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第7話 師匠の残したたもの

 一方でファイタスの方でも新しい動きがあった。

 次の日の朝、カナセはゴッペル先生と別れを告げ診療所を出る事となる。

 トラックは汚れた湿地帯を抜けゴディバの町を離れていった。

 昨夜と同じトラックの助手席の上、カナセは後ろを振り返る。無数の柱の上にゴディバの上層界が乗り、更にその上から魔天楼がそびえたつ。

 遠くから見た光景はまるで沼地に生える毒菌糸の群生だ。

「酷でぇ絵面だな……」

 カナセは腫れ上がったままの腕をさすりながらつぶやく。

 昨晩見た、煌びやかな街の情景は微塵にも感じない。

 まさに穢れ切った大都会の裏の顔と言った所だ。

 同行者は運転手のメイヴィスだけだ。

 出発前の話ではカナセを安全な場所に匿ってくれるらしい。

 それは昨夜、カナセがゴディバタワーで総裁ロッゾ・カルとのやり取りを全て話した後、ゴッペル先生が下した決断だった。

 その際、カナセは彼等が自分を拉致した目的が新生魔煌技の復活にある事を明かし、更に自分がそんな大それた魔煌技を継承していない事も包み隠さず話した。

 それを聞かされたゴッペル先生が長い沈黙の後、カナセにここから脱出するように促したのだ。

「危険って、ここは安全じゃ無いのかよ?」

「ここはゴディバシティの目と鼻の先じゃ。何時、ウラ鉄の魔の手が延びて来ても不思議ではない」

「なら先生は何でここに居るんだ?」

「儂は医者じゃ。患者が居ればそれを治す義務がある。そしてこの下層界には儂を必要とする者が大勢居る。それだけの事じゃ」

「ふ~ん、立派なこって。でも先生、俺は出来る事ならこの国から出たいと思ってるんだ。要はヨシュアまでの脱出の手助けをしてほしいんだ」

「それは無理だ。今すぐには出来ん。恐らく上ではウラ鉄の連中が血眼になってお前さんの居所を探して居るはずじゃ。海域は奴等が完全に抑えて居る。下手に動くと逆に捕まる恐れがあるぞ」

「でもなぁ……」

「悪い事は言わん。無理はせん方が良い。それより今は我々の言う通りここで身を隠している方が得策じゃぞ。身の安全とそれなりの自由は保障する」

 結局、カナセはゴッペル先生に説得される形でこのロータスに暫く留まる事になった。

 トラックは町を離れると干拓地の平原の中を走った。

 そこではヨシュアの東側と同じ様に水田が広がり水路も通っている。

 そして村がひとつ見えて来た。

 ただ村の様相は木とレンガで出来たカーニャ村とは違い板金製の長い屋根の住居が三棟ごとに整然と並べられていた。

「ウラ鉄が古い村を潰して作った新しい村よ。奴等は解放村なんて呼んでるわ」

「解放村?」

「古臭い非効率で生産性の低い農業生活からの解放って意味よ」

 メイヴィスが嫌そうに説明する。

 更に村の前の街道には看板が掲げられ、大きな文字で「世界を繋ぐ友愛の環! 第42號テリウス解放村、増産体制実施中! その一粒が鉄路を伸ばす!」との勇ましい文字が書かれている。

 カナセにはその村の光景が人が住む家というより工場や倉庫の様に思えた。

「何だか、あんまり住みたくない感じの村だな。追い立てられているみたいで……」

「それでも人は暮らしているわ。でもヨシュアの様な自由や喜びは無いでしょうね。そしてそのヨシュアもウラ鉄との戦いに敗れればここと同じ道を辿るはずよ」

 そうメイヴィスが嫌な言い方をした。

 トラックが田畑の中を通り過ぎると干拓地のを仕切る大河川の前に到着した。

 堤防は城塞化され検問と観測所が置かれていた。どうもあそこがウラ鉄とファイタスの勢力圏の境界線らしい。

「おい、大丈夫なのか?」

 心配気にカナセが訊ねるとメイヴィスが答える。

「任せといて、何も心配いらないわ」

 その後、トラックが検問に停まると衛兵が近寄って来る。

「やあ、メイヴィス」

「おはよう、ロアン。元気してた?」

 衛兵が気軽に挨拶をして来るとメイヴィスも返事を返す。だがそれだけ済ませると検問の扉は容易く開けられた。

 検問の向こうの大河川には壊れかけた鉄橋が架かっていた。

 だが鉄橋は所々補修され、通る分には問題ない。

 トラックが鉄橋を通り抜ける中、カナセが聞く。

「えらくあっさり通れたな。荷台の検査と通行証の確認みたいな事も無かったぞ」

「あの検問の衛兵は全員ファイタスの連中よ」

「って、事は乗っ取ったのか?!」

「まあ、そんな所ね。この橋だって戦災で壊れている様に見えるけどダミーよ。本当は重戦車だって通れるわ」

「モノは見掛けじゃ判らないって事か……」

「そういう事ね。ウラ鉄の中には私達の仲間が大勢、紛れ込んでるわ。様々な形でね」

 侮れない連中だ。カナセは正直にそう思った。

 だがファイタスの勢力圏内に入ると暫く荒野が続いた。田畑だった面影は残っているが、とてもここが人工の干拓地の中とは思えないほど荒れていた。

 おまけに遠くから砲声が聞こえる。

「戦ってるのか?」

「そうね、あそこはジゴバ一家のナワバリだから」

「ジゴバ一家? そいつらもファイタスか?」

「ええ、その中でも一番血の気の多い連中よ。先に言っとくけど、会ってもあまり関わらない方が良いわ。活動家というより地方豪族みたいな連中だから」

「なんかヤクザの親分みたいな言い方だな」

「当たらずとも遠からずって感じね」

 トラックは途中、マーケットのある町に寄るとメイヴィスが大量の商品を買い込んだ。

 中身は日用品から食料と文具に学習教材、それと大量の菓子類と玩具だった。

「どこに持ってくんだ?」

 積み込みを手伝いながらカナセがメイヴィスに尋ねた。

「目的地のラッツ村よ」

「どんな村だ?」

「干潟があるなんて事ない小さな漁村よ。そこで当分、隠れて居いてもらう事になるわ」

 再びトラックのハンドルを握りながらメイヴィスが答える。

「アンタの故郷か?」

「違うわ。一応、住んでる事になってるけど。もっともあなたの方が謂れのある村でしょうけどね」

「謂れ?」

「エリザベス・アムンヘルムの故郷よ」

「師匠の故郷だって?」

 そう言われてカナセは息を飲む。

「でもそんなに大仰に期待しない方が良いわよ。最初に言ったでしょ? 本当に何てことない村なんだから」

 その後、トラックは荒野を抜け、今度こそカーニャ村と変わりない穀倉地帯へと入っていった。

そしてそこから幾つもの干拓地を過ぎると最後には干拓地と淡海を仕切る大堤防までも超えてしまった。

 その先には干拓地とは違う、自然の小島が一つ浮いていた。

「あそこが言っていたラッツ村よ」

 メイヴィスに言われてカナセがトラックの窓から顔を出す。

 もうそこはロータスの西端だった。

 小島の東半分は山がちで小さな森と水田が広がり、一方の西側には港が隣接する砂と泥の堆積物による広大な干潟が広がっていた。

 その水田と干潟に挟まれるように村があった。村は三本の通りの中に二百件ほどの家々が立ち並んでいた。

「ここが師匠の故郷……」

 カナセが感慨深くつぶやく。

 だがメイヴィスの言った通り、ここが干拓地ではなく自然の頂から出来た島である事と、大きな干潟がある事以外は本当に何てことのない村だった。

 多分、偉大なる魔女、エリザベス・アムンヘルムの生誕地と言われなければ素通りしてしまう。それほど印象の薄い土地だった。

 トラックは北側から村に入ると小さな村役場や漁協、商店が並ぶ中心地をそのまま通り過ぎ、東の外れにある一件の古びた小学校跡に辿り着いた。

 小学校の裏には小さな森がある。

 トラックが校舎の前で止まると中から二十人ほどの子供が顔を出した。

「メイヴィスだ! メイヴィスが帰って来た!」

 一人がトラックに向かって叫んだ。そんな子供達に向かってメイヴィスが明るく手を振った。そこには昨日からカナセに見せる愛想無しな彼女は居ない。

「孤児院よ。ウラ鉄との戦いで親を失った子達をここで預かってるわ」

「アンタが経営しているのか?」

「違うわ。出資と管理はファイタスがしてくれてる」

「ファイタスが?」

「まあ、その辺りの説明は追々するわ」

「アンタもここの?」

「いいえ、違うわ。私は偶にボランティアで来る位よ」

 子供達は二人がトラックから降りると早速、メイヴィスの方へと駆け寄った。

 二人はたちまちのうちに小さな黒い頭に囲まれ出迎えられた。

「大人気だな」

「人徳って奴かしら」

 カナセが茶化すとメイヴィスが微笑む。なかなかの美人だ。

 二人は数人の子供達に囲われながら校舎へと入っていった。

 一方で他の子供達はメイヴィス達にはもう見向きもせずトラックの荷台から荷物を手際よく降ろしていく。

「何も人徳だけって訳じゃないみたいだな」

 カナセが皮肉っぽく笑うと一転、メイヴィスの表情が厳しくなる。

「この子達の事、何も知らないくせに。勝手な事を言わないで」

 その怒り方が思った以上に真剣だったのでカナセも決まりが悪い。

 やがて二人は校舎の中に入るとそのまま応接室の通された。元は小学校の校長室だった場所らしい。

 カナセはソファに腰掛けると周囲を見渡した。既製品の調度品の間に大きな本棚がある。本棚の中身は魔煌書でアムンヘルム文庫と記されたネームプレートが付けられていた。

「全部、あなたの師匠が若い頃に書いた物よ。それもその一部だけ」

「うれしいねぇ。どこまで行っても師匠の威光が付いて回る。弟子として鼻が高いよ」

「皮肉で言ってるのなら、あなた本当に馬鹿ね」

メイヴィスが溜息を吐くと扉を叩く音が聞えた。

 すると十二歳位の茶色い髪の少女がお茶を運んできてくれた。

「おかえりなさい、メイヴィスさん」

「ありがとう、エルマ。頼んでもないのに」

 メイヴィスが少女に礼を言うと少女が微笑む。

「いらっしゃいませ、お客様」

 少女はカナセにも愛想よくふるまう。

 その笑顔を見てカナセはカーニャの村に居るミリアの事を不意に思い出した。何となく雰囲気が似ていたからだ。そして思わず口にする。

「ふーん、君ってエルマって言うのか……。可愛いね」

「かわいい?」

 突然、見ず知らずの来客に容姿を褒められ少女は心臓をドギマギさせる。

「ちょっと、ここの子達に変な気、起こさないでね!」

 エルマに色目を使うカナセを見てメイヴィスが釘を刺す。

「判ってるって。ちょっと挨拶しただけじゃないか……」

 エルマが去った後、カナセはお茶に口を付けた。残念ながらお茶は来客用のはずなのに味も香りも素っ気ない。

 お茶を飲みながらメイヴィスが言う。

「先生が仰ってた通り、アナタには当分、この村に住んでもらうわ。その代わりこの島の中でなら自由は確保されている。どこを移動してもらっても構わないから」

「こんな狭い村の中で自由と言われてもなぁ」

「歩いて30分でも自由は自由よ」

「それで具体的にどこに寝泊まりするんだ?」

「この孤児院よ。今日中にあなたの寝場所を作ってもらうわ」

「俺に保育士にでもなれっていうのか?」

「希望するなら雇って上げてもいいわ」

「冗談じゃないぜ。一層の事、戦闘魔煌士として雇ってもらえないか? こう見えてヨシュアの水軍では大活躍してたんだぜ」

「まあ、聞いておいて上げるわ。もっとも上層部がどう判断するかは判らないけど。それよりも、あなた……昨日言ってたことは本当? 本当にエリザベス・アムンヘルムから何も聞かされていないの?」

「新生魔煌技の事なら言った通りだ」

「モーフィング・マギア以外の高等魔煌技は? 何も弟子として継承してないの?」

「言っておくが、俺はウラ鉄に聞かされるまで師匠がそんな御大層な魔女様なんて事すら知らなかったんだからな」

「じゃあ、師匠はあなたの目の前で何をしてたの?」

「別に。近所の村のオッサンやオバサン達とサイコロ転がしたりカードで遊んでいた位かな。占も頼まれれば偶にやってたかなぁ。俺が魚獲ったり水没都市でコア集めをしているのを横目で見ながらな。魔煌書を読んでいる所なんて見た事もないよ」

「本当に世捨て人の暇人ね。こっちで伝わってる話と比べたら別人だわ」

「後は暇な時にド下手クソな絵を描いていた位だよ」

「その絵はどこにあるの? もしかして何か秘密の術式が仕込まれているかも」

「悪いが前にウラ鉄に家を焼かれた時、一緒に全部燃えちまったよ」

 そう答えた瞬間、メイヴィスは溜息を吐きながら肩を落とした。

 暫くして校内で鐘の音が鳴った。

「食事の時間ね。あなたも食べるでしょ」

「当然だ。こんな最果てにまで連れて来られた末に飯も食えないんじゃこっちはふところまで上がったりだ」

 二人が食堂に移動する頃には子供達は既に席に付いて食事を摂っていた。

 カナセは背の高いテーブルに連れていかれ、そこに座らされた。

 席には三人の炊事係兼保育士が待って居てくれていた。

 保育士は誰もが世話好さそうな働き盛りのオバサン達だった。

「紹介するわ。連絡しといたカナセ・コウヤよ。理由あってここで当分、匿う事になったから。多分、何の害もないはず」

「何だよ、人を動物みたいに言いやがって……」

「暇そうにしてたら使って上げて。動いてないと体が鈍るタイプみたいだから」

「おい、勝手に言うなよ」

「それは良かったわ。丁度、大人の男手が欲しいと思っていたのよ」

 一人の保育士のオバサンが話に割り込むと手を叩いて喜んだ。

「なら彼も今日から私達の家族ね。だったら皆の前で挨拶してもらわなきゃ」

「挨拶?……」

「みんな、注目。今日から新しい家族が出来ました」

「さあ、挨拶して」

「ちょっと待ってくれ。俺は挨拶なんか……」

 カナセがささやかな抵抗を試みた。だがオバサン達の強引さには打ち勝てず、カナセはその場に無理やり立たされた。

 食堂内の異物に小さな視線が一斉に釘付けになる。

「うっ……」

 その視線に耐え切れずカナセがたじろぐ。傍では椅子に座ったままのメイヴィスが軽くウィンクする。

「さあ、カッコいい所、見せてみてよ。ロータスの魔女の弟子様」

「メイヴィス……手前、覚えてろよ……」

 だがここまで来ればカナセも心を決めざる得ない。

「ここで当分、世話になるカナセ・コウヤだ。皆とは少しばかり年が離れているが気にすんな。まあ、メイヴィスともちょっとした知り合いだし気安く声を掛けてくれ。以上だ」

 そう言って席に座ると突然食堂が笑いの渦に包まれた。

 カナセにはその笑いの意味が判らなかった。

 だが無性に辱められた様で何とも居心地が悪い。

「アハハ、良かったわね、歓迎されて」

 その横でメイヴィスも堪え切れず声を出して笑う。

「うるさい……もう勝手に食うからな!」

 カナセは口をへの字に曲げてそっぽを向いた。そして置いてあったスプーンを握ると目の前のシチューを口の中に掻き込んでいった。


 食事が済めば後は寝るだけだった。

 一応、大人扱いのカナセは急ごしらえの個室を与えられた。

 カナセは応接室にあった魔煌書借り受け、読みふけっていた。

 小机の上にはランプの灯りに照らされた分厚い書物が置かれている。

 勿論、著者はエリザベス・アムンヘルム。ロータスの魔女と呼ばれた世界最高の魔女だった。

「でも、本当に……死んだ師匠に追いかけられているみたいだな……」

 多分、師匠の著作は世界中の魔煌関係者の本棚に置かれているはずだ。

 それはカナセが師匠の掌から永遠に出られない事を意味する。

 そして事あるごとに師匠と比較され蔑まされる。

「けっ! ウンザリだ……」

 カナセは灯火の前で吐き捨てる。

 しかしそれで師匠を恨む気には到底なれなかった。

 師匠は赤ん坊の頃、拾ってくれて、十二歳になるまで育ててくれた恩人なのだ。

 カナセにとってはタタラ・ヘンジは魔術の師匠と言うより母親と言った方が良かった。

 恩に着る事はあっても恨む筋合いなど何一つない。

 カナセの視線が再び魔煌書の文字へと落ちていく。

「もっと色んな事、教えてもらっておけば良かった……」

 カナセは今になって後悔する。

 しかし不意にある疑問が湧き上がる。なぜ師匠は自分にマルケルスのモーフィング・マギアなんかを教えたのだろうか?

 辺境で少年ひとりが暮らすなら他にも有意義な魔煌技があるはずだ。

 しかしそれも今となっては真実は闇の中だ。

 暫く物思いに耽っていると外の音が響いて来る。

 それは孤児院で寝泊まりする子供達の声だった。昼間に遊び足りない子供達が大部屋のの中をバタバタと走り回り時を忘れ騒ぎ立てる。

「さっさと寝なさい! 何時だと思ってるの!」

 部屋に怒鳴り込むメイヴィスの声が聞こえた。

 脚だけの奇妙なマギアギアを操るマギライダーもここでは一人の保育士らしい。

「そういえば、あいつって今まで何をやってたんだろう……」

 不意にメイヴィスの身の上が気になった。

 そしてカナセを助けてくれたデニスというテンガロンハットの魔煌士の事も、医師であり解放戦線のリーダーでもあるゴッペル先生の事も知りたいと思った。

 カナセは彼等の事について何も知らなかったからだ。


 夜も更けた頃、カナセの部屋をノックする音が聞こえた。

 メイヴィスだった。

「何よ、まだ寝てないの?」

「そっちこそ何だ? もしかして夜這いか?」

「まさか」

「アンタも忙しいな。ウラ鉄と戦ったり子供を寝かしつけたり」

「私にはあの子達にこれ位の事しかしてあげられないから……」

 そう答えた途端、メイヴィスの表情に影が差し込んだ様な気がした。

「何か訳アリなのか?」

「そんな事、聞いてどうするの?」

「判らない。だがここに居る限りロータスの事はもう少し知っておくべきだど思う」

「じゃあ、外に出ましょう。ここは壁が薄いわ」

 二人はランタンを片手に校舎を出ると夜の漁村を歩き出した。

 月の隠れた村の中は真っ暗だった。

 すれ違う人影もなくランタンの灯りだけが左右に揺れる。

 暫くしてメイヴィスが村の西の外れの空き地で立ち止まった。干潟もすぐ間近で完全な闇だけが広がっている。

 空き地には本当に何も無く、ただ路傍に小さな石碑が立っていた。

 メイヴィスは石碑にランタンを当てた。

 石碑にはただ「エリザベス・アムンヘルム生家跡」とだけ記されていた。

「ここが師匠の産まれた場所か……」

「弟子がここまで訪れて来たなんて、あの世でどんな気分でしょうね」

 カナセが淡海の方を振り返ってみせた。僅かばかり雲が切れ月の光が差し込む。

 光の向こうには河岸の堤防の土手が道となって続いており、そこを抜けると広大な干潟が広がっていた。

 更にその先には淡海があり、彼方にはパラキナと呼ばれるウラ鉄発祥の地があるはずだ。

 カナセは吸い寄せられる様に道沿いに歩いていくと古い桟橋があり、その先端で止まった。そこから先は泥と砂の渇いた海だった。

 カナセとメイヴィスが桟橋の上に腰を下ろすと目の前に広がる干潟を眺める。

「多分、俺は師匠が見ていたのと同じ景色を見ているんだろうな……」

「でしょうね。この辺りはウラ鉄の支配権から一番遠い地域だから昔から変わりないわ……それともあなたでも感慨深い?」

「まあ、そうかもな……」

 ただひとつだけ思う。自分は師匠に追い回されているのではなく師匠の背中を追いかけているのではないのか?

 そんな時、月明かりの向こうで何かが跳ねた。それは魚の様な生き物に見えた。

「何だ、あれ?」

「タンチュイーっていう大型のトビハゼよ。食べたかったら明日、マーケットに行ってみなさい。串焼きが売っているから」

「それよりもさっきの話の続きだけど……子供に聞かせたくない事って何してたんだ?」

「どうもこうも無いわ。私とデニスはね、昔はウラ鉄の戦闘部隊に居たの」

「……」

 カナセはその一言に息を飲む。

「生まれも育ちもこのロータスでね。生まれた時から実家は占領地の中だったわ。私は魔女としての才能ががあったから学校を卒業して給料の良かったウラ鉄に就職したの。この国ではそれは当たり前の事だったしね」

「それが変節したのは何でだ?」

「ファイタスの討伐に参加した時よ。そこでファイタス側の町を焼いたのよ。幾つも幾つも前進する度に焼いて焼いて焼き尽くした……その中には子供も居た。皆、脅えた顔で逃げ回っていたわ。多分、孤児院の中にも私が追い回していた子が何人かいるはずよ」

 メイヴィスは淡々と語っていたが、カナセには身に積まされる思いがした。

「もう頭の中が変になりそうだったわ。そこは地図の上では同じ国。同じ言葉をしゃべり、同じ物を食べて、同じ空を眺めていた人達が自分の手でバタバタ死んでいくのよ。私達、同じ国の人間同士が殺し合ってるの。おまけに彼等は失った物を取り戻す為に戦ってる。なのに私はお金儲けの為にウラ鉄なんて他所から来た連中の手足となって戦ってるのよ。どう考えたっておかしいのは私の方じゃない」

「だから、我慢出来ずに出奔したって訳か……デニスって奴もか?」

「彼の場合はもっと悲惨よ。でも知りたいのなら直接本人に聞けば良いわ。私の出る幕じゃない」

「なんだ? 恋人同士とかじゃないのか?」

 恋人という言葉を聞いてメイヴィスは嗤った。

「まさか、ただの同僚よ。信頼できるパートナではあるけど男女の関係でなんて考えた事もないわ」

「……」

「さて、これで私の話は終わりよ。帰りましょうか」

 メイヴィスが桟橋から立ち上がる。

「なあ! メイヴィス……」

 カナセは言った。

「俺がもし師匠の事で何か思い出したら……それはアンタ達の役に立つのか?」

 それを聞いてメイヴィスは肩を竦めて苦笑する。

「それが新生魔煌技ならね。でも無理強いはしないわ。出来ない人にやれなんて言ったって無駄なだけだもの」


 カナセがラッツ村に来て最初の一夜が明けた。

 カナセが起きた頃にはメイヴィスの姿は無かった。既にファイタスとして次の仕事の為に早朝、村を出たらしい。

 食堂で保育士のオバサンが用意してくれた朝食を摂っていたら昨日、応接室にお茶を運んできてくれたエルマと言う名の女の子が手紙をくれた。

「メイヴィスさんが渡してくれって」

 手紙はメモ書き程度のものでメイヴィスが残した物だった。

 だがカナセには手紙よりもエルマが背に負ぶった赤ん坊の方が気になった。

 赤ん坊は幸せそうに寝息を立てていた。

「かわいいね、弟かい? 妹かい?」

「弟です」

 エルマは素直に答える。ここは戦時下の孤児院だ。子供が赤ん坊の世話をする光景は珍しくもなかった。

「名前は?」

「トルウィンです」

「ふ~ん……弟の子守りなんて偉いね」

「えへへへ……」

 会話はほんの短いものだった。

 しかしこの子達の両親をメイヴィスが殺したかもと思えば、彼女達の背負っている業はお互い凄まじく重い。

「じゃあ、カナセさん。私、これから学校ですから」

 手紙を渡し終えたエルマは弟を起こさない様にカナセから離れていった。

 カナセは残ったお茶を飲みながらエルマからのメモ書きを読み上げた。

「昨日、言い忘れたわ。新生魔煌技の事を知りたければミスラ写本を探せばいいわ。やる気があるのならやってみなさい」

 メモに書かれていたのはそれだけだ。

 カナセは食事を終えると応接室の書棚に向かった。

 棚の最上段の中に大判の魔煌書が詰め込まれていた。

 その中で背表紙にミスラ写本と書かれた一冊を見つける。

 著者名は勿論、エリザベス・アムンヘルムだ。

 カナセは書棚からミスラ写本だけを抜き取った。

「何が“出来ない人にやれなんて言ったって無駄なだけ”だよ。やってやろうじゃないか!」

 カナセはメイヴィスのその一言に少し拗ねてしまった。彼女や孤児院の子供達の境遇に少し同情してやる気が出始めていた時なのに蔑まられた様で少し面白くない。

「そこは普通、がんばってね、期待してるわよ、だろ?」

 クレアなら間違いなくそう言ってくれるはずだった。

 最も、メイヴィスがそんな言い方をしたのもその前にカナセが散々、自分は師匠から何も受け継いでは居ないと言い続けて彼女を落胆させたのが原因なのだが……。

 それでもメイヴィスはカナセのやる気を感じ、メモを残したのだ。

「さてとおっぱじめようか。師匠」

 カナセは手に取った魔煌書を掌で撫でながらつぶやく。

 師匠はごく普通の読み書きや算術は存外真面目に教える方だったが魔煌技の取得に関してはカナセが求めない限りは教える事は無かった。

 そして何かしらの成果を上げれば誉めてくれたのだが同時に悲し気な顔を見せた。

 子供の頃のカナセはその意味が判らなかった。

 しかしウラ鉄の総裁ロッゾ・カルと袂を分かつほどの激しい闘争と逃亡の後だと知れば、その理由が何となくだが想像がつく。

「きっと俺が魔煌技を覚える事でウラ鉄との戦いに巻き込まれる事が怖かったんだろうな……」

 しかしその本当の意味も本人が亡くなった今となっては知る由もない。

 カナセはミスラ写本を片手に持つと孤児院を出た。

 勉強は外でするつもりで居た。いい大人が朝っぱらから仕事もせず部屋に閉じこもって本を読みふける。そんな姿を子供に見せるのは何処か気が引けたからだ。

「そんなだらけた生活してたらトギスみたいになっちまう……」

 カナセは無意識にほんの少し前に離れ離れになった相棒の名前をふと口にした。

「あいつ、無事かなぁ……」

 カナセはトギスがクレア達と共にロータスに向かっている事実を知らない。

孤児院を出たカナセは干潟の方に向かうため漁村の中の通りを歩いた。

 男は漁か田んぼに出ているらしく村の中は女ばかりだ。

 カナセは香ばしい匂いに誘われながら村で唯一のマーケットに立ち寄った。

 そこでは昨日の夜、メイヴィスが言っていたタンツィーの串焼きが屋台で売られていた。

 タンツィーはトビハゼの仲間で長いヒレを持つコミカルな外見が特徴だった。

 カナセは焼きたてを一本買うと一口かじってみた。

「美味い!」

 甘辛いタレが香ばしい。カナセは一口でその味を気に入った。

「お客さん、見かけない顔だね。どこから来たの?」

 串焼きを売る屋台のオバサンが尋ねて来た。孤児院のオバサン達と比べたら更に年上で太っちょだった。

「いや、ちょっと色々な所をブラブラとね……」

「こんなご時世にかい。ここら辺、何もない田舎だよ」

「何も無いから良いんだよ」

 そう答えてカナセは誤魔化すと串焼き屋から離れていった。

「ブラブラか……これはいよいよトギスみたいになって行くかな。でも本当の事なんで言える訳ないか……」

 仮に自分があの偉大な魔女の弟子と言えば、あの婆さんはどんな顔をするだろうか? 少しばかり興味はある。

「まあ、下手な冗談だと思って笑われるだけかな……」

 カナセは串焼きを握ったまま苦笑した。しかしそちらの方が気楽だ。変に期待されて振り回されるのは、やはりウラ鉄とファイタスの連中だけで沢山だ。

 やがてカナセは昨晩、メイヴィスと二人で居た桟橋に辿り着くとそこに腰掛けた。

 干潟では孤児院の子供達が膝まで泥に浸かってミズマキと呼ばれる淡水貝の稚貝を獲っていた。それを漁港やマーケットの大人達に売って現金収入を得るのだ。

 大人は買った稚貝を干潟の奥に蒔いて成長させた所を再び回収し他の村や町に売りに行く。それは広い干潟がある地方ではどこでも見かける光景だった。ただ貝の種類はその土地によって異なった。

 それをカナセは珍しそうに暫く眺めていた。

 カナセには広い干潟で貝を獲った事も遊んだ経験も無い。育った小島の周囲にあったのは水没地帯でありここの様な干潟になる浅瀬も無かった。

 カナセは子供達を横目に見ながら膝の上に置いたミスラ写本を見つめた。

 ミスラ写本自体は特に珍しい魔煌書という訳ではない。手書きではなく活版印刷で、確かヨシュアの図書館でも同じ物を見かけた事がある。

 要するにどこにでもある一般的な魔煌出版物のはずだった。

 変わってると言えば装飾用なのか表紙に小さなコアがはめ込まれていた。

 ただカナセ自身が読むのはこれが初めてである。

 それどころかこんなに近くに新生魔煌技の手掛かりがあった事自体が発見だった。

「何だよ、新生魔煌技の魔煌書なんてもんがあるんじゃないか……」

 正直、拍子抜けだ。

 そして表紙を開くと、記された呪文を目で追った。

 しかし心の中の詠唱が僅か数行で止まる。

「あれ? 何だ、これ?」

 まるで読めない。心にも響かない。呪文どころか文章にもなっていない。意味不明の言葉の羅列があるだけだ。

 今まで読んできたエリザベス・アムンヘルムの著書でこんな事は一度も無かった。

「何がどうなってるんだ?」

 確かに魔煌技の呪文術式は難解な代物だ。多くの魔煌士はその理解の為に多くの時間を費やす。だがミスラ写本の文章はそれ以前に言葉として読めないのだ。

 師匠の唱える呪文でこんな事は今まであり得なかった。

「なんだよこれ! 何のなぞなぞだよ……」

 カナセは思わず声を上げる。

「もしかして何かの暗号か?」

 そう考えると総裁ロッゾ・カルが言っていた意味をやっと理解した。

「奴らが求めていたのはこの暗号の解き方なんだ。だから俺にそれを教えられていないか聞き出そうとしていたんだ……」 

 師匠がこのロータスを去って約二十年、その間にウラ鉄や他の国でも多くの優秀な魔煌士達がこのミスラ写本を研究したはずだ。なのにそれが今になっても解く事が出来ず、挙句に自分という人間を追い回すという愚挙にまで出た。

 その理由がこれだった。

 だがカナセは師匠と過ごした十二年間でそんな暗号の解読法を教えられた事は一度も無かった。

 結局、師匠は新生魔煌技の構築に成功しておきながら、その方法を誰にも伝承する事なくあの水辺の祠の下へと持ち去ったのだ。

「これが真実なら総裁もさぞがっかりするだろうぜ……」

 そしてこれではっきりした。ウラ鉄がカナセをさらって来た事は、否、彼等が行って来た二十年間の努力は全くの無駄だったのだ。 

 魔煌文明復活の希望は再び闇に閉ざされた。

「まったく……くたびれ損って奴だな。期待させといてコレだぜ」

 カナセはロッゾ・カルを笑った。

 同時にこれが自分の旅の終わりの結末というのならそれも笑うしかない。

 コア復活の魔法は自分は受け継いでいない。そんな事は最初から判っていた。それがミスラ写本を読む事によって確定したのだ。

 カナセは役立たずのミスラ写本を桟橋の上に置くと枕にして寝ころんだ。

 見上げた空は雲一つなく、アイスインパクトを生き残ったトンビが円を描きながら高い所を飛んでいた。

 陽気に任せて大人が朝寝を外で決め込む姿など干潟で貝を獲る子供達が見たらなんと思うだろうか。それは繕い様の無い情けない姿のはずだ。

「道徳的に悪影響を及ぼすってか?」

 カナセは笑った。笑うしかなかった。

 既に師匠も弟子も揃って世間様の期待を裏切っているのだ。

 今更、昼間に寝っ転がった所で一度落ちた期待が上がる事もない。

「ヘヘヘ……でも謝らないぜ。勝手に期待して盛り上がってたそっちが悪いんだ。こっちは有難迷惑って奴だ。なあ、師匠……」

 そう言って天を仰ぎながら溜息を吐いた。


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