第3話 幽霊屋敷
メイヴィスに連れられたカナセとクレアは二日ほどファイタスの勢力圏内のホテルや宿屋を転々と移動した。
ウラ鉄の情報部に動きを気取られない為だ。
そして三日目になってやっと目的地に到着した。
カナセ達が向かった新天地は森の中の建物だった。外見は二階建ての古い屋敷で町から車で30分ほどの所にある文字通り人里離れた一軒家だった。
メイヴィスに連れられてカナセとクレアは玄関の扉を開けた。中は綺麗に掃除されていたが家具の類は二人が暮らす分の最低限があるだけだ。
「こりゃ、引っ越しの買い物から始めないとな……」
料理用の薪コンロを触りながらカナセがつぶやく。
「地図を渡しておくわ。それと家の鍵と車庫に停めてあるバンの鍵。どっちも二つずつあるから自由に使って」
「じゃあ早速、町まで行って買い出しだな」
「そうね……」
そう言いながらカナセ達は一旦、外へ出た。送ってくれたメイヴィスを見送ろうと思っての事だ。
だがそんな二人にメイヴィスは離れ際、何とも複雑な表情を浮かべた。
「それと二人に大事な事を言っておくわ」
「大事な事?」
「実はね……この屋敷には……」
「屋敷には?」
「出るのよ……」
「出る?」
それだけ答えるとメイヴィスはそそくさとオープンカーに飛び乗りキーを回した。
「じゃあね、お二人さん。ちゃんと伝えたからね!」
「おい、ちょっと待てよ。出るって何の話だ?」
カナセが聞き返す。しかしメイヴィスはカナセの問いに答える事も無く、逆に車のアクセルをいっぱいに踏んだ。
青いオープンカーは屋敷の前から土煙を上げながら大急ぎで走り去って行く。
まるで尻尾を捲いて逃げる女狐の様な素早さだ。
そんな彼女の背中を眺めながらカナセが唖然とした。
「なんだ、なんだぁ? メイヴィスの奴、何が出るんっていうんだよ」
そう言いながらカナセは再び屋敷の外観を眺める。古びているがその分だけ趣きもある。
「ふむ、幽霊でも出るのかな?」
やはりメイヴィスが言い残した「出る」というのは恐らく魑魅魍魎、幽霊か物の怪の類の事だろう。
しかしカナセは魑魅魍魎の存在など信じない。人は死んだ途端に無我の境地に達すると師匠に教えられているのだから当然だ。
「馬鹿馬鹿しい。今時、幽霊かよ。なあ、クレア……」
カナセは笑いながら今度はクレアを方を見た。
だがクレアの顔を見た途端、彼女の様子が急におかしくなった事に気付く。
彼女の表情は石像の様に強張り、顔色も青ざめていく。
「どうしたんだ? どっか具合が悪いのか?」
心配になったカナセがクレアに訊ねる。
「えっ?! ううん、何でもないわ……。うん、何でもないのよ……」
クレアは首を横に振った。しかし傍から見ても明らかに具合が悪そうだ。
そうなるとカナセは一転、心配で不安になる。
「何だか疲れてるみたいだ……。取り合えず中で休もう。荷物の中に毛布もあるからソファの上で横になったらいいな。手を貸すよ」
「ううん、大丈夫。大丈夫よ」
「何が大丈夫だ。多分、長旅の疲れが出たんだ。後の事は俺に任せておけばいいよ。夕飯の買い出しは俺が行っとくから」
そう言ってカナセはクレアの手を軽く握った。しかしどれだけ引いてもクレアはその場から動こうとはしない。それどころかカナセに向かってこう言った
「いいえ、買い物には私も行くわ。外の空気を吸ってる方が気分がいいと思うの」
そう言いながらクレアが車庫の方に向かって歩き出すと、カナセも仕方なく付いていく。
カナセの運転でバンは走り出した。
町に到着すると、車の中にクレアを置いて一通りの買い物を済ませてきた。
車に戻った時にはクレアの顔色は随分と良くなっていた。代わりにその手には数枚の御札らしきものが握られていた。
「何それ? そんなもの買って来たの?」
「ええ、家内安全の御札よ。さっき寺院で買ってきたの。やっぱり新居にはこれがないと落ち着かないでしょ?」
「信心深いんだなぁ」
「無神論者のカナセ君には理解できないでしょうね」
「こう見えても験担ぎ位はするさ。それよりも気分は?」
「ずいぶん楽になったわ。御札のご利益ね」
「じゃあ、どうする? ここで飯でも食ってく?」
そう答えると急にクレアは黙り込む。
「ごめんなさい、まだ何か食べられる気分じゃないの」
「なら帰ろうか。食い物も適当に買い込んであるしさ」
「ええ……そ、そうね……」
結局、クレアの意気消沈の理由も判らないままバンは再び走り出した。
屋敷に帰った頃には辺りは暗くなり始めていた。
カナセは積んでい居た荷物を一人で屋敷の中へと運んでいった。
クレアは車の中で暗い顔をしたまま動こうとしない。
荷物を降ろし終えたカナセはクレアに声を掛けた。
「クレア、中で休もう。何時までもこんな所に居たって良くならないぜ」
「え、ええ……」
だがクレアは虚ろな表情のまま車から降りようとしない。
「どうしたんだよ、さっきから?」
先ほどから腰の重いクレアを前にしてカナセの心配も次第に苛立ちに変わっていく。
カナセは思い切ってバンのドアを開けクレアの手を取ろうとした。
「イヤッ」
だがクレアは反射的にカナセの手を払い除ける。
その態度にお互いが驚いた表情を浮かべた。
「ご、ごめんなさい……」
クレアが慌てて謝ってみせる。
おかしい、クレアの態度はまるで何かに脅えている様だ。
「どうしたんだ、クレア? 何があったんだ? 何で家に入りたがらない?」
「だって……その……出るんでしょ?」
クレアがオドオドしながら口を開いた。
「出るってメイヴィスが言ってた幽霊……あっ」
今になってカナセはクレアの気鬱の理由をやっと理解した。
「そうだ! 確かクレア、オバケが駄目だったんだ!」
カナセはギップフェル沖海戦の夜、クレアをオバケネタで脅かした事を思い出す。
「何かと思ったらそれが原因か……」
それが判るとカナセは安堵の溜息を吐く。
もっと深刻な病気でも発症したのかと心配したからだ。
カナセは原因が判るとクレアの手をしっかりと握り逃げられない様にした。
そしてグイグイと引っ張り家の中へと入ろうとする。
「ちょっと、やめてよ! 私がこういうの嫌いなの知ってるでしょ?」
クレアが青い顔をしながら必死に抵抗する。手には町の寺院で買った御守りの札が強く握り占められていた。思えば魔除けの札のつもりなのだろう。
しかしカナセは意に介する事も無くそのまま家の中に入っていった。
「大丈夫だよ。オバケなんていやしないさ。逆に化けて出てきたら俺がやっつけてやる」
そう言ってカナセは強引にクレアを屋敷のリビングへと連れ込んでしまう。
「いやっ! 離して! 二人とも憑り付かれるわ!」
クレアはカナセの強引なやり方に必死に抵抗する。
だがカナセはリビングの中央に立つと両手を広げながら部屋全体を見渡した。
「どうだい? どこに幽霊が居るって言うんだい? 何の気配もしないぜ」
確かに部屋の中はカナセとクレア以外に人の気配は感じない。
耳を澄ませば聞こえてくるのは森に潜む虫の音だけだ。
「嫌よ! 気持ち悪い! 今すぐここから出るわ! 呪われる!」
だがクレアの脅えようは一通りではなく、頑なに屋敷から出ようとする。
一方、日の落ちた屋敷の周囲は既に暗闇に包まれていた。
クレアにはその闇を前に急に怖気づく。
仕方なく屋敷から出るのを諦めると代わりに荷物から毛布を引っ張り出し、頭から被ってリビングの隅で丸くなった。
両手にはしっかりと御札が握られている。
「さてと、飯にすっか……」
一方、カナセは備え付けの竈に火を入れ夕食の準備を始めた。
煙突の伸びた備え付けの薪コンロの上に水の入った小鍋を置くと切った野菜と肉と缶詰のスープの素をぶち込んだ。
肉と野菜のスープを煮込んでいる間、横目でクレアの方を見た。
クレアは毛布に包まったままリビングの周りでゴソゴソと何かを始めていた。
部屋の窓や扉に買って来た御札を張り始め、その隅には輪っか状に巻かれた細長いワイヤーを取り付けていた。
「げ! あれは……」
カナセは鍋の中をかき回しながら思わず声を上げた。
あれは魔煌技を使った簡単な防犯用トラップだ。
その効果をカナセはカーニャ村のリエル邸で何度も味わった事がある。
リエル邸での居候時代の深夜、カナセは度々、クレアの寝室に忍び込もうとした。
しかしその都度、クレアが部屋中に仕掛けた魔煌トラップの罠に引っかかって痛い目を見た。
そして罠に掛った夜はそのまま朝まで放置される。
お陰でクレアに対する夜這いが成功した事は遂に一度も一度も無かった。
カナセの中でワイヤーでぐるぐる巻きに体を羽交い絞めにされた記憶がまざまざと蘇る。
しかし今回ばかりは勝手が違う。
クレアの相手は正体も知れない魑魅魍魎だ。普通に考えればワイヤーでオバケが捕まえられるとは思えない。
「女の子がお化けを怖がるなんて、普通は可愛いもんだけど……」
度が過ぎれば流石に心配になってくる。
「クレア……晩飯、作ったけど食えそうかい?」
カナセが部屋中をうろつき回るクレアに声を掛ける。
しかしクレアは毛布を被ったまま黙り込む。とても食事が摂る様な雰囲気ではない。
「クレア、そんなにビビる事なんて無いさ。昔から言うだろ? 幽霊の正体見たり枯れ柳ってね」
カナセはクレアを励ましてみせる。だがクレアからの返答はない。
「どうする? 今から町に戻って宿屋に泊まるか?」
代わりに取り合えず思いついた事を提案してみる。
するとクレアは首を横に振ってやっと口を開いた。
「そんなの無駄よ……。こんな夜更けに外国人を泊めてくれる宿屋なんてないわ」
「じゃあ、どうする?」
「そんなの決まってるわ。ここでオバケを何とかするのよ」
「何とかって?」
「何とかは何とかよ!」
クレアが曖昧に答える。
しかしそれは普段の理知的な彼女とは思えない発言だ。
それどころかクレアはこう続けた。
「でないと私達、ここで呪い殺されてマギの深淵に落とされるのよ……」
「マギの深淵?」
それはカナセが初めて聞く言葉だった。
「やっぱり、カナセ君判ってないのね……」
そんなカナセの態度にクレアは落胆した声を漏らす。
「判ってないって何が?」
「なら聞くけど、煌気がどこから生まれ出るか知ってる?」
突然、クレアの口から魔煌技の講義が始まった。
平静を失うと才女でもこれほどまで理論的な思考から外れるものなのか。
唖然とするカナセだったがそれでクレアが満足するならばと取り合えず話を合わせてみる。
「そんな事くらい知ってるさ。煌気の正体は未だに正体が判らない空気中の粒子だろ? そいつが空気中にあまねく満ちているから……」
「現代魔煌学でいうのならそれで正解よ。でも本当は違うの……」
「なら何だって言うんだ?」
カナセが聞き直すとクレアは神妙にこう答えた。
「昔からの魔女の言い伝えでは、罪を背負って天上へ行けなくなった人々の魂の穢れだって言われてるわ」
「魂の穢れ? 何だそりゃ? そもそも魂って何だ?」
「体内にある生命の本性、本質とでも言えば良いのかしら。肉体はその器に過ぎない」
「ふむふむ、それで……」
カナセは鍋をかき混ぜながら適当に相槌を打つ。
「魂は肉体が滅びると身体の拘束から解き放たれるの。その中で生前の罪の穢れの無い清浄な魂は軽くて天に昇り、罪の穢れを背負った魂は逆にその重みで地に沈みマギの深淵に辿り着く。深淵は地獄とも呼ばれ、劫火で包まれているわ」
「へぇ~」
「聞いた事くらいはあるでしょ? 天国と地獄くらいは」
「ああ、あるよ」
カナセもそれくらいの事は知識として理解している。しかしその二つの領域は師匠であるエリザベス・アムンヘルムによって否定された死後の領域だ。
それでもクレアは語り続ける。
「でも汚れた魂は地獄に堕ちるとそこで苦しみながら焼かれる事で浄化されるの。そして罪の穢れを祓ってやっと天国に登る事が出来るわ。その時、祓い落とされた罪の穢れが見えない灰となって地表に上がって来た物こそが煌気の正体よ」
「ふ~ん……」
「でもね、そんな深淵堕ちた魂も浄化の炎に耐え切れず穢れを負ったまま地上に這い上がって来る事があるの」
その話、まだ続くの? カナセはうっかり口に出しそうになる。しかし真面目に語り続けるクレアの前でそんな事を言える訳もなく、聞く振りを続ける。
「そんな地上で這い回る穢れたままの魂が悪霊や化け物になって生きている人々に悪さをするの。もし憑りつかれでもしたら大変。特に戦争で死んだ無念の魂なんて一番危険だわ。だから私達、魔女は昔からその悪霊を鎮める為に鎮魂の儀を奉納するの」
「それって誰が言ってたんだ?」
「大昔に亡くなったウチのお祖母ちゃんよ。魔女にとっては常識だわ。カナセ君、あなた、無我の境地とか何とか言っていたけど、ベス先生だって本心ではマギの深淵を信じてらっしゃったはずよ。本当は先生の鎮魂の儀を見た事だってあるでしょ?」
「全然、無いよ」
カナセはあっさり否定する。
「ならあなたが見てない所で祈ってらっしゃったんだわ」
「だったら何か? クレアはそのアムンヘルム様が俺に嘘を教えたって言うのか?」
「そんな事、言ってないわ。多分、カナセ君にお話しになった無我の境地は私達なんかが計り知れないもっと深い意味が隠されているはずなのよ」
「そんなモンかねぇ~。そんな事よりさ、取り合えず飯にしようぜ。せっかくスープが温まってきたのに」
「カナセ君、私の話ちゃんと聞いてた?」
「聞いてたよ。幽霊が出た時、腹が減ってたんじゃ逃げるのも儘ならない、違うかい?」
「もう、私そんな事、言ってないでしょ。もっとまじめに考えてよ……」
「俺は何時だってクレアの為に真面目だよ」
「嘘よ。全然、気持ちが感じられないわ……」
だがそう答えるカナセの態度にクレアは溜息を吐く。
そんな時だった、屋敷の中の魔煌灯の照明が全て消えた。
深夜の森の一軒家が不意に闇夜に包まれると、背後の廊下で何者かがバタバタと走り抜ける音がした。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
突然、訪れた暗黒と不穏な足音にクレアが悲鳴を上る。
「いやあああああああ!! カナセ君、こんな時に冗談は止めてよ!」
クレアの涙声が闇の中で響く。
「別に冗談じゃないよ。俺はさっきから鍋の傍に居るんだ」
「でも、さっき廊下を何か走っていったわよね……。ね!」
カナセは荷物の中から手探りでテーブルの上に置いてあったランタンに灯りを付けた。
部屋の中で小さな灯火が浮き上がると濃淡の強い薄気味悪い影が浮かび上がる。
「もう、いやぁ……。やっぱり出たんだわ。明かりが消えたのもそのせいよ!」
クレアは自分の影にすら脅えていた。
毛布を被ったまま傍にあった椅子の裏で丸くなる。
一方、カナセは薪コンロの隅に置いてあった火かき棒をおもむろに拾い上げた。
「ちょっと、カナセ君……何をするつもり?」
「部屋の外を見て来る」
「見て来るって、止めなさいよ! 呪われちゃうわ!」
「そんな訳無いよ。多分、屋敷に入り込んだイタチかネズミの類だよ」
確かに走り抜けていった足音は小走りで軽い小動物特有の物に聞こえた。
人間の立てた音とは考えられない。
「なら、ちょっくら幽霊退治と行きますか。クレアも付いて来る?」
「そんな事、出来る訳ないわ!」
そうカナセは訊ねたがクレアは大仰に首を左右に振った。
「判った。じゃあ、行ってくるよ」
「待って、ランタンは置いて行って! 暗いと怖いわ……」
「そうだね。なら、置いとくね……」
カナセは部屋を出ると足音が聞こえた方へと歩いていった。
クレアは薄明りのリビングの中にひとり取り残される。
頼りになるのは小さなランタンの灯火だけだ。
後はカナセが幽霊を退治してくれる事を願うしかない。ただしカナセの力が人智を超えた者に対してどれほど有効かは全くの未知数だ。
それを思うとクレアも流石に心細い。呪いの館の恐怖に体が強張る。
そんな中、ランタンの炎が徐々に小さくなっていった。
恐らく、コアの中の煌気の放出量が減ってきているのだ。
「ちょっと、止めてよ……。こんな時に」
クレアはランタンの調整ネジに手を伸ばそうとする。
だがその直前、灯火は息が吐き切る様に光るのを止めた。
リビングの中が完全な闇に包まれる。
クレアは一瞬、心臓が飛び出そうな恐怖に苛まれる。
「ひぃ!」
息を殺しながら引きつった悲鳴を上げる。
こんな事ならばカナセと一緒に付いていくべきだった。彼と一緒に居て何が出来るという訳でもないが少なくとも恐怖は和らいだはずだ。
しかしそれも、もはや手遅れだ。彼は部屋を出たきり、何の音沙汰もない。
クレアは暗闇の中の孤独感に気が変になりそうになる。
だがそこに本当の恐怖がクレアに襲い掛かってきた。
閉まっていたはずの目の前の扉がゆっくりと開き始めたのだ。
暗闇で不気味な木の軋む音が聞こえる。
その音の方向をクレアは凝視する。
見たくはない、しかし見ずにはいられない。
なぜならその開いた扉の先に何者かの気配を感じたからだ。
「カナセ君?……」
クレアは痩せ細った声で訊ねる。しかし何の返事も返って来ない。
代わりに廊下の方から闇の気配がこちらに歩み寄って来た。
一歩、二歩……小さな足音が聞こえてくる。音は先ほど廊下を駆け抜けた時とそっくりで、音が近づくにつれクレアの全身から血の気が引いていく。
目の前に居るのはカナセではない。この館の本当の主、生前の無念によって地上に捕らわれた救われぬ魂の持ち主だ。
足音が消えた瞬間、床の上で丸くなるクレアの頭上で光が灯った。
一瞬、屋敷の照明機器が復旧したのかと思った。
だがそれは間違いだった。代わりにクレアが見上げた瞬間、『何か』が目に飛び込む。
間違いない。それは全身が真っ白な人影だ。
そして頭と思わしき場所に青く輝く大きな一つの目!
「キャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァ!! ああ……」
この世の物とは思えぬ存在を前にクレアは張り裂けんばかりの悲鳴を上げた。
恐怖は一瞬で頂点に達し、彼女の忍耐の許容量を軽く振り切った。
同時にひゅんひゅんと不気味な風切り音が何度も響く。
亡霊のすすり泣く声に違いない。
直後、クレアの体が石化した様に強張る。どれだけ力を込めても金縛りにあった様に動かない。
そして目の前が暗くなり意識が遠のく。
「ああ……」
哀れ、クレアは泡を吹きながらひきつけを起こすとそのまま床の上へと卒倒した。
だが薄れていく意識の中で少年の声が聞こえる。
「クレア!」
それはカナセの声だった。
クレアの悲鳴を耳にした途端、カナセは急いでリビングに駆け付けると目の前に立ち尽くしていた白い影に向かって火かき棒を力いっぱい振るった。
「クレアから離れろ!」
火かき棒の一撃が幽霊の頭部に命中した。
「ビギャ!」
白い影はその一振りで弾き飛ばされると機械で加工された様な声を上げた。
そして床の上でもんどりを打って倒れる。
カナセが照明のスイッチを触りながら魔導技を唱える。カナセの煌気が配線を通じて落とされたブレーカに辿り着くと屋敷の照明が復旧した。
クレアを襲おうとした白い影の正体が露になる。
カナセは火かき棒を構えたまま近寄った。
白い影の正体はボロ布になった古いシーツだった。
そのシーツの下に何かある。
カナセはシーツの端を掴むと強引に引き剥した。
するとシーツ下からは一体の人形が姿を現した。
人形は子供が抱えられるほどの大きさのブリキの兵隊に似ていた。
しかし両脚には竹馬の様に長い棒切れが縛り付けられ、胴体は機械を覆うカバーが外れ内部がむき出しになっていた。
カナセはその人形の腹の中を注視する。
「やっぱりコアモーターだ……」
間違いなく、それは青白く光る魔煌の輝き。クレアはシーツ越しに輝いたその青い光を悪霊の一つ目と勘違いし、挙句、気を失ったのだ。
「これが枯れ柳の正体か……けど、何だ? こいつ?」
カナセの中で新たな疑問が沸き上がる。
「ううん……」
背後からクレアのうめき声が聞こえた。卒倒から自力で目を覚ましたのだ。
「おい、大丈夫か、クレア?」
カナセは振り向くと自分の体を起こそうとするクレアの方を見た。
「カナセ君……何が、どうなって? 痛っ!」
「痛いのか?」
「体が動かないのよ……」
まるで状況が把握できていない中、クレアは体に痛みを覚えた。
そして今も金縛りに遭った様に体が動かない。
カナセがクレアに近づくと金縛りの正体を知った。
クレアの全身には細い鉄線が絡みついていた。
それは彼女自身が仕掛けたワイヤーの魔煌トラップだった。
暗闇の中、慌てて逃げようとしたクレアは自分で仕掛けた罠に自ら引っかかっり絡まってしまっていたのだ。
怪我こそしていないものの、クレアの白い柔肌に沈むワイヤーの食い込みは、見ているだけで痛々しい。
「こりゃ、酷い……」
試しにカナセはワイヤーの一部を引っ張ってみる。
「痛たたたっ……。痛いわ、カナセ君!」
「ご、ごめん。どこか怪我は? 我慢できるか?」
「大丈夫……。痛いけど、我慢できないほどじゃないわ。けど動けないのよ……」
「じゃあ、少し辛抱してくれ」
「うん……」
カナセはクレアの体を持ち上げると毛布を運び込みうつ伏せに寝かせた。
「カナセ君、取れそう?」
「ちょっと、待ってくれ。けど、クレア……自分で仕掛けた罠に掛るなんて……」
「だって仕方ないじゃない。あの時は慌てて……きゃぁあ!」
トラップ解除の最中、クレアが素っ頓狂な悲鳴を上げた。
なんと、ワイヤーを樽る指先でカナセが突然、動けないクレアのふとももの内側を撫で回したのだ。
「ちょっと、カナセ君!」
「ああ、ごめんごめん。絡まったワイヤーがキツくって……」
「ワザと触ったでしょ!」
「そりゃあ、触らないと外せないもの。……」
「もう! 悪びれもしないなんて、最低! このエッチ!」
怒ったクレアがカナセを罵る。
するとその一言を耳にしたカナセが少しムッとする。
折角、助けようとしているのにエッチ扱いは酷いではないか。
「だったら……」
カナセはおもむろにクレアのスカートの裾を掴んだ。
「布っ切れが邪魔だから捲るよ」
「捲るっって……」
カナセはクレアの承諾を得る事もなくスカートの裾を摘まむと大胆にずり上げた。
その瞬間、スカートの下から白い下着に包まれた肉付きの良い、丸く大きく柔らかなお尻が露になる。
「きゃああああああああああああああああああああああ!!」
クレアが思わず大声で叫んだ!
「な、何するの!」
「えへへへ……人をエッチ呼ばわりしたお返しだ」
「ば、馬鹿な真似は止めてよ!」
カナセのいやらしい笑い声にクレアは青ざめる。しかし動けない獲物を前にカナセはご満悦だ。
そして動けないクレアに向かってこう言った。
「馬鹿な真似? 悪いけど馬鹿の本番はこれからだよ」
そう居直ったカナセはおもむろにクレアのお尻に両掌を当てた。
そして柔らか尻肉を下着越しにギュウギュウと撫で始める。
「やだっ! ちょっと、やめてよ!」
お尻を撫でられた瞬間、クレアは喉の奥から声を絞り出す。
しかし臀部を擦る手の動きが止まる事はない。
「凄ぇ、柔らけぇ……。突き立てのお餅みたいだ」
クレアの大きなお尻を好き放題に触れてカナセも御満悦だ。
カナセは面白がって全ての指先に力を込めた。
クレアの柔らかな尻肉の中へ全ての指が食い込んでいく。
「いやぁ~ん!」
クレアが思わず叫んだ。
「カナセ君、止めて! そんな事すると嫌いになっちゃうわよ!」
「やっぱり駄目?」
「駄目に決まってるじゃない! それに何でそんな事するの?」
「そりゃ、縛られたクレアが凄くエロいから……」
カナセが馬鹿素直に理由を答える。
こんな艶やかな姿を見せられ続ければ男としての昂ぶりが抑え切れなくなって当然だ。
しかしカナセの行為をクレアは到底受け入れられない。
「ああ~ん! カナセ君のバカぁ! こんなの卑怯よ! 女の子が動けないのを良いことに辱めるなんて! 最低よ!」
とうとうクレアは泣き出してしまった。
オバケのせいで怖かった上に、お尻まで触られる。もう踏んだり蹴ったりだ。
一方、カナセもそんなクレアの泣き顔を目の当たりにすると、流石にやりすぎたと思い始める。
同時に内なる昂ぶりも萎えていくと、仕方なく、彼女のスカートを元に戻した。
「判ったよ……ごめん、やりすぎた……」
やはりクレアを泣かせてまで情欲を満たすのは本意ではない。
クレアとは嬉しく楽しく愛し合わなければ意味は無いのだ。
「工具箱を持って来るよ。工具で切ってった方が早いよな……」
カナセはそう言いながら床から立ち上がった。
「うぇ~~~~……」
だがカナセがその場から離れてもクレアが泣き止む事はない。
そんな彼女の姿を見てカナセは急に不安になる。
「もしかして嫌われたかも……」
そう思った瞬間、カナセは慌てて工具箱を探し始めた。そして小さくつぶやく。
「あとでちゃんと謝ろう……」
やがて荷物の中から工具箱が見つかると、クレアはトラップから解放された。
彼女はのそのそと体を起こすと、同じ様に床に座っていたカナセと向き合った。
「うう……」
そして両方の握り拳を振るうと嗚咽を漏らしながらカナセをポカポカと叩き始めた。
魔煌が伴わない彼女の腕力程度では叩かれても痛くも痒くもない。
しかし泣きながら叩かれるのは流石に堪える。
「ごめん、悪かったよ。ごめんなさい。スミマセンでした。ちょっとやりすぎたって反省してるから……」
「当り前よ! あんな恥ずかしい思いさせて、何考えてるの! 私がどんな気持ちで怖がっていたか思ってるの!」
「だから悪かったって……。ちょっと魔が差しただけだよ」
「ならもっとしっかり反省して! もうあんな事は二度としないって約束して! あなたの神様に誓って!」
「判ったよ、誓うよ。マルケルス神の前で誓いますよ」
「本当にもう! あなたがそんな事をする人だったなんて……いいえ、こんな事をする人だった事をすっかり忘れてたわ!」
しかし反省したと言うならばクレアもその言葉を信じる他ない。
そんなスケベを追って自分はこのロータスまでやって来たのだ。
自分が苦労の末、ここまで来た理由が無くなる。
そして何より惚れた弱み。無論、口には出さないが……。
結局、クレアはカナセの所業を許さざる得なかった。
そして今度は捕まえた幽霊の方に注意が注がれる。
幽霊は今もロープで縛り上げられ床の上に転がされたままだった。
カバーの外れた胴体のコアはむき出しのまま今も青白く輝いている。
「なに? これ……」
クレアは恐る恐る訊ねる。
彼女にはまだ、この存在が魑魅魍魎の類に見える様だ。
だがこの幽霊を追い掛けていた時から、カナセの目にはコアの動きが捕えられていた。
それはカナセが早い段階で幽霊の正体を知っていた事を意味した。
だがシーツを被ったブリキ人形の動きは思いのほか早く、捕まえる寸前にクレアを巻き込んでしまった。
カナセは人形を眺めながらその正体を何度も考えてみせる。
恐らくゴーレムの類に思われた。ならばその操演者がいるはずだ。だがその主人は人形が捕まった後、次のアクションを仕掛けては来ない。
逃げたと言えばそれまでだが、結局、その目的も正体も判らないままだ。
「いたずらか? それとも屋敷に近づけたくない何かがあるのか?」
まだカナセはこの人形の事を何も判ってはいない。
「それでこれからどうすると?」
「とにかく話が出来ないかな……」
カナセは縛った人形に近づくと指先で小突いてみせた。
「おい、起きろ!」
「ギギッ……」
呼び掛けた途端、機械音が聞こえてきた。火かき棒で叩いた位では完全破壊に至らなかった様だ。
「ゴーレムなんかで嗾けやがって。貴様、どこの誰た」
恐らく相手はゴーレムの視覚を通じてこちらの様子を伺っているはずだ。オマケにモーフィングを解除していない所を見るとまだこちらとやり合う意図が見て取れる。
だが人形から返ってきた答えは意外なものだった。
「誰がゴーレムだギギ……あの様な木偶供と一緒にされるのは心外だギギ……」
「ゴーレムじゃないだって?」
クレアとカナセが不思議そうに顔を合わせる。
「じゃあ、何だって言うんだ?」
「ギギは人造知生体壱號! 人を超える為に作られし存在ギギ」
ブリキ人形は大仰に名乗り上げた。だがそれが気に食わないのかカナセが掌でポカリと叩く。
「何が壱號だ。御大層に言いやがって」
「ギギャー! 先ほどからの無礼千万、これ以上ギギへの侮辱は万死に値するギギ!」
「でもカナセ君、ゴーレムで無いのなら、これって機械人形って事よね」
機械人形と聞いて頭に浮かんだのが103東征號のリサ・マキーナだった。
だがリサは完璧な人型で戦闘力は人間を遥かに凌駕していた。それに比べたら目の前の壱號なる物は文字通りブリキの玩具と呼べる代物だ。
「それで、何で幽霊なんかに成り済ました? メイヴィスの口振りじゃあ、前からこの屋敷で悪さをしていたみたいだが……」
「悪さとは心外の極みギギ! お館様の為に不法侵入者を撃退したまでだギギ」
「お館様?」
「そうギギ。二十年前よりお館様からお預かりしたこの屋敷。留守を守るのがギギの使命ギギ」
「二十年前から?!」
人造生命体壱號の話の前に二人とも少しづつ話が見えて来る。
「そのお館様ってのは何処の誰だ?」
「お前なんかに教えないギギ」
「けどそのお館様ってのがお前を作ったんだろ?」
「そうギギ。偉大なるお館様によってギギは魂を吹き込まれたギギ」
「この屋敷でか?」
「他にどこがあるギギ」
「けど、この屋敷の中には何も無いぞ」
「ある日、ウーラシア鉄道の馬鹿どもが洗いざらい持って行ったギギ」
「ならこの屋敷は元は機械人形の研究施設だったって事よね」
「何でお前はウラ鉄に連れて行かれなかった?」
「隠れていたギギ、流石にウラ鉄の軍隊相手では多勢に無勢だったギギ」
「そりゃ立派な忠義者だ、お館様ってのもさぞ遠くの空で喜んでおらっしゃるだろうな」
そんな機械人形の太々しい態度にカナセは肩を竦めた。
「でも、それが本当ならお館様ってかなり高位の魔煌士よ。機械人形の研究だなんて禁断の古代魔煌技だもの……」
「何か心当たりあるか?」
「そこまでは判らないわ。私の専門とはかけ離れてるから……ねえ、そのお館様の事、どうか教えて貰えないかしら?」
クレアが壱號に丁寧に訊ねた。
しかし壱號はクレアから顔を背けてこう言った。
「お館様はこの世で最も優れたお方ギギ! お前の様なパンツ見られたくらいで泣く様な小娘には勿体なくて教えないギギ」
「なっ!」
突然、発せられた壱號の非礼な物言いにクレアは絶句した。
「さっきから見てたギギ! そこの小僧にデカケツを触られて泣き叫んでいたギギ。でもあの涙は上っ面の涙ギギ。本心は小僧に揉まれて喜んでたんだギギ。そしてもっと恥ずかしい目にあわせて貰いたかったギギ。この淫乱の本性を隠し持つドスケベ魔女! それがお前の正体ギギ!」
そう言って壱號はクレアを辱めた。
それを聞いた途端、クレアの顔は恥ずかしさでみるみる真っ赤になっていく。
「淫乱ですって!……」
そんな品性下劣な言葉で自分自身を貶められたのは生まれて初めての経験だった。
それに先ほどのカナセから受けた卑猥な行為で泣かされた余韻も残っている。
お陰でクレアは再び泣きそうになる。
そしてそれに気付いたカナセが慌てて慰めに掛かった。
「ク、クレア! 大丈夫だよ。こんなブリキ野郎の言う事なんて気にする事ないよ。おい、ガラクタ! 手前ぇ、クレアに謝れ!」
「ガ、ガラクタ! ガラクタとは失礼ギギ! ギギにはお館様が命名して下さった壱號という立派な名前があるギギ! だからお前もギギの事は壱號様と呼ぶギギ!」
「うるさい! お前なんてガラクタじゃ無ければギギでたくさんだ!」
「ギギー! 全く、無礼千万な未開人ギギ!」
聞き覚えの悪いカナセを前に今度は壱號が怒りを露にした。
そこで今度はクレアの方を見る。
「おい、そこの破廉恥魔女! 貴様のその淫売な口でこの馬鹿者にギギの偉大さを教えてやるギギ! このギギがお前達人間より優れている事を訴えるギギ!」
そう言って壱號はクレアにまで指図する。
しかし度重なる辱めを受けたクレアの怒りは既に頂点に達していた。
「私は! 破廉恥じゃない!」
突然、クレアはカナセの手から火かき棒を取り上げると、まるでゴルフのスイングの要領で下から掬い上げる様に振るった。
幽霊屋敷の中で金属同士がぶつかりあう硬い音が響き渡る。
火かき棒の先端は見事にギギの体に命中し、ブリキ人形の体は縛られたまま窓の外へと弾き飛ばされていった。
「ギギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァ!!」
ブリキ人形の叫び声が聞こえる。
しかしギギの姿は直ぐに闇夜に融け込むと、やがて森の奥へと消えていった。
その光景にカナセは一瞬、茫然とする
一方、クレアは役目を終えた火かき棒を床に落とすと再び泣き出してしまった。
「うう……くすん、くすん……」
壱號の言葉による辱めがよほど堪えたのであろう、クレアは咽び泣き続ける。
「クレア……大丈夫かい?」
カナセが心配気に訊ねた。しかしクレアから返事が返って来る事はなく、ひとりでソファの方へと歩くとそのままクッションの上で丸くなった。
「暫く、傍に居ようか?」
ソファの横でカナセが聞いた。だがクレアは泣いたまま首を横に振った。
今はひとりきりにさせてもらいたい様だった。
「じゃあ、後の事は俺がやっとくから……」
そう言い残すとカナセはクレアの下から離れていった。
しかしクレアの咽び泣く声が止まる事はない。
「本当に悪い事したなぁ……」
カナセはクレアにトラウマを残した事を今更ながら悔いる。
一方、カナセは窓から壱號の気配を探す。
コアの探信を試みると屋敷の外に向かって遠く離れていくのが判る。
「あのまま逃げやがったか……」
カナセは壱號を取り逃がした事を悔やむ。
しかし幽霊の正体は知れたのだし、奴の目的も判ったのだ。
必ずこの屋敷に戻って来るはずだ。
それにあちらがコアを使う限り近づいて来れば察知できるのだ。焦る事は無い。
しかし心配なのは壱號の事より落ち込んだクレアの方だ。
カナセは薪コンロに近づくと冷めたスープを温め直した。
「クレア、食事の用意が出来たけど……」
カナセは自信無さげにクレアを呼んだ。
だが彼女から返事が返って来る事はない。
結局、クレアをそっとして置く事に決めるとカナセはひとりきりで食事を始めた。
深皿の中のスープを掬う度に溜息が出る。
ひとりで食べる食事は本当に味気ない。
「明日の朝までに機嫌が治っているといいんだけど……」
カナセは心配げに横になったままのクレアの方を見た。
しかし彼女は毛布に包まったままソファから動こうとはしない。
仕方なくカナセは鍋に入った二人分のスープをひとりでたいらげていった。




