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第14話 怪魚


 だがクレアの心が癒される時間はそう長くは続かなかった。

 遠くからコアモーターの音を轟かせる音が聞えた。

 カナセとクレアは慌てて体を起こすと、一隻の民間用クルーザーが猛スピードでこちらに向かって来るのが見えた。

「何だ、ありゃ?」

 ふたりはクルーザーを注視する。全く予想外の出来事だ。

 やがてクルーザーは二代目ヴァイハーンの目の前で停まった。

 クルーザーの舳先に人が立つ。

 初めてみる女の顔だ。

 女は長かった黒髪を短く切りそろえ、階級章も部隊章もない戦闘服に身を包んでいる。

 しかしその表情は厳しく、本来は端麗だと思われた面差しも鬼の様に厳めしかった。

「ヴァイハーンのカナセ・コウヤだな!」

 女が船体の赤文字を見ながら叫んだ。

「そうだ! 俺がカナセ・コウヤだ! だからどうした?!」

 カナセも相手に呑まれまいと言い返す。

「私の名はリッタ・ブラン! 貴様に殺された婚約者。ハシム・レンドルの仇を討ちに来た!」

「仇だって?」

「今から二週間ほど前。貴様は仲間と共に四隻の哨戒部隊を襲ったはずだ。その中にハシムが居た。ハシムは貴様に殺されたのだ」

「俺が殺したって証拠はあるのか?」

「その船体のヴァイハーンの赤文字が何よりの証拠! 生き残りの証言から貴様がやった事は割れているのだ!」

「成程、そういう事か……」

 カナセは相手の主張を理解すると甲板から操縦席に回った。

「クレア、箒でここから離れてくれ。奴と勝負する」

「ちょっと、待ってよ! カナセ君!」

 戦おうとするカナセをクレアが慌てて止めた。

「何もかもが変よ! いきなり現れて仇討ちなんて!」

「そうかい? 一応、筋は通ってる様に思えるけど」

「だって動機が復讐なんて……。これは戦争なのよ」

「復讐は言いっこ無しだよ、クレア。現にクレアだって戦ってる理由の中にお父さんの復讐だって何割か混ざってるんじゃないか?」

「それは……」

 クレアは否定できない。

「でもそれを個人に向けるのは幾らなんでやりすぎよ……」

 だがカナセはそうは思わない。クレアの様に殺して気に病む者が居れば、逆に殺されて怒りに震える者も居るはずだ。

 戦争だから仕方がないで割り切れるばかりとは限らない。

「そんな事より、相手の出方が問題だ。こっちの軍用艇に対して民間用のクルーザーで挑もうなんて普通じゃありえない」

「そうよね。それにカナセ君がここに居る事を突き止めるなんて……きっと何かウラがあるはず……」

「何をごちゃごちゃ言ってる! 仲間を呼び寄せる為の時間稼ぎか?!」

「そんな事はしないさ! せっかくの一対一の決闘の申し出だ。それよりもそんな民間クルーザーでこっちと本気でやり合う気か? こいつは最新鋭の戦闘艇だぞ」

「ふん! 心配は無用だ!」

 そう言うとリッタは甲板に置いていた箱の中から短い杖を取り出し、頭の上に掲げた。

 杖は銀製で先端には大きなコアが埋め込まれている。

「マギアルマだわ!」

 杖を見たクレアが思わず叫んだ。

「門の神ユピテルよ! 我が一族の契約に従い、願いを叶え給え!」

 その直後、リッタが神に祈りを捧げると、先端のコアから青い光がほとばしり周囲を包み込む。

「うわっ!」

「キャア!」

 杖から放たれた青き輝きでカナセとクレアの目が眩んだ。

 光は一瞬で収まったが、甲板の上の彼女の姿は消えていた。

 だが次の瞬間、目に飛び込んだ物はクルーザーの上で浮かんでいた白い影だった。白い影は重力に従いながら、そのまま水面へと着水した。

 巨大な水柱が立ち昇り今度は水煙で視界が霞む。

「コナクソ!」

 カナセがヴァイハーンを走らせ、慌ててその場から離脱する。

 本能が危険を察知していた。

 だが直後に細長い高速突撃艇の背後を水中から牽かれた白い大きな軌跡が追跡する。

「カナセ君、何かが追い掛けて来るわ!」

「何だって?」

 カナセが振り向くと大きな軌跡の中から新たな二本の軌跡が分離するとヴァイハーン目掛けて突っ込んでくる。

 カナセは前にそれとよく似た物を何度か見た記憶がある。

「わあぁっ!」

「キャアアアアア!!」

 ヴァイハーンの傍で二本の軌跡が水中爆発を起こした。

 直撃は免れたもののヴァイハーンは船体を激しく揺さぶられる。

「ソニック・トーピード! 指向性衝撃波魚雷! 水の魔煌技の一種よ!」

「魔煌技の魚雷だって? じゃあ、あの女も魔女か!」

 衝撃波を浴びたヴァイハーンの船足が鈍る。

 そこへ大きな軌跡が近寄ると水面を掻き分け白い巨体が姿を現した。

 そして己の優位を誇示するかの様にヴァイハーンの傍でジャンプした。

「くじら?!」

 巨体を見上げながらカナセはアイス・インパクトの際に絶滅した外海の海洋哺乳類の名をつぶやいた。

 しかしその巨大生物は見掛けは鯨に似ていても全く別種の存在だった。

 50mを超える饅頭の様な白い巨体に十三枚のヒレ、体中に埋め込まれた百八個の眼球に左右に開いたヤツメウナギの様な二つ口、そし前方に伸びた銀色の一角。

 それはこの世にいる生き物で何者にも似ていない、一言でいえば化け物だった。

「あれは水魔ローエングリーン!」

 着水し白波を立てながら海面を揺らす化け物の名をクレアが叫んだ。

「知ってるのか、クレア?」

「ユピテル神に使える魔獣の一柱で泳ぐのが得意な召喚獣よ」

 それを聞いて真っ先に頭に浮かんだのが国奉隊の副隊長バングレが操るタンホイザーだった。

「ユピテルの魔獣って……あれと同種の化け物だって事か?」

 だがその体格は遥かに目の前の魔獣の方が大きい。

「カナセ君、とにかく逃げて! あんなモノと水中で戦えば大変な事になるわ!」

「わ、判った!」

 カナセはヴァイハーンを再び走らせた。

 一方、走り去ろうとするヴァイハーンに向かって異界の鯨が猛追する。

 そして水中で開いた二つの丸い口から衝撃波魚雷を発射した。

「危ない!」

 カナセは舵を切り今度は魚雷をやり過ごすと外れた所で水柱が起こる。

 しかしローエングリーンは魚雷を何度も連続発射する事でヴァイハーンを次第に追い込んでいく。

「くそ、スピードはこっちが上だっていうのに!」

 相手の攻撃に翻弄され得意の高機動が活かしきれない。

「カナセ君、こっちも魚雷を使いましょう! ケルピーには積んでるはずよね」

「駄目だ。ヨークタウンで修理する時、司令部に誘爆を嫌がられて外されたんだ」

「そんな……」

 すなわち今のヴァイハーンには水中の敵に対抗できる兵器が一つも搭載されていない事になる。

「とにかく何か反撃の糸口を……」

 カナセが周囲を見渡す。

「さっきのクルーザーの中であの女が魔獣を操ってるはずだ……」

 クルーザーを発見次第、75㎜砲を打ち込む。そうすればカーニャ村でラーマがバングレを倒した時の再現だ。あの女を倒した瞬間、魔獣は異界へと強制送還されるはずだ。

 しかし目に映るのはどこも水面だけでクルーザーの姿はない。

「逃げただって? じゃあ、どうやってあの女は魔獣を操作してるんだ?」

 カナセがその事実を不審がる。しかしその理由をクレアが教えてくれた。

「駄目よ、カナセ君。ローエングリーンは遠隔操作じゃない。召喚者を体内に取り込んでるはずよ」

「じゃあ、あの女は化け物を中から操ってるって事か?」

 ならばカナセはあの鯨の化け物を直接倒さねばならない事になる。

「じゃあ、一体どうすれば……」

 ローエングリーンは難敵だ。恐らく防御力も高いはずだ。今の状態では自力で倒すのは不可能だ。

 一方で、そのローエングリーンの中でリッタ・ブラウンが高笑いを上げていた。

「あははははは! 何が最新鋭の戦闘艦よ。全く、相手にならないじゃない!」

 リッタは肉体をローエングリーンと融合させながら勝利を確信する。

 すでにローエングリーンは逃げるヴァイハーンを魚雷の射程に取らている。

 このまま連続発射で数発叩き込めば、衝撃波を浴びた船体はバラバラになるはずだ。

 そんな中、逃げ惑うカナセの目にクレアが掲げた花束が水面で浮かんでいるのが見えた。

「あの花は確か……」

 花束を見てカナセの中で何かが閃く。

「そうか、あれだ!」

「どうしたの、カナセ君?」

「悪いけど、クレア。俺を恨むな!」

「嫌よ! いじわるするんなら嫌いになるわ!」

「けど、もう遅い!」

 そうカナセが叫ぶとヴァイハーンは花束のすぐ脇を掠めて直進した。

「ふん、そんなに一直線に進んだら当てて下さいって言ってるようなものじゃない」

 リッタが魔獣の体内でほくそ笑む。

 ローエングリーンは真っ直ぐに滑走する水馬目掛けて衝撃波魚雷を発射した。

 しかし魚雷はヴァイハーンに辿り着く前に爆発し大量の金属の残骸を捲き上げる。

「なに? どういう事?」

「やった上手くいったぞ!」

 残骸は壁となって両者を隔てヴァイハーンに逃げる隙を与えた。

「一体、何が?……」

 魚雷が届かなかった事にリッタが訝しがる。

 しかし爆発地点に辿り着いた途端、急停止し、何が起きたのかを理解した。

「沈没船ですって?!」

 それは淡海の海底で沈んでいた貨物船の屍だった。

 その沈没船の残骸が魚雷の進路を塞いだのだ。

「でもなぜこんな所に……」

 リッタは知らない。その船はクレアの父親が船医として搭乗し、挙句にウラ鉄に沈められた貨物船だった事を……。

「でも、これを盾にした事に間違いないわ……」

 カナセはクレアの花束を目印に沈没していた貨物船のコアを発見すると、魚雷をかわした隙にここから脱出したのだ。

 もはや異界の鯨の泳ぎでも逃げた高速突撃艇には追い付けない。

 暫くしてローエングリーンのもとにクルーザーが近寄って来た。

「リッタ! 大丈夫か?」

 船の中から男の呼ぶ声が聞こえる。

 操縦席にはマッセル・タリムが居た。

「逃がしたわ。もう少しの所だったのに……」

 そういうとローエングリーンの巨体は瞬く間に銀の杖の中に吸い込まれていく。

 異界の白鯨から解放されたリッタはクルーザーの上に飛び乗った。

 ヴァイハーンを取り逃がしたリッタの表情は悔しそうだ。

「マッセル、今すぐアレを追い掛けて! このまま追跡戦に入るわ!」

 リッタはすぐにマッセルに指示を飛ばす。

 そんな彼女にマッセルが恐る恐る言う。

「リッタ、こんな事はもうやめようよ。君も見たろ? あんな高性能の高速艇、ウラ鉄にだって無いくらいだ。流石に君の召喚獣相手でも……」

 そうマッセル諭されてもリッタは逆に睨み返す。

「ここまで追い詰めておいて止める訳ないじゃない!」

「けどリッタ……」

「それとマッセル、私、言ったわよね。これは私の戦いだからあなたには関係ない。何時でも降りてもらっても構わないって!」

「そんな事はないよ。ハシムの仇は僕の思いでもあるから……」

「なら今すぐ、追いかけて頂戴。出力が上がっているこの船なら追い付くはずよ」

「うん……」

 リッタの迫力に負け、マッセルはクルーザーをヴァイハーンが逃げた方向へ仕方なく走らせた。

 その傍らでマッセルは小さな声で気弱につぶやく。

「こんなつもりじゃなかったのに……。ハシム、お前、俺を恨んでるよな……」


 二人を乗せたクルーザーはヴァイハーンを追跡した。

 敵の逃げた方向は魔煌探信儀で既に捕えている。

 その甲斐あってクルーザーは逃げたヴァイハーンの行方をすぐに発見した。

 否、正確にはヴァイハーンがわざとここに待って居たのだ。

「ふん、なるほどね。ここが決戦場って訳ね」

 リッタが面白くなさそうに鼻を鳴らす。

 ヴァイハーンが泊まっていたのは先日、ギップフェル沖海戦が行われた海域だった。

 その海面の下には両軍によって沈められた多くの艦艇がそのままになっていた。

 中には船底を上に向けて転覆したまま浮いているガンボートもあれば、浅瀬で座礁して半身を海面上に晒しているモニター艦もあり、さながら船の墓場といった様相だ。

「沈没船を盾にして魚雷を封じようって魂胆ね。卑しい!」

 リッタは再びローエングリーンを召喚させ、自身と一体化させた。

「けど、同じ方法が何度も上手く行くと思ったら大間違いよ!」

 一方でヴァイハーンの方も準備万端整っている。

「カナセ君、本当にここで決着着けるの? ヨークタウンに連絡した方が良くない?」

 横に居るクレアが聞く。

「いいや、俺一人でやる。相手もそれを望んでるなら受けて立つまでだ。それにあれは普通の敵じゃない。それに水軍を巻き込むのは流石に申し訳ないよ。それよりもクレア、さっきは御免よ」

「お父さんの船の事なら気にしないで。あれは仕方の無かった事ですもの。それよりも無事に抜けられた事に感心してるわ」

「判った、ありがとう……」

 カナセの中でクレアの優しさが身に染みる。

 やがて対峙する両者は動き出した。

 双方、海域で大きな円を描きながら移動し、半径を狭めつつ接近する。

 先に動きを変えたのはローエングリーンだった。十三枚のヒレて急速の方向転換するとヴァイハーンの横っ腹に真正面から突っ込んで行く。

「発射!」

 リッタがローエングリーンの二つの口から再び衝撃波魚雷を放った。


 リッタ・ブラウンは武門の出身だった。

 だが彼女自身は軍人でも無ければ戦いの魔女でもない、何処にでも居るごく普通のお嬢さんだった。

 ウラ鉄の勢力圏の中でごく普通の両親から生まれ、ごく普通の青春時代を過ごし、当時学生だったハシム・レンドルと偶然出会い、恋に落ちた。

 恐らく、何も無ければハシムと結婚し、ごく普通の人生を過ごすはずの女性だった。

 そんな彼女が敵討ちなどという狂気に及んだのは、あの銀の召喚杖の存在がそれを可能せしめたからに過ぎない。

 召喚杖は彼女の家に家宝の一つとして納められていた物だった。

 その力は古代のマギアルマの中でもとりわけ秀でており、この通り魔煌の才が無い者でも異界から魔獣を召喚させ自在に使役させる事が出来る。

 それがあってリッタは俄か魔女となり、カナセに対して復讐を企てるまでに至ったのだ。

 もし彼女が武門の家系でなく、民間の家庭ならば彼女は婚約者の死に対し、ただ悲嘆に暮れるだけで終わっていただろう。

 それは可能性という他人とは少し違った物を持っていた事で起こった運命の悪戯だった。


 そしてリッタ・ブランの復讐劇はこの地で佳境を迎えようとしていた。

 再びローエングリーンから衝撃波魚雷が放たれる。

 しかしヴァイハーンは寸前で水面を跳躍する事で何度も魚雷を回避した。

 魚雷は下を潜り抜けていくだけで空しく不発に終わり、軌跡を引きながら遠くに消えていく。

 異界の化け物といえども攻撃パターンさえ読めれば対策は取れるのだ。

 そこへ今度はヴァイハーンの反撃が始まった。

 空中に水馬が跳ねるとカナセはモーフィング・マギアを発動させ、一瞬で船体を闘神に変形させた。

 海馬から変形した闘神は細身の流線形と相まって美しい形態を取る。

 そして踵に付けられたスクリューと舵を使って海面を舞う様に滑走した。

 水馬から変形したヴァイハーンは速力と運動性の両方を兼ね備えていた理想の水上兵器で、他に並ぶものは存在しない。

 闘神は全身を捻ってローエングリーンに真正面を向けた。

 両腕には対物ライフルと化した75㎜砲が握られていた。

構えられた瞬間、引き金が引かれ、砲撃の劫火が海面下のローエングリーンを襲う。

 しかしローエングリーンも負けてはいない。異界の鯨は13枚のヒレを駆使し水中に逃げると何とか直撃を回避した。

 そして得意の潜水能力で海底に身を潜めると沈没船で身を隠す。

 一方、砲撃の後、再装填の時間稼ぎの為、ヴァイハーンは一旦、ローエングリーンから離れていった。

 互いが自身の能力を生かし次の攻撃のチャンスを伺う。

 だがそんな中、ヴァイハーン側ではあるひとつの問題が起きていた。

「きゃああああああああ!!」

 狭い操縦席の中でクレアが悲鳴を上げる。上げたるだけの理由があった。

 ヴァイハーンが水馬から闘神に変形を果した瞬間、クレアの座っていた席は突然消えた。

 代わりに彼女の体がカナセの座っていた操縦席に無理やり押し込められた。

 その拍子にクレアの体は逆さ向きになり、二人の体が重なり合う。

 結果、開けっ広げになったクレアの股座がカナセの顔面に押し付けられた。

 白い下着も露になる中、クレアの太ももがカナセの首を挟み込む。

「もう、いやああああああ!」

 カナセの下腹部辺りでクレアの悲鳴が聞こえる。

 平時なら歓迎すべきハプニングだが戦いの中では単に操縦の障害でしかない。

「クレア、邪魔だよ。前が見えない! それに臭いよ」

「く、臭いって何よ! 失礼ね!」

 カナセの不躾な言い方にクレアの泣き叫ぶ声が言い返す。

 彼女だって被害者なのだ。

「ご、ゴメン……臭いは言い過ぎた」

 しかし邪魔な事には変わりない。今まで愛おしかったクレアの大きなお尻が今日のこの時ほど危険だと思った事はなかった。 

 そんな状態が祟って、ヴァイハーンの動きが単調になる。

「しめた!」

 それに気付いたリッタが水中で動き出し、再びヴァイハーンに向け魚雷を放った。

 凄まじい渦は水流の矢となって襲い掛かる。

 それに気付いたカナセが懸命に回避を試みる。

 だが視界を遮られたカナセの対応が一瞬、後手に回った。

 直後に衝撃波魚雷の一発がヴァイハーンの左脚に命中したのだ。

「うわあああ!」

「キャアアアア!」

 左脚が吹き飛ばされたのと同時にふたりが悲鳴を上た。

「このぉ!」

 カナセは転倒寸前のヴァイハーンの姿勢制御を片足一本で何とか踏み止まる。

 その甲斐あってヴァイハーンは転倒を免れ片足だけで水面を滑走する。

「流石に舵に効きが悪い……」

 それでもヴァイハーンを走らせ続けなければならない。恐らく一度、転倒すれば二度と起き上がれないはずだ。

 その後、クレアも姿勢を戻し今はカナセの膝の上に座り直した。

 しかし狭いのには変わりない。

 一方でリッタの方は好調だ。ここで最後の攻勢に出る。

「一気に押すわよ、ローエングリーン!」

 ローエングリーンが全速力で急浮上する。

 それに気付いたカナセがライフル砲で狙いを定める。

 しかしリッタも前方で転覆していたガンボートを盾にしてカナセの照準を逸らす。

「クソッ! ガンボートが邪魔で……」

 盾にするつもりで誘い出した転覆船が逆に相手の盾になったのだ。

「策士、策に溺れたわね!」

「けど、お前だって!」

 転覆船が邪魔になって衝撃波魚雷を撃てないはずだ。

「ふん! 甘いわ!」

 異界の鯨の中でリッタがほくそ笑む。

 するとローエングリーンが水面からジャンプし目の前のガンボートを大きく飛び越えた。

 跳躍した先には左脚を失ったヴァイハーンが居た。

 ヴァイハーンは空飛ぶ異界の鯨に向かって慌てて発砲した。

 しかしローエングリーンが空中で巨体を捻ると砲弾は空しく避けられカナセは対抗手段を失った。

「アハハ! ざまぁ無いわね!」

 窮地に立たされた仇敵を見てリッタが笑う。

 一方、リッタはローエングリーンの二つの丸い口を標的に確実に向けていた。

「魚雷は空中でも撃てるのよ!」

 二つの穴から水をたっぷりと吸った衝撃波は放たれた。

「ハシムの仇!」

 水の砲弾がヴァイハーンに襲い掛かる。

 だがそれと同時にカナセは左腕に搭載されていた20㎜機関砲を発砲した。

 しかしカナセの狙った標的は空中のローエングリーンではない。

 その真下に浮かんでいた転覆したガンボートだった。

 全弾着弾と同時にガンボートが爆発した。

 そこから生まれた火柱が凄まじい勢いで真上を飛んでいたローエングリーンの体を飲み込んでいく。

「ぎゃあ!」

 爆風を真面に浴びたローエングリーンの中でリッタが絶叫した。

 爆発の衝撃は中に居た彼女をも焼き、その身を引き裂いていく。

 一方で異界の鯨の放った二発の魚雷もヴァイハーンに襲い掛かる。

 ヴァイハーンの横っ飛びで一発は何とか避けられた。しかし残り一発がどうしても避けられない。

「マギア・ウォール!」

「魔煌障壁!」

 ヴァイハーンの中のふたりが同時に光の障壁を展開させた。

 二重の壁は衝撃波の前に粉微塵に砕け、更にヴァイハーンの胸板すら砕かれた。

 だが最後にカナセが受け身を取る事で後ろに逃げると衝撃波の威力は完全に消失した。

 中のふたりは流れ込んできた水でずぶぬれになった程度だ。

 しかし戦いはこれで決した。無惨に体を引き裂かれたローエングリーンが着水に失敗して水面に叩き付けられていく。

 後は復讐者にトドメを刺すだけだ。

 ヴァイハーンが腰を落としたまま75㎜砲を構えた。

 再装填は終わっている。敵は目と鼻の先の至近距離だ。外す事はない。

 だがそこへヴァイハーンの横から白い船影が突入して来た。

 それはマッセルが操縦するクルーザーだった。

「リッタぁぁぁぁ!」

 マッセルがリッタを救おうと突進を試みる。しかしそれに気付いたカナセが無慈悲にも残された20㎜砲弾を発射した。

 クルーザーは砲撃を浴び続け船体を穴だらけにされた。だがそれだけでは足りず突進は止まらない。

 ヴァイハーンは20㎜砲の弾が尽きた瞬間、空になった左腕を振るった。

 左腕はべニア板で出来た艦橋に直撃し粉砕した。

 だがその僅かな隙に、瀕死のローエングリーンは息を吹き返すと最後の意地を見せる。

 残った力を振り絞って特攻を賭けたのだ。

「ハシムぅうぅぅぅ!」

 瀕死の重傷の中でリッタが叫ぶ。

 その執念が届いたのか、頭部から突き出た異界の鯨の角がヴァイハーンの腹部を貫いた。

 ヴァイハーンの腹の中にはコアが詰まっている。

 まさに乾坤一擲の最期の一撃。コアを貫かれた闘神は一気にモーフィング・マギアを解かれガラクタに変わっていく。

「まだだ!」

 しかしカナセも負けてはいない。変形が解除される最中、傷付いたローエングリーンの巨体に75㎜砲の砲口を当てた。そして最後の力を振り絞って引き金を引いた。

 その一撃でローエングリーンの体は吹き飛ばされると、両者は揃って力尽きた。

 死に体となったローエングリーンの頭上に異界の門が開かれ、巨体が吸い込まれていく。

 戦いは終わった。壮絶に尽きる一言だった。

 そして変形を解かれ大破したヴァイハーンの中から箒が飛ぶ。

 箒はふたりを乗せたまま急上昇すると瞬く間に復讐者の前から離れていった。


 海面では燃え盛る水馬の横で大破したクルーザーが甲板の一部を残して浮いていた。

 その甲板の上にマッセル・タリムとリッタ・ブランが居た。

 マッセルの負傷はかすり傷程度で済んだ。船が左腕で殴られる直前に淡海に飛び込んだ事が幸いし一命を取り留めたのだ。

 一方でリッタ・ブラウンは瀕死の重傷を負っていた。

 ローエングリーンが消えた水面から助け出した時には既に虫の息で目も見えてなかった。

 消えていくような声でリッタがたずねる。

「マッセル……奴は? どうなった?」

 彼女は自分が突入した後、何が起きたのかを覚えていない。

 一方でマッセルはカナセとクレアが箒で逃げ去る所を目撃していた。

「死んだよ……。最後の君の一突きで奴も串刺しになった」

 彼は真実を明かす事を躊躇い、嘘を吐く。

 そんなマッセル吐いたの嘘をリッタは信じた。

「そう、やったのね私達……ハシム……。ありがと……う。マ……セル……」

 そう最期につぶやくとリッタは息を引き取った。

 そんな彼女の死に顔を前にマッセルの瞳から涙があふれ出る。

「ごめん、ごめんよ、リッタ! 全部、俺が……俺が……」

 マッセルは泣きながら死んだリッタの体を抱きしめた。

「俺は……俺はなんて事をしたんだ!」

 そう叫ぶとマッセルの頭の中であの日の事が蘇る。

 ヴァイハーンからの砲撃を浴びた直後、あの中でハシムはまだ生きていた。

「マッセル助けてくれ……足が抜けないんだ!」

 沈みゆくガンボートの砲塔の中で、マッセルは爆発でひしゃげた部品の中で足を取られ身動きが取れなくなっていた。

 あの時、傍にあったバールでも使えばハシムも脱出出来たはずだった。

 しかしその時、マッセルの脳裏にはリッタの横顔が浮かんでいた。

 誰よりも美しかった黒髪の少女。心の奥底で自分も彼女を愛していた。

 そしてゆくゆくは彼女の心を自分のものにしたいと密かに願った。

 しかし愛しいリッタが選んだのは同じ日に出会ったハシムだった。

 マッセルは親友であるはずのハシムを憎んだ。

 人はここまで人を憎み切れるのかと、自分でも驚くほど憎み続けた。

 だがそれを誰にも悟られない様にと心の中に閉じ込めた。

 全ては愛するリッタの幸せの為、自分が身を引こうと決めたのだ。

 そんな鬱々とした毎日を過ごす中、こんな時にチャンスが巡って来た。

 ハシムは動けない。ここに居るのは自分と親友だけだ。

 このまま放置すれはハシムは溺れ死ぬ。

 これは神からの天恵だ。

 しかしもしも……もしも……ハシムが生きてここから抜け出したら……。

 そう思った瞬間、ハシムの中で悪魔が囁く。そして気付いた時には腰に下げたホルスターから銃を抜き、親友の額に銃口を当てていた。

「お前が……お前が悪いんだからな……」

 そう何度もつぶやきながらマッセルは船から脱出した。

 しかし彼の天恵もクォータービューに帰還した頃には尽き、呪いに変わっていた。

 リッタからハシムの事を諦めさせ、自分に気持ちを向けさせる為に吐いた嘘は彼女を悲惨な復讐鬼に変えただけだった。

 そんな彼女を親友を殺した後ろめたさと相まって止める事が出来なかった。

 そして流されるまま辿り着いた結末は返り討ちにあった彼女の死だった。

 悔やむに悔やみ切れない。いや、もはや悔やむ事すら空しい。

 自分は浅墓さによって全てを……愛する全てを失ったのだ。

 絶望の中でマッセルはホルスターに下げた銃を抜いた。

 それはかつて嫉妬の果てに友情を打ち砕いた因縁の銃だ。

 それを今度は自分のこめかみに黙って当てた。

 死すれば地獄の劫火で焼かれる事は必至だろう。

 だが唯、一つ願わくば、天の神の慈悲があるならば……。

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