第7話 胸張っていけ!
三日後、トギスが解放される日がやってきた。
練兵場の前ではカナセとコリンが屋根を修理したバンの中で待っていた。
「このバンももうぼろんぼろんだね……」
車の中で何気なくコリンがつぶやく。
確かバンはメイヴィスから譲り受けた物でカナセにとってロータスでの愛車になっていた。その分、幾多の戦場を潜り抜けた事もあってあちらこちらが傷だらけになっている。
「まあ、修理しながら使ってるけど、よく持ってくれてる方だよな……」
デニスからも総統閣下に相応しい車に乗り換えたらどうだと勧められた事もあった。
だがカナセに当分、乗り換えの意思は無く、逆に最後まで使い潰す気でいた。
「そんな事より、もうそろそろ時間だな……」
カナセが時計を見ていると練兵場の通用門から見知った顔の男が姿を表した。
それは手荷物を抱えたトギスだった。
三日前、カナセはモンベル団長宛てにトギスの総統府異動の件に関して書簡を送った。
当初、カナセの事を良く思わない団長は書簡の内容に難色を示すと思ったが、カナセからの要求は予想以上に早くあっさりと通してくれた。
「さて、どんな風の吹き回しか?」
カナセに貸しを作りたかったのか、トギスの能力を低く見積り手放したのか、こちらに何かしらの意図を感じたのか。
その思惑は当の団長にしか判らない。
だが理由は何であれ、これでトギスは総統府直属の魔煌士となり、同時に本日付けでファイタスを除隊、晴れて故郷ヨシュアへ向けての切符を手に入れる事になる。
そんな晴れやかな門出にも関わらず、門を潜ったトギスの様子がおかしい。
どこかそわそわして、こちらを見付けると一目散に駆け寄って来た。
そしてバンのドアに飛び付くなり慌てて中に乗り込んだ。
「カナセ、早く車を出して! 追い付かれる前に!」
それが開口一番のトギスの台詞だった。
しかしカナセにはトギスの言っている意味が理解できない。
「トギス、どうした? 一体何か……」
「カナセあれ見て!」
今度はコリンが窓の外を指差す。
すると練兵場を囲む高いフェンスを何かが飛び越えバンの前に立ち塞がった。
それは血相を変えてこちらを睨みつけるナタルマ・シングだった。
「トギス、手前ぇ~!」
狂犬の様な唸り声を上げながらナタルマがバンに迫る。
「ああ~出て来たぁ! 早くぅ!!」
バンの中でトギスが叫んだ。
その拍子に驚いたカナセが思わずバンのアクセルを一杯に踏むと、バンは急発進し、そのまま道を塞ぐナタルマと衝突した。
「うわぁ!」
「ぶべっ!」
真正面から潰れたカエルの様な悲鳴が聞こえた。
その直後、ナタルマの体は軽々と弾き飛ばされた。
しかしバンは轢かれたナタルマを無視し、走り過ぎていく。
「手前ぇ! カナセ~! 止まりやがれ~! 痛ててててて……」
今しがた轢かれたばかりなのに、ナタルマは走り去るバンに罵声を浴びせた。
しかし流石に正面衝突が効いたのか、起き上がってこちらを追いかけるまでの気力は無い様だ。
やがてバンは練兵場から遠ざかるとナタルマの体も見えなくなっていく。
「カナセ、大丈夫? あの人、轢いちゃったけど……」
「大丈夫、大丈夫。ナタルマなんて戦車で轢いたって死にはしないさ」
そんな事より心配なのはトギスの方だ。
「トギス、何があったんだ? あいつは後、数日は眠ったままになってるはずだ」
「あの人、むちゃくちゃだよ! 予定より早く目が覚めたんだ!」
「そうなの?」
「そんで起きた途端、勝ち逃げは許さねえ! オイラともう一回勝負しろ! って言いながら僕の入っていた懲罰房に押し入って来たんだ! それが今朝方の事で……」
トギスは涙ながらに訴えた。
それを聞いてカナセとコリンは唖然とする。
「それで俺達が来るまで逃げ回っていたって訳か……」
「当たり前じゃないか! あの人、この前、僕に負けた腹いせに今度こそ殺すって叫びながら追い掛けて来たんだよ!」
トギスの言葉にカナセは唖然とした。
今回の勝負でカナセはナタルマが負ける事で密かに灸が据えられると思った。
格下のトギスに負ける事で普段の行いを考え直して落ち着くかと期待した。
しかしその期待は完全な的外れに終わった。
「寝ても覚めても変わらない。あれは死ななきゃ治らんか……」
「だよね~」
カナセの溜息にコリンが苦笑いを浮かべた。
しかし紆余曲折の末、トギスは遂に念願を果す事となった。
そんなトギスに向かってカナセは手を伸ばし握手を求めた。
「無事、ファイタス除隊、おめでとう。トギス」
「カナセ……」
カナセの祝辞にトギスの瞳から涙が零れる。
「ありがとう……。本当にありがとう!」
トギスは泣きながらカナセの手を握り返した。
二人は隣り合いながら強く手を握り合う。
トギスは最後に自分の力で自由を手に入れたのだ。
「でも、僕を助けるにしても、もうちょっとやり方ってモノがあったんじゃないかな?」
「やり方?」
「僕をナタルマ隊長と戦わせるなんて、今でも納得いかないよ……。僕が本当に殺されでもしたらどうするつもりだったんだ?」
「その辺については全然、心配してなかったよ。こちら側には策があったし。それに言ったはずだ。トギス、お前は強いってな」
「でも相手は拳の魔女だよ」
「関係ないよ。ただあの時、トギスに足りなかったのは意気込っていうか、自分に対する自信だけだった。けどナタルマの前で自分は強いって言い切った事で、お前はそれをちゃんと引き出してくれた。お前は本当に大した男だよ」
「そうだよ、あのナタルマが森の中でぐるぐる巻きになった時、アタイだって凄いって思ったんだから」
そう言って後部座席に居たコリンもトギスを賞賛する。
「ううっ……」
そんなカナセの思いを聞いてトギスの中に熱い物が込み上げる。
彼はヨシュアの名門、エニール家の一員だ。
故にボン・エニールの様にトギスを鍛え直そうとした者は彼の人生の中でも幾人も居る。
だがここまで自分の力を信じてくれ付き合い続けてくれた者をトギスは知らなかった。
その意味ではカナセはトギスにとって本当の恩人だった。
「それともやっぱりお節介だったか?」
「いいや、そんな事ないよ……。ありがとう、本当に僕は胸を張ってヨシュアに帰る事が出来る! 本当に君は僕にとって最高の相棒だよ!」
感無量とばかりにトギスが運転するカナセの首元に抱き着いた。
そんな思いも依らぬトギスの挙動にカナセは運転の自由を奪われる。
「うわっ、トギス離せ! 俺は男に抱かれる趣味は無いんだ!」
「カナセ、ちゃんと運転して! 事故っちゃうよぉ!」
蛇行する小さなバンの中でカナセとコリンが悲鳴を上げる。
「うわああああああああああああああああ~ん! カナセ! カナセ! カナセぇ~!」
しかし当のトギス・エニールは泣き叫ぶばかりでカナセの声が聞き届けられる事は当分なかった。
やがて三人を乗せたバンはロータスの南西にある小さな港に到着した。
ここにある小さな桟橋がラムサール号の着水地点になっている。
桟橋に立った丁度その頃、東から進入してくる白い翼が目に映った。
ラムサール号だ。
その美しい機影に港の中も活気立つ。
「流石、ナナミ社長。時間通りだ」
白亜の飛行船が無事に接岸した。
暫くして胴体のハッチが開き乗客達が桟橋の上に次々と降りて来る。
その人の群れの中にカナセは金髪の少女を見つけた。
「クレア!」
「カナセ君!」
その姿を両目に捉えた瞬間、互いが名前を呼び合う。
カナセの元に薬の魔女が歩み寄って来る。
クレア・リエル、愛しい恋人。
別れてほぼ一ヶ月ぶりの再会だ。
だが箒を手に持ったその美しさは前と何一つ変わりない。
「良かった、元気そうで何より……」
クレアが笑顔でカナセの前に立つ。
だがその直後、カナセは俊敏な動きでクレアの前から姿を消した。
「え?」
クレアはカナセの動きに呆気に取られる。
そして次の瞬間、お尻の方から身の毛もよだつ違和感が湧き上がった。
「嗚呼、これこれ……このお尻……この尻に俺は逢いたかったんだ……」
背中からカナセの声が聞こえる。
振り向けば後ろに回ったカナセが腰を落としてクレアの短いスカートの中に顔を突っ込んでいた。
そして丸く豊かなお尻に顔をうずめると白い下着越しに力いっぱい鼻で息を吸った。
「スゥ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~……」
クレアのお尻から背筋に向け、ゾワゾワと凄まじい悪寒が走る。
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
お尻の匂いを嗅がれる。
その凄まじい異常行為にクレアが悲鳴を上げた。
底知れぬ羞恥と嫌悪感を受け、クレアが大きなお尻を力いっぱい突き出した。
臀部を愛でていたカナセがボンッと音を立てて弾き飛ばされる。
「ふぎゃ!」
反動で吹き飛ばされたカナセの体は桟橋の上を転がり、そのまま淡海の中へドボンと音を立てて落ちていった。
小さな港の水面に小さな水柱が立つ。
「カナセ君の大馬鹿! 帰って来た早々、何するのよ!」
クレアはスカートを押さえながら顔を真っ赤にする。
「何って、ひと月ぶりのスキンシップ……」
一方、水面から這い上がろうとするカナセは悪びれる様子も無い。
「なにがスキンシップよ! 全く、もう……このセクハラ男!」
再会した途端、相も変わらないカナセに向かってクレアは怒りが収まらない。
しかしカナセがいつもの調子だという事は特に大きなトラブルを抱えていない証拠だ。
その事実にクレアは密かに安堵する。
「師匠、おかえりなさい」
「ただいま、コリン。大事無かった?」
「カナセが師匠が居ないって夜泣きしてたくらいだよ」
「そうなんだ、クレア。だからそのおっぱいでギュッと抱きしめて……」
「嫌よ! 水で濡れちゃう! ちょっとはコリンを見習って落ち着きなさい!」
そう言ってクレアは濡れたままのカナセを近寄らせようともしなかった。
その後、カナセとコリンがラムサール号に荷物を取りに向かった。
その入れ違いにクレアの前にトギスが顔を覗かせる。
「クレアさん……」
「お久しぶりです、トギスさん。カナセ君からお話はお伺いしています。御苦労された様ですね」
「まあ、そうですよね……。でもカナセには色々と助けてもらって、彼には感謝しています。本当ですよ」
そうトギスが答える。
そんな彼の顔を眺めていたクレアがある事に気付いた。
「この人、本当はこんなに清々しい笑顔を見せる人だったのね……」
いつも彼は何かに脅えていた。
戦争に脅え、他人に脅え、社会に脅えていた。
そうでない時は人生を悲観し、皮肉って自分を強がらせていた。
きっと常日頃から自分に覆い被さっていた不安に苛まれていたのだ。
しかし今の彼からはそんな憑き物の恐怖は感じない。
クレアは言う。
「ボン・エニールさんからの託です」
「叔父からですか?」
「水軍での務めは大変、御苦労であった。国家への献身的な奉仕、痛み入る。エニール家は貴君を英雄として歓迎する、と」
「本当ですか! やったぁ!」
クレアの言葉にトギスは爆ぜる様に両手を上げ、喜びを露わにした。
その後、カナセ達は本当にトギスと別れる事になった。
トギスはこの後、ラムサール号の次のフライトの為、ナナミ達と行動を共にする事となる。そして彼等の為に雑用係になる事を自分から申し出た。
「ありがとう! 本当にありがとう!」
カナセ達を乗せたバンが再び走り出すと、それが見えなくなるまでトギスはひとり、手を振り続けた。
「達者でな、トギス・エニール! また、会おうぜ!」
カナセもトギスに向かって手を降り続ける。
そしてそんな男二人の瞳からは自然と別れの涙が零れ落ちてていた。




