第15話 さよなら友よ
翌朝、遂に戦闘母艦ムラクモが連合艦隊から離れていく日が訪れた。
「全員、帽振れ!」
旗艦ヨークタウンの甲板上、水兵達が士官の声に合わせて一斉に帽子を振る。
その一方でカナセは船尾甲板に立つと、どこから持ち出したのか大きな水軍旗を大仰に振り回した。
「気を付けて帰れよ~!!」
カナセがムラクモの甲板に向かって叫び続ける。向こうの甲板では隊長以下、水上騎兵隊の仲間達が手を振ってくれていた。
その中でカナセを一番喜ばせたのは看護兵のパロマの押す車椅子に座ったマリウス・ルーメン少尉の姿だった。
「マリウス~!」
カナセは両手を振りながら甲板上で小さくなっていく相棒の名を呼んだ。マリウスは旗振るカナセの気持ちに何とか答えようと包帯が捲かれた右手を僅かに上げた。
そんな相棒の健気な姿にカナセの瞳から涙が零れ落ちる。
「あの野郎、やってくれるじゃないか!」
別れの前、カナセはマリウスと一言も言葉を交わす事が出来なかった事だけが心残りだった。
しかし今の彼の姿を見た瞬間、胸の奥が喜びに満たされそんな事はどうでも良くなった。
そして今は只、水平線の彼方に消えていくムラクモの無事な帰還を軍旗を振りながら祈った。
ヨシュア水軍の中で小さな式典が終わった。艦内は何事も無かった様に通常勤務に戻り、皆が忙しそうに甲板の上を駆け回る。
そしてカナセにも次の仕事が待って居た。まずは次の勤務先となる揚陸艦カンザスへの移動だ。
だがその前に船内でカナセを呼び止める声がした。それは海戦の夜、ムラクモの警備隊長だったカッシーニ中尉だった。彼も配置換えで旗艦ヨークタウンの勤務になっていた。
二人以外は誰も居ない廊下の隅に立つと中尉は神妙な表情でカナセに言った。
「今から話す事はナット大尉に頼まれての事だ。通常ならひとりの特務下士官に語るべき内容でもないが当事者としてお前の耳に入れておくのも道理だろうと大尉に説得され、私個人の責任で話す事にした」
「それで何の話です? 昨日の高速突撃艇を沈めた件はお咎めなしって聞きましたけど」
「ジル・ガスキン一等水兵の件のその後だ」
中尉の言葉にカナセは息を飲む。
ジルはギップフェル海戦の夜、戦闘が始まる前に殺された水兵だった。
カナセとは友達でもあり、何よりカナセが遺体の第一発見者だった。
残念ながらジルの亡骸は戦闘の最中に海に落ちたらしく失われてしまっていた。
そして何より口惜しいのがそのジル殺しの犯人が未だに見つかっていない事だ。
捜査は現在、海軍特別警察隊によって行われている。
カナセも犯人逮捕に協力する為、戦闘後、警察隊の前で目撃した情報の全てを伝えたが犯人逮捕への有力な手掛かりには未だ結びついていない。
「それと昨日、言ったでしょ? ケルピーのテスト航海の時に襲って来た復讐者の話」
「ああ、魔獣使いに名指しされた事だろ?」
「あれだっておかしな話だ? あっちは俺の居場所が完璧に判ってたんですよ。こりゃ間違いなく船内にスパイが居る証拠です」
カナセは昨日の高速突撃艇を沈められた件も報告していた。
「そっちの方は何か捜査に動きがあったんですか?」
「いや、無い。警察隊の話ではどちらも何の進展もないらしい」
「それってヤバいんじゃないんですか?」
「その通りだ。こんな最中に殺人スパイを艦内にのさばらせる事は、ポケットに安全ピンの抜けた手りゅう弾を入れて戦う様なものだからな」
「そりゃ、そうでしょう」
「だが結局の所、ガスキンの死に関して言えば手掛かりはお前の目撃証言しか無い訳だ。実際、袈裟懸けに斬られていたガスキンの死体は私も見ていない。ただガスキン殺害がムラクモに積まれた水上突撃艇の破壊工作と何らかの関連性がある事は警察隊も認めている所だ。そして昨日の高速艇襲撃の件、どうも事件は騎兵隊の周辺で頻発するらしい」
「成程、判りましたよ。中尉の狙いが」
「何だ?」
「俺も事件の捜査に参加しろって事ですね」
そう自信ありげにカナセが答えてみせた。
「まあ、この艦隊で唯一の騎兵隊員は俺だけですからね。恐らく、敵の狙いはこの優秀な騎兵隊のエースってのが、警察隊の読みでしょう」
そしてこの作戦に参加している一番嫌いな人物の名前を挙げた。
「俺、思うんですけど、ナタルマって奴が一番怪しいと睨んでるんですけどね」
「根拠は?」
ナットが一応、聞き返す。
「だってあの野郎、格闘専門の魔女でしょ? 絶対に刃物の扱いも手馴れてると思うんですよ。その刃物で前からバッサリ。どうです?」
しかし中尉はそれを聞いて逆に溜息を吐く。
「彼女なら恐らく白だ。彼女の配置先は海域の外に居た上陸部隊の中だし、先方で確認すれば判るだろうが……。その前にお前は海戦前の24時間以内に彼女の姿を艦内で見かけた事はあるか?」
「いいえ、さっぱり……」
「根拠の無い推論だけで人を疑うのは慎め」
逆にカナセは中尉に窘められた。
「それと今回の件でお前が捜査に協力させられる事は万が一にもありえない」
「どうしてそんなにはっきり言えるんです?」
「お前自身も容疑者のひとりだからだ」
「何だって!」
冷然と答える中尉の言葉にカナセは驚愕した。
「ちょっと待って下さい! いきなり何だよそれ。俺が何したっていうんだ!」
「先に言ったろ? 事件は常にお前の周囲で起きている。だから警察隊はお前も容疑者のリストに入れている事は確かだ。最も昨日のリエル女史の証言でお前の容疑は濃いグレーから薄いグレーくらいには変わったはずだ。だが私が伝えたいのはそんな事じゃない」
「だったら、何だって言うんです?!」
容疑者扱いされカナセもお冠だ。自分も被害者のひとりにも関わらず容疑者扱いでは理不尽にも程がある。
「まあ、落ち着け。お前の怒る気持ちも最もだが、これからが本題だ」
怒りが収まらないカナセを宥めながら中尉はこう言った。
「そんなお前が水上騎兵隊の撤退後、居場所が無くなった。しかしこれは司令部にとって悩みの種となった」
「何をそんなに偉い人達が困るっていうんですか?」
「負傷兵で無い者がムラクモで帰還すのもおかしいが、ヨークタウンに置いておくのも厄介だ。だが居るからには誰かに押し付けなければならない。そこで考えられたのか……」
「陸戦隊?……」
「そういう事だ」
「酷ぇ! どこまで俺を蔑めば気が済むんだ!」
カナセは表情を歪める。要するに中尉の伝えたい事実は容疑者を出来る限り自分達から遠ざけたいという司令部の思惑だった。
「それとお前の素性を詳しく調べる為に組合にも確認が取られた」
「組合は何て?」
「リエル女史は全く問題ないと太鼓判を押した」
「そりゃそうでしょ」
「しかし組合本部から送られてきた書類には素行に難あり。特に年配者に対する配慮や敬意が著しく欠落していると記されている」
「誰がそんな事、書いてるんです?」
「書類にはボン・エニール氏の署名が記されていた」
「あのマッシュルーム野郎……」
カナセはキノコ頭を思い出しながら唇を噛む。組合には450番コアを取り返した恩義があるはずなのに、自分はまたエニール家の呪いに祟られるのか!
「そんな身内の不祥事で止めた奴の書いた物を信じるんですか? このトラスニークの英雄を!」
「しかし組合の公式である事には変わりない」
「だからって!……」
このお役所仕事め!
「とにかく、自分の話はここまでだ。大尉が騎兵隊から陸戦隊に転属になって気落ちしてるかもしれないと心配されて居られたからな。しかし職務上、大尉は事件の事は口外出来ない為、自分が代わりに代弁した訳だ」
「そうですか……。ご丁寧にどうも」
「まあ、そんな腐るな。突然の配置転換で戸惑いもあるだろうが頑張ってくれ。確かに今のお前は司令部に疑われている。だが同時にお前自身の優秀さも認められているのも事実だ。だから陸戦隊で懸命に励め。そうすればそのうち嫌疑も晴れるはずだ。それにお前の魔煌技で一番得意なのはモーフィング・マギアらしいじゃないか。ならばあちらに行っても重宝されるはずだ。そう落胆する事もなかろう……」
そう言って中尉は厳めしい顔付きに無理やり笑顔を作って慰めてくれた。
しかしその時、既にカナセの中では中尉の言葉なんてどうでも良くなっていた。
自分は容疑者として疑われている。
警察隊や司令部に目を付けられては、もやは大尉様どころではない。
厄介者の排除の為、難癖を付けられて拘束、下手をすれば逮捕という可能性もある。
それに陸戦隊にはあのナタルマが居る。
「顔を合わせずに済めば良いんだけどなぁ……」
それを思うとカナセの気持ちは急に重くなった。
中尉と別れ、僅かな荷物を纏めて甲板の最後尾に出ると、物憂げな表情を浮かべながらクレアが待ち構えていた。
「カナセ君……」
「いやあ、水軍のアイドル様がお出迎えとは……」
「冗談は止めてよ。別にそんなんじゃないわ、私は私よ!」
「まあ、冗談はさておき。ありがとう、クレア。わざわざ送り迎えなんてしてくれて。それと昨日の事でも証言してくれたんだって?」
「私こそごめんなさい。もっとあなたの特性にあった配置場所をって、掛け合ったんだけど……。駄目ね、肝心な時にあなたの力になれなかったわ」
「別に君が気にする事じゃないさ。まあ、あれだ。星の巡りが悪かったのさ。こんな事だってあるって事だよ」
「でも私は後見人よ。あなたを手引きする義務があるわ」
「じゃあ、そろそろ独り立ちの季節なんだろ?」
「でもあなたが向こうで面倒を起こさないか心配だわ」
「本当に君は気苦労が多いな……。大丈夫、俺だってもう子供じゃないさ。ちゃんと領分は弁える。面倒は起こさない。何なら竈の神様に誓ってやってもいいぜ」
そう言ってカナセが笑ってみせた。
最も、カナセがクレアに向かって気にすべき事はそんな事ではない。
「そんな事よりクレア……」
「なに?」
「結局、空爆の魔女は続けるのか?。俺、それでミリアとの約束を一個破っちまった」
「……」
一瞬、クレアはカナセの言い方に戸惑う。流石に妹の名前を出されてはクレアも言い返せない。ミリアは最初から姉がこの遠征に参加する事自体が反対だったのだ。
しかし小さな声で彼女はこう答えた。
「それが使命だから……」
「止めちまえよ、そんなモン」
カナセが反対した。
「苦しみながら戦うなんて、見ているこっちも辛くなる」
「でも誰かがやらなくちゃ……」
「それがクレアである必要なんてどこに無いだろ? それに君は爆弾を落とすより薬で多くの人達を救う事の方が似合っている」
「はっきり言うのね。嫌いになっちゃいそう……」
「君を思っての事だよ」
「判ったわ……。真面目に考えてみる」
「頼むよ。他人を思うのも大事だがもっと自分の事を真剣に考えてくれ」
カナセは本心から訴える。しかしクレアからの返事はない。
艦の後方に接舷してある連絡艇からクラクションの音が聞こえた。その音にカナセが溜息を吐く。
「来いって合図だ。じゃあ、もう行くよ。あんまり待たせると淡海に叩きこまれそうだ」
「カナセ君!」
クレアが思わず引き留める。
「その……ありがとう」
クレアには自分の事を真剣に考えてくれる彼の気持ちは素直に嬉しかった。
しかし彼も自分が戦わない事を望んでいると思うと心苦しさで潰されそうだ。
自分のわがままで大勢の人を苦しめていると思うと正直、辛い。
もうそろそろ本気で身の振り方を考える時が来たのではないか? そう思えてくる。
一方でカナセの乗った連絡艇が旗艦ヨークタウンから離れていく。
「この作戦が終わってヨシュアに帰ったらさぁ。俺たちとミリアの三人で何か美味い物でも食いに行こうぜ。俺が全部奢るよ」
連絡艇の上でカナセはクレアに手を振った。
それを見てクレアも笑顔で見送る。
しかしクレアの気持ちが晴れる事は最後まで無かった。
旗艦ヨークタウンがカナセの目の前で小さくなっていく。
容疑者にされようが追い出されようが、あの船に未練など何も無い。
「逆に清々するぜ……」
だがやはりクレアと暫く会えなくなると思うと寂しさが募る。
それに正直、クレアがたったあれだけの説得で飛ぶ事を諦めるとは思えなかった。
「何とか、次の戦闘が始まる前に説得しなきゃな」
幸い、島攻略にはまだ時間がある。それまでに次の手を考えねばならない。
「まあ、今はあちら様からの歓迎待ちか……」
そう言うとカナセは視線を変えた。
すると海原の先には揚陸艦カンザスが揚陸艦隊の中で航行中だった。
揚陸艦カンザスの船体はムラクモに匹敵する大型船だった。そして淡海の艦艇のご多分に漏れず喫水と乾舷が浅くタライが浮かんでいる様な平底船だった。
その巨体の中には上陸用舟艇と呼ばれる小さな船が何隻も収められていた。
カナセは近い将来、その小型船のどれかに乗ってギップフェル島の海岸に上陸する事になるはずだ。
やがて内火艇がカンザスに接舷するとカナセは甲板に降り立った。
そして一人の人物が待ち構えていた。
しかし顔を合わせた途端、カナセは愕然とした。
一方で出迎えた側は不遜な笑みを浮かべながら大仰に構えた。
「気を付け!」
その人物から号令が飛んだ瞬間、カナセは反射的に姿勢を正す。
「ようこそ、お嬢さん! ここは地獄の一丁目、ヨシュア水軍魔煌陸戦隊本部だ! オイラはそこの隊長のナタルマ・シングだ! 今日からオイラが貴様の神様でありママであり教官であり恋人だ! その代わりミッチリと陸戦隊魂を鍛えてやるから覚悟しておけ!」
隊長と名乗るナタルマの言葉に目の前が真っ暗になる。
「な、何でこいつがここに居るんだ……」
それどころか自分を隊長だとほざいていやがる。
だがそんな気持ちが伝わったのか早速、隊長の癪に障った。
「なんたその態度は! ママの声が聞えたら即答しろ!」
隊長の物言いにカナセの気鬱が怒りに変わる。
正直、ここで死ぬまで殴ってやりたい所だ。
しかし心の片隅に僅かに残った理性がブレーキを掛ける。
今、カナセはジル殺しの容疑を掛けられている最中だ。
ここでナタルマに喧嘩を仕掛ければ警察隊に逮捕の口実を与えてしまう。
それに何よりカナセにはクレアを守る使命がある。
彼女の為にもここは我慢するしかない。
「イ、イエス、ボス……」
カナセは渋々、ナタルマに返事を返した。
まさに断腸の思いだ。
しかし、そんな言い方ではナタルマを満足させられず、逆に怒鳴り返される。
「違う! ここでの返事はイエス、マム! それだけだ! ノーサンキューは絶対禁止! この世に存在しない! 判ったな! さあ、言え!」
ナタルマの態度も高圧的だ。軍隊の階級社会を盾に一切の批判を許さない構えだ。
「イエス……マム……」
カナセは不承不承、返事を返した。
しかしやる気のない小さな声が返って来た途端、ナタルマは容赦なく罵倒する。
「何だ、その声は! やり直し!」
「イエス、マム……」
「小さい! やり直し!」
「イエス! マム」
「腹の底からだ! やり直し!」
「イエス! マム!」
「キンタマ付いてるのか、インポ野郎! やり直し!」
「イエス!! マム!」
結局、カナセは半時間近くイエス! マム! 無意味なやり直しをさせられた。
お陰で最後には喉が枯れてガラガラ声に変わってしまっていた。
そしてこの日からナタルマ・シングに頭を押さえつけられた生活がここから始まるのだ。
その現実にカナセの気持ちは暗澹たる思いに苛まれていった。




