第6話 戦災の都(4) 空中戦
箒はリードヒルの廃墟の中を低く飛んだ。その飛行中、カナセ達はウラ鉄の哨戒部隊やハンター部隊に発見された。
見つかった途端、二人は敵からの銃撃を受けるが、幸い銃弾は一発も二人の高さにまで届かなかった。
「うひゃー! 下から撃って来やがる。ケツに穴が開きそうだ!」
カナセが発砲音を聞きながら下品なジョークを飛ばす。
少年の肩には汎用機関銃とベルト式弾帯の一式が担がれていた。
それは先ほど乗り捨てた偵察車両から拝借した代物だった。
だた飛ぶ前、機関銃を持ち込む事にクレアは難色を示した。
「ちょっと、そんな物持ってくの?」
「ああ、カッコいいだろ」
そう言ってカナセはポーズを取って構えてみせる。
「好きよね、男の子って。そういうの」
カナセの態度にクレアは半ば呆れてみせる。
「それより使い方判るの?」
「さっき、モーフィング・マギアで構造は読み取ったから大体は」
「本当は重くなるから乗せたくないんだけど……」
「けど流石にこの中を丸腰ってのは不安だろ?」
結局、機関銃は護身用武器として所持する事となった。
しかし飛んだ瞬間、箒の飛行能力は確実に低下していた。
普段と比べ一人分乗っている上に機関銃まで積めば当然、箒の積載重量は重くなる。
「やっぱり重いわ……。ここで捨ててよ」
箒を飛ばしながらクレアは不満げに愚痴を漏らす。
「大丈夫、大丈夫。撃ったら自然と軽くなるから」
そう言ってカナセは手放そうとはしない。
暫く対空砲火の中の市街地を飛行していると進行方向から小山の様な建物が見えて来た。
「何だ、あれ?……」
「少し上昇するね」
クレアは箒で建物が見やすい高度まで上昇した。
カナセは下方に向かってに瞳を凝らす。
それは一見するとドーム状の建築物だった。だがその表面は周囲の石やレンガ造りの街並みとは違い磨き上げられた様に滑かで金属板を繋ぎ合わせた曲面をしていた。
その建築規模も町の区画を三つほど丸呑みするほどの巨大建築で知らない者が見ればスポーツの為の屋根付きのスタジアムだと思うはずだ。
だがそれが競技場ではない事はこの世界では子供でも知っていた。
「おい、あれって箱舟じゃないか?!」
「そうよ、よく知ってるわね、って当たり前か……。でも驚き方じゃあ、本物を見たのは初めてなんじゃない?」
「そりゃ、まあ、あんな物、近くに無かったからな……」
箱舟とは古代の脱出船だった。
遠い昔、まだ魔晄文明が隆盛を極めていた頃、空からジオと呼ばれるこの惑星に向け無数の氷の天体が降り注いだ。
天からの災厄は凄まじく、氷塊による大津波と大洪水はここユラジア大陸を何度も覆い尽くし、地表を冷たい水の底に沈めた。
それは地上に広がっていた古代魔煌文明も例外ではなく、僅か数年で社会を崩壊させ、おびただしい数の生命の喪失と水没都市を産んだ。
その災厄を人々は「アイス・インパクト」と呼んだ。
だが災厄の中でも人々は最後の力を振り絞って箱舟を作り上げ、住み慣れた土地から天空に向け脱出した。
その後も氷塊の落下は惑星全体で百年以上続き、終わった頃に誕生したのがこの広大なウーラシア淡水海とそれを取り巻く大湿原だった。
やがて新しく生まれた淡水の海面が落着き始めた頃、箱舟は次々と降下を開始した。
生き残った脱出者は淡海の一部を堤防で囲むと干拓地による島国家を形成し今に至る。
全ての民がその脱出者達の子々孫々だった。
「凄ぇなぁ……あんな物がまだ残ってるなんて……」
カナセは箱舟の巨大さに圧倒される。
箱舟はその巨体の中に多くの生命を包み込み、星の世界で百年間、守り続けたのだ。
そしてほとんどの箱舟が国家建設に際し解体され資材として国の礎となった。
その為、現存する箱舟も今は僅かで、それらは記念碑として国民の敬意や崇拝の対象となっていた。
「それでウラ鉄の司令本部ってのはどこにあるんだ?」
「ちょっと待って。今みせて上げるから……」
そう答えるとクレアは箱舟の外周を沿う様に飛行した。
周回する形で丸い箱舟の周囲を飛行するとやがて外壁が途切れ巨大な穴が見える。
「あれを見て!」
クレアが大穴の開いた箱舟の外壁の内側を指差した。
「うっ!」
カナセが思わず呻いた。
それはあまりにも衝撃的な光景だった。
穴の中では開けた広大な敷地が整備され、その中を数本の分岐した線路が東西に横断するように敷設さていた。
その枝分かれした線路を挟んで港の桟橋の様な施設が並び、更に周囲には幾つもの社屋や整備工場、長い車庫が建てられていた。
そして残った敷地の空間には大量の鉄道車両と装甲車両が押し込められていた。
「何だ、あれ? もしかしてウラ鉄の軍事基地か?」
「半分は正解よ」
「じゃあ、残り半分は?」
「駅よ。ウラ鉄はリードヒル駅って呼んでる」
「リードヒル駅?」
クレアの言葉をカナセが繰り返す。
「そう、このヨシュアにある唯一の列車の停車場であり、現在のウーラシア大陸横断鉄道の東端の終着駅……。ヨシュアに来た列車は全てあそこで止まるの。そして大勢の兵士と武器を送り込んで戦争を続ける。まさにカナセ君の言った通り軍事基地ね」
クレアの声には怒気が籠る。
だが怒って当然だ。箱舟は古代の人類を救った神の聖遺物の様な存在なのだ。箱舟があってこそ人類の繁栄が現代にまで繋がる。それを汚す様な真似は決して許されるべきではない。
「しかし凄い規模だ。奴等、戦争をする為だけにこんな物を作ったっていうのか……」
「いいえ、戦争は単なる手段よ。本当は戦争の裏にもっと大きな目的がある」
「大きな目的? ならウラ鉄は何をおっ始めるつもりなんだ?」
「ここで止まっている線路を先に伸ばす為よ。私達から箱舟を奪ってリードヒルの町を占領してもまだ足りない。ヨシュアの東の端に辿り着いてもそこからまた淡海を埋め立てて線路を敷いて先に進み続ける気で居るの」
「おい、ちょっと待て! 一体、どこまで行くつもりだ?」
「ウーラシアの果て、いいえ、淡海の向こうの潮の外海を超えて世界の果て。この星、ジオの地を一周するまで線路を伸ばし続ける気よ!」
クレアは断言した。
しかしカナセはクレアから語られたウラ鉄の目的の壮大さに只々、呆気に取られる。
「まさか……そんな夢みたいな事を……」
「いいえ、ウラ鉄は本気よ。そして線路をジオの地を捕える一本の首輪にした後、今度は毛細血管の様に縦横無尽に線路を枝分かれさせていくの。そうやって巨大な鉄道網を張り巡らせて世界を網に掛けていく。それが彼らの世界征服構想よ」
「そんな……。あんな鉄の道で世界征服をやろうって言うのか?!」
ウラ鉄の世界構想にカナセは茫然としていた。
鉄道網による世界征服なんて壮大すぎて俄かに信じがたい。
「それって何かの冗談だろ?」
「正気とは思えないでしょ。けど彼等はラジオ放送で四六時中、その夢みたいな事を訴え続けてるの。気が向いたら聞いてみると良いわ!」
「……」
「でもその冗談の為に私達の大事なリードヒルはこんなに無茶苦茶にされた……。それも箱舟の中に駅舎まで作ってる! オマケにここは野望の為の中継地点でしかない。全く冗談じゃないわ!」
クレアの言葉の激しさにカナセは息詰まる。
だが確かに冗談ではない。こんな事をしていればヨシュアと戦争になるのは当然だ。
「そして網の目が完成したらどうなると思う? その中の人間は雁字搦めにされ自由を失う羽目になるわ! カナセ君、そんな事されて嬉しい?」
「そんなの御免だ! 人間、自由が一番だ!」
カナセは答えた。だがその短い言葉にはクレアに感化された怒りが籠っていた。
他者の不幸にし、自身の自由を妨げる者に対する怒りの心。それは自由を欲する正義の怒りだ。
それをクレアも敏感に感じ取った。
そして自分の隠していた思いをカナセに打ち明けようと試みる。
「カナセ君、実は……」
「クレア、後ろ!」
だがその時、カナセが後方からのコアの反応を感じ取った。
クレアが振り向くと頭上に光る銀色の光が見える。
「ウラ鉄の空軍だわ!」
それは機体の下にフロートと呼ばれる浮きを付けた二機の水上戦闘機だった。二機はコアによってプロペラを回転させながら急降下して箒に迫る。
「何だ、あれ?」
「空のハンター、エアハンターよ。箒乗りには陸よりやっかいな存在だわ」
二機編隊の内、前を飛ぶ戦闘機が攻撃を仕掛けてくる。
武装は機銃が大小四門、装甲車にも勝るとも劣らない高火力だ。
それをクレアが強引な回避運動で避けていくと頭の上を流れ弾が通り過ぎる。
「クレア、もっと低く!」
「言われなくたって!」
クレアは箒を低空飛行させた。しかし攻撃は上からだけではない。さすが司令部の近くだけあって下に逃げた途端、濃密な対空機銃の洗礼を浴びる。
「クレア、スピードが落ちてるよ! このままじゃ追い付かれる」
「判ってるわ。でも流石に二人乗りは重いのよ!」
「こりゃ前門のオオカミに後門のトラだな……」
「狼と虎が逆よ……」
「そんな細かい事はどうだって良い! とにかく何とかしなきゃ」
カナセは後ろを向くと持っていた汎用機関銃を構えた。
「取り合えず狼だけでも追っ払う!」
そして追跡してくる二機の戦闘機目掛けて発砲した。
しかし狙いが定まらす撃墜はおろか追い払う事も儘ならない。
「クレア、もっと箒を安定させてくれ! こんなに動いてちゃ当たらないよ!」
「揺れているのは機関銃の反動のせいよ! だから捨てなさいって言ったのに! それでなくてもひとり分乗せてて重いんだから!」
「なら俺を下に降ろせ! 君だけでもひとりで逃げろ!」
「冗談言わないで! ここにあなたを連れて来たのは私よ! 私にはあなたの安全を守る義務があるわ!」
「けど、このままじゃ二人とも戦闘機の機銃でオダブツだ!」
カナセとクレアは空の上で怒鳴り合う。
だがその間もカナセは周囲の街並みを見渡した。
「どこか身を隠せる場所は……」
すると一軒の高層建築に目を付けた。
「よし、あれがいい!」
高層建築と言っても二十階建て程度の石造りの廃ビルだ。
「クレア、あの建物の最上階に飛び込め。後は何とかする」
「何とかって? あそこに逃げ込んだって陸のハンターに連絡されて攻め込まれたらオシマイだわ!」
「いいから、早く!」
「もう、どうなっても知らないから!」
クレアは言われた通り廃ビルへと向かうと、そのまま最上階の窓に飛び込んだ。
一方、最上階への進入を確認した戦闘機側は牽制射撃を行いながら廃ビルの前で一旦、上昇し上空で待機する。
やがて後続の水上戦闘機も上空で合流すると二機で建物の上でグルグルと旋回し監視を始めた。
それを最上階の窓から見上げながら二人は簡単な打ち合わせをしていた。
「さあ、ここまでは予定通り。後はさっき話した通り相手が乗ってくれるかだけど……」
「それと私達二人のタイミング次第よね」
「それは心配ないね。出会った時から俺達、相性はばっちりだ」
「よく言うわ……」
「じゃあ、頼んだよ。タイミングは君に任せる」
「了ー解」
カナセの作戦の下、クレアが箒で廃ビルから飛び出した。
それを上空から発見した二機の戦闘機が降下し追撃を始める。編隊は一機が先行しもう一機が後続で援護する二段構えだ。
街並みの低空で追跡劇が再開された。
箒は建物と建物の間を這いながら通りを抜けていく。カナセを降ろした分、スピードは先ほどよりも格段に速い。
しかし戦闘機側も負けてはいない。自身の操縦技術を駆使しながら追跡の手を緩めない。
そして照準器で獲物を捕えると機銃の引き金を引いた。
時折、銃弾が魔煌障壁に弾かれる音が聞こえる。
「思っていたより腕の良いパイロットだわ。小さな的でも当ててくる……」
箒で飛ぶクレアに緊張が走る。
一方、追跡中の戦闘機が翼を振って後続に指示を出した。すると後ろの戦闘機が編隊を崩すと上昇して離れていく。
「先回りして、挟み撃ちにする気だわ」
相手の意図を悟った瞬間、クレアの口元が笑った。
「やった、こっちの作戦に引っかかった!」
クレアは方向転換すると全速力でカナセと打ち合わせしていた目標地点に向かった。
一方、追跡する側の戦闘機のパイロットがある事に気付く。
箒の搭乗員が一人足りない。おかしい、先ほど目撃した時は後ろに乗っていた仲間がこちらに向かって発砲していたはずなのに。
その事実に今更ながら気付いた。
だがその時には既に魔女の箒は目標地点に到達していた。
目標地点は先ほどの廃ビルだった。これでは単に魔女は仲間を降ろして周囲を一周しただけの事になる。
だが魔女の箒が再びその最上階に飛び込むと、それを追っていた戦闘機までもが廃ビルに接近した。
その瞬間、パイロットは魔女の周回飛行の真意に気付く事になる。
廃ビルに接近した直後、最上階で違う人影を見つけた。それは先ほどまで乗っていたはずの仲間だった。仲間は残されていた机や椅子で即席の弾避けを作るとその隙間から機関銃を構えていた。
互いが引き金を引いた。
僅かな時の中で、二つの銃口が交錯する。
しかしカナセの照準は先ほどの箒の上での当てずっぽうの甘い照準とは異なり、狙い定めた正確な連続射撃だった。
カナセの放った銃弾が戦闘機のコア・モーターへ次々と命中していった。
コアの煌力を回転力に変える精密な機械システムが立ち所に損傷し出力を落としていく。
戦闘機の挙動がぐらつく。カナセの攻撃を浴びたせいで明らかに不調をきたし急上昇もままならない。
仕方なく戦闘機は低空で廃ビルの脇を抜けていく。
とにかく、一旦離れてこれ以上の損傷を防がねばならない。
しかし廃ビルを通り過ぎた瞬間、再び最上階から魔女が飛び出し、速力が落ちた戦闘機の後ろに張り付いた。
「マギアフレイム!」
詠唱と同時に箒の柄から火球が飛んだ。
炎の玉は戦闘機の右の翼端を吹き飛ばし相手の戦闘能力を完全に奪った。
「やったぁ!」
戦果を前にクレアが思わず声を上げる。
一方、コア・モーターと右翼を損傷した戦闘機は煙を吐きながらヨタヨタとクレア達の前から離れていった。
クレアもそれ以上の追跡を行わなかった。
代わりに反転して再び廃ビルの最上階に飛び込んだ。
「カナセ君、脱出よ!」
最上階では弾切れになった機関銃を捨てたカナセが待ち構えていた。
カナセが後ろに跨るとクレアが箒に鞭を入れた。
箒は最上階から再び、飛び出すと全速力で箱舟のある空域から脱出しようと試みる。
しかし残りの一機がすぐに箒の後を追い掛けて来た。
戦闘機は仲間の仇を討とうと全速力で箒に追いすがる。
だがそんな懸命な戦闘機の姿を見てカナセが笑った。
「ふん、返り討ちにしてやるぜ!」
カナセは手に持っていた器具を操作するとそれを接近して来た戦闘機に向けた。
それは最上階で見付けた消火器だった。
レバーを握った瞬間、白い消火剤が大量に吹き出し、迫って来た戦闘機のコックピットに浴びせかけられた。
白煙で視界と呼吸が一瞬で阻まれる。戦闘機ももはや戦うどころでない。
乗っていたパイロットは大慌てで白い煙玉から離脱すると、愛機を捨て落下傘を開きながら瓦礫の街へと降下していった。
空になった消火器を捨てながらカナセが言う。
「大丈夫だ……もう敵は追ってこない」
「ならここからすぐにでも離れましょう。目的は果たせたんだし長居は無用よ」
二人を乗せた箒は全速力でハンターの索敵網から離脱した。
箒は加速し、巨大な箱舟がみるみる小さくなっていく。
暫くして真下の景色がリードヒルの街並みから荒れ果てた土地に変わった。
荒野は元は農地だった。
しかし今は農作物を作っている形跡は見えない。
荒野が続く先に大きな川が見えた。
「あの川が大河川、そしてこの国を二つに隔てる国境代わりにもなってるわ。西側がウラ鉄で東側がヨシュア。向こう岸に入れれば安全地帯よ」
クレアがカナセにそう説明した。
大堤防の中で干拓地国家はどこも幾つかの大小の干拓島が寄り集まって一つの国を形成していた。よってその陸と陸と間を大河川と呼ばれる海峡の様な水路で区切る場合が多い。
それはヨシュアでも変わりなく、その川が境界線となり行政区分の目印となるのだが、今は両岸に別れて敵同士が睨み合う軍事境界線に変わっていた。
堤防の土塁が防衛拠点となって双方が相手側の陣地を四六時中監視していた。
時折、砲声と銃声がこだまする。
「優勢なのはどっちだ?」
「今のところ一進一退の膠着状態。って言いたい所だけど首都のリードヒルが占領されているせいでこちら側が不利よ」
クレアがヨシュアの苦しい状況を教えてくれた。
「それでどうやって川を渡るんだ?」
「秘密の迂回路があるからそこを使うわ」
やがて二人を乗せた箒はとある一軒家の前で降下した。
クレアが家の前で合言葉をつぶやくと扉が開き二人の男女が現れた。
後で聞いた話だが二人はヨシュア側の工作員との事だった。
そして家の中に通されると床下にあった扉が開いた。
床下はトンネルの様な一本道が伸びていた。
「これが迂回路か……」
「対岸にまで繋がってるわ」
「秘密の抜け道って訳か」
「頭を低くしててね。狭いからぶつけるわよ」
二人を乗せた箒がトンネルの中を飛ぶと瞬く間に対岸の出入り口に到着した。
出入口は別の一軒家になっており別の監視員が居た。
一軒家は敵が攻め込んで来たら蓋を閉じ水を落とせる仕組みになっていた。
東側の一軒家を出て二人は暫く飛ぶ。
風景は人口の森が点在する田園地帯へと変わっていた。
田畑の周囲には縦横に水路が張り巡らされ、所々に巨大な揚水用の風車が立ち並ぶ。干拓地国家ならどこでも見られるおなじみの光景だ。
同時にそれはカナセ達が完全にヨシュア側の勢力圏に到達した事を意味した。
「上手くいったな」
「ええ、そうね……」
カナセが安堵するとクレアの表情にも柔らかさが戻った。
暫くして二人は箒の上で並んで座った。
足元には葦の生えた長い水路が見える。
「では、カナセ・コウヤ君。初めて浴びた異国の空気はどうかしら?」
「どうって?」
「引き返すなら今のうちって事。ヨシュアで身を立てたいってのも良いけど、貴方が夢見ていた都会の街並みもあの有様よ。もしかしたらここに居て命を落とすって事もあるかもしれないわ」
「もしかして脅してる?」
「極めて、妥当な忠告のつもりよ。命あって物種って言葉もあるでしょ?」
「ふむ……」
彼女の言葉にカナセは深く頷いた。
クレアの言いたい事の意味は判る。ヨシュア共和国はウラ鉄と戦争状態だった。ここでやっていくにはそれ相応の覚悟がいる。生半可な気持ちではいずれ死が訪れるという事だ。
それを最初から判らせる為にクレアはカナセをリードヒルに連れ込んだ。
言い変えれば、事実を明かす事は彼女なりの誠実さだった。
その一方でクレアはカナセに期待していた。ウラ鉄との戦闘でヨシュアは劣勢を強いられていた。優秀な魔煌士が居れば喉から手が出るほど欲していた。
正直、カナセの様なマギライダーが現れてくれた事はヨシュアにとって天恵だった。
一方でその事は彼を戦争に巻き込むことになる。その事に罪悪感もあった。
だからクレアはあの小島を離れる時、彼の師匠の祠に向け謝罪する様に祈ったのだ。
だが結局、最後に決めるのはカナセ自身だ。
「ふふん~。面白そうじゃないか」
少年の口元からは不敵な笑みが零れた。
「俺は決めた。クレア、俺はここでやってみる」
「カナセ君、本当に良いの?」
「クレアが見せたもの意味は馬鹿な俺の頭でも判るさ。戦争に巻き込まれて死ぬかもしれないって言いたいんだろ? けど俺は怖くなんかないぜ。ウラ鉄が攻めて来たって返り討ちにしてやるさ」
「いいえ、それだけじゃないわ。戦争であなたは人を殺す事だってあるかもしれないのよ。私みたいにね。だからその事をもっとじっくり考えてほしいの」
魔女が少年を見る目は真剣だった。
そこには本当に人の命に手を掛けた者の憂いが込められていた。
「俺を心配してくれてるのかい?」
カナセが問う。
「もしかしたら殺めた瞬間、あなたは今までになく苦しむ事になるかもしれないわ」
「それってクレアの経験談か?」
「そうよ」
クレアは肯定した。そして不意にカナセは手りゅう弾を投げる前のやり取りを思い出す。
彼女の躊躇いはカナセ自身が人を殺す事の裏返しだった。
「ふむ……」
カナセはそう言われて少し考え込んだ。
しかし考えはすぐに纏まった。
「何だか今更だな……」
「今更って?」
「クレア……。俺は今日、何度も人に向かって銃を撃った。爆弾だって投げた。全部、自分の意思でだよ。幸か不幸かそれで死んだ奴は居ないが、もしかしたら今日の日のどこかで俺は人を殺していたかもしれない」
それは事実だった。カナセの殺人は結果が伴わないだけで殺意は確実に存在していた。
「それって要するに俺はもう人を殺してるって事だろ? けど俺はそれで悩んでなんて無い。撃った事に罪悪感もない。だからもう、これから戦う事で苦しむ事なんて無いんだ」
「本当にそんな事、言えるの? 相手が死んでいるのと生きているのでは天と地の差があると思うわ」
「いや、同じだよ。結局、俺にとって戦いって奴にはもう結論が出てるって事だ。君が思い詰める様な事じゃない」
「でも、あなたにはヨシュアの為に戦う理由は無いわ」
「そんな事ないさ。俺だってウラ鉄に一回、家を焼かれたんだ。まあ、ここと比べりゃ、ちっぽけなモンだけど。それでも今更、復讐ってのも流行んねぇかなぁ」
「ならカナセ君、あなたは何の為に戦う気?」
クレアはカナセを問い詰める。ここでしっかりと戦う意味に関して考えてほしいからだ。
「そうだな……俺は君の為に戦う、ってのはどうだ?」
そうカナセは気取ってみせた。
しかしそれを聞いたクレアは残念そうに首を横に振る。
そんな浮ついた気持ちではここでは戦い抜けないと魔女は言いたげだ。
そしてカナセもクレア態度を見て思うところがあったのか、今度は一度、咳ばらいをして彼女と真顔で向き合う。
「けどなクレア……。君だって見てたろ? 俺が自分で自分の家を焼いたところを。俺はもう帰る場所を捨てて来たんだ。もうあそこに帰ったって何も残ってない、後が無いって覚悟で来たんだ。けどそれはこのヨシュアっていう新天地で生きるって覚悟でもあるんだ。そのヨシュアが危ないっていうのならここの為に戦うのは当然だろ? 俺の戦いは新しく生まれた自分の居場所を守る為の戦いでもあるんだ」
カナセは自分の言葉で覚悟を示した。
そんな少年の言葉にクレアの胸の奥から熱いものが込み上げて来る。
古い言葉で「一所懸命」という言い方がある。
戦士が手に入れた土地を命を懸けて守るという意味だ。
カナセ・コウヤの言った戦いというのはその「一所懸命」に通じる物がある。
それはクレアはカナセの覚悟を理解した瞬間でもあった。
「判ったわ。あなたの覚悟はこのクレア・リエルが受け取ったわ!」
そしてカナセに向かって笑みを浮かべた。
しかし話し終わった直後、カナセは思いも依らぬ行動を取った。
「って事でさ。固い話はここままで。落ち着いた事だし、さっきの続きをしようよ」
「続きって?」
「こういう事! むちゅううううう~」
カナセがクレアを抱き寄せ顔を近づけた。
だが緊張が解けたクレアにとってこれは完全に不意打ちだった。
瞬く間に二人の距離が近づくとクレアの濡れた唇はカナセのものと重なった。
「?!」
高揚感に浸る中、クレアには我が身に起こった事が理解できない。
一方、カナセはクレアの花びらの様な柔らかな唇を味わおうと力いっぱい吸い込んだ。
「むちゅうううううううううううううううううう~……」
クレアの唇の感触と共に口腔の湿りまでもが野生児によって吸い取られていく。
「んむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむぅ!!」
やっと状況を理解したクレアが目を白黒させた。
そしてカナセを引き離そうと力いっぱい突き飛ばした。
「ばかぁ!」
カナセの体は箒から弾き飛ばされ、下を流れる水路の中へと落ちていった。落ちた直後、白い水柱が高く上がる。
だがクレアは水柱を顧みる事も無く汚された唇をハンカチで何度も拭った。
「バカ! バカ! バカ! バカ! もう知らない!」
クレアの瞳に涙が溢れ出す。
もう全てが台無しだ。
先ほどクレアの中で胸を熱くした感動も一瞬で吹き飛んでいた。