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第3話 戦災の都(1) リードヒル

 クレアとカナセを乗せたコメット3は白煙を吐く小島から離れていった。

 箒が徐々に高度を上げていくと眼下の水面は広がりを見せ、その大いなる真の姿をふたりの前に曝した。

「凄ぇ……こんな高さで淡海を見たのは初めてだ……」 

 カナセが思わず声を上げる。

 そこは彼方まで広がる青き淡水の海だった。

 国際的な呼称はウーラシア淡水海。

 しかしほとんどの者がただ単に淡海うみとだけ呼んだ。

 淡水海はユラジア大陸の東側に位置し周囲に大湿原を抱えながら、その二つを合わせた面積は大陸の七割にも及んでいた。そんな大陸でまとまった陸地と言えば僅かに残る西側の平原か中央の峻峰だけで、それ以外は未踏の水の自然界だった。

 カナセは圧倒されていた。自分が普段何気なく接していた物が高みから望んで真に偉大な存在だった事に気付かされ、子供の様な感動さえ覚えていた。

 そんな彼の傍でクレアは改めて問い質す。

「本当に良かったの?」

「良かったって?」

「だっていきなり家を焼いちゃうんだもの。おどろいちゃったわ」

「別にいいさ。金や今日まで集めたコアはここにあるし」

「そうじゃなくって、師匠って人との思い出の品とかは?」

「そんな物はもうとっくに無くなってるよ」

「無くなってる?」

「実はさ、師匠が死んで一年ほど経ってからかな。ウラ鉄の奴らが乗り込んで来て島を丸ごと焼いていったんだ」

「何ですって?!」

 平然と自分の不幸を答えるカナセを前にクレアは目を丸くする。

「どうしてそんな事になったの?」

「あいつ等、急に島に揚がって来たかと思うと俺が集めたコアを全部、接収するって言い出しやがった。俺は嫌だった言って一人をぶん殴ったらそのまま喧嘩になって家を焼かれたんだ」

「そんな……酷すぎるわ」

「でも心配ないぜ。俺は奴等の船を乗っ取り、そのまま魔煌技でボッコボコにしてやったからさ。逃げ帰りやがった頃にはどいつも五体不満足の血まみれだった」

 カナセは嬉しそうに自分の武勇伝を語る。そして最後にこう付け加えた。

「でもその日から俺にとってウラ鉄は敵になった。だからさっきの奴等も自分達がウラ鉄だって名乗った瞬間、ぶっ飛ばしてやったのさ」

「そう、そんな事があったの……」

「ところでクレアこそ何でウラ鉄の奴等に追われてたんだ? 何かやらかしたのか?」

「それは……ヨシュアに着いた時に教えてあげるわ」

 そう言うとクレアは言葉を濁す。

「それよりも今からスピードを上げるから私の体にしっかりつかまっていて」

「了解!」

 カナセは言われた通りに後ろからクレアの体を掴んだ。

 だが彼の指先に食い込んだのは魔女の胸のふくよかな双丘だった。その感触は服の上からでも充分に柔らかさが判り、揉みほぐしてもゆったりとした弾力で押し戻してきた。

「うわぁ~凄っげぇ~! ふわっふわの、ボインボインだぁ!」

 カナセはその柔らかさに歓喜の声を上げる。

 しかし揉まれた方は堪ったものではない。

「キャァアアアアアアアアアアア!」

 クレアは悲鳴を上げた途端、箒の上からカナセを強引に振り落とした。

 落下したカナセは淡海の上で大きな水柱を立てる。

 クレアの箒が降下すると濁った水面でカナセが顔を出した。

「ぷはっ!」

「ちょっと! あなたって人は何考えてるの!」

「掴めって言ったのは君じゃないか!」

「誰も揉めなんていってません!」

 カナセが言い訳をすると、クレアが強引にねじ伏せる。

 そして胸元を恥ずかしそうに手で押さえると改めて問い質した。

「ワザとでしょ?……」

「ワザとって?」

「ワザと揉んだんでしょ!」

「まあ、見解の相違って奴かな。お互いの解釈の違いだよ」

 言い訳ばかりするカナセの態度にクレアは魔煌技の呪文を詠唱し始めた。

「わが守護たる竈神ウェスタよ、彼の者に炎の一撃を浴びせその汚れ切った心を悔い改めさせ給え」

 怒りを露わにするクレアの姿にカナセの表情が青ざめる。

「ちょっと、待ってくれ! すいません、ワザと揉みました! ごめんなさい!」

「マギアフレイム! 水を被っても足りないのなら、少し焼かれて反省なさい!」

 箒の柄の先端から火焔魔煌技が放たれると水面で炎が広がた。

「うわぁ!!」

 海面を舐める炎を前にカナセは間一髪、水中へと逃れた。

 だが少しばかり遅れたせいでザンバラ髪の一部が黒焦げになった。

 再び水面に顔を出したカナセが焦げた頭髪を押さえながらクレアに言い返す。

「酷いぞ! 禿げたらどうしてくれるんだ!」

「黙らっしゃい! 一層の事、坊主頭にでもなって心を入れ替えれば良いんだわ!」

 お仕置きの後もクレアはお冠だ。

「一層、このままここに置いて行って上げようかしら!」

 しかし結局、放って置く訳にもいかず、その後、クレアはカナセを回収すると箒での飛行を再開した。

 だが今度は指一本たりとも体に触らせない。

「良い? ヨシュアに付くまでずっとその箒の柄を握っているのよ! 体を触ったら今度こそ承知しないから!」

「はいはい、判りましたよ~」

「はい、は一回!」

「は~い」

「もう……。こんな調子で大丈夫かしら?」

 まるで反省する様子が伺えない。

 そんな吞気なカナセを見てクレアはひとり溜息を吐いた。


 その後、二人を乗せた箒はひたすら淡海の上を飛び続けた。

 そして二時間後、遂に目的地のヨシュアの沖合に辿り着いた。

 遠くに淡海に包まれた緑の大地が見える。

 俯瞰して眺めるヨシュアの国は広大な人工の諸島だった。

 淡海に接する城塞の様な大堤防が外周を取り巻くと、その中を小型の堤防で囲まれた干拓地の島が幾つも浮かんでいた。

 島の中には水路があり農地があり都市があり道路があり森林がある。

 それらは複式干拓方式と呼ばれる一般的な干拓地の構成で、そんな人工の島が幾つも集まったのが干拓地国家、ヨシュア共和国の全容だった。

「凄ぇ……。こんな広くて乾いた土地、初めて見た……」

「耕作地の総面積ならウーラシアの中でも最大級の干拓地国家よ。それは私達ヨシュア人の誇りでもあるわ」

 感嘆の声を上げるカナセの前でクレアが自慢気に語る。

「お陰で食いっぱぐれは無いって事だな」

「でもね……今、この国はとても危うい状態に陥ってるの」

 先ほどまで自慢気だったクレアの口調が鉛の様に重い物に変わった。

「危ういって、もしかしてウラ鉄と関係しているのか?」

「あれを見て。西の方から何か伸びているのが判るでしょ」

 カナセが目を凝らすと確かに西の水平線の遥か彼方から干拓地に向かって黒い線の様なものが真っ直ぐに伸びている。

「本当だ。何だあれ?」

「もう少し近づいてみるわね」

 箒が黒い線に向かって飛ぶと徐々にその正体を露にした。

 それは大湿原の中を東西に横断する鉄道の為の長大な鉄路だった。鉄路は海上に堅牢な土手を築くと、その上に往路と復路を合わせて二本の軌道が敷設されていた。

「あれって列車って奴が走る鉄の道だよな」

「そうよ、良く知ってるわね」

「前に買った雑誌に載ってたのを覚えてる……」

 カナセは僅かな情報で得た知識を披露した。

 それでも辺境の小島とその周辺しか知らないカナセにとって本物の線路を見るのは初めてだった。

「あれはウラ鉄が淡海を超えてヨシュアにまで敷いたのよ」

「淡海を越えて? そいつは凄ぇ……」

 カナセは敵であるはずのウラ鉄の能力に素直に感心していた。

「じゃあ、あの線路の終わりに終着駅があるって訳か」

「終着駅ですって? 冗談じゃないわ!」

 カナセの言葉にクレアが突然、不機嫌になった。

「ちょっと、これから低く飛ぶわよ! そして本当の事を教えて上げる」

「本当の事?」

「今のヨシュアの本当の姿よ!」

 そう答えるのが早いか、クレアは箒を乱暴に急旋回させ、海面に向かって降下させた。

「うわっ!」

 激しい箒の動きにカナセが短い悲鳴を上げる。

「頭を低くして。もうすぐ歓迎の花火が上がるわ」

「花火?」

「でもその花火を見た途端、あなたはここに連れてこられた事を後悔するでしょうね!」

「後悔って何だよ? さっきから自分だけ判った様な言い方して!」

「心配しなくても、もうあなたもすぐ知る事になるわ!」

 そうクレアが断言した途端、降下した箒は水面から僅か30㎝の低空を飛んだ。

 箒が巻き起こす風が水面を切っていく。

 そして沿岸部に向け真っ直ぐに進んでいった。

「この先に何があるんだ?」

 カナセが沿岸部を凝視する。

 先に進めばヨシュアの本当の姿があるというのか?

 するとカナセの赤い瞳に不思議な光景が目に飛び込んできた。

 晴れているのにも関わらず何故か沿岸部に霞の様な物が掛かり視界を遮っている。

 その霞のせいで見えるはずの干拓地の大堤防の姿も見えない。

 だがカナセは干拓地周辺の沿岸から何かを敏感に感じ取った。 

「おいっ! 大き目のコアの反応が堤防の前を囲ってる。それも幾つもだ」

 それはコアから発せられる煌気の反応だった。

「囲んでるって、判るの? 魔煌探信妨害と光学阻害が掛かってるのに?」

 カナセの言葉にクレアが目を丸くする。

「けど、あれって船じゃないか? 数は八隻……。いや、一隻は離れていく……」

「ちょっと、待って。本気で言ってるの?」

「本気も本気! 俺の特技でね。そこそこ遠くからでも生きたコアを見つける事が出来るんだ。水や泥の中だって同じ様に判る」

「そんな……嘘みたい」

「嘘じゃ無いさ。なんせ師匠が唯一、お前は天才だって誉めてくれた才能さ」

 カナセが自慢気に語るとクレアは驚愕した。

 彼はコアから発せられる煌気が感知出来る。

 それは明らかに天賦の才だ。

 習って覚えられる類の能力ではない。

 そしてカナセ・コウヤは嘘を言ってない事も判る。

 何故ならクレアもあの霞の向こうに船が浮いている事を経験上、知っていたからだ。

「あれってヨシュアの沿岸警備隊か何かか?。縦一列に密集している……。ああ、今、大型船が小型船と前後を入れ替わった」

 そして霞の中、沿岸に近付くにつれ、カナセがより細かな情報を伝えて来る。

「凄い……。まるで高性能の魔煌探信儀だわ……。だからあんなにコアが手元にあったのね」

 その索敵の精度の高さにクレアは感嘆の溜息を吐く。

 そしてウラ鉄のリサを追い返した実力もあながち嘘でない様に思えて来た。

「これはひょっとすると、ひょっとするかも……」

 クレアの胸の内でまるで宝物を見つけたような興奮が湧き上がる。

 やがて霞が薄くなると反応したコアの正体が姿を晒した。

 それは干拓地の沿岸を巡回する幾つかの船影だった。

 その船影から腹の奥に響くようなサイレンの音が唸ると、直後に発砲音が轟いた。

 風を切る閃光がカナセ達の側を凄まじい速さで通り過ぎ二人が飛ぶ遥か後方で爆発した。

 それは紛れもなく船影からの撃ち放たれた砲弾の炸裂だった。

「おい! 今の何だ?!」

「艦砲射撃よ! ウラ鉄が占領地の周囲に河川艦を浮かべてるの!」

「河川艦だって?! もしかして歓迎の花火って……」

「もう、向こうには見つかってる。すぐに二発目が来るわよ!」

 クレアの予告通りに二射目が二人に襲い掛かった。

 続けて三射目、四射目と数隻掛かりで連続砲撃を繰り返す。

 その砲撃の中をクレアは巧みな箒捌きで避けながら炸裂による破片と衝撃波を回避していく。

「うわあぁぁぁぁ! 今、真横で爆発したっ!」

 対空砲火の洗礼を浴びながらカナセが絶叫する。

「ちょっと、面白がって騒がないでよ! 気が散るじゃない!」

 後ろで仰天する少年をクレアが叱咤した。

「でも今から飛び降りて逃げようとしちゃ駄目よ! こんなスピードで降りたら水面に叩き付けられて体の骨がバラバラになるくらいじゃ済まないわ! そうでなくても落ちた途端、身動きが取れなくなったところにウラ鉄の哨戒艇が群がって来る!」

「じゃあ、落ちない様に君を離さないでいるよ」

 そう言ってカナセはクレアの腰回りを後ろから力いっぱい抱きしめ体を固定した。

「いいわ、今だけは特別ね!」

 抱き着かれたクレアが箒のスピードを更に上げた。

 放出される青き光の尾は箒星となり凄まじい速力で水上を飛ぶ。

 そんな箒の飛ぶ様はまるで水上を走るロケットだ。

「これからが本番よ!」

「本番?!」

「敵の警戒網をこのまま真正面から突っ切る!」

 そうクレアが答えた直後、霞の中から数隻の艦艇が姿を現した。

 敵の正体は全周を装甲版で覆ったモニター艦と呼ばれる大型艦とガンボートと呼ばれる小型の河川艦からなる小艦隊だった。

 箒に乗った二人が接近すると攻撃は艦砲から小回りの利く機銃に切り替えられた。

 今度は無数の銃撃が下から噴水の様に湧き上がるとカナセのすぐ脇を音速の刃が幾つも掠めていく。

 そしてその中の一発が遂に少年のザンバラ髪に先端を削ぎ落した。

「わぁっ! こ、殺されるー!」

 カナセも思わず悲鳴を上げる。

「うるさい! ふざけてると本当に当たっちゃうわよ!」

 クレアが強い口調で脅えるカナセを叱った。

「別にふざけてちゃ……」

「厄を呼び込むって言ってるの!」

 クレアは無理やりカナセを黙らせた。

 箒一本に命を預ける彼女の眼差しも真剣そのものだ。

 そして脇目もふらず銃弾の猛射の中を通り抜けていった。

 だがそれで対空砲火が終わるという訳ではない。

 今度は旋回した銃座が背後から二人に襲い掛かる。

 とうとう、後ろに乗るカナセの背中に銃弾が命中した。

「うがぁっ!」

 背中から浴びる直撃にカナセが堪らず呻いた。

 だがその直前、クレアが魔煌技を唱えると、不思議青い光の壁がふたりを包み込み銃弾を弾き飛ばした。

 銃弾が命中したはずのカナセの体には傷一つ無い。

 壁はクレアが予め発生させていた魔煌障壁と呼ばれる魔法の盾だった。

 だが命中弾を受ける度にその効果は薄らいでいく。

「ク、クレア!」

「ちょっと黙ってて! もうすぐ抜けるわ!」

 箒は敵の弾幕の中から脱出した。

 艦隊から離れていくと対空機銃の猛火が止み、銃声も遠くなる。

 だがその直後、前方から白い壁が現れた。

 それは干拓地の沿岸を覆い尽くす巨大な堤防だった。

 土塁と巨大な石ブロックによって構築された大堤防はまるで古代の城塞の様に立ち塞がりカナセの視線を圧迫した。

「うっ……」

 その威容に圧倒され言葉に詰まる。

 一方、クレアは駆け上る様に堤防の法面に沿って箒を急上昇させた。

 堤防の天端を飛び越えた瞬間、巨大な水路が横切り、更にその向こうに低い堤防があった。

 カナセはクレアの肩越しに前を凝視すると、その低い堤防の向こう側には干拓地の上に築かれた都市が姿を現した。

 都市は地平線の彼方まで続き、重厚な石造りの家々で埋め尽くされていた。

「凄げぇ……。大都会だ!」

 カナセが思わず唸る。

 それは淡海に浮かぶ巨大都市。縦横に走る石畳の道と水路、それらに切り分けられた無数の建築物。古ぼけた雑誌に載っていたモノクロ写真と同じ風景。

 これがあの、あこがれの大都会!

 夢にまで見た新天地!

 それが今、自分の目の前で広がっている!

「やった! 遂に来た! 遂に俺はここまで来たんだ!」

 カナセが歓喜の声を上げる。

「そうよ、ここがヨシュアの首都リードヒル、私の生まれ故郷よ……」

 だがカナセとは対照的にクレアの口調はどこか物憂げだ。

 その理由をカナセはすぐに気付かされ現実に引き戻す。

 空から眺めた大都市は惨たらしい状態だった。

 見渡す限りが破壊の禍患を受け、無残に荒廃していた。

 どの棟も損傷痛ましく、色とりどりの瓦屋根は崩れ落ち朽ちるに任せられていた。

 どこにも輝いていた街の頃の面影はない。

 自分の夢見たものとはまるで違う光景にカナセは愕然とした。

 そんな中、クレアがカナセに尋ねる。

「そんな事より、怪我は無い? 弾が当たったんでしょ?」

「ああ……何ともないよ。君の張っていた魔煌障壁のお陰でピンピンしてらぁ」

 それよりもカナセは荒廃したリードヒルの姿に落胆していた。

 せっかくここで一旗上げようとしていたのに……。この有様では自分の未来が急に遠くに翳んでいく様に思える。

「少し低く飛ぶわね……」

 箒は屋根よりも低く降下し瓦礫が散乱する街の中を飛んだ。

 カナセが通りの左右を見渡すとその被害は上空の時より更に鮮明に映る。

 通りに人影はなく市街はまるで荒れ果てた共同墓地の様な有様だった。

 かつて首都を飾っていた重厚な街並みも美しい看板も今は砲撃で穴だらけにされていた。窓ガラスは割れ、焼レンガの壁も崩れ落ち、どこも廃墟に変えられていた。

 中には町の一角全てが火事で消失し消し炭にされた場所もある。

「酷ぇ……」

 カナセはその痛ましさに顔を歪ませる。

「写真と全然違う……まるで戦争の痕だ」

「まるで? まるでじゃないわ! 正真正銘、戦争の傷跡よ!」

「もしかしてウラ鉄がやったのか?」

「そうよ! 全部、ウラ鉄の仕業よ!」

 クレアの口調からも憎しみと悔しさが滲み出ている。

 やがて箒が地上に向け降下するとカナセとクレアは揃って瓦礫の上に足を着いた。

「町の中では歩きましょう。ウラ鉄の哨戒部隊がうろついてるかもしれないわ。特にハンター見つかると厄介よ……」

「ハンター?」

「ウラ鉄の狙撃兵よ。正直、モニター艦の対空機銃よりも危険な存在だからあなたも気を付けてね」

「ああ、判った。ハンターだな」

 カナセは息を飲みながら周囲を伺った。

 地上に降りればその戦火の傷跡は更に生々しさを増す。

 石畳の上は所々、砲弾痕で掘り返され、壊れたレンガ造りの家々の壁の奥からも木の柱や梁がむき出しに晒されていた。

 もうどこを見渡してもモノクロ写真に残された頃の華やかな面影はない。

 更に水郷の都市を象徴する市内の運河や水路は枯れ果てるか土砂で埋まり、濁ったヘドロ詰まりが悪臭を放つ。

 酷い所では決壊を起こし低地の区画は水浸しになっていた。

「こっちよ。付いて来て」

 カナセは言われるがまま前を行くクレアの背中を追った。

 足元の悪い瓦礫の中でも彼女の足並みは早い。

「大丈夫か? そんなに急いで」

「生れ育った町よ。この辺りの地理は体に染みついてるわ」

 二人は狭い路地を何度も曲がった末にとある建物の前に辿り着いた。建物は四階建ての立派な石造りだったが周囲の街並みと同じように破壊され機能を失っていた。

「ここは?」

「魔女の学校。私の通っていた母校よ」

「卒業生か?」

「いいえ、在学中に戦争が始まって、そのまま休学状態よ」

「それで、ここに何があるんだ?」

「何もないわ。あるとしたら思い出だけ。でも折角、来たから少しだけ時間を頂戴」

 そう答えるとクレアは破壊された校舎の前で膝を突いて短い祈りを捧げた。

「思い出に浸って居るのかな? それとも戦争で死んだ同級生の事を祈ってるのか……」

 クレアの背後でカナセがポツリとつぶやく。

 だがとても理由を聞ける様な雰囲気ではない。

 クレアが立ち上がると再び歩き出す。

「どこに行くんだ?」

 歩きながらカナセが聞く。

「ウラ鉄ヨシュア方面軍の司令本部よ」

「今度は親玉の根城を見せてくれる訳か。そいつぁ楽しみだ」

 カナセはわざと明るく振舞う。

 しかしそれを見てクレアが微笑む事は無かった。

 流石にカナセの中に気まずさが湧き上がる。

 その後も二人はずっと瓦礫の中を隠れながら進んだ。

「この辺にヨシュアの軍隊はいないのか?」

「正規軍の事を言っているのならノーね。軍はもっと東に展開しているわ。そこでウラ鉄の大軍同士でにらみ合ってるの。とっくの昔にこのリードヒルはウラ鉄の支配地域よ」

「じゃあここに居るヨシュア側の人間は俺達だけって事か?」

「そうでもないわ。時々、レジスタンスが町に忍び込んでゲリラ戦を繰り返している。これ以上、ウラ鉄の線路を伸ばさない為に努力してるの」

「もしかしてクレアも?」

「そうよ。だから今のうちに言っておくけど私の手はもう血で真っ赤だから……」

「それって人を殺した経験があるって事か?」

「そうよ。だから……」

「だから?」

「私に普通の女の子みたいな事は期待しないでね。でないと残念な気持ちになるわよ」

 そう言ってクレアはカナセに釘を刺した。

 一方、そんな言われ方を彼女にされたカナセは少し動揺した。

 少年は本能的に女の子には純潔を期待する。

 それを挫かれた様な気がしたからだ。

 動揺が収まると、更に気まずさを募らせていく。

「チェッ……」

 そして所在なさげに頭を掻いて舌打ちするしかなかった。


 今度は遠くで爆発音と発砲音が立て続けに聞えた。

「あれって君の仲間か?」

「そうね、戦ってるみたいね」

「どうする?」

「ちょっと遠いけど行ってみるわ」

「加勢に行くのか?」

「そのつもり。悪いけどあなたは後ろから出来るだけ離れて付いて来て。何時でも逃げられる様にね」

「何で? 心配してくれてる?」

「あなた素人でしょ。怪我させたくないもの」

「それなら心配ご無用さ。俺はこう見えても強いんだ」

 カナセはクレアの目の前で粋がってみせる。

 それを聞いてクレアは少し考え込んだ後にこう答えた。

「なら信用して上げる。少なくともあの103のリサ・マキーナを前にして無傷で居られたんですものね」

「リサ・マキーナ?」

「あなたが戦った赤髪の女戦士よ」

「ああ、あのサーベルで切り掛かって来た、危ねぇねーちゃんか。そんな名前だったんだな……」

 カナセのねーちゃんという言葉にクレアは噴き出しそうになった。あの女戦士をそんな風に形容したのは彼が初めてだったからだ。

「でも今度、そのねーちゃんに会う時はもっと気を付けた方が良いわね。でないと冗談抜きで切り刻まれちゃうから」

「判ったよ。お互い、戦場では慎重にって事だよな」


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