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第13話 子守歌

 ジゴバ領から出たカナセはその日の内にラッツ村へと帰還した。

 干潟の泥の上では小さなカニやタンツィー達が這い回り、村の子供達が稚貝集めに精を出す。

 何時もと変わらない光景だが、ぼんやり見ていても飽きる事はない。

 そして干潟に潮が満ちてくると子供達は姿を消し、代わりに淡海の水が入り込み干潟が消えていく。

 そんなさざ波が寄せては返すを繰り返す桟橋の上にカナセは座っていた。

 村に来てから桟橋の上はカナセのお気に入りの場所になっていた。

 ひとりきりで物思いに耽るには最適な場所だった。

 そして膝の上には読めもしないミスラ写本も置かれていた。

 カナセは先ほどから写本の表紙を開いては閉じを繰り返す。

 しかしその行為には何の意味も無い。ただのからっぽの行為だった。

「カナセんさーん」

 カナセの耳に女の子の明るい声が届いた。

 カナセが首を向けると弟を背負ったエルマがこちらにやって来る。

「やあ、エルマちゃんか。何の用だい?……」

 まるで空気が抜けたような返事をカナセは少女に返した。

「もうすぐお昼ですよ~……」

「ああ、もうそんな時間か……ありがとね」

「こんな所で何をしてるんですか?」

 今度はエルマが訊ねる。

「本当、何してるんだろうね……」

 カナセの返事は空虚だった。

 空虚な原因は昨日のジゴバとメイヴィスの言葉だった。

 近々、自分はファイタスのリーダーに担ぎ上げられる。

 その返答にイエスかノーで答えなければならない。

 否、ここに居る限り許される答えはひとつのはずだ。

「確かに俺はクレアに言ったよな。一旗揚げたいって……」

 それに個人的にウラ鉄との対決は避けられない。

 その為には多くの人々の助けが居る。

 ならばリーダー就任の件は受けるしかない。

 しかしそれは自分の望んだ形ではない。

 コネで一足飛びに飛び越えるのは自分の矜持が許さない。

 そしてリーダーになった時、人の命が責任となって自分の背中のしかかる。

 自分の考えひとつで目の前に居るエルマとその弟の生命を左右する事さえあるはずだ。

「ただマギライダーとして、戦士のひとりとして戦ってくれって言われたら……」

 自分は気楽にOKの返事が出せたはずだ。

「俺にゼー・ジゴバの様に振舞えって事か?」

 そう思えばジゴバはよくやっていると思う。

 けれどもメイヴィスはそんな自分にこう言った。

「もしカナセ君の様な人がトップになって少しでもファイタスの置かれた状況が良くなるのなら、私なら喜んで受け入れるわ」

 その言葉がカナセの中で重く圧し掛かる。

 自分が迷っているその裏で自分に期待してくれる人も確かに居る。

 ならば彼等の為にもそれに答えるべきではないか?

 人々の新たな希望として。

「いいや、駄目だ。そんなに気安く考えちゃ……」

 迷うばかりで気鬱に振り回されぱなしだ。

「大変! 濡れちゃいますよ」

 自問自答する中でエルマの声が聞こえた。

 最初、カナセにはその意味が分からなかったが、程なく桟橋からぶらつかせていたつま先が水に触れていた事に気付いた。

「うわっ!」

 靴の裏が水で濡れるとカナセは慌てて足を上げた。だが今度はその拍子に膝の上で開いたままのミスラ写本を淡海の中に落としそうになる。

「おっと! 危ない!」

 カナセはすぐにミスラ写本を両手で押さえ付けると、事なきを得た。

「ふう~、ギリギリセーフ……」

「大丈夫ですか?」

「ああ、何ともないよ」

「どうしたんですか? さっきからボーっとして」

「ヘヘヘ、別に、大した事じゃないよ」

 カナセはワザと強がってみせる。

「う、うえ~~」

 突然、エルマの背後から赤ん坊の泣く声が聞えた。

カナセが騒ぎ出した声に反応してぐずり出したのだ。

「あーよしよし、こわかったね~」

 弟を泣き止まそうとエルマがあやし始めた。

「ごめん、起こしちゃったね……」

「大丈夫。いい子だからすぐ泣き止みます……ねんねんころり、ねんころり~♪ 坊やいい子だねんねんこ~♪」

 背中に負った弟の為にエルマは歌い始めた。

 それは何て事もない子守歌だった。

 するとカナセは不意にカーニャの村の事を思い出す。

 クレアの妹のミリアも店番の傍らで近所の赤ん坊の世話をしていた。

「あの時とそっくりだ……」

 カナセの中で急に懐かしさが沸き起こる。

 暫く、エルマが歌う子守り歌に聞き入っていた。

 聞き覚えのあるフレーズ、だがミリアが歌っていた物とは明らかに違っている。

 それどころか子守歌は赤ん坊の頃、カナセが師匠の背中で聞いた物と同じ歌だった。

「ああ、そうか……師匠が聞かせてくれたのはロータスの子守歌だったんだな。俺が知っててもヨシュア生まれのミリアが知らない訳だ……」

 カナセはエルマの子守歌に聞き惚れながら当時の事を懐かしむ。

 赤ん坊の頃、師匠はカナセが泣くとあの離れ小島の上を何度も何度も行き来ししながらあやしてくれた。

 長い白髪に真っ赤な瞳、その横顔は年相応だったが今思えば若い頃は相当の美人だったのではなかろうか。

「お日様ポカポカねんころり~、あったか朝日でにっこにこ~♪ お月様キラキラねんころり~、太って痩せてにっこにこ~♪ 火の神様もねんころり~ 竈で飯炊きにっこにこ~♪」

 暫くするとやさしい歌声に誘われるようにエルマの弟が眠りに付いた。

 しかしカナセはエルマの子守歌に違和感を覚える。

 おかしい、師匠に聞かされた子守歌と歌詞が違う。

「エルマ、ちょっと聞くけどここではこの歌詞が普通なのかい?」

 気になったカナセが訊ねるとエルマは不思議そうな顔をする。

「はい、子供の頃、お母ちゃんに聞かされた歌はこれでした。他に歌があるんですか?」

「俺の知っている歌は、マ~ハの神様ねんころり~♪。独りぼっちで空の上~♪」

 そう歌った途端、エルマが笑い出した。

「何です、それ? 独りぼっちって、かわいそう……」

「そう? まあ、確かに寂しいよね……」

「何番まであるんです?」

「九番までだよ。マハから始まって、チャンドラ、マルケルス、ヴァルナ、ユピテル、クルムハン、ウェスタ、インドラ、ミスラ」

「変なの。初めて聞きました」

「そうかい?」

「でもそれって魔煌技の神様の名前ですよね」

「そうだよ、よく判るね。エルマの歌は誰の歌だい?」

「お日様から始まって、月、火、水、木、金、土……」

「まるっきり曜日だよね」

「そりゃ一週間の子守歌って題名ですから」

 ならカナセが聞かされた子守歌はさしずめ九曜神の子守歌と言ったところか。

「でも何でそんな替え歌になってるんです?」

 エルマが訊ねる。理由は想像するしかない。恐らくだが師匠が子守歌を通じて魔煌技の基礎を教えてくれたのだ。

「まあ、俺の育ての親の気まぐれって奴かな。変わり者だったからな、あの人」

 そう答えて少し気取ってみせた。

「それて好きな歌詞とかはあるんですか?」

「好きな歌詞? まあ、強いて言えばマルケルスの所かな? 俺の守護神だし」

「どんな歌詞なんです?」

「マルスの神様ねんころり~♪ 力自慢で良いおとこ……」

その時だった。

 マルケルスの子守歌を歌い終えた途端、カナセの頭の中が真っ白になった。

 思考がまるで石化した様に停止し意識が遠のいていく。

「カナセさん?! カナセさん!……」

 エルマの自分を呼ぶ声が聞こえる。

 しかしそれまでだった。

 後の事は何も覚えていない。

 白濁した意識は闇に閉ざされ、空虚な深淵へと落ちていった。

「カナセさん! カナセさん!」

 カナセが桟橋の上で動かなくなった後も懸命にエルマが呼び掛けた。

 しかしカナセがその場で目覚める事は無い。

 そして誰にも気付かれる事なく開いていたミスラ写本はカナセの膝の上からずり落ち、白波の中へと消えていった。


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