第7話 魔女の薬屋
戦火のリードヒルを飛び続けたコメット3も今は平和な干拓地の上を飛んでいた。
二人を乗せた箒の穂は時折、咳き込みながらも青い光を吐き続ける。
見渡せば夕日に照らされた広大な田園が広がっていた。
青々と茂る水田の若苗が大地を覆いつくし、その水田を区切るように美しい水路が縦横に規則正しく伸びている。
水路の中は水質浄化の為に植えられた葦原で覆われ、その水の終着点に排水ポンプが置かれた大規模な排水場や古い風車が見える。
「綺麗だな、茜色の中で草木が風になびいて……。こんなに整備された干拓地なんて初めてみたよ……」
「このどこまでも続く水路の葦原がヨシュアの名前の云われよ」
ため息を吐きながら褒め称えるカナセの言葉がクレアの耳に心地よく響く。
キスの一件があったにも関わらずクレアはもう怒ってはいなかった。今は何事も無かった様にカナセと普通に会話を繰り返している。
「思ったより後に引かないサッパリした性格なんだな……。それとも本気で俺に惚れてるのかな?」
どちらにしてもカナセにとっては嬉しい誤算だった。後者なら尚更よろしい。
「それでカーニャってのは?」
「あそこよ。地平線にうっすら見えて来たわ」
眺めると彼方に水路に囲まれた小さな村が幾つか点在していた。
「あの真ん中の村が私の住むカーニャ村よ」
「ああ、そうなんだ……」
しかしカナセは曖昧な返事をする。
なぜならカーニャ村には明確な特色はなく他の村と区別が付かない。
ふたりが村に到着した頃には日が沈み、街並みは薄暗く陰っていた。
カナセはクレアと共に箒から降りると周囲を見渡した。
カーニャの村は中央の広場を貫くように街道が通り、その左右に家々が点在する。やはり干拓地の中になら何処にでもある、のどかな平凡な田舎の集落だった。
どの民家も分厚い葦葺屋根と土壁で建築され、リードヒルで見た瓦屋根と石やレンガ造の都会的な組み合わせとはまた違った風情を醸し出していた。
「ここは攻撃を受けてないんだな」
「流石にこんな田舎まで攻撃になんて来ないわね。路線計画からも随分、離れてるし」
「クレアの家はどこだ? 確か薬屋だって」
「こっちよ」
そう言ってクレアは通りから村の外れへと歩いて行った。道は土を締め固めただけの埃っぽい田舎道だった。
暫くして薬草の植えられた畑に囲まれた葦葺屋根の小さな店が現れた。
壁には白く塗られた小さな看板が掲げられていた。
看板には「リエル薬局」という屋号と電話番号が記されている。
「明かりが灯いてる」
「妹が店番で立ってくれてるのよ」
「妹? 妹が居たのか?」
「言わなかったかしら?」
「初耳。両親は? 親父さんとお袋さんは?」
「母さんは戦争が始まる前に病気で無くなったわ。医者の不養生ね。ウチの秘薬でも効かなかった新種の病気だったわ。父さんは貨物船の船医だった。でも数年前、どこかの海域でウラ鉄の艦隊の攻撃を受けて乗っていた船ごと沈められたらしいわ」
「それは御愁傷様だね」
「ありがとう……」
彼女の話はウラ鉄が絡むと常に陰鬱さが影を差す。
クレア・リエルにとってウラ鉄との戦いは単に祖国防衛だけではなく父親への復讐や唯一の肉親である妹を守り抜く戦いでもあった。
「いや、もしろそっちの方が割合として大きいんじゃないかな?……」
カナセはひとり思う。
一方、クレアは玄関を開ける前に一言付け加えた。
「カナセ君、入る前に行っておくけど私がやっている事を妹に言っちゃ駄目よ」
「ウラ鉄と戦ってる事かい? 内緒にしてるんだ」
「当り前よ。妹にそんな事、言える訳ないでしょ」
「なら妹にはどんな嘘を吐いてるんだ?」
「別に嘘を吐いてる訳じゃないわ。ウチで作った薬を他の病院や軍に収めてる。出張でヨシュアの外に遠出する事もある。それは本当よ。でも戦ってるって言っていないだけ」
「成程、妹に心配かけたくない事だな。なら俺は乙女の弱みを握ったって事に……」
そうカナセがつぶやいた途端、クレアは不快な表情を浮かべる。
「冗談だよ! 冗談。秘密にするよ。俺はこう見えて義理堅くて口が堅いんだ……」
「なら約束よ。信用してるから」
クレアが店の扉を開けるとドアに付いた小さなベルが鳴る。
「いらっしゃいませ……あ、お姉ちゃん」
直後にまだ幼い声が返って来た。
「ただいま、ミリア。変わりは無かった」
「うん、何も変わらなかったよ」
姉妹らしき会話が聞こえる。その一方でカナセはクレアの肩越しに店の中を覗いた。
店内はいかにも趣味の良い田舎風の雰囲気の漂う店構えだった
薬草の匂いで満たされた店の中には商品棚が置かれその上に陶器の壺やガラス瓶や厚紙に包まれた薬品が整然と並べられていた。
窓の側にはテーブルと椅子が置かれ客が気軽に問診を受けられる気配りもなされている。
そんな店の奥のカウンターの中央に小さな少女が立っていた。
彼女はクレアと同じ金色の髪と青い瞳をした美しい少女だった。そして魔女の正装たる緑色のローブを纏っている。
しかし体も小さい上に顔立ちもクレアに似てはいたが随分と幼く見えた。
「お客様?」
少女が尋ねるとクレアは箒を置きながら答えた。
「お客様じゃいわ。今日、スカウトしてきたカナセ・コウヤ君よ。組合で私たちの仲間になってくれる予定よ」
「カナセ・コウヤだ。よろしくな」
カナセは初めて会った少女に気やすく声を掛けた。
「初めまして……。ミリア・リエルです」
カナセとは対照的にミリアは礼儀正しく挨拶した。だが初めて会う見ず知らずの男の出現に緊張が隠し切れていない様子だ。
「成程、確かにこんな可愛い妹を大事にしたいって気持ちは判るよな……」
カナセはひとり納得する。
そしてそんなミリアの気持ちもお構いなくドカドカと足音を鳴らしてカウンターへと歩み寄ると幼い少女の前に身を乗り出した。
「へぇ~。ミリアちゃんかぁ」
カナセの遠慮の無い態度を見てミリアが無言で息を飲んだ。
破れたシャツ姿の黒髪の少年は幼い彼女にとって見ればまるで野生動物だ。
「ちょっと、カナセ君!」
妹の横でクレアが声を上げる。しかし諫める姉の声をカナセは聞く素振りを見せない。
「かわいいね。ミリアちゃん、年齢は幾つ? 俺は多分、十五か六のはず」
「十一歳です……」
「そうなんだ、十一かぁ。その歳で店番で頑張ってるんだ。偉いねぇ」
「お兄さん、誰なんですか? 魔煌士さんですか?」
ミリアが恐る恐る尋ねてきた。そこは流石に姉の留守を守る薬屋の店番だけはある。
「俺かい? 俺はマギライダー、君のお姉さんに請われてこのヨシュアを救いに来た希望の戦士さ」
「戦士? 兵隊さんですか?」
「まあ、そんな所だ。悪いウラ鉄をやっつけに来た。そしてもう一つ。大事な使命があるんだ。それはね、君のお姉ちゃんをお嫁さんにする事だよ」
「お嫁さん?!」
カナセの言葉にミリアは青い瞳を大きく見開いてみせる。
しかし妹以上に驚いてみせたのは姉の方だ。
「ちょっと、何を言い出すのよ! 妹に変な事、吹き込まないで!」
クレアはカナセの言葉を振り払おうとする。
しかしカナセはその後もミリアにある事ない事を吹き込んだ。
「いやあ、参ったね。二人で箒に乗った後、いきなり俺に抱き着いて……。お願い、カナセ君結婚して! 私、あなたの様な強くて逞しい人、大好き! 身も心も今からあなたの虜よ! って……」
「そんな事、言った覚えなんて無いわ! ミリア、この人の言ってることは全部デタラメよ! だから信じちゃ駄目! そもそもこの人とは今日、初めて会ったばかりなのよ。それに本当に結婚したい人が居るんなら、まずミリアに打ち明けるわ!」
「と、お姉ちゃんは申しておりますが……」
「お姉ちゃんは照れ屋なんだよ。男の人に告白なんて初めてだからさぁ」
「見くびらないで! こう見えても私だって……」
「まあ、ああ言って強がってるけど、そりゃあ、その後もここに来るまでが大変だったんだから。ベッタリくっ付いて来て、これから毎日、好きって千回言って! とかさぁ」
「嘘よ! そんなの大嘘よ!」
クレアは大袈裟に首を横に振って全否定した。
そんな姉の姿にミリアはいぶかし気な表情を浮かべる。
「本当にカナセさんはお姉ちゃんのお婿さんになるんですか?」
「そうさ、だから俺はミリアちゃんのお兄ちゃんになるのかな? だからもう寂しい思いをしなくて済むんだ。今日からにぎやかになるぜ。それにさ、ここだけの話だけど、俺は今日、お姉ちゃんとチューしたんだぜ」
「なっ!」
「ええっ?!」
姉妹は口を揃えて声を上げた。しかし今度ばかりは幼い妹の方が驚きが大きい。
「お姉ちゃん……、本当なの?」
「それは……」
妹が問い質すと姉は言葉を濁す。
だがそれでは逆に事実として認めている様なものだ。
それを見てカナセはクレアを囃し立てる。
「妹ちゃんに言ってやれよ、クレア。お姉ちゃんは本当にこのカナセ・コウヤ君とキスしましたってな。それも身も心も焼ける様な濃厚な……」
「このぉ~! 調子に乗ってぇ!!」
いいかげんなカナセの言い回しに遂にクレアの怒りが頂点に立った。クレアは傍にあった一冊の分厚い本を拾い上げると、一気にカナセの脳天に振り下ろした。
「バカァァァァァァ!!」
ドスンと重い音が店内に響く。口は災いの下。クレアからの一撃を浴びた瞬間、カナセは床に転がりながら卒倒した。
「まったくもう! どこまで人をおちょくれば気が済むの!」
「お姉ちゃん……その本って……」
「大変! ベス先生の大魔煌書が! 先生、お許しください!」
クレアは倒れたカナセそっちのけで魔煌書の角を撫で回した。
「それでお姉ちゃん……キスの話は?」
「ミリア! ごはんにしましょう。もう、今日は一日中ドタバタしてお腹ペコペコよ。ああ、寝ている人は別に起こさなくて良いから!」
クレアは無理やり質問をはぐらかす。
結局、姉からそれ以上の事は語られず真相は闇へと葬られた。
そしてカナセ自身も卒倒したまま、その日は再び目を醒ます事はなかった。