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第9話 造船の町、追憶の町

 四日後、555號奇襲作戦当日、カナセはカルデナ湾を囲む大堤防の上に立っていた。

 更に湾の外れにある大水門の高みから湾内を望むと情報通り巨大な艨艟が浮かんでいた。

「でけぇ……」

 双眼鏡を覗きながらカナセが一言つぶやく。

 全くの写真通りの超巨大戦艦だった。全長200mの船体は港に停泊していた淡海用貨物船やタンカー等の大型船舶ですら一回り以上大きさを超えていた。

 これに勝る船舶と言えば列車の様に繋がれた艀船くらいだろうが単一の船舶なら間違いなく555號が比類ない。

 カナセは双眼鏡の視線を水面下に移す。艦底には浅瀬を乗り越える為の秘密の推進装置があるらしいが水面の照り返しのせいで伺い知る事は出来ない。

「カナセ君、何時まで見てるの。もうすぐ集合の時間よ」

 水門の下から副班長のメイヴィスの声が聞えた。

 デニスとメイヴィス、能力と実績を鑑みればどちらが隊長をやっても妥当な選択だった。

 一方でカナセがここに居る事自体が不自然だった。組織の頂点たる総統が最前線に立つのは常道ではないし本来ならば後方で結果を待って居るだけの存在だ。

 しかしカナセがここに居るのには理由があった。

 無論、視察の名目ではない。列記とした戦闘員としての参加だ。

 作戦の前日、カナセの下に隊長のメグレ・タータ大尉の訪問があった。

 カナセは大尉の訪問を歓迎した。

 丁度、解放戦線やジゴバ一家以外のファイタスの士官と個人的に話がしたいと思っていたところだった。

 しかしタータの来訪はカナセが思っていた以上に深刻な意味合いが込められていた。

 タータはトレードマークの銀縁の眼鏡を治しながら単刀直入にこう答えた。

「今回の作戦の件なのですか。総統閣下にもご参加いただきたいのです」

「俺に作戦参加を?」

 当然、カナセは訳を聞く。

 ファイタスの総統たるカナセに作戦立案者が直接参加を求めるのには相応の理由があるに違いない、その訳をタータはこう答えた。

「まずは今回の作戦を閣下としての実戦デビューと申しますか、要は成功の暁にはファイタスの宣伝材料として兵士の鼓舞や組織の意思表示に使いたいとの思惑です」

「随分と開けっ広げな言い方ですわね」

 横に居た秘書のクレアが面白くなさそうに漏らす。宣伝活動の為にカナセを危険な目に遭わせると言っているのだから当然だ。

「申し訳ありません。しかし我々も苦しいのです。ですからどこのファイタスも士気を維持するのには苦労してまして……」

「うん、判るよ。それで君のボスのモンベル団長はこの事を?」

「当然……と言いましょうか。実は最初に言い出したのはウチの団長でして。それに他にも色々と……」

「どう仰ったの?」

「おおっぴろげには仰ってませんが、恐らく団長は総統閣下のリーダーとしての資質を未だ疑問視されてますというか……」

「酷い! 今さら、そんな事を言い出すなんて!」

 口ごもりながら説明する大尉をクレアは叱咤した。

「総統閣下は命を張って戦ってらっしゃるのよ! この前の就任演説だって団長はご覧になったはずなのに!」

「それは勿論……」

「じゃあ、なんで!」

「クレア」

 怒り心頭なクレアをカナセが宥めた。

「まあ団長の気持ちは判るよ。ジゴバ親分にも同じ事を言われたんだから。結局、俺が自分の有能な所を見せて団長を納得させるしかないって事だな。大尉」

「恐れ入ります」

 カナセの言葉にタータは平伏した。

「本当に、もう……」

 しかしクレアの方は納得出来ない様子だ。

「それで大尉さん。総統がお出にならなければいけない理由ってそれだけでしょうか?」

「いえ、実はもう一つ、実の所、こちらの方がいささか重要ででして。今回の選抜メンバーの中で重大な欠陥が見つかったのです……」

「欠陥って?」

「実は船乗りがひとりも居ないのです」

「ひとりも居ない?」

 タータの言葉に二人は首をかしげる。

「ご存知の通り、今回の作戦の肝は新鋭戦艦555號の内部からによる完全破壊です。ですがファイタスは御存じの通り陸戦主体で艦船に精通している者がほとんどいません。確かに極秘裏に入手した見取り図や配置図を用いれば大方は事足りるのですが……」

「やっぱり本物を知っている人間がメンバーとして欲しいと」

「特に最新鋭の大型艦船の搭乗経験者を必要としております。そこで噂では閣下は以前、ヨシュア水軍で軍人として活躍されていたとお聞きし、お願いに訪れた所存です」

「なるほど、そっちが本命か」

 その理由ならカナセも合点がいった。

「そういう事なら……」

 カナセはタータからの依頼を受けようとする。

 しかし答える前にクレアがカナセの袖を引いた。

「安請け合いしないでよ! 今のあなたは総統という責任ある立場よ。只のマギライダーでは無いのよ!」

 クレアの青い瞳が断れと訴える。

 それだけでは無い。クレアにとってカナセは掛け替えのない恋人なのだ。

 安易に危険な流れの中に出向いてほしくないのが本音だ。

「それに、もうあちら側でもあなたの顔は割れているはずよ。そんな人が潜入活動なんてしたらどうなると思う?」

「しかし困っているなら助けて上げないと……」

「それなら心配ありません。向こう側は厳重な報道統制が敷かれており、カナセさんが総統であるという情報は一般市民には一切、伝わってはいないはずです。総統閣下が街中を歩かれてもよほどの者でない限り気付く事は無いでしょう」

「でも……」

「大丈夫だって、クレアは心配症だな……」

「だって……」

 秘書は大尉の説明を聞いても納得出来ずに居る。

「それで大尉、俺が参加する予定の部署は?」

「非常に危険ですが船体の起爆班をお願いします。勿論、その分の護衛は付けさせていただく予定です」

「ほらね、護衛を付けるってさ」

 そう言ってカナセは不安が募るクレアを宥めてみせた。

 結局、カナセは作戦に参加する事にし、クレアも渋々従った。

「けど、絶対危なくなったら絶対に絶対に逃げてね。絶対に約束よ」

 クレアは家を出る前にも口酸っぱく注意を促した。

 そして今、カナセはデニスやメイヴィスと共に湾内に浮かぶ新鋭戦艦を眺めていた。

 カナセの周囲に居るのは解放戦線から選ばれたメンバーだ。他のファイタスも別の場所で湾内の様子を観察しているはずだ。

 皆の前でメイヴィスが説明する。

「手筈はいつも通り。これから分散してカルデナの街に潜入する。時間が来たら集合よ。それまでは顔を合わせても他人だから。もし相手がウラ警に捕まってもね。カナセ君、あなたもそのつもりでね」

「了解した」

「じゃあ、解散」

 皆が思い思いに港の東側にあるカルデナ市へと歩いていった。

 集合までの移動は単独行動が基本だったが総統であるカナセにはデニスが護衛に付いた。

 二人はカルデナに潜入すると街の中を散策した。

 潜入組は目標を爆破した後、自力で脱出する事になる。

 その時、場合によってはこの街中を逃げる可能性もあり、市街での散策はその為の下調べを兼ねていた。

カルデナ市とはロータス共和国時代に使われた旧名だった。ウラ鉄の支配を受けてからの名称は第47號カルデナ市と呼ばれてていた。

 だが呼称は変わっても変わらない物がひとつだけある。

 それはこの町が今も昔も造船の町だという事実だ。

 ウラ鉄のあらゆる兵器は本社のある円形島の工業地帯で作らていたが設備が巨大な造船事業だけはこのカルデナ市で行われていた。

 その巨大船舶を生み出すメカニズムはウラ鉄に時代を経る事によって、更に大型化、精密化を増し、今はカルデナ市そのものがひとつの大工場と化している。

 町の中の居住区も当然、他のウラ鉄の街と同じ様に効率化が重視され、四角い集合住宅は工員達の部品庫と化していた。

 そしてタータ大尉の言った事は正しかった。

 市内でファイタスに新しい総統が立ったという情報を聞く事は一切無かった。

 それを証明するかのように街の誰もがカナセの顔を見ても関心を示そうとはしない。

「情報統制がされているってのは本当だったんだな。これじゃあ、せっかくの就任式も甲斐が無かったって事か……」

「そうがっかりする物でもないさ。今の状況なら逆に有難いくらいだ」

 下見が終わると二人は街中のカウンターだけの立ち飲み屋に寄った。

 しかし飲酒はウラ鉄の出した風営法によって制限されており、今の時間、店で出せる液体はノンアルコールの飲み物だけだった。

 お陰で店の中は二人以外に客はいない。

 仕方なく二人は街の方を眺めながら出されたドリンクで喉を潤していた。

「ちっ、湿気てんなぁ……。この町は何時だってそうだ……」

 デニスが詰まらなそうに煎り豆をかじりながらつぶやく。

 確かデニスはこのカルデナ市の生まれのはずだ。

 しかしどんな経緯で彼がファイタスに入ったのかはカナセは知らない。

 一方で時計の時刻は工場の終業時間を差し掛かっていた。

 工場の灯りは何処も消える様子はない。

 代わりに工場の従業員通用門の人の出入りが激しくなる。

 仕事を終えた工員が出口から吐き出され、その横の入り口からは交代の工員が呑み込まれていく。

「工場は忙しそうだな」

「ウラ鉄本部から増産態勢の命令が掛かっているからな。前の八ヶ国連合との戦闘で随分と戦闘艦が沈められて、その穴埋めのせいで工場はフル回転だって話だ。だがその割には残業代は碌に出んらしい……」

「気の毒に、タダ働きかよ」

「誰かが遠慮なしにウラ鉄の水軍を攻撃したせいさ」

「なら、あの人達が忙しいのは俺のせいか?」

「そう自嘲する事もないさ。そのお陰で、ウラ鉄の戦闘力は低下し俺達ファイタスも楽が出来た。ヨシュアの水軍様には感謝してたよ。遠くの空からな」

 デニスがそうつぶやくと、カナセは工員達の足取りを追った。

 皆、疲れ切った顔をしながらバス停からバスに乗り込んでいく。

「あの人達は何が楽しくて生きてるんだろうな……」

「まあ、何を幸せに感じるかは人それぞれさ。給料袋の厚み、周囲からの賛辞、家族の幸せ、子供の成長、ベランダの上のガーデニング、朝の日の光を浴びながらのジョギング、ボトルシップの舵輪の取り付け、仕事の後のささやかな一杯、健康診断の異常なしの結果……こんな街にだって幸せははるさ」

「こんな街でも?」

 カナセは意地悪く言うとデニスがテンガロンハットを外して頭を掻く。

「言うなよ。確かに俺はこの町を捨てた人間さ。だが、別にこの町が憎くて……いや、憎かったのかもな」

「何だよ、それ。どっちだよ」

「人には色々あるって事さ……」

 そう言いながらデニスが苦笑いを浮かべた。

「そいうや、前にメイヴィスが言ってたよ……。デニスの過去は私よりももっと悲惨だって」

「あのおしゃべりめ……」

「けど、メイヴィスはそれ以上、何も言わなかったよ」

「そこまで言ったんなら、同じだよ。聞きたいのか? 俺の昔ばなし」

「興味はあるな」

「なら場所を替えよう。どうせまだ時間はあるんだ」

 二人は立ち飲み屋から離れると通りを暫く歩き続けた。

 そしてとある辻角を曲がるとそのまま狭い道を進んだ。

 道を抜けると急に開け、幾つかのスレート瓦の長屋が数棟、並んでいた。

 しかし長屋の中には人の気配は無く、代わりに大型の重機が傍に置かれていた。

「ここも取り壊されてコンクリートのマンションに変えられるんだろうな……」

「ここがデニスの家か?」

「まあな、しかしもう俺が住んでいた形跡みたいな物は何もないはずだ」

「何も無い? 家族は?」

「もう、居ない。そして俺の思い出になるものも綺麗さっぱり無くなっている。俺の足跡すら無くなってるはずだ……」

「無くなっているって?」

 しかしデニスの言った意味を真に受け止めればそれは尋常ではない。それがメイヴィスの言っていた悲惨の意味なのか。

「デニス、それは一体……」

 カナセが訊ねようとする。

 そんな時だった。背後からカナセに声を掛ける者の声が聞こえた。

「あら? カナセさん?」

「はい?」

 カナセは思わず返事をして振り向いてみせた。

 しかしこの時、もっと状況に注意を払うべきだった。

 敵地であるカルデナ市でファイタスの総統たる自分の名を呼ぶ声、全てがあり得ないはずだった。

 しかしその無警戒で親し気な、それでいてカナセ自身、聞き覚えのある声に不覚にも反応してしまった。

 カナセが振り向くとそこにはひとりの女性が立っていた。

 彼女はウラ鉄の物とよく似た制服を着ていたが警戒心はない。

 逆にその女性の顔を見て、カナセは驚きと親しみの笑みを浮かべていた。

「リーナさん!」

 茶色いの髪を後ろに束ねた碧玉色の瞳の眼鏡美人。間違いなく彼女はウラ鉄学徒勤労隊の淑女、リーナ・ミルデだった。

「やっぱりカナセさんでいらしたのね!」

 彼女も満面の笑みを浮かべながら声を上げる。

「こんな所でお会いするなんて……」

 彼女は以前、カナセがミスラ写本を購入する為にウラ鉄の勢力圏に潜入した際、親切に列車の乗り方を教え、途中まで同乗してくれた人だった。

 あの時はファイタスのゲリラ攻撃の混乱によって、別れの挨拶も碌に出来ないまま離れ離れになってしまっていたが安否はずっと気になっていた。

 そしてあの日、彼女が言った事を思い出す。

「今は第47號カルデナ市です。東岸にある造船の町に住んでるんですよ」

 そうだ。カルデナの名前を何処かで聞いたと思ったら彼女の住んでいる町の名前だったのだ。

 なぜ今まで忘れていたのだろう……。

「良かった、無事だったんだね」

「カナセさんこそ良くご無事で」

 二人はお互いがあの事故から生還出来た事を喜び合う。

「あの後、ウラ警が来て上手く助かったんだ」

「私もです」

「あの、一緒に居た女の子は?」

「メイナも無事です。ウラ警に保護されてから無事にご両親の元に送り届けました」

「そいつは良かった……」

 リーナの話を聞いてカナセは安堵の溜息をもらす。

「ここへはお仕事で来られてますの?」

 リーナがカナセに聞いて来た。

「ええ、造船の町がどんな所かと仲間と一緒に……デニス、紹介するよ。前に脱線事故で知り合ったリーナさんだ」

 そう言って何気なくデニスの方を見た。

 しかしカナセが見たデニスの表情は驚きと緊張で強張っていた。

「リーナ……」

 リーナ・ミルデの顔を見ながらデニスがつぶやく。

「ケビン……バーデット?」

 ケビン・バーデット。リーナの口から知らない名前が飛び出した。それがデニス・ワイルダーの本名だと知ったのはそのすぐ後だった。

「ケビン! ケビンなのね!」

 リーナがデニスに向かって駆け寄った。そして彼の胸元にしがみ付く。

「ああ、ケビン……本当にケビンだわ……」

 リーナはデニスの頬を撫で確かめると、何度もケビンの名をつぶやき続ける。

 それを見ていたカナセが再び驚いた表情を浮かべていた。

「デニス、知り合いだったのか?」

「ああ、まあな……」

 カナセが訊ねるとデニスは答えた。

 しかし彼の表情は困惑と焦りを隠し切れずにいる。

 こんな所で昔の知り合いに出会ってしまった事が不測の事態だったのだろう。

 だがここはデニスの故郷なのだ。こんなあり得る事態を想定もせずに移動したデニス自身のミスだ。

「リーナ……ちょっと落ち着いてくれ。こんな所で……」

「そうね、ごめんなさい。でもあなたの顔を見て、つい……」

「ならデニス、どこか場所を変えないか? もっと落ち着いた……」

 だが後々、カナセはそれが間違った助け舟の出し方だった事に気付く。

 本来なら適当な理由を付けて一刻も早く別れるべきだった。

 だが彼女の人柄に好感を抱いていたカナセは思わずそう口走ってしまって居た。

「なら我が家に寄って下さいな。大したおもてなしも出来ませんが、ケビンの顔を見れば皆、喜んでくれますわ」

「いいえ、それは流石に遠慮するよ」

「そう仰らずに」

「じゃあデニス、どこか気の利いた場所はないか?」

「ならここから少し離れた場所に喫茶店があった記憶がある。潰れていなければの話だがな……」

 三人はデニスの答えた喫茶店の方へと向かった。

 喫茶店は健在だった。だが店には看板も無く、外装は街並みに融け込み、一見すると工場の一部の様にしか見えない。

 しかし店内に入ると、そこはカウンターとテーブル席によるごく普通のカフェだった。

「これも風営法による統制か?」

「いいや、確か店主の趣味だ。隠れ家的な店構えにしたかったらしい……」

 三人は店の一番奥のテーブル席に座るとカナセは二人の注文も聞かず、早速、三人分のコーヒーを頼んだ。

 リーナには悪いが長居をするつもりはない。

 カナセが注文を終えた頃には既に二人の会話は始まっていた。

「でも良かった。あなたが元気で居てくれて……」

「そうかい?」

「御家族は? 妹のエミちゃんは元気にしてる?」

「今は離れて暮らしている……。最近は連絡も取ってないから皆、何処で何をやってるのやらだ……。お前の方こそどうなんだ?」

「皆、元気でやってるわ。上のジェド兄さんが来年、結婚するの。同じ職場の人よ。覚えてるでしょ、ウチの兄弟の事? 確かユウリ兄さんとは同級生だったわよね」

「ああ、そうだよ……」

「でも本当に久しぶりね……」

「そんなに経つか?」

「だって、十三年ぶりよ。突然、何も言わずに居なくなって……」

「そうだったよな……。だがあの時は仕方無かった……」

「お父様はお気の毒だったわ……」

「本当にそう思うか?」

「当然よ、お父様だって何かの間違いがあったんだと思うの……」

「よしてくれ。仕方の無い話で済む事じゃないよ。それにお父様なんて畏まった言い方は止めてくれ。お陰で俺は名前を変える羽目にもなったんだ」

「名前を変えた?」

「今はデニス・ワイルダーだ。もうケビン・バーデットはこの世には居ない」

「デニス・ワイルダー……」

 その厳めしい名をリーナがつぶやきながらカナセの顔を見る。

 カナセは頷くしかない。

 それでも二人の間でその後も取り留めのない会話が続いた。

 話の内容はほとんどが思い出話で、その会話の端々でデニスの家庭内で不幸があった事が伺える。

「前にメイヴィスが言ってたデニスの悲惨ってこれの事か?」

 一方でカナセは二人の会話に居心地の悪さを感じていた。

 会話は完全にふたりきりの世界で他人が割り込める余地はない。

 なのに会話が済むまでここからは動けない。

 ただ自分は黙って運ばれて来たコーヒーを飲むしかなかった。

 そんな中、リーナがデニスに言った。

「ねえ、ケビン。この際だからカデルナに住んでみない?」

「リーナ……」

 彼女の提案に戸惑いを覚える。

「都市への移住が最近は難しい事は知ってるわ。けど時間が掛かるかもしれないけど不可能ではないはずよ」

「気軽に言わないでくれ。俺にも向こうでの生活はある」

「もしかしてあなた、結婚してる?」

「いいや、独りだ」

「だったら、この際、こちらに移りなさいよ。お父さんの話じゃ、今、この町は水軍特需で景気が良いって話だわ。人では幾らあっても足りないらしいからあなたも……。そうだわ、カナセさんもこちらに来られては?」

「ええ、俺が?!」

「造船に興味がお在りなんでしょ?」

「ええっと、まあ……」

 突然、話を振られてカナセも言葉を濁すしかない。

「リーナ、無理強いするのは良くないよ……」

 デニスがリーナを静かに窘める。

 しかし彼女の勢いは止まらない。

「無理強いじゃあ無いわ。私はあなたの事を思って言ってるつもりよ」

「俺の事を?」

「だって、昔みたいにまた一緒にこの町に住めれば幸せじゃない」

「幸せ? 俺がか?」

「そうよ、そうやってまた楽しくやれば良いのよ。ここはウラ鉄の要所だから反乱軍の攻撃だって飛んで来ない。首都に次いで安全で仕事だってある。それに昔馴染みの人だってまだたくさんいるわ。あなたの同級生だった人達だって……」

「うるさい! いい加減にしてくれ!」

 デニスが火でも付いたかの様に急に怒り出した。

 その姿にリーナが唖然とする。

「ちょっと、何をそんなに怒っているの? 何か気の触る事、言った……」

 デニスの怒りの意味がリーナには判らない。

「言ってるさ! 何もかもお節介だ! もううんざりだ!」

 今度はデニスの怒りが収まらない。

「何よ! 人が親切で言って上げてるのに、そんな言い方ないじゃない!」

 するとリーナも同じ様に声を上げる。

 その変貌にカナセは声を失う。二人がこんな激しい一面を見せた事に戸惑う他ない。

 それどころか二人の言い争いは収まる所か更に広がっていく。

「せっかく、せっかく、あなたの事を思って!」

「それがお節介だって言ってるんだ。ただの昔馴染みにそこまでされる筋合いはない!」

「只のですって?!」

 そのデニスの一言にリーナがテーブルを叩いて立ち上がった。

「わたしが……私が居なくなったあなたのせいでどれ位……」

「ふん! 知ったこっちゃない」

「知ったって……何よ! その言い方!」

 感極まったリーナが喫茶店を飛び出した。

「もう良いわよ!」

 去り際の彼女の声は涙声に変わっていた。

「ああ、リーナさん……」

 突然、噴出した激情にカナセはおろおろするばかりだ。

 カナセは居なくなったリーナの後を追おうと足を踏み込ませる。

 だがその前に一度だけデニスの方を一瞥する。

「好きにすれば良いさ……」

 デニスはテンガロンハットを深く被り直しながら素っ気なく答えただけだった。

 仕方なくカナセはリーナの後を追った。

 リーナは直ぐに見つかった。

 工場に挟まれた人気のない辻道でうずくまりながら泣いていたのだ。

「リーナさん、大丈夫?」

 声を殺しながら泣き続けるリーナの元へカナセが歩み寄る。

「ごめんなさい、カナセさん。お見苦しい所をお見せして……」

 リーナが涙を指先で拭いながら顔を上げた。

「前にデニス……ケビンと何かあったの?」

「カナセさん、ケビンとは?」

「知り合ったばっかで昔の事は……。ここが彼の故郷だど最近、聞かされたばかりだし」

「彼とは……ケビンとは幼馴染なんです」

「幼馴染?」

 カナセはリーナの言葉を繰り返す。

「彼の家は隣棟の長屋だったんですが同じ地区同士でした。彼は兄と同級生で年上でしたけど、子供の頃はよく遊んでくれたんです」

「そうなんだ……」

 しかし先ほどの会話を聞く限りでは、二人はそれ以上の関係に思えなくもない。

「けど、ある日突然、彼の家族の部屋がもぬけの殻になったんです。何の前触れもなく」

「何があったんだ?」

「子供の頃だったので詳しくは判りません。ですが父から聞いた話ではケビンのお父様がファイタスのスパイだったと……」

「スパイだって? 何が証拠が出たんですか?」

 リーナの言葉をカナセが聞き返す。

「いいえ、判りません。ただウラ警の職務質問を受けた際、ポケットにファイタスの政治宣伝の為のチラシが入っていたと……」

「チラシが入ってたって!」

 カナセは驚きが隠せない。

 それだけの事でウラ鉄は市民を逮捕して連れ去ってしまうのか?

 しかしそれがウラ鉄による恐怖政治の実態だと思うと虫唾が走る。

「その……。リーナさん、ひとつ聞いて良いか?」

「はい、何でしょう?」

「その……リーナさんはケビンの事が好きだったの?」

「えっ!」

 カナセからの思いも依らぬ質問にリーナが思わず声を上げた。

「ご、ごめん! そうじゃなかった」

 そんな驚いた彼女の顔を見てカナセが慌てて取り繕う。

「いや、違うんだ……。その、チラシ一枚で連れて行かれるってのはこの町では普通なのかなって?」

「それは……」

 列車の中であれだけウラ鉄を賛美していたリーナが言葉に詰まる。

 しかしカナセにはそれで充分だった。

 信奉者の彼女ですらチラシ一枚での逮捕は不審に思っている。

 ウラ鉄の持っている矛盾に違和感を感じているのだ。

「ごめん、変な事聞いたよね……。俺、まだウラ鉄に関しては初心者だから……」

「いいえ、こちらこそ上手く答えられなくて。私も鍛錬が足りませんよね……」

 カナセが申し訳なさそうに謝るとリーナも伏目がちにうつむく。

「デニスの下に戻ろうか……。リーナさん」

「でもケビンは怒っているはずです」

「そんな事無いさ。あいつは大した奴だから謝る前にもう嫌な事は忘れてるよ。それでも気になるんだったら、俺が手助けするから……」

「手助け?」

「一緒に謝って上げるよ。二人して頭を下げれば流石にデニスも判ってくれる。そしてまた気を取り直して昔ばなしに戻ればいいさ。それに……」

 カナセは一旦、間を置いて言った。

「それに好きだった人と久しぶりに会って、喧嘩して別れるなんて嫌だろ?」

「カナセさん……」

 そうカナセが諭すとリーナは瞳に浮かんだ涙を拭った。

 リーナはカナセの前でデニスが好きだった事を否定しなかった。

 それにカナセもその事を掘り返す様な真似はしなかった。

「ありがとうごさいます。優しい方ですね、カナセさんは……」

「へへ……、そういう誉められ方は初めてかな?」

 笑顔の戻ったリーナを見てカナセも微笑んだ。

 カナセが手を差し伸べるとリーナが手を取って立ち上がった。

 彼女はもう泣いてはいなかった。


 だがカナセ達が喫茶店に戻ろうとした瞬間、それは起こった。

 数人ほどの男達が通りを塞ぐ様に歩いて来たのだ。

 皆が仕事帰りの様な地味な服装で頭から深く帽子を被っている。

 一見すれは街の住人に思える。しかし連中から立ち込める気配はこの街の工員達とは明らかに異質な物だった。

「何だこいつら?」

 カナセの中の本能が危険を知らせる。

「リーナ、走るよ」

「え?」

 リーナの返事が終わる前にカナセは翻った。そして彼女の右手を握ると背中を向け走り出す。

 逃げようとする二人に向かって男達が懐に手を忍ばせた。 

 取り出したのはサプレッサー付きの自動拳銃だった。

「障壁!」

 カナセが魔煌障壁で先手を打つ。

 遅れて数発の空気の抜けたような低い発砲音が起きるとその直後、魔煌障壁が硬い物を弾いた。

 狙われたのは間違いなくカナセとリーナの二人だった。

「なに? 何なの?」

「走って!」

 突然の襲撃にリーナの気が動転する。銃に狙われた事など生まれて初めての経験なのだから無理もない。

 そんな彼女を庇いながらカナセは男達から逃げようとする。

「禍つ青き光の滅却を!」

 第二射を発砲しようとスライドを引く男達から声が上がった。

 カナセはその言葉を聞いて愕然とする。

「ここでもそれか!」

 禍つ青き光の滅却を。前回といい今回といい、またこの言葉だ。

 しかも隠密行動を取っていたカナセを狙いすました様に襲って来た。

 一方で通りの方から一台の乗用車が猛スピードで滑り込んできた。

 車は壁に激突しながらカナセ達と暗殺者達の間に割って入る。

 運転席からデニスの声が聞こえた。

「カナセ、リーナ!」

「デニス!」

「乗れ! すぐに脱出する!」

 カナセはリーナの手を引きながら車に乗り込む。

 車は急発進し男達を置いていった。

 後部ガラスが銃撃を受け砕け散る。

 それでもデニスの運転する車は連中を引き離し暗殺者の影は遠のいていった。

「大丈夫か、二人とも!」

「ああ、なんとか……」

 危機に駆け付けてくれたデニスにカナセが答える。

「な、何なの……」

 一方、カナセの横でリーナは丸まって震えていた。

 しかし危機が去ったわけではない。

 今度は一台のパトカーがサイレンを鳴らしながら後ろから迫って来た。

「チッ、こんな時に……」

 突然、現れた厄介者にデニスが舌打ちする。

 パトカーが車に並走する。車体にはウラ警のマークが記され、乗っている警官もウラ警の制服を着ていた。

 しかし拡声器から聞えて来たのは停車を促す警告ではなく、カナセの脳裏に焼き付くあの一言だった。

「禍つ青き光の滅却を!」

 同時に助手席に乗っていた警官がショットガンを発砲した。

「うわああああああ!」

 狙いはエンジンルームに逸れたが、豆粒大の散弾を受けた車は一旦、大きくバランスを崩す。

「デニス!」

「大丈夫だ。まだ走れる!」

 一方、運転しながらデニスが右手で回転式けん銃を抜いた。

 そして引き金を二度引く。

 煌気を込めた弾はウラ警の隊員ふたりのこめかみを正確に撃ち抜いた。

 死んだ主を乗せたまま、パトカーが道端の電灯に衝突し、停車した。

「一旦、街から離れるぞ!」

 ウラ警を倒したデニスは二人を乗せたまま、一旦、人気のない郊外へと向かった。

 誰も居ない田舎道の脇に車が停まるとカナセがリーナの方を見る。

「リーナさん、大丈夫?」

「な、何なのよ、あれ!」

 しかし混乱の収まらないリーナは大声を張り上げた。

 それをバックミラー越しに見たデニスはハンドルを握ったまま溜息を吐く。

「けど、これで判ったろ? もう俺がこの町に住めない理由を……」

 デニスの落ち着いた口調が聞こえた。

「ケビン……あなた、一体」

「俺達はファイタスなんだ……」

 ファイタスと聞いた途端。リーナの顔は瞬く間に青ざめていく。

「そんな……本当なの? ケビン……」

「ああ、本当だ。俺は俺の正義でウラ鉄と戦っている……」

 デニスは顔を背けたままリーナに答える。

 それを聞いたリーナは今度はカナセと向き合った。

 カナセはリーナの目から逸らしながらゆっくりと頷いた。

「ああ、なんて事なの……」

 それが真実だと知った時、リーナはその場で愕然としながら頭を抱えた。

 そんなリーナにデニスは言う。

「だからリーナ、俺はもうお前の傍に居てはやれない……。生きる世界が違うんだ。もうお前の知っているケビンじゃないんだ」

「ケビン……」

「だからもう、今日、お前が見た事はここで全部、忘れるんだ。そしてそのまま家に帰って何も無かった風に親父さんやお袋さん達の前で笑った顔を見せるんだ。いつものリーナのままでな……」

 そう言い残してデニスは車のドアを開けた。

 デニスがリーナを残したまま車から離れるとその後をカナセも追った。

 車を離れた後もリーナの咽び泣く声がいつまでも聞こえる

「デニス……いいのか?」

 カナセにしてもリーナを残したままここを離れる事は気が重い。

 しかしデニスは冷たく言い放つ。

「他にどうする事も出来ない……。本当は証拠を隠滅しなきゃならんのだが……。カナセだってそこまでしたくないだろ?」

「……」

 ならばリーナをこのまま捨てていくのはデニスにとって最後の愛情だという事か?

 しかしこれでは余りにもリーナが可哀そうだ。

「……」

 カナセは心配気に後ろの方を何度も振り返る。

 リーナが車から降りた形跡はない。

 まだ彼女が車の後部座席で泣いているかと思うと気が気で成らない。

「カナセ!」

 その様子に気付いたデニスがカナセを叱咤する。

「もう、終わったんだ……。これが一番良い結末なんだよ。判るだろ?」

 そうデニスに言い聞かせられるとカナセも返す術が無かった。

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