第18話 魔女、再び西へ
こうしてパスカル通りの怪物事件は幕を下ろした。
怪物の起こした噴水は警察が呼び寄せた消防と軍隊と地元住民の協力によって大事になる前に収束された。
その中には愛車をマギアギアに変形させ噴水を止めたマリウス・ルーメン少尉も含まれていた。
車は自分と婚約者との二人の貯金で買った新車だった。水浸しで動かなくなった新車を見れはきっとパロマの怒りを買う事をマリウスは覚悟せざる得なかった。
怪物の死体は警察の手によって回収された。
結局、マギアギアとは違い、使い手が死んでも変化の杖の呪いは解ける事は無く、タモンの体は獣化したまま人に戻る事はなかった。
獣化したタモンにはボン・エニールがいつまでも付き添い続けていた。
そんな二人の哀れな姿を見てクレアは自分の不甲斐なさに肩を落とした。
二日後の新聞でパスカル通りの怪物が射殺された事が新聞に掲載された。
しかしそこにはタモン・エニールの名は無く、代わりに怪物の正体がウラ鉄の元施設から脱走した実験動物だと推測されるという曖昧な憶測が載せられていた。
そして怪物事件の収束の後、エニール家ではタモン・エニールの葬儀が行われた。
死因は心臓発作による急死と人伝に伝えられた。
クレアもタモンの葬儀には参加した。
だが辺りを見回すとある事に気付いた。
エニール本家の葬儀だというのに簡素で出席者が少ない。
それ所か誰一人と悲しんでいる者は居らず、逆に談笑して笑顔を見せている者さえいた。
こんな遺族の愛情の籠っていない葬儀があるのかと、クレアは愕然とした。
なお葬儀で運ばれていった棺桶は普通の人間のサイズの物だった。
棺桶を肩に担ぐ人々の足取りは軽く、桶の中に亡骸が入っていない事は明らかだった。
本人の遺体も無ければ心も無い。本当に空疎と呼ぶべき形式だけの葬儀だった。
そして肝心の本当の中味がどこに行ったのか?
結局、クレア自身にも判らず仕舞いに終わった。
そしてヨシュアが落着きを取り戻した頃、リエル薬局にひとりの雲水が現れた。
雲水の正体はキノコ頭をキレイに剃り落としたボン・エニールだった。
「これから各地に行脚の旅に出ようと思ってね、もう当分会う事も無いだろうから挨拶に来たよ」
彼はエニール家の守護神たる農神クルムハンの法衣を旅装束としていた。
そして彼が先日のタモンの葬儀には出席していなかった事を思い出す。
「旅って、どこまで行かれるのですか?」
クレアがボン・エニールに訊ねる。
「ちょっと知り合った仲間達と世界中を回るつもりだ。戦没者追悼と一刻も早い世界平和を願ってね……」
ボン・エニールはただそう答えた。そこにはタモンの名前はない。
しかしクレアは思った。
彼の事だ。戦没者の追悼の裏にはタモンの存在も含まれるはずだった。
きっとこの行脚はタモン・エニールによる懺悔と鎮魂、そしてボン・エニール自身の癒しの旅のはずだった。
「エニールさん……」
旅立ちを前にするボン・エニールを前にクレアは思わず何かを言おうとした。
「うん? 何かね?」
しかし次の言葉が見つからない。
もしタモン・エニールの事を何か問い質せば、ボン・エニールの中で悲しみが蘇るはずだった。
「お体をお大事に。お気を付けて……」
結局、クレアはそれだけ伝えて、ボン・エニールの旅路の無事を祈る事にした。
そんな少女のやさしさにボン・エニールもやさしく微笑んでみせた。
ひとつの別れが通り過ぎ、そしてもう一つの別れが訪れる。
一週間後、ついにクレアが再びヨシュアに戻る日が来た。
カーニャの村には大勢の人達が見送りに集まってくれた。
「お姉ちゃん」
その中で妹が旅立つ姉に向かって重箱の入った包みを渡した。
「餞別のオハギよ。アンコも砂糖もいっぱい入れたから飛行機の中で食べてね」
ヨシュアでは古くから長旅の際、旅人の無事を願ってオハギと呼ばれる餅に餡子を包んだお菓子を送る習慣があった。
そして重箱いっぱいのオハギをミリアが作れたのも国内での戦争が終わった事で供出制度による食料統制が緩和され国民への供給が正常化した為だった。
言うなれば平和によって食べ物が食べられる様になったのだ。
「ミリア、早起きしてたから何だろうと思ってたけど……私の為に……」
そんな妹のやさしさにクレアは涙ぐむ。
「もう、そんな事くらいで泣かないでよ。たかがオハギじゃない。それよりも、無事に帰ってきて。それとお兄さんに言っといて。お姉ちゃんを泣かす様な事をしたら妹の私が許さないからって」
最初は姉がまた戦場に戻る事を嫌がると思っていた妹が、今では自分を信頼して笑顔で送り出してくれる。その気持ちにクレアは感動していた。
そしてその妹の横でクレアに呼び掛ける少年が居た。
「お姉さん」
少年はミリアを怪物から救ってくれたマシュー・イグリッドだった。
「マシュー君、もう怪我は大丈夫なの?」
「はい、お姉さんの応急手当のお陰でこの通り、傷も残ってません」
そう言ってマシューは服をめくると上半身の胸板辺りを指差した。確かにそこには傷ひとつ残ってない。
「ちょと、マシュー君。人前ではしたないわよ」
「ああ、ゴメン、ミリアちゃん」
マシューの横でミリアが顔を赤らめる。この様子ではあれから二人の関係は益々親密になったようだった。
「それとお姉さん、今回のコンクールは途中で中止になりましたけど、次回は必ずミリアさんとお越しください。必ず優勝してみせますから」
「楽しみにしてるわ」
「それと、これなんですけど、母親からお姉さんに持って行って貰えって」
そう言ってマシュー少年は重箱が入った包みを渡した。
「オハギです。旅のお供にどうぞ」
「ありがとう、マシュー君、頂いていくわ」
そう言ってマシューから包みを受け取ると、今度は女ばかりの集団がやってきた。
「はぁ~い、クレア」
「フーレル、あなたも来てくれたの?」
「来ない訳には行かないじゃん。私達親友同志でしょ。はい、これオハギ。ラムサール号の中でナナミと一緒に摘まんで。今度、帰ってきたら三人でまた飲みましょう。向こうのおもしろい話を聞かせてね」
「ありがとう、フーレル」
クレアはフーレルからも重箱の入った包みを受け取った。
そしてフーレルの陰からもうひとり魔女が現れる。
「クレア……」
「モニカさん」
それは茨の魔女のモニカだった。
しかし彼女はどこか気まずそうな表情を浮かべた。
「モニカさん?」
「その……悪かったと思ってるのよ。あなたにあんな事言って」
「あんな事?」
「ウラ鉄との話し合いがどうのって……」
「ああ、あの事ですか……」
それはタモンを捕まえた最中の出来事だった。
クレアは話し合いさえすれば獣化したタモンでも説得できると主張したが、モニカは言葉が通じるはずのウラ鉄にさえ話し合いをしなかったクレアにタモンを説得する事は不可能だと突っぱねたのだ。
結局、そのモニカに論破されたクレアは何も言い返せないままタモンを見殺しにした。
モニカは言う。
「あの時は私も戦っていた最中だったからついカッカしてて……本当にごめん。あなただって本当は好きで戦ってた訳じゃ無い事知ってたのに……」
「いいえ、私だっていけなかたんです。帰って来たヨシュアに平和が戻って来たのを見て、つい私も変われると思ったんです。戦いではなく話し合いで解決できるんじゃないかって。自惚れてたんですね」
「クレア……」
「だから私、感謝してるんですよ。あのモニカ先輩の一言に。もっと物事をしっかり見据えなくちゃって」
「そうなんだ……。まあ、そう言て貰えるんなら私も助かるよ。でもあなたの言う話し合いで解決するっていう気持ちは大切にしないと、とは思うよ……」
そう言いながらモニカは手にしていた大きな包みを渡した。
「組合の皆で作ったオハギが重箱に入ってる。受け取って」
「はい、頂きます」
クレアはモニカからもオハギの入った重箱を受け取った。
そんな二人の魔女の和解の輪の中に今度は村人達が入り込んできた。
「クレアちゃん」
「ロゼッタさん」
それは村で一番元気がお婆さんだった。近年はリュウマチで難儀していたがクレアの調合した薬のお陰で完治にまで至った。
「アンタがリュウマチを治してくれたからオハギが作れたの。持っていて食べて。それと病気には気を付けてね。飲み水には注意するんだよ」
「ありがとう、ロゼッタさん」
そう言ってクレアはロゼッタから重箱の入った包みを受け取った。
そしてロゼッタ婆さんとのやり取りが終わると活気のある男の声が聞こえた。
「クレア!」
「スルタンさん!」
それは村の機械屋のスルタンの声だった。
「行っちまうんだな、クレア。また村がジジババばっかになって寂しくなるぜ……」
「そんな事、言わないで下さい……。みんなスルタンさんを頼りにしてるんですから」
「泣かせるねぇ。そう言ってくれるのはクレアだけだよ。それとこれを若旦那に渡してくれ。大したものじゃないんだけどな」
「これは……」
それは腰に装着する円筒形のコアケースだった。ケースは金属で出来ており一見すれば剣の柄を思わせる。
「一応、俺が作ったもんだ。強度テストもしてある。総統閣下には大したもんじゃないけど渡して貰えればうれしいんだか……」
「素敵です。きってカナセ君も喜んでくれるはずですわ。だって親友のあなたが作ってくれたものですもの」
「そう言ってもらえると有難いよ。それとこれ、お袋から。中身はオハギだって」
そう言われてクレアは重箱の入った包みを渡された。
そして村の代表の三役が現れる。
「行ってしまうのだね」
「カナセ君によろしくね」
「無事に帰って来るんだよ。何も他所の戦争で怪我なんてする必要ないからね」
村長達もクレアの旅の無事を祈ってくれた。
しかし最後に本音が漏れる。
「ところでいつかはリードヒルに戻るのかね?」
「正直、我々としてはいつまでもここに残っていてほしいが……」
「さりとてこちらの我儘で引き留める訳にもいけないしね」
そんな気持ちにクレアはこう答えた。
「その事に関しては当分はここから離れる事は無いと思います。今リードヒルに帰ったところで家は無くなっていますし、土地はウラ鉄の敷いた線路の下ですから。線路をヨシュア政府が再利用するなら建て替えも難しいと思いますから」
「そうか、それは気の毒にな……」
「まあ、村に居てくれるなら、我々は大歓迎だ。これからも決して悪い様にはしないから。それだけは安心してくれていいよ」
「それとこれを渡しておくよ。ウチのカミさん達が作ってくれたオハギだ。適当に摘まんでおくれ」
三役は重箱の入った大きな包みをクレアに渡した。
そして村人達の次に水軍の関係者達が押し掛けてきた。
マリウス・ルーメンとパロマ・リビがクレアの前に現れる。
「パロマ!」
「先生!」
「おめでとう、パロマ。良かったわね。本当に良い旦那様に巡り逢えて」
旗艦ヨークタウンの船上で共に患者の治療に励んだ者同士が両手を握り合う。
「ごめんなさい、先生。本当はもっと早くに先生のところに行きたかったんですが。こんなにギリギリになってしまって……」
「そんなの気にしないで。あなたの事だから誰よりも仕事を頑張ってたと思うもの。それにあなたが幸せになれたって判っただけで本当に嬉しかったんだから」
「そう言って貰えて私もホッとしました。それと結婚式に必ずご招待させて頂きますから、その時までにヨシュアにはお帰り下さい」
「勿論よ、カナセ君と必ず寄せさせて頂くわ」
そう言ってパロマとの再会と別れの喜びを同時に分かち合った。
そんな婚約者の後ろからマリウスが顔を覗かせた。
「クレアさん」
「マリウス少尉。ありがとうございます。少尉にはここに帰ってから色々とお世話になりましたわ」
「それはお互い様ですよ。クレアさんのお陰で我々も留飲を下げる事が出来たんですから……。あっちに帰った時はカナセに言ってやって下さい。水上騎兵隊一同、貴君の健闘を祈ると」
「はい、必ずお伝えしますわ」
「それとクレアさん、気になる事がひとつ……」
「気になる事?」
「どうもヨシュア水軍の中でもウラ鉄に向けて大規模な軍事行動が発令される様です」
「また戦争になるという事ですか?」
「恐らく……。確かにウラ鉄はこのヨシュアから一掃されました。ですが別に両国間で和睦が結ばれた訳ではありませんからね」
当たり前の事だが、まだウラ鉄との戦争は続いている。
何時の日かまたウラ鉄の装甲列車がヨシュアに押し寄せて来るかもしれない。
「少尉もその軍事行動に参加されるのですか?」
「当然、命令があれば……」
そんなマリウスの言葉にクレアの中で不安が過る。
なぜなら、今に彼は以前とは違う、こんな可愛い婚約者が居るのだ。
少尉に災厄が訪れれば彼女にも同等に不幸が訪れる。
「お気を付けください、少尉。もう、あなたはあなただけの体ではないのですから……」
「ありがとう、クレアさん。ならカナセにも同じ事を言ってやってください。お前はもう気楽な独り身ではないってね……。それとこれをどうぞ。私とパロマで作ったオハギですって……もうオハギでいっぱいですね」
マリウスは両手にオハギの入った包みを大量にぶら下げるクレアを見て苦笑いを浮かべた。
「そんな事、ありません。私、オハギ大、大、大好きですもの。幾らあってもお腹に入っちゃいますわ」
「でもそんなにいっぱいは流石に食べ切れないでしょ?」
「大丈夫、魔煌技で冷凍保存すればオハギはいつまでも日持ちしますから。それにカナセ君にだって食べさせて上げたいですもの。皆さんの心の籠ったおいしいオハギを!」
そう言いながらクレアは満面の笑みを浮かべた。
やがて本当の別れの時がやって来た。
コメット3がクレアと七百五十三個のオハギを積んてカーニャの晴れた空へと上昇していく。
「さようなら、行ってらっしゃい!」
眼下では妹を始め大勢の人々が手を振ってくれていた。
誰もが目に涙を浮かべてクレアとの別れを惜しんでくれた。
「行ってきます。皆さん、お元気で!」
そんな彼等にクレアも涙で答えると、箒はゆっくりと村から離れていった。
クレアはラムサール号の居る、港へと飛ぶ。
再び戦場のロータスへと赴く為に。
再び愛するカナセ・コウヤの元に辿り着く為に。
そしてクレア・リエルの戦いが再び始まるのだ。




