第5話 ゴディバ脱出行
しかしその直後、思わぬ事態が二人を襲った。
叩いた瞬間、凄まじい爆発が壁から起こり、カナセの目の前を爆塵が覆ったのだ。
壁は粉々に砕け散り、カナセもグレンも為す術もなく巻き込まれる。
「うわああああああああ!」
「何だと!」
その衝撃に二人は愕然とする。
しかし被害の大きかったのは爆発の近くに居たカナセの方だ。
衝撃で吹き飛ばされたカナセが床の上で横転する。
気付けば壁を叩いた右の下腕から激痛が走っていた。
「痛てて……骨が、折れた……」
一方、二人が床にひれ伏す中で破壊された壁から灰色の煙の下から人の気配がした。
「な、何者だ……」
グレンが苦しそうに立ち上がると煙の中から声が返ってきた。
「その声は、グレン・ハルバルトか?」
それはカナセにとって全く、聞き覚えの無い男の声だった。
しかしグレンには心当たりがあるらしい。
「デニス・ワイルダーか……」
「お互い元気そうで何よりだな」
「何しに来た……」
「お前の命を貰いに……と、言いたい所だが、残念ながら今日は別用だ」
「痛ててててててててててててててててーー!!」
煙の向こうからカナセのうめき声が聞こえた。
誰かに骨折した右腕を掴まれそのまま引きずられているのだ。
「しまった、狙いはそちらか!」
「ご明察!」
煙の中からデニス・ワイルダーなる男から銃声が聞こえた。
連続で十二発、男の武器は二丁拳銃だった。
その瞬間、グレンは傍にあった扉の向こうに滑り込みながら咄嗟に魔煌障壁を展開した。
「うっ!」
グレンが呻いた。機械を超える早撃ち! 十二発中、二発が煙の中で体に命中し、弾痕から血が噴き出る。
「チィッ! デニスの奴め……」
グレンは痛みを堪えながらドアを閉める。
致命傷は免れたものの自力では戦えそうにない。
「チッ! 仕留め損ねたか! しかしグエン相手なら致し方なしか……」
一方でトドメを指し損ねたデニスが臍を噛む。
「隊長!」
そんな中、廊下の向こうからグレンを呼ぶ声が聞こえた。リサの声だ。
「リサ、こっちだ! 敵を排除しろ!」
グレンの声にリサは抜刀すると、再びドアを開け煙の中に飛び込んでいく。
「ヤバいッ! リサの野郎か!」
リサの気配にデニスが気付くと彼女に向かって腰に収めておいたもう一丁の拳銃を早抜きした。
「喰らえ!」
拳銃は五連装の大型回転拳銃。それをデニスが煙に目掛けて撃ち尽くす。
狙いを定めていない発砲は威嚇にしかならないはずだった。
だが発射された50口径弾は煙の中で不可解な弾道を描いた。
銃弾は屈折を繰り返しながら弾道を修正し続けるとやがてグルグルとリサの周囲を取り囲む。
「アタック!」
デニスの合図と同時に五発の銃弾が煙の中の赤髪の魔女に一斉に襲い掛かった。
「ううっ!」
弾を受けたリサが思わず呻く。
それこそが謎の男、デニス・ワイルダーの持つ魔煌技、誘導弾体「ホーミング・ショット」だった。
それでもリサは放たれたホーミング・ショットの内、二発を何とか避け二発を愛刀のサーベールで弾いた。
だが残る一発の大型弾丸は体で受けざるえない。
弾はリサの胸板に命中した。普通なら致命傷の大怪我だ。
「デニス! 王子様は収容したわ。脱出よ!」
背後の煙の中から別の女の声が聞こえた。煙は爆発の粉塵の他にいつの間にか煙幕まで混ざっている。
「了解、上出来だ!」
デニスは空になった銃を仕舞うと懐に忍ばせていた手りゅう弾を二つ投げた。
床に二つの玉が転がった後、強い爆発と共に金属片が飛び散った。
しかしこれでリサの戦意が挫かれた訳ではなかった。
「リサ、行け……絶対に逃がすな!」
ドアの向こうから隊長の辛そうな声が聞こえた。
「了解!」
リサは愚直にも煙の中へと突っ込んでいく。
煙の向こうは深夜の塔の外だった。壁に開いた穴から地上まで400m、落ちて人が助かる高さではない。だがリサは大都会ゴディバの街の灯りが溢れ返る中、眉一つ動かすことなく、直下の工場地帯の中へと落下していった。
その先には謎の二人組に拉致されたカナセの姿があった。
カナセは一騎のマギアギアの背に乗せられていた。
彼等もリサに追いつかれまいと必死に逃げる。
深夜に起こった彼等とウラ鉄との追跡劇はまだ始まったばかりだった。
マギアギアが弓なりの塔の壁面を滑り落ちていくと、その後を追跡するリサが臆する事なく降下していく。
それは誰の目からも異様な光景だった。
しかしこの事態の中で一番、愕然としているのは他ならぬカナセ本人だった。
突然、爆発に巻き込まれたかと思うと正体不明の連中に拐かされた。
一人はテンガロンハットを被った長身の筋肉質の男、もう一人は男装をしたロングヘアの黒髪美人だった
美人が操るのは極端に脚の長いマギアギアで、オープントップの搭乗席に三人が詰め込まれていた。
「一体、何がどうなって……。うわぁ!」
翻弄されるばかりで、とても今の状況が現実だとは思えない。
「急げ、メイヴィス! 後ろからリサが迫って来る」
「判ってるわ! 何とか振り切ってみせる!」
メイヴィスと呼ばれた男装の女は脚長のマギアギアで塔の側壁を駆けながら滑降していく。その火花を散らしながら降りる様は、文字通りの垂直降下だ。
そして塔の麓にまで辿り着くと壁を力いっぱい蹴り円形島の工場街に向かって飛んだ。
跳躍は美しい弧を描き、やがて工場のスレート屋根の上に着地した。
だがその反動でカナセは骨折した右腕を打ち付け激しく痛む。
「痛てぇ!……」
「うるさいわね! 男だったらこれ位我慢しなさいよ!」
カナセはメイヴィスに叱咤された。泣き叫んでいたのを怒鳴られては面目も無い。
一方、その後を傷を負ったはずのリサも同じ様にスレート屋根に降り立った。
「流石、リサの野郎だ! あの高さから降りて平気な顔をしてやがる!」
デニスは頭のテンガロンハット押さえながら背後のリサの姿に声を上げる。
幾ら魔煌剣士とはいえ、彼女の身体能力はけた違いだ。
その後も無数に立ち並ぶ煙突群の合間を脚長の機械が駆け抜ける。
「逃がすものか!」
更にその背後からリサの追跡が続く。
そしてたちまちのうちに追い着かれた。
「メイヴィス、もっと飛ばせ! リサがそこまで来てる!」
「これ以上は無理よ! こんな重いトラックを使わせるから……」
急かすデニスに向かってメイヴィスが呻く。彼女の操縦も決して遅くはない。それどころか道ではない工場の屋根の上を軽妙に飛び越えてゆく様は賞賛に値する。
だがそれを超えてリサの足が速いのだ。
「駄目、追いつかれる!」
「判った! だったら任せとけ!」
デニスが荷台の端の銃架に搭載していた火器に取りついた。
火器は百発入りの大型弾倉を積んだ7.62㎜汎用機関銃だった。
「インドラとチャンドラの加護を!」
呪文を唱えながらにデニスが引き金を引いた。狙いを定める必要もない。ホーミング・ショットの魔煌技によって百発の誘導弾体が迫り来るリサに向かって吸い込まれていく。
「うっ!」
その銃弾の多さにリサも慌てて障壁を展開する。しかし襲い掛かる銃撃の猛火には耐え切れず障壁は砕け、逆に銃撃の猛火を浴びた。
「やったぜぇ!」
攻撃を受け、中空に弾き飛ばされるリサを見ながらデニスが歓喜の声を上げる。
しかしリサが東征號の戦乙女としての力を発揮するのはこれからだった。
「まだまだ!」
リサは空中で左腕に仕込んでいたワイヤーを発射した。
ワイヤーの先端には鋭利なアンカーが仕込んでありマギアギアの荷台に命中すると両者をつなぎ合わせる。
その直後、リサは鞭の様にしなるワイヤーを手繰り寄せ、カナセの下に急接近する。
「まだ来るぞ!」
カナセが青ざめながら声を上げると、デニスが機銃の残弾を全て打ち込んだ。
しかしリサは右手のサーベルを独楽の様に高速回転させると襲い来る銃弾を次々と弾き飛ばす。
「んな馬鹿な!」
カナセが仰天した。それは誰の目から見てもあまりにも出鱈目な光景だった。戦闘魔煌技で強化されたといってもそれは人の限度を超えている。
「追いついたぞ……」
荷台に取りついた瞬間、リサは目の前の連装機関銃を素手で薙ぎ払った。
「ぐわぁ!」
横殴りに巻き込まれたデニスも吹き飛ばされる。
そんなリサと目が遭った時、カナセは自分の背筋が凍り付くのを覚えた。そして彼女の持つその出鱈目の正体を知った。
立っていたのは赤髪も美しい麗しき美少女ではない。
銃撃で頭皮の半分を剥ぎ取られた惨たらし女剣士の面差しだった。
だがその皮膚の下から見えたのは血まみれの白い頭蓋骨ではなく滑らかな金属製の球体で作らてた骸骨格だった。
「逃がさん、カナセ・コウヤ!」
球体から声が聞こえた。それは確かにリサ・マキーナの声だった。
「そんな……機械人形だって?!」
カナセは驚愕する。
リサ・マキーナの正体。それはコアの力で動く人造人間。遥か古代に失われた魔晄文明の遺産だった。
そんな中、苦しい中でデニスが目の前の機械の頭部に向け発砲した。
ソードオフと呼ばれる切り詰めたショットガンから発射された大口径のスラッグショット弾が高速の拳骨となってリサを荷台の外へと引き剥がした。
これにはリサも耐え切れず機械の体は後ろへと流れていく。
更にデニスが荷台に刺さった儘のアンカーを撃ち払う。
リサとカナセ達をつなぎ留めていた物は全て排除された。
機械人形の体はそのまま屋根から落ち傾斜に沿って闇の中に消えていった。
リサを引き離したマギアギアは工場群の屋根を抜け、監視塔からの銃撃をかわし、城壁の様なコンクリートの塀を飛び越えると、ウラ鉄総本部から脱出した。
そしてそのままゴディバの市街地に敷かれた広い幹線道路の上に着地した。
だが一行に気の休まる暇は無い。その背後から間もなく次なる魔の手が迫る。
六台の高速車両が一般車両を押し退けながら三人の乗ったマギアギアに迫って来たのだ。
「チッ! ウラ警のハンターか!」
テンガロンハットの男が舌打ちする。
カナセはハンターという言葉の響きを久しぶりに耳にする。
しかしヨシュアで戦ったハンターは軽戦車だったが、ここでは装甲化された高速追跡車に変わっていた。
追って来たハンターの屋根には機銃砲塔が搭載されており、マギアギアの周囲を囲むと一斉に発砲した。
屋根が無いカナセ達の乗る座席に幾つもの機銃弾が命中する。
「うわっ!」
目の前を横切る銃弾の雨にカナセが慌てて伏せた。
「そのまま頭を出すな! 俺達に任せろ!」
デニスが機械人形を退けた魔煌の弾丸が再び発砲する。
ソードオフから撃ち放たれた弾丸は100万分の1秒単位で弾道補正を繰り返すとハンターのタイヤに命中し、その威力で吹き飛ばした。
タイヤを失ったハンターは蛇行を繰り返した挙句、側道の壁に衝突し走るのを止めた。
それを見届ける事もなくデニスがすかさず次弾を装填、発砲、今度は別のハンターの運転手を防弾性にも関わらずフロントガラス越しに屠った。
そして二両目を狩り終えるとデニスは次々と狙い撃ちを繰り返し、残りのハンターを駆逐していった。
「フン、ざっとこんなモンよ」
ソードオフのポンプアクションを操作しながらデニスが得意げに鼻を鳴らす。
しかし街道の追跡戦はここからが本番だった。メイヴィスの操るマギアギアを左右から二本の鉄道の軌道に挟み込まれると、その上に左右一両づつの鉄道車両が現れた。
しかし車両は動力車も無く単体で線路上を高速で走っていた。
それは気動車と呼ばれる自力走行の可能な車両から改造されたもので、車体は戦車を思わせる傾斜した装甲で覆われ、更に上部には砲塔もある純然たる戦闘車両だった。
二両の装甲気動車は逃走するマギアギアを左右から挟み込むと揃って砲塔を向けた。
車体は共通の物だったが武器は二両とも別の物だった。右の気動車は75㎜の戦車砲で左の方は四門の20㎜四連装機関砲だった。
その二種類の武器を見た瞬間、デニスが叫んだ。
「メイヴィス、カッツェ姉妹だ!」
「カッツェ姉妹ですって?!」
「そうだ、ドラ猫まで出張って来やがった!」
「それだけこの王子様が本物だって事ね!」
メイヴィスが答えた瞬間、二両は自分達の武装を同時に発射した。瘤弾と機関砲弾が三人の乗るマギアギアに襲い掛かる。
「あのバカ猫!」
メイヴィスは毒吐きながら攻撃を避けていく。
しかもここはまだ天下の公道だ。深夜でもまだ周囲には多くの一般車が走っていた。
そこへあの気動車は強力な軍用火器を撃ち込んでくる。
その破壊力たるや先ほどの追跡隊の機関銃など比べ物にならない。中には流れ弾が命中し、一瞬で大破した通行車両もある。
深夜の公道はたちまちのうちに大混乱に陥った。
「あいつら馬鹿か! 周りに人が居るっていうのに平気で撃ってきやがる」
その傍若無人な振る舞いにカナセは仰天した。
「だがそれが奴等、ウラ鉄の正体だ! 自分達の目的の為ならばどんな犠牲も厭わない。神様にでもなった気でいやがる連中だ」
カナセの横でデニスがウラ鉄を罵る。
そんな中、着弾の衝撃で前を走る乗用車が一回転しながら吹き飛ばされた。
宙を舞う鋼鉄の車体が覆い被さる様に三人のマギアギアに襲い掛かる。
だがそれをメイヴィスの操るマギアギアが長い脚で蹴り飛ばした。
乗用車はカナセ達の頭の上を大きく飛ぶと、後は地面の何度も跳ねながら転がっていった。気の毒だが中の運転手は無事では済まないはずだ。
そして気動車の攻撃は緩む気配はない。
乗用車を蹴り飛ばした後に四門の20ミリ機関砲が横から襲い掛かる。
連続した銃声と同時に舗装路が親指大の金属塊で穴だらけにされる。
撃ち込まれてくる弾の数が多い分だけこちらの方がやっかいだ。
「メイヴィス、幕を張るからその間に逃げろ! こんな事ならガーネットを持ってくれば良かった!」
デニスがソードオフの代わりに今度はグレネードランチャーを取り出すと進行方向目掛けて撃った。
砲弾から多量の白煙をまき散らされるとマギアギアは阿吽の呼吸で煙の中に突っ込んでいく。
煙を吸うまいとカナセが慌てて息を止めた。
更にデニスがありったけ煙幕手りゅう弾を周囲に投げ込む。
通りの一角が白い煙で包み込まれ完全に視界を塞いだ。
「脇道に入って逃げるよ!」
マギアギアが滑るように街の隙間の隘路へと入っていった。
その頃にはもう砲声も銃声も聞こえなくなっていた。
恐らく装甲気動車の操縦手達はこちらを見失ったはずだ。
「ここまで来れば大丈夫だ……多分」
「でもリサの次にカッツェ姉妹なんて、本当にモテモテな王子様ね」
狭い通りを走らせながらメイヴィスがカナセの顔を見ながらぼやく。
「カッツェ姉妹ってさっきの列車に乗ってた奴等か?」
「ああ、ウラ鉄警備隊のダブルエースだ。ここに居る限り、覚えておいて損は無い」
そう答えるデニスの表情も安堵の色が見える。
その後、追跡部隊を完全に振り切った一行は光り輝く都市から一転、街中の狭いトンネルへと入っていった。
トンネルはバリケードで塞がれていたがメイヴィスはそのまま突入して障害物を力づくで蹴散らす。
トンネルの向こうは下へ下へと向かう螺旋状の下り坂になっており、最下層まで続いていた。
「痛てぇ……痛てぇよ……」
一方でカナセは骨折の痛みがぶり返す。腕は腫れ上がり、骨折のショックで気持ちが滅入っていく。
「大丈夫か? 名前は確か……」
「カナセって聞いたわ」
「そうだ、カナセ・コウヤだ。大丈夫か、カナセ?」
「大丈夫な訳無いだろ……痛ぇ~」
心配してくれるテンガロンハットの男に向かってカナセは憤る。しかしそんなカナセを見てデニスは笑顔で返す。
「これだけ喋れれば大丈夫だ。アジトに戻れば優秀な医者も居る。骨なんて一晩経てば、元通りくっつくさ。安心しろ」
デニスは笑いながらカナセの折れた腕をポンと叩いた。
「うぎゃ!」
叩かれた拍子に腕の傷が疼きカナセが悲鳴を上げる。
「何よ、だらしないわね」
その横で男装の女がマギアギアを操りながら呆れた口調で返した。
「だ……だらしないだと?」
その言葉にカナセは怒りを覚える。
「元はと言えば、アンタ達の爆発のせいで! ……痛ててててて」
「ああ、もう、ウルサイったらありゃしないわ! 腕を貸しなさい!」
そう言うとメイヴィスはカナセの右腕を強引に引き寄せた。
「痛いって! 何するんだ!」
「こうするのよ!」
メイヴィスは懐から一本の注射を取り出すと消毒もせずにカナセの腕に突き刺した。
「ぎゃ!」
針の痛みがにカナセが悲鳴を上げる。それは薬の魔女の治療と比べれば余りにも荒っぽい対処療法だった。
「痛み止めよ! これで暫く骨折を忘れるわ!」
「好き勝手しやがって……」
「むしろ助けて上げたんだからこっちとしては感謝してもらいたいもんだわ」
「感謝なんてするかよ! だいたいアンタ達何者だ? 何故、俺をウラ鉄の本部から連れ出した?」
「まあ、詳しい事はアジトに付いたら話そうや。もう暫くすれば到着する。メイヴィス、車に戻せ。マギアギアの形態では目立ちすぎる」
「りょーかい」
マギアギアは元の機械に戻された。それは屋根の無い弾痕だらけの六輪トラックだった。そして最後に屋根代わりの幌が頭上を覆う。
「これで良し……」
変形を終えたトラックはその後も深い螺旋のトンネルを下っていく。
その間にカナセの腕の痛みは注射が効いたのか幾らか柔らいでいった。
暫くしてトラックはトンネルを抜けた。
トンネルの先は吊り橋の様な螺旋の下り坂が続き、周囲には広大な地下空間が広がっていた。
空間は暗黒に包まれ、トラックの二つのライトが左右に立つ太いコンクリートの柱を時折照らす。
カナセが上を見上げた。
頭上には柱に支えられた巨大な鋼鉄のプレートが天を覆っていた。
プレートは暗雲の様にどこまでも広がっている。
「ゴディバの町が柱の上に乗っているのか……」
カナセがつぶやく。その柱と柱の間に下り坂が吊り橋の様に掛け渡されいた。
そして天を覆うプレートの下の地下空間にもまた、次のプレートが掛けられていた。
そこで目に入ったのは群れの様にひしめき合うバラックのあばら家の街だった。
街は静まり返り土を押し固めた小さな通りに人影は見えない。上の金ピカの街とはまるで対照的な光景だ。
「街の下にも街があるなんて……」
「下層界よ。貧民窟とも棄民地区とも呼ばれているわ」
カナセの疑問にメイヴィスが答えた。
トラックは下層界を支える床の下を直ぐに抜けると更に下へと降りていく。
そして螺旋の坂を降り切った所で、地表へと辿り着いた。
「最下層だ。ゴディバの奈落の底だ」
デニスが聞いても居ないのに教えてくれた。
最下層は闇とゴミ、そして泥濘となった湿地帯が広がる平原だった。
堆積したゴミが層となってうずたかく積もる中、僅かに見える廃墟の痕跡がここがかつて街だった事を伺わせる。
そんなゴミと廃墟の間を大量の濁水が川となって流れていた。上下層界から下水用パイプによって降りて来た大量の汚水が処理もされず放水されているのだ。
ゴミと汚水から沸き立つ腐臭と泥の臭気は凄まじく、そこに古くなった油や化学薬品の突き刺す臭いまでもが入り混じりカナセの鼻の神経の奥に刺さる。
その臭いは以前嗅いだ水上都市ダグウィードの町を更に何倍も濃度を増した様な酷い有様だった。
「何だこりゃ、ゴミの山と廃液のせいで空気が澱んでる……」
カナセが顔をしかめながらつぶやく。
「あなたもそう思う? 本当に、酷い所でしょ」
「この辺りはゴディバシティのゴミや汚水がそのまま落ちて来る。ろくに処理や浄化もせずに頭の上から捨ててやがるんだ」
「それが最終的に最下層に溜ってるって訳」
そう説明を聞いた途端、遠くで下層界から投棄されたゴミが滝の様に降って来た。
暫くして蛍の光の様な幾つもの灯りが落ちて来たゴミに群がっていく。
「何の光だ?」
「さっきの下層界の連中だ。ああやって街から降りて来ては、降って来たゴミの中から使えそうな物をまた集めている」
「こんな夜中にか?」
「ゴミは二十四時間、四六時中落ちて来る。夜中の方が競争相手が少なくて実入りが良いんだとよ。あいつらの話ではな」
煌びやかなゴディバシティの暗部の実態にカナセは閉口する。
「けど、ここだって大昔は立派な町が地面の上にあったわ。ロータスでも屈指の街並みだって言われた事だってあるのよ」
「なのにあいつらがこのロータスに居座ってからこの様だ!」
「全く、忌々しい連中よ:
二人の言葉からはウラ鉄への恨み節が滲み出る。
トラックは最下層をひたすら西に走り続けると外縁に辿り着いた。道は更に悪くなり泥に車輪が取られるようになる。
揺れ動く荷台に辟易しながらカナセは周囲を伺う。
外に向かうほどゴミの山は消え代わりに廃墟の景観が色濃くなっていく。
メイヴィスの言う大昔の市街地の残滓だ。
「目的地はまだか」
「もうすぐ到着する」
暫くしてトラックは廃墟を抜け町はずれの一件の民家に停まった。
民家と言っても見た感じ自宅が隣接した診療所の様だ。
「足元が悪いから気を付けろ。歩道代わりの桟橋が掛かってるからそれに乗るんだ」
二人が先にトラックを降りるとカナセは痛い腕を労わりながら彼らの後に付いていく。
降りた途端、カナセは言われた通り木製の桟橋の上に乗った。周りには溜った汚泥の嫌な臭気が漂う。
「こっちだ。足元が悪いから気を付けろよ」
デニスがカナセの足元をランタンで照らした。
道路と桟橋から外れたら、そこもヘドロと汚水に塗れた浅い湿地帯だった。ゴディバから流れて来る汚水が街の外にまで達しているのだ。
落ちれば病原菌で破傷風にでも掛かりそうだ。
「こんな所に本当に医者が居るのか?」
「こんな所だから医者が必要なんだって。この診療所の院長先生の言葉よ」
やがて三人は診療所へと入っていった。
診療所は汚水の湿地を避ける為に基礎が高床式になった木造建築だった。しかし何十年も前に建てられたらしく全体が灰色掛かり水や油が抜け痩せ細っている。
デニスは机の上にランタンを置いた。
「先生を連れてくる」
デニスが姿を消すと診療所の待合室はカナセとメイヴィスの二人だけになった。
カナセは傍にあった丸椅子に腰掛けると右腕の状態を確かめる。痛みは和らいでいたが腫れはそのままだ。
「なあ、アンタ」
「メイヴィス・サンディ」
黒髪の男装の女はフルネームで名乗った。
その素っ気ない言い方にカナセもこう切り返す。
「別に頼んだ訳じゃないからな。礼は言わねぇぞ」
「それで構わないわ」
彼女もつっけんどんで言い返す。まるで歩み寄る素振りを見せない。
「なあ、アンタ達二人、ファイタスって連中か?」
カナセが当てずっぽうで最近覚えた言葉を口にした。その言葉にメイヴィスはピクリと長い睫毛を跳ねてみせる。どうもカナセの読みは当たった様だ。
「どこでそんな言葉を知ったの? あなた、ヨシュアから来たばっかなんでしょ」
「リサがそんな事を言っていたのを思い出したからな」
「だから何?」
「早い話が俺に何の用だって事だ」
「だからそれは先生に聞きなさい。込み入った事を言うのはあまり得意じゃないの」
暫くしてデニスが医者を連れて戻って来た。
「先生、急患はこいつだ。さっき腕の骨を折ったんだ。診てやってくれ」
医者は痩せ細った禿げ頭の小男だった。名前はゴッペルというらしい。
「おい、貴様か? こんな夜更けに骨を折ったなんていう馬鹿者は?」
ゴッペル先生は明らかに酔っぱらっていた。
寝酒の後で頭の天辺まで真っ赤になった顔を見てカナセは不安になる。
「ちょっと大丈夫なのかよ、この先生」
「大丈夫だ。こう見えても魔煌医療の権威だ。酒は、まあ、消毒みたいなモンさ」
「消毒って……」
「良いから来い! 言いたい事なら処置室で聞いてやる!」
カナセは奥の処置室に連れていかれた。
腫れた右腕が突き出されるとゴッペル先生は患部をゆっくりと触った。
「おい、若いの。痛みは?」
「無いよ。さっき痛み止めの注射を打たれたからな」
「ふん、素人が余計な事をしおって……」
ゴッペルは不機嫌そうにぶつぶつと嫌味を繰り返す。
しかしデニスが言った通り先生の治療の腕前は確かな様だった。
触診の後、ゴッペル先生は医療魔煌具用のコアを指に嵌めると魔煌技を唱えた。
骨折箇所は僅かな時間で元通り繋がり、後はその上から魔煌の湿布薬を貼られた。
「数日もすれば腫れも引くじゃろう。あと、そこかしこに傷がある様じゃが消毒して赤チンでも塗っとけ。後で悪くなったらちゃんと金を持って儂の所に来い」
そう言い残してゴッペル先生はここから立ち去ろうとした。
「ちょっと待ってくれ、先生!」
だがそれをデニスが止めた。
「何じゃ? まだ用があるのか?」
「今日、ソフィアに会った」
「ソフィアに?」
その名前を聞いた瞬間、先生の額に深い皺が刻まれた。明らかに不快感が滲み出ている。
「あのバカ娘め、まだ生きて居ったのか……」
「言うなよ。その先生の娘のお陰で俺達は彼を助け出せたんだ」
「この小童が何だと言うのだ……唯のゴミ漁りではないのか?」
先生は面白くなさそうな顔でつぶやく。
そんな先生に向かってデニスは大仰に言い放った。
「聞いて驚け。この少年はあのエリザベス・アムンヘルムの弟子だ!」
だがそれを聞いた瞬間、先生の表情は一瞬で怒りに変わった。
「馬鹿も休み休み言え! あの……あのベス先生の御門弟がこんな馬鹿面な訳があるはずがなかろう!」
ゴッペル先生は傍にあったカルテの束をデニスに投げつけた。しかしデニスは紙束を容易く受け止めると尚も言う。
「いや、これは確かな情報だ。こいつの名はカナセ・コウヤ、ロータスの魔女の正当なる後継者だ!」
「カナセだと?」
「そうだとも! そんな名前、あの人以外に付けると思うか? 俺たちは見つけたんだよ、ロータスを救ってくれる救世主をさ!」
デニスの言葉には凄まじい熱量が籠っていた。それをゴッペル先生は黙って受け止める。
だが一方でカナセはデニスが発する気迫に戸惑いを覚えるばかりだった。




