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第2話 回生

 翌朝、彼の寝室に向かうとカナセの姿はなかった。

「ちょっと! どこへ行ったの?」

 せっかく会えたと思ったらまた居なくなる。

 その事実にクレアは辟易する。

 仕方なく一人で探しに出かけると周囲を見渡しながら干潟の方へと走った。

 カナセはすぐに見つかった。干潟から突き出たいつもの桟橋で、まだ取り残された上陸艇が沈む干潟の海を一人で眺めていた。

「よかった、遠くに行ってなくて……」

 クレアが安堵の溜息を吐く。

 そして今もカナセは干潟を眺めたままだ。

「カナセ君!」

 クレアが彼の名を呼んだ。遠くの淡海の向こうまで届く様な大きな声だ。

 するとカナセは干潟からおもむろに視線を外し振り向いてみせる。

「クレア……」

 カナセが答える。その姿にクレアは胸の奥が熱くなる。カナセは立ち直ってくれた。昨日までは一人で歩く事すら儘ならなったのに。

 クレアが桟橋に歩み寄る。

 美しい金色の長い髪が逆光を浴びて本物の金糸の様に輝く。

 それを見てカナセも足裏で桟橋を蹴ると、そのまま勢いで魔女の下に辿り着いた。

 クレアの前に立つとその細い背中に向かって指先を伸ばす。

 だが触れる前にカナセの腕が止まった。

 スズコとタマコの血で汚れている自分の手でクレアを抱きしめる事は許されない。

 そんなカナセの思いが脳裏に過ったのだ。

 だがクレアはカナセの中に残る躊躇いの気持ちを汲み取ると、彼の手を取り、自分の頬に当てた。

 クレアの頬の暖かさがカナセの指先に伝わって来る。

「いいのよ、何も気にしないで……。例え、神様があなたを許さなくても私はあなたを許し続けるわ……だから私にいっぱい頼って。私は何時だってあなたの味方よ」

 クレアのやさしさにカナセの胸の中までも熱くなる。

「クレア!」

 そして今度こそ両腕を延ばしクレアを強く抱き締めた。

「クレア、クレア、クレア、クレア!……」

 少年は何度も少女の名を呼んだ。

 何もかも愛おしい。金色の髪や紫色の瞳も、その細い肩も透き通る様な肌も、体から醸し出す甘い匂いも、そして日向の様にあたたかでやさしい心も、全て別れた時のままのクレアが愛おしくて堪らない。

 どれだけ……。どれだけ、自分は彼女に逢いたかったか!

 どれほど遠く離れていた彼女の事を想い焦がれていたか……。

「クレア、会いたかった……。本当に会いたかった……」

「私もよ、カナセ君……」

 朝日を浴びながらお互いが相手の名を呼び合う。

 そんな二人の抱擁は時を忘れて続いた。

 それは同時に互いの中でズレたままになっていた時計の針が下に戻った瞬間でもあった。


 暫くして二人は肩を寄せ合いながら桟橋に腰掛け干潟の淡海を眺め合っていた。

「不思議ね……。ふたりしてこんな遠くまで来てしまったなんて……」

「そうだね。でもこの向こう側にもまだ人が住んでいる世界があるんだぜ……。ここはまだ世界の果てじゃないんだ……」

「行ってみたい?」

「いつかは……けど、今は行けない」

「どうして? あなたらしくない」

「それは……。俺にはここでやる事が残っているからだ」

「やる事って?」

「ロッゾ・カルと決着を着ける」

 カナセの一言にクレアは息を飲む。

 彼はウラ鉄を倒すと言ったのではない。ウラ鉄総裁のロッゾ・カル個人と戦うと宣言したのだ。

 そこからは並々ならぬ決意が感じられる。

「逃げるって選択肢は無いの?」

 クレアは無駄だと思いながらもあえて聞いてみる。

「今日にでもこのロータスから脱出しましょう。私達、ヨシュアに帰るのよ。ナナミに協力してもらって何とかするわ。現状はそれが最善だと思うの」

「いいや、無理だ。もうロッゾ・カルはカナセ・コウヤという存在を知ってしまったんだ。その瞬間、奴は俺を地の果てまで追いかけて来るはずだ。ウラ鉄の持つ力の全てを注ぎ込んでね」

「あなたの存在って、エリザベス・アムンヘルムの弟子だったって事実の事?」

「ああ……やっぱり、もう知ってるんだな……」

「ゴッペル先生から聞いたわ……」

「へへ、驚いたろ? 俺が偉大なるロータスの魔女の弟子だっんだぜ」

「未だに信じられないわ。だってベス先生のお弟子様なら、もっとこう……賢そうな顔をしてたって良いじゃない」

「君にまでそれを言われるとは……」

「その様子じゃ人に会う度に言われてたみたいね」

 カナセが面白くなさそうに口を尖らせるとクレアは笑った。

「でも、どうしてロータスなの? ヨシュアじゃ駄目なの? それとも弟子としてもけじめ?」

「まあ、そうかな。不肖の弟子として死んだ師匠の故郷に何か残してやりたいって気分はあるよ。けどそれは些細な事さ」

「なら何にそんなに突き動かされたの?」

「そいつは、俺に掛けられた呪いのせいだ……」

「呪い?」

「クレアなら新生魔煌技って知ってるよな」

「ええ、勿論よ。魔煌士の常識だもの」

 それは人類にとって最大の謎にして最後の希望。アイスインパクト以降のコア製造法を記されたエリザベス・アムンヘルム著書の魔煌書、ミスラ写本。だがその内容は出鱈目な暗号表記で記され誰にも解読不可能となっている。

「その新生魔煌技の秘密をロッゾ・カルは俺が握ってると思ってやがる」

「それでカナセ君、本当の所はどうなの?」

「クレア、俺がそんな大層な物の秘密を知ってると思うかい?」

「あなたの魔煌士としての能力では多分、何も受け継いではいないでしょうね」

「はっきり言うなぁ」

「傷付いたのならごめんなさい。でも図星でしょ?」

「まあ、その通りだ。だがその勘違いのせいで俺はウラ鉄総裁ロッゾ・カルに追い回され続けている。だから俺はその呪いを断ち切らなきゃならない。このロータスの地で、ロッゾ・カルの目の前で。でないと俺は一生、タマコとスズコにやった事の繰り返しだ……」

 カナセは苦しそうに答えた。恐らく彼の中であの日の出来事は後悔として一生残るはずだ。そう思うとクレアの胸の奥も痛くなる。

「けど、それだけでも無いんだぜ」

 そう言うとカナセは翻り今度は村の方を見た。

「正直、ここの人達と暮らしていていて情が移った。国は荒れてるけどいい人だっていっぱい居る。それはウラ鉄の占領地の人達だって同じだ。それだけ大勢の人達がロッゾ・カルの圧政に苦しんでいる。俺はその人達を全員、救いたいんだ」

「カナセ君……」

「だから俺はここでファイタスの一員として戦う」

 そんなカナセの決意を前にクレアは溜息を吐いた。

「本当にもう、全員、救いたいなんて大きく出たわね」

「クレア……」

「本当は何が何でもヨシュアに連れ戻そうと思ってたのに……」

「ごめんよ。ここまで来てもらっておいて」

「いいわよ、それにそっちの方がカナセ君らしいし……」

「じゃあ決まりだ。今度はゴッペルの爺さんの所に行く」

 そう言いながらカナセは桟橋から立ち上がった。

「あの先生の所に行ってどうするの? 」

「爺さんとは一つだけきっちりケリを付けなきゃいけない事がある」

「ケリって?」

「俺がファイタスのリーダーになるかどうかって話だ」


 その頃、ゴディバにあるウラ鉄総本部ではとある部署間の対立により深刻な事態に陥っていた。

 いさかいの原因は例のラッツ村奇襲作戦の同士討ちの件だ。

 ウラ警のカッツェ姉妹と水軍の揚陸小艦隊が同じ目的にも関わらず、個別の作戦と指揮系統の中で動いた事が、目の前の獲物を前にして壮絶な争奪戦に繋がった。

 最終的にラッツ村での戦闘は揚陸小艦隊の全滅とカッツェ姉妹両名の戦死という最悪の結果をもたらした。

 更にその争奪戦の顛末が本部内まで延焼し、ウラ警と水軍上層部との対立という形で表面化していた。

 その当事者側の一人、ウラ鉄警備隊隊長ジブル・シラッセルが怒り心頭のまま隊長室の戻って来た。

「あのロクデナシ共め!」

 そして自室の机の上に会議で使用したファイルを叩き付ける。

 先ほどまでラッツ村での戦闘の件で臨時会議があった。

 総統閣下以下、大勢の役員を交えた中、シラッセルはウラ警の作戦と行動の正当性を熱弁し、全ての非は水軍と情報部にあると説明した

 そんなウラ警と水軍の非難の応酬は苛烈を極め、聞かされる方もウンザリするほどの長時間に渡った。

 だが結局、同士討ちの件に関してはウラ警も水軍も喧嘩両成敗、詳細は後日という形で総統閣下から処分が言い渡された。

 しかし気に入らないのは情報部の扱いだ。奴等は総裁閣下の鶴の一言で何の咎も受けないと一方的に決め付けられたのだ。

 そしてその理由も極秘事項の一言でこちらには何も伝わって来ない。

「一体、何だというんだ!」

 シラッセルの怒りは収まらない。

 それにウラ警は姉妹の壱號隊だけでなく弐號隊まで同じ日に違う場所で失った。

 隊長として本部内で無能の謗りを免れない。

 そうでなくても隊の主力を二つも失ったのでは戦力はガタガタだ。今の状況でウラ鉄の治安を維持しなければならないと思うと頭が痛い。

「忌々しい! 情報部と水軍どもめ。今に見て居れ……」

 シラッセルの怒りが納まる気配はない。

そんな時、隊長室の扉をノックする音がした。

「シラッセルの旦那、サミー・トンベで御座います」

「開いている、勝手に入れ!」

 扉が開き、背の低い小太りのくすんだ金髪の中年の男が入って来た。

 男の胸には施設管理部の平社員を示す小さなバッジが付けられている。

 施設管理部とはこの円形等の施設の整備や管理の行う部署で日々の清掃作業から故障個所の修繕まで幅広い業務を行う。

 その分、施設内では部署を跨いで活動する為、他部署にも顔が利く。

「それで今頃、何の様だ?」

「そりゃ旦那のお耳に入れて置きたい事が御座いまして」

「入れて置きたい事?」

「情報部の奴等がお咎めなしの理由で御座いますよ」

 その謙った口調から出た言葉ににシラッセルの目の色が変わる。

「何だそれは? 言ってみろ」

「はい、実はで御座いますね。情報部の知り合いから聞いたんで御座いますがどうも件のカナセ・コウヤが今まで二十数年間、何の進展も無かった新生魔煌技の事で何か掴んだらしいって事で御座います」

「それは本当か?!」

「確かで御座います。どうもミスラ写本に向かって子守歌を歌うと何かが起きた様で御座います」

「子守り歌?」

「それが歌を使ったマギアトラップの一種との推測らしいで御座います。それを総統閣下にお伝えした所、大層大喜びされて情報部は処分保留になったらしいで御座います」

「それで子守歌の効果は?」

「今は研究所で調べているらしいとの事で……」

「ふん、成程な。それがハイエナ情報部の点数稼ぎの正体か……」

 シラッセルは不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「それで、その事は「あちら」には伝えたのか?」

「へえ、もうとっくに」

「何と言っていた?」

「研究施設はウチに任せるとの事で」

「吞気なモノだな。あちらは目の前にカナセ・コウヤという『標的』が居るというのに」

「どうもあちらは事を大事にしたく無い様で。慎重に動いてらっしゃるのでしょう」

「慎重? 物は言い様だな、ぼやぼやしていたら事態は急変するかもしれないというのに……」

「それだけ自信が御在りなんでしょう?」

 トンベの相手を擁護する様な言い方がシラッセルには面白くない。

 そんなシラッセルにトンベは更に聞き捨てならない事を言う。

「しかし変で御座いますね。その子守歌の情報源はウラ鉄の一號隊から来たものだと聞きましたが隊長さんは何も聞いてませんでしたで御座いますか?」

「何だと?!」

 その言葉にシラッセルは憤然とする。

 カッツェ姉妹からはカナセ・コウヤと接触したという情報は受け取っているが、そんな話しは一言も聞かされていない。

「あの姉妹には色々、手を焼かされたが、とんだ置き土産だ!」

 シラッセルは怒りに任せて椅子に座ったまま目の前の机を蹴った。

 それを見てトンベは肩を竦めた。

「まあ、まあ、シラッセルの旦那、ここは抑えて抑えて……場所を弁えて下さい」

 トンベがシラッセルを宥めようとした。

 するとシラッセルも我に返り何とか怒りを沈めようとする。

 ここはウラ鉄の本部の中だ。どこに他人の耳があるか判らない。

 例え役員幹部でも総裁への愚痴を漏らした事を告げ口されて更迭された例は幾らでもある。

 口が滑ったは言い訳にならない。

「まあ、良い。なんにしても良く伝えてきてくれた。これからも何か社内であれば伝えてくれ」

「お安い御用で御座います。禍つ青き光の滅却を」

 トンベはシラッセルに答えた後、突然、右手を掲げ決め台詞を言い放った。

 するとシラッセルも同じ様に右手を上げ、復唱する。

「禍つ青き光の滅却を」


 カナセとクレアは肩を寄せ合いながら干潟から孤児院へと戻っていった。

 二人をまず最初に出迎えたのは朝食を済ませたナナミとトギスだった。

 メイヴィスとデニスの姿は見えない。村を出て周囲の警戒に当たっているとの事だ。

「ナナミ、トギス。色々、ありがとう……遅ればせながらクレアをここまで連れてきてくれて礼を言うよ」

「全く、兄ぃさんのせいで大損よ。この埋め合わせはキッチリ支払ってもらうから覚悟しておきなさい」

「おっかねぇ。借金取りが淡海を超えて飛んで来やがった……」

「人聞きの悪い。こう見えても半分は善意なのよ!」

「ああ、判ってる。けど安心してくれ。必ず埋め合わせはさせてもらうよ」

「期待しないで待ってるわ」

「トギスにも心配かけたな。それにギップフェル島の時は本当にありがとう。お陰でいろいろと命拾いしたよ」

「本当に君は困り者だよ……。君一人が死ぬには勝手だけど、僕まで巻き込むのはいい加減に止めてもらえないかな。あの時は本当に死ぬかと思ったんだから……」

「けどここまで来てくれたって事は俺を心配しての事なんだろ?」

「そんな訳、ないじゃないか。だいたい僕は作戦が終わればそのままヨシュアに帰るつもりで居たのに! だけど隊長に引っ張られて仕方なく……」

「隊長? ナタルマが来てるのか?」

「気付かなかったの?」

 トギスの疑問にカナセはうなづいた。

 そんな会話を交わしながら食堂を見渡すと、ナタルマが子供達に混じってスプーンで皿をかき回しながら朝食を摂っていた。

「なんだ、本当に居やがった……」

 カナセは詰まらなそうにナタルマに言い放った。

 それがナタルマにも聞こえたのか、彼女はスプーンの先でカナセを指しながら憎らし気に言い返す。

「黙れ、死にぞこない! オイラはリサの奴と決着を着けにここに来ただけだ。お前の事なんてこれっぽちも知ったこっちゃ無ぇからな!」

「ああ、そうかい。全く、何もかもが可愛げのない小娘だ……」

「何だと! オイラより弱い癖に!」

 カナセの言い方がナタルマの癇に障った。

 そんなナタルマに向かってカナセは減らず口を叩く。

「ふん! だが今度、戦ったら俺の百戦百勝だ。その時は吠え面掻かせてやる!」

「言いやがったな! だったらここで真剣勝負だ! リサとの決着を着ける前に、手前ぇを足腰立たなくしてやらぁ!」

 二人を取り巻く空気が一触即発の気化爆発の様相を呈する。

 しかし傍に居たクレアが慌てて二人を止めに入った。

「二人ともこんな所で喧嘩なんて止めなさい! カナセ君、怒らないで上げて。この子はこんな言い方しか出来ないけど本当はあなたを心配してここまで来たのよ。ただちょっと物の言い方を知らないだけで……」

「別に本当の事だ。正直、死んでくれてた方が清々した」

「判ってるよ。じゃあ、俺はお前なんかに礼なんて一言も言わないからな。このクソッ垂れナタルマ!」

「ふん、こっちから願い下げだ! 手前ぇなんざ、あのままウラ鉄の情報部にケツでも掘られてくたばりゃあ良かったんだよ!」

 二人は怒ったまま互いから目を逸らした。そして一切、口を交わさなくなる。

「もう、再会して早々、喧嘩なんて……」

 何ひとつ歩み寄る努力をしない。

 そんな二人を前にクレアは溜息を吐いた。


 やがて仲間達との再会もひと段落着くと彼らの前にゴッペル先生が現れた。

「お久しぶりだな、先生」

「カナセ・コウヤ君。体の方はもう良いのかね?」

「ああ、この通りピンピンしてらぁ」

「それは結構な事だな。ならば、この村の救世主にして偉大なるエリザベス・アムンヘルムの弟子にこのゴッペル、66委員会の議長として礼を言わせていただく」

「別に。アンタに礼を言われたくて戦ったんじゃない」

「カナセ君、そんな言い方失礼よ……」

「そんな事よりも先生に大事な話がある」

「よろしい……。言いたい事は何かと有ろう」

「クレアも一緒で良いよな」

「何か理由はあるのかね?」

「彼女は俺の後見人だ。その権利がある」

「判った、ならば応接室に行こう……」

 一行は老人に導かれながら応接室へと入っていった。

 部屋の中にはカナセとクレアが両隣に座り合い、その反対側にゴッペル先生が座った。

 応接室の扉が開くとお茶が運ばれてきた。

 しかしお茶を運んできたのはエルマではない。

「ええ?! ラーマ?」

「あら、元気になったようね」

 ラーマの顔を見るなりカナセは驚いてみせる。

「何で君がここに居るんだ?!」

「ここに居るはご挨拶ねぇ。昨日、姉妹の骨壺を渡して上げた事をもう忘れてるの?」

「ああ、そうだったけ? あの時の事は色々、思い詰めてて記憶が曖昧で……」

「呆れたものね。吞気って言い換えた方が良いかしら?」

 カナセの態度にラーマは呆れ返る。

 だが実際、カナセにはラーマがウラ鉄のスパイである事を知った以降の情報の更新が無かった。その為、彼女がここで平然とお茶汲みをしている理由が判らない。

「う~ん……。正直、仕事上の秘密なんだけど言わなかったらどうする?」

「今までの借りを全部ここで返させてもらう」

「へぇ、怖い怖い。なら教えて上げる。私の正体はこのファイタスの二重スパイ。ヨシュアを生贄にして信用を得ると、ウラ鉄から重要な情報を引き出しファイタスに流していた。お陰でそこに居る薬の魔女さんには蛇蝎の如く嫌われてるわ」

 それを聞いてカナセは唖然とした。そしてクレアとゴッペル先生の方を見る。

 クレアはぷいと首を振りラーマと目を合わせようとしない。

 一方で先生は申し訳なさそうに一度だけ大きく溜息を吐いた。

「何だよ、じゃあ俺らだけでなくウラ鉄の奴等も騙してたって事か?」

「それがスパイの仕事ですもの。そしてそこに座っているジジイの実の娘でもあるわ。どう? 凄いでしょう」

 ラーマはまるで悪びれる所がない。

「酷いもんだな、親子揃って。碌な死に方しねぇぜ」

「お誉めに頂き、至極光栄で御座いますわ。ロータスの魔女の弟子様」

 そう言って石像の魔女は微笑むと会議室から出ていった。

 再び三人きりになるとテーブルを挟んでゴッペルが口を開く。

「ではカナセ・コウヤ君。君の話とやらを聞こう」

「まず最初に教えてくれ。前にこんな噂を聞いた。じいさんは俺をファイタスのリーダーに祭り上げる気で居る。それって本当か?」

「その噂、誰から聞いた?」

「ジゴバの親分から聞いてメイヴィスも認めた」

「成程……」

「それでどうなんだ? 親分の言った事は本当か?」

 ゴッペル先生はカナセの言葉を聞きながら顎をゆっくりと撫でる。

「事実じゃ。近日、我々はファイタスを代表して君にリーダーとして立ってもらう事を願うつもりでおった」

「理由を教えてくれ」

「よかろう……。ファイタスの戦力も実際はウラ鉄に対抗出来るだけの規模がある。じゃが残念な事にそれらは連携も無く有象無象の集団が個々に戦っておるのに過ぎん。そこで、もしそのファイタスの力の全てが一本化できればウラ鉄からこの国を取り戻せる事も夢ではない。逆に言えばバラバラである限りこの国はウラ鉄の支配のままじゃ」

「なら、さっさと一本化すればいいじゃないか」

「それには結束させる為の求心力、象徴が必要じゃ。祭りの為の派手な神輿が必要なのじゃ。判るか?」

「神輿のお囃子なら爺さんがやればいいじゃないか」

「儂では手垢が付きすぎていかん。正直、他の勢力に嫌われる事もした。例えばジゴバの連中の件じゃ。だから呼び掛けた所で人は集まらん。もっと潔白で刺激的で目新しく人目を引く様な……例えば東方より突然、現れた救世主。あのロータスの魔女、エリザベス・アムンヘルムの最後の弟子の様な……」

「成程、それが俺を神輿に担ぐ理由か」

「その通り、我等の為に神輿になってくれぬか?」

「お断りだ!」

 カナセは最初に強く言った。

 だが今度は翻ってにこやかに答える。

「……と、言いたい所だが考えてやらない訳でも無い」

「やってくれるのかな?」

「ああ、どの道、今、俺が置かれている状況でならそれがベストの様な気がするからな」

「成程、自分から観念したという訳か」

「そこは覚悟を決めたと思って貰いたいな。まあ、俺だって色々と考えたんだぜ」

「ならばお前さんの気が変わらん内に事を進めんとな」

「ただし条件がある。俺がリーダーに選ばれた暁には66委員会の決定の場には俺を必ず参加させる事。そして俺直属の組織を作る事を認め、その為の予算を配分する事。これからリーダー擁立後、一年以内に大規模な反抗作戦を実施する事。ダラダラと戦い続けるなんて性に合わねえ」

「判った、会議の際は議題として取り上げよう。ところで組織の人員に当てはあるのかな?」

「ここに居るクレアが俺の片腕だ。取り合えず当分は彼女と二人でやっていく」

「お嬢さんはそれで構わないのかな?」

「はい、それで結構です。私が彼の事務的な業務を請け負います」

「成程、秘書という訳か。了解した」

 こうしてゴッペル先生との話は終わった。

 カナセはこれでファイタスの会議の後、リーダーとして立つ事になる。

 その後、ゴッペル先生は早速、66委員会による緊急会議の招集を掛けた。しかし今回は各、幹部による日程が合わず急ぎでも三日ほど後になるらしかった。

 そんな中、カナセは緊急会議の招集を待たずしてその日の内にラッツ村から離れる事となった。

 カナセの居場所がここである事はウラ鉄に筒抜けなのだ。

 前日はウラ警と水軍だったが今度、来るのがもしグレン・ハルバルト率いる第103独立遊撃大隊ならば今の戦力では防ぎようがない。

 そうなると住み慣れた村から別の場所に移動する他なかった。

 村を離れる前、カナセとクレアは村はずれの空き地に訪れた。

 先ほど、クレアはここがエリザベス・アムンヘルムの生家跡だと聞かされた。

 空き地には三両の戦車が擱座したままだった。

 カナセは献花した小さな石碑に向かって不意につぶやく。

「師匠は俺がロッゾ・カルと対決するって聞いたらどんな顔するだろう?……」

 そんなカナセの疑問にクレアが答える。

「勿論、天国で喜んで下さるわよ」

 しかしクレアの一言を聞いてカナセは困った様な顔をする。

「そうかなぁ。そうだと良いけど……」

「違うの?」

「多分、師匠はロッゾ・カルとの対決を避けて逃げ出したんだと思う。それは負ける事が判ってたからだ。だから生きていたら、俺にはこう言うはずだ。お前には無理だって」

 カナセは沈んだ声でつぶやく。そしてクレアはそれがカナセの本音だと気付く。

 しかし判る話だ。相手は想像を遥かに超えた強大な敵た。そんな敵に少年一人が抗うことなど叶わない。

 だがらクレアはカナセの背中を思いっきり引っ叩いた。

「大丈夫よ、カナセ君!」

「痛てっ!」

「ひとりで駄目でも私が付いてるわ。二人居ればなんとかなるものよ」

「クレア……」

「だから今から弱気にならないで。始める前から負ける気で居ては何も成し遂げられないわ」

「そりゃそうだけど……。ならクレアはずっと俺に付いて来てくれるのか?」

「勿論よ。ずっと一緒に居て上げる。そしてあなたの中に居るベス先生を見返してあげましょう」

 そう言って励ましてみせた。するとカナセの表情も明るさを取り戻していく。

「そうだな。始める前から弱気になっちゃいけないよな」

「そうよ、あなたなら出来るわ……」 

 そう答えるクレアの瞳には自信が満ち溢れていた。


 やがてカナセ達が村を離れる時がやって来た。

 出発には大勢の村人がカナセを見送ってくれた。

 その中には孤児院の保育士達や子供達も居た。

 カナセは一番、親しかったエルマの前に立った。

「エルマ、達者でな。トルウィンもね……。落ち着いたら手紙を書くよ」

「カナセさんもお元気で……」

「ありがとう、本当に世話になったよ」

 お互い大した挨拶も言えないまま別れを告げた。

 カナセとクレアを乗せたメイヴィスのオープンカーが村から離れていく。エルマは背中に弟を背負ったまま、こちらが見えなくなるまで手を振り続けた。

 そんな少女の姿を見つめながらカナセがメイヴィスに聞いた。

「メイヴィス、孤児院の子達にタマコとスズコの死んだ事は?……」

 カナセは不意に心配になった。ほんの僅かでも交流のあった姉妹の死に子供達が悲しんでいるのではと思うと心が痛む。

「私は言ってないし誰も聞いて来なかったわ。でも家族と死に別れた子達ばかりよ。大人の態度を見て敏感に勘付いてるかもしれないわね……」

 そうメイヴィスが答えると、カナセは葬儀の際、慰霊碑の前で自分の感情が抑えられなかった事を後悔した。

 カナセがラッツ村を離れると同時にヨシュア来た皆も次の行動を開始した。

 ファイタスと契約を結んだナナミは彼等の為に働く事になる。

 ラムサール号は一旦、ヨシュアに帰還する事になったが帰りの便には定員いっぱいのファイタス幹部とその部下たちが乗り込む事となった。

 彼等はファイタスと8カ国連合が正式な軍事同盟を結ぶための大使だった。

 そんなナナミがロータスを離れる際、カナセは彼女に世話になった謝礼を幾らか渡した。

 用立ててくれたのは解放戦線だった。カナセがファイタスのリーダーに擁立されるに先立って彼の直属の組織を運営する資金という名目で出費してくれたのだ。

「さてと、これで俺はナナミ姉ぇさんから解放されて自由の身って訳だ」

 机の上で札束を数えるナナミを前にしながらカナセが言った。支払いは全てロータス紙幣だったがそれをナナミは裏の両替商でヨシュア紙幣に交換するつもりでいた。

 しかし数え終えた札束をカバンに仕舞いながナナミは溜息を吐く。

「何が自由の身よ。そんな大それた事、引き受けて。兄ぃさんなんかがウラ鉄に太刀打ち出来るって本気で思ってんの?」

「勿の論さ。その為にクレアが傍に居てくれる」

「私が気に入らないのはそこ! どうして人の親友を巻き込むわけ?」

「そりゃ、これから俺のする事に彼女が必要だからさ。絶対に」

「ふ~ん、絶対にかぁ……」

「言っとくけど、重要なのはクレアの魔女としての能力だ。ビジネスパートナーとしてのあらゆる面での総合力。クレアが好きだからって浮ついた理由じゃないからな。そこを履き違えないでくれよ」

「まあ、あの子が納得したんならこれ以上、何も言わないわ。でも怪我なんてさせたら承知しないからね」

「判ってるよ。それと姉ぇさん、向こうに戻ったらミリアの事、頼むよ。それとこいつを渡しとく。何かあったら使ってくれ」

 そう言ってカナセはナナミの前で札束の入った封筒を一つ置いた。

「何よこれ? こんな大金」

「だからミリアの為にだよ。もう俺にとっても妹みたいなもんなんだからさ。もう一人っきりにして結構経つだろ? それが可哀そうなのと心配なのが重なってさ……」

 ナナミは札束の意味をおおよそ理解した。しかし面白くなさそうにカナセに突き返す。

「その姉妹を引き離した元凶がよく言うわ。それとこのお金は受け取れない。別にアンタに頼まれなくたってミリアの事なら私自身、ちゃんと気に掛けてるから。それにクレアにもお願いって言われているしね」

「いいや、こいつは受け取ってくれ。これは俺個人のお願いって奴だ。俺がミリアを心配する事は姉ぇさんにもクレアにも関係ない。俺の中のミリアを思う気持ちがそうさせてるんだ。ミリアを遠くからでも守りたいって思いが」

「判った様な判らないような話ね……まあいいわ」

 そう言うとナナミは札束を受け取った。

「要はミリアの身に何かあった時にはこれを使えば良い訳ね。それで兄ぃさんの気持ちが収まるんならそうしてあげるわ」

「頼むよ、姉ぇさん」

「その姉ぇさんなんて呼び方、止めてくれる? それで度々頼られたんじゃ堪ったもんじゃ無いわ」

 しかし一度、「うん」と言わせてしまえばこちらの物だ。ナナミの性格からして筋が通ればきちんと頼み事は聞いてくれるはずだ。

 一方、金で解決する事で歯がゆさも残る。だが今のカナセがミリアにしてやれる事はこれ位の事しか無い。

 ナナミと別れた頃にはラーマ、ナタルマ、トギスの三人は既にカナセの前から居なくなっていた。

 ラーマは知らぬ間にカナセ達の前から消えていた。

「多分、ウラ鉄の勢力圏内で破壊工作を行っているはずよ」

 とはメイヴィスの証言だ。

「女スパイの面目躍如と言った所だな」

 メイヴィスの横に居たデニスがそう答えたが、それを聞いてクレアはムスッとして不機嫌さを露にする。

「何が面目躍如よ。その為に、ヨシュアがどれだけ酷い目にあったか! もしヨシュアに帰って見かけたらとっちめてやるわ!」

 そう言ってクレアは意気込む。

 カナセもクレアの気持ちは判らなくもない。

 ギップフェル沖海戦とそれに続く上陸後の行動では手痛い仕打ちを直接受けたのだ。葬式で立ち直らせて貰った位で御破産にされては少し割に合わない。

 だが本人が居なくなっては文句の付けようもない。もしかしたらこれ以降、お互い二度と会わない事が最良の選択ではなかろうか。

 そしてナタルマとトギスもデニスに連れられてカナセ達より先にラッツ村を離れて行った。

 二人ともラーマと同じく別れの挨拶は無かった。

 ナタルマからの別れの言葉など惜しくもないがトギスは違った。

 彼は短い間でも共に戦った相棒同士だ。それにギップフェル島であのグレン・ハルバルトに襲われた時、自分を助けようと命を賭けて奮戦してくれたのだ。

 正直、その友情と勇気に賞して一杯でも二杯でも奢らせてほしい気分だった。

 二人の行き先はクレアが知っていた。

「ファイタスの傭兵になるんですって」

「傭兵だって?」

「そうよ、その為にポルカって村にある練兵場に連れてかれたわ。再訓練を受けるんですって。そしてリサ・マキーナと決着を着けるって言ってたわ」

 カナセはクレアの話に驚いてみせるがナタルマに関しては判らない話ではない。恐らく戦いから抜け出せない性分なのだろう。

「よく、デニスが連れていく気になったな。他人との協調性ゼロだぜ」

「戦ってくれるなら誰だって大歓迎だって。それが戦闘系魔煌士なら尚更。オマケに新しい魔煌器を用意するって言ってたわ」

「需要と供給の一致か……」

 しかし気の毒なのはトギスだ。

「トギスの奴、無理やり連れていかれたんじゃないのか?」

「私は止めたのよ……彼、ナナミと一緒に帰るつもりだったから。でもこっちが止めるのも聞かずナタルマに連れていかれたわ。手前ぇもここの傭兵になって戦うんだよ! 死ぬ気でオイラを手伝え、判ったか! って言われて……見ていて気の毒だったわ……」

「デニスは止めなかったのか? 嫌がってるの知ってたんだろ?」

「そのうち慣れるから心配ないって……。そう言ってナタルマと一緒になって引っ張っていったわ」

「酷ぇな……デニスの野郎も……」

 トギスを巡る事の顛末にカナセは唖然とした。そして小さな声で祈った。

「トギス……死ぬなよ!」

 そうつぶやいたのは何度目だろうか……。

 だが彼が居ない今となっては、結局、そう願うしかなかった。

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