜した区画全体を支えていた支持架が誰かの手によって外されたのだ。
このままでは傾斜を滑り落ちる前にヴァイハーンは支えを失った床ごと地表に向け真っ逆さまに落ちていく。
「ライカ、しっかり捕まってろよ!」
「え? なに?」
カナセはライカの許しを得る前に動き出した。
「行くぞ!」
「キャアアアア!」
ヴァイハーンは落下していく床を蹴ると隣のまだ無事な区画へとジャンプした。
「間に合えぇ!」
跳躍しながらカナセが叫ぶ。
その甲斐あって着地と同時にヴァイハーンの踵は隣の区画へと見事着地した。
「やった!」
カナセが思わず声を上げる。
だがその直後、背後で傾いた床が区画ごと落下していった。
暫くして凄まじい大質量の地面を叩く轟音が下から鳴り響く。
「ああ、皆が……」
ライカが声を上げる。落ちていった床の上にはまだ大勢の仲間がいたはずだ。
「おい、こいつは一体どういう事だ?!」
カナセが茫然としたままのライカを問い質す。
「どうって?」
「床が外れるなんて、幾ら何でも普通じゃないぞ!」
「そんな事、言われたって……。下層界の床が外れたなんて事、初めてだわ!」
だが実際に下層界の床の一部は外されたのだ。
しかもその床の上にはアコンゲルのメンバーの他にもモンベル団長も、大勢の下層界の住民が居たはずなのだ。
そんな彼等が一瞬のうちに地表へと落ちていった。
「そんな事が……」
目を疑う様な光景。
しかし見紛うこと無き事実だった。
その事実を前に二人は茫然とする。
そしてヴァイハーンが辿り着いた床も安息の地では無かった。
再び支持架が外された音が響くと、足元の床にも異変が起きる。
今度は傾斜してからなんて前置きはない。文字通り、カナセ達の居た区画の下層の床が丸ごと垂直に落下していったのだ。
「また落ちるわ!」
「クソッ!」
二人の間に飛び交う短いやりとり。
しかしこれで何が起きているのかはっきりした。
下層界の床が故意に外され抜けていく。
最初は片側の支持架の解除に失敗し、片方だけが大きく傾いた。
だが今度は違う。区画を接合する支持架は全てが同時に外され、床はヴァイハーンを乗せたまま落ちていこうとしていた。
そしてこんな事をするのは一人しかいない。
ガーリックを通して「禍つ青き光の滅却を」と、メッセージを送って来たボスと呼ばれた男だけだ。
そのボスがカナセを確実に殺そうとして来ている。この下層界も道連れに。
「こんな所で死ねるかよ!」
カナセはヴァイハーンを懸命に走らせた。バラックの家々を踏みつぶし、廃品の山を蹴散らしながら隣の無傷の区画に向けて走る。
そんな中、バラックの家々から大勢の住人達が姿を現した。
そして沈下する床の上でヴァイハーンの前を右往左往する。
落ちていく区画の上は忽ち大混乱に陥った。
ヴァイハーンも目の前を無理やり横切る住人達で思う様に身動きが取れない。
「おい、ちょっと。退けよ!」
カナセが車のクラクションを鳴らす。
今まで姿を見せていなかったのに、これだけの人達がここに住んでいたとは……。
しかし前を塞ぐ混雑は収まるどころか更なる混沌を招いていく。
誰もが落ちて死にたくはない。
隣の区画へと続く道には住人が殺到し、すし詰め状態だ。
そしてこんな時に目の前で殴り合いの喧嘩が始まった。
道を塞ぐ他人を排除する為の小競り合いだ。
幾ら貧困に身をやつしていても命までは失いたくない。
その思いが前に居る他者を押し退け、後ろから迫る者を蹴り落とす。
しかも未だに沈下が進んでいる有様だ。
「ああ、待ってられない。一か八か飛ぶぞ!」
「飛ぶって、まだ隣の区画までは距離があるわ!」
「いいや、やってやる!」
カナセはその場でヴァイハーンを跳躍させた。
そして足の裏に煌気を集中させる。
「彗脚煌焔渦!」
ヴァイハーンが足の裏から風の魔煌技を発動させながら空を飛んだ。
それは555號破壊の際、使用した飛行魔煌技だった。
飛行はヨロヨロとぎこちない物だったがあの頃と比べて確実に飛距離は伸びている。
ヴァイハーンは避難民の頭の上を飛び越えた。
しかし隣の区画まではまだ遠い。
「クソッ!」
カナセはヴァイハーンの手を上へと延ばす。
頭上には上層界の床に張り巡らされた鉄骨梁が伸びていた。
ヴァイハーンの右腕が鉄骨に掴み掛かる。
その直後、足元で鉄が軋む大きな音が響いた。
真下の区画の床が逃げ惑う住民を乗せたまま地上に向け落下していく音だった。
人々の命を預かるはずの床はみるみる下層界から離れ小さくなっていく。
そして地表に叩き付けられるのと同時に惨たらしく四散した。
「うっ!」
その光景は余りにも凄惨、地獄そのものだ。
奴等はカナセを殺す為に他の犠牲をまるで厭わない。
「そんなに俺が憎いのか!」
カナセは怒りに両肩を震わせる。
しかし今のカナセに憤然としている暇はなかった。
今度は、落ちたばかりの床の三方の床を全て落とそうとしていた。
このまま下層界を落とされ続ければヴァイハーンは行き場を失う。
そんな中、横でライカが言った。
「カナセ! このまま真っ直ぐに進んで! その先に上層界に行く登り口があるわ。敵も流石に上層界までは落とさないはずよ!」
周囲の床が沈んでいく中、カナセはライカに言われるがままヴァイハーンを飛ばした。
だがヴァイハーンが空中から登り口に辿り着いた時には既に大勢の避難民で満杯だった。
「このままじゃ、避難民を押し潰しちまう!」
とてもヴァイハーンを置ける様な場所はない。
しかし仮に辿り着いけたとしても登り口の先にも安全は無かった。
突然、登り口の出口付近から大量の火炎が吐き出された。
火炎の正体はウラ警による火炎放射の一斉斉射だった。
炎は逃げ惑う避難民達を無慈悲に焼いていく。
「ウラ警の奴ら!」
「酷過ぎる! あの人達は私達と何の関係ないのよ!」
ウラ警の悪行に二人の中で怒りが込み上げる。
だがこれで上層界への出口は全てウラ警によって閉鎖されている事が明らかになった。
入り口の外には数台の道を塞ぐ装甲車と大勢の警備隊が詰めているはずだ。
「結局、ここも駄目か!」
カナセは仕方なくヴァイハーンを退けさせた。
目の前では炎に焼かれた人々が次々と登り口から飛び降りる。
飛び降りた先ではまた床が抜けた。
足元を失った人々は下の地表に向け焼かれながら真っ逆さまに落ちていった。
「ここは地獄か……」
だが今のカナセに彼等を助ける術はない。
仕方なく、地獄と化した下層界をヴァイハーンは背を向ける。
しかしその飛行時間も限界に達していた。
「もう駄目か……」
カナセの中で諦めの気持ちが見え隠れする。
そんな中、ライカが指を刺しながら声を上げた。
「カナセ、アソコに向かって飛んで!」
指の先には上層界の床下を這う大きな鉄管を見つけた。
鉄管は上層界の汚水を集める下水管に見える。
「私達が使うダミーの通路よ。あそこから上に上がれるわ!」
カナセはヴァイハーンの左手で下水管の傍の鉄骨梁にしがみ付くと下水管のつなぎ目を右手で破壊した。
「飛び乗って! もうこの鉄骨も持たない!」
カナセとライカはヴァイハーンから目の前のダミーの下水管に飛び移った。
直後に主人を失ったヴァイハーンは元の小型車へと姿を戻し、そのまま地上の奈落へと落ちていく。
二人は振り向きもせず上層界の底に這わされたダミーの下水管の先を進んだ。
ダミーの下水管は狭く、背中を屈めながらでしか通れない。
そしてすぐに突き当りにぶつかった。
突き当りには上に伸びる梯子がある。
「運が良いわ。この上を抜ければ上層界よ」
先頭を行くライカが梯子を登る。
そして頭上のマンホールの蓋を注意深く開けた。




