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第2話 炎の旅立ち

 魔女、クレア・リエルは夢の無い短い眠りから目覚めた。

その時は日はまだ高く、体は濡れたままになっていた。

 背中に当たる地面は固く乾いている。どこかの小島の岸にでも流れ着いたのか?

 ならば溺れずに済んだという事だ。

「それにウラ鉄のリサの気配も感じないし……幸運が重なったの?」

 それはあり得ない。あの赤髪の女戦士から奇跡や偶然で逃げ切れる事など万に一つもありえない。

 そんな彼女の脳裏に浮かんだのはあの鉄錆の巨人だった。

「マルケルスの闘神……神様が助けて下さったの?」

 魔女は今一度、異形の古代神の名をつぶやく。

 ならば神に感謝しなければ……。

 クレアの頭の中でぼんやりとした妄想が幾つも過る。

 すると今度は自分の下半身を、それも太ももの辺りをモゾモゾと何かが蠢く様な感触を覚えた。

「何が触ったの?」

 それを確かめるべくクレアは青い瞳を開くと少しうつむき加減で下腹部に視線を送った。

 だがその直後、張り裂けんばかりの悲鳴を上げた。

「キッ、キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 叫んで当然だった。

 最初に目に映ったのは事もあろうに自分のスカートの中味を真剣な眼差しで覗き込む黒髪の少年の赤い瞳だった。

 更に少年は破廉恥にも右腕でスカートの奥を丹念にまさぐっていた。

 先ほどから太ももから伝わるモゾモゾとした蠢きは少年の指先の感触だったのだ。

「このエッチィ!」

 クレアは目の前の少年の顎をとっさに蹴り飛ばした。

「ぶぎゃ!」

 蹴りを浴びせられた少年が声を上げながらもんどりを打つ。

「なっ! 何なのアナタ! 一体、何なのよ?!」

 クレアは強引に少年の体を引き剥がすと、捲れ上っていたスカートを慌てて押さえた。

 しかし気が動転しているせいか直す手付きもままならない。

「ほ、箒! コメット3……」

 今度は魔女の命でもある箒型の飛行装置を探した。

 飛行装置は自分の脇に転がっていた。

 クレアは箒の柄を掴むと穂先をうずくまったままの少年に向けた。

「エッチ! 痴漢! 変態! 人が気を失っている時に何するつもりよ、この変質者!」

 クレアは矢継ぎ早に少年に罵声を浴びせた。

「痛てて……口の中、噛んじまった……」

 少年は靴底の跡が付いた顎を擦りながらやっとの思いで立ち上がった。

 一方、クレアは少年に凄まじい剣幕で敵愾心を剥き出しにする。

「こ、来ないでよ! 来たら酷いんだから!」

「酷い?」

「アナタなんてやっつけてやるって意味よ!」

 だがそれを聞いて少年は笑いながら肩を竦めた。

 その態度に魔女はムッとする。

「何、あなた? 私を女だと思って馬鹿にしてるの? してるんでしょ!」

 魔女はかなり御立腹だ。

 だが少年は落着き払って魔女に向かって答える。

「いいや、そんな訳じゃないよ。だがな、よく聞いとけよ、綺麗な魔女さんよ。そのモトブルームのコア、もう死んでるぜ」

「え?!」

 クレアは耳を疑った。モトブルームとは今、彼女が手にしている空飛ぶ箒の正式な呼称だった。

 少年は続ける。

「さっきまで無茶な飛び方したせいでコアの煌気がスッカラカンだ」

「う、嘘よ!」

「嘘じゃないさ。こっちはアンタが水面に落ちた所までバッチリ見てたからな。もっとも、あの赤髪女が一発当てたのが致命傷なんだろうけど、信用できないのなら試してみろよ」

 そう言って最後に鼻で笑ってみせた。

 その小馬鹿にした態度に魔女は益々不機嫌になる。

「言ったわねぇ! 後で後悔したって知らないんだから!」

 クレアは少年の態度に怒りを覚えつつも、今度は魔女らしく箒に向かって精神を集中させた。

「我が守護たる竈神ウェスタよ、我の願いを聞き届け、今一度、降魔を炎で焼き給え! マギアフレイム!」

 呪文と共に箒の先端から火炎による攻撃魔法を放とうとした。先ほどウラ鉄の02號艇を焼いた攻撃魔法と同じものだ。

 しかし先端からは炎球どころか魔法の源である煌気の残滓すらにじみ出ない。

「嘘! ……何で?」

 少年の言った通り。箒は完全に煌気を失っていた。

 それを身をもって知った瞬間、魔女の顔から血の気が引いていく。

「さて、これでやっと判ってくれたよな?」

 今度は全身を絶望で強張らせるクレアに向かって少年が歩み寄る。

 もはや自分には目の前の脅威から身を守る術は何も残ってない。

 魔法が無ければ空飛ぶ魔女もただのか弱き少女だ。

「現実を理解してくれたんなら、さっきの続きをおっぱじめるか」

「つ、続きですって?」

「アンタには俺の嫁になってもらう。その為の儀式って奴さ」

「嫁?! 儀式って何? まさか結婚式?」

「カマトトぶってんじゃねぇ! 男と女の儀式って言ったらひとつに決まってんだろ!」

 そう言いながら少年は穿いていたズボンを脱ごうとする。

 少年の真意を理解した瞬間、魔女は再び絶叫した。

「いやああああああああああ! 来ないでぇ! これ以上、近づいたら舌噛んで死んでやるから!」

「うるさい! アンタも判ってるんなら、ごちゃごちゃ言わずさっさと脱ぐんだよ!」

 少年は魔女の着ている緑色の服に手を伸ばした。

「フンッ! ちっこい白パンツの下にでっかいケツを仕舞いこみやがって! 今から窮屈そうなそいつを剥ぎ取ってお天道様の下に曝してやる!」

 理性をかなぐり捨て、少年は本能の赴くまま少女に挑み掛かる。

 だがクレアも負けてはいられない。

 今日まで守り続けて来た乙女の貞操、こんな所で散らしてなるものか!

 魔女は手にしていた箒を力いっぱい振った。

 その一心の一振りが少年の横っ面を偶然、張り飛ばした。

「ぎゃあ!」

 悲鳴と共に少年の体が横に飛んだ。

「嫌っ! 嫌っ! 嫌っ! 嫌っ! 嫌っ! 嫌っ! 嫌っ! 嫌っ! 嫌だっ!!」

 声に合わせて魔女が箒を何度も振り回す。その度に穂先は倒れた少年の体をバシバシと叩き続けた。

「ちょ、ちょっと待った! 降参! 降参だ! 降参します! はい、降参!」

 絶え間ない報復の後、少年が呆気なく降伏の意思を示した。

 その声が魔女の耳に届いたのは少年の体を散々打ちのめした後だった。

「酷ぇ……魔女が物理攻撃なんて反則だぁ」

「本当に? 本当に降参なんでしょうね?」

 箒を構えたまま魔女が問い質すと少年はふらふらになりながら答える。

「ああ、もう殴られるのはコリゴリだ。けどな……」

 だが少年は最後にこう付け加えた。

「けど、助けた礼ぐらいしてくれたって良いんじゃないか?」

「お礼ですって?」

「ウラ鉄から助けてやったってのに殴られっぱなしじゃ、こっちは大損だよ」 

「助けたって、証拠は?」

「何で自分がここで無事に居るか、よ~く考えてみろよ」

 そう言われてクレアは落ち着いて今までの出来事を振り返った。

 少年は小癪だが確かに言っている事には一理ある。

「あのリサを? あなた一人で?」

 だがにわかに信じがたい。なぜなら少年は武器らしい物を何ひとつ持っていないからだ。

「あっ、俺が嘘を吐いてると思ってるな」

「だって……どう追い払えたって言うの? 彼女、物凄く強かったでしょ?」

「ああ、無茶苦茶強かったよ。けど聞いて驚け。こう見えても俺は正真正銘の魔煌士だ」

「魔煌士ですって?!」

 その言葉に魔女は目を丸くする。

 魔煌士とはこの世界で言う男性の魔法使いの呼び名だった。

 そして魔法の事を魔煌技や神技。またはコアマギア、略してマギアと呼び換える。

 だがリサの戦闘力は絶大だ。辺境で暮らす少年魔煌士ごときに倒せる相手ではない。

「あなたがあのリサを魔煌技で?」

「何だよ、まだ信じて無いのかよ」

 少年はクレアから不信感が拭えない事にムッとする。

「でもどうやって? ここには小さな葦舟しかないじゃない?」

「あの辺りに水没してた漁船をね。ちょちょいと使って追っ払ったのさ」

 それを聞いて魔女は周囲を見回した。そこは葦に覆われた離れ小島だったが沖には幾つかの朽ち果てた石の塔が墓標の様にそそり立っていた。

 成程、この水の下に障害物が幾つも沈んでいるのなら座礁したり沈没した漁船くらいあるかもしれない。

 それをどう使ったかは判らないが自分がここで生きている事でそれを信じる他ない。

「どうも嘘では無いようね……」

「なあ、助けたお礼の件はさておき、名前くらい教えてくれたっていいんじゃないか?」

「名前ですって?」

「俺の名はカナセ・コウヤ。カナセが名前で……」

「別にこれっぽちも知りたくなんて無いんですけど……」

「アンタは?」

「ふんっ、クレア・リエルよ。それとアンタなんて気安く呼ばないで」

「クレアちゃんか……かわいい名前だな」

「どこにでもある当たり前の名前よ。それと、ちゃん付けなんて止めて。どう見たって私の方が年上じゃない」

「じゃあ何て呼べばいい?」

「馴れ馴れしい人ね。愛称で呼ばれる筋合いなんてないんだから」

「何だよ。つれねぇなぁ。命の恩人相手に……」

「お礼なら後でキチンとお支払いします。支払額の計算でも済ませておいて下さい」

 クレアは常にツンケンと棘のある態度を少年に見せた。

 それどころか露骨に警戒して近付こうともしない。

 当然だ、ほんの先ほどまで彼は自分を乱暴しようと迫ったのだ。

 心が許せる訳が無いし人として信用が出来る訳でも無い。

 だがカナセは特に気にする素振りはみせない。

「それでこれからどうするつもりだ?」

「国に帰ります。危ない所を助けて戴いてありがとう!」

「どうやって?」

「貴方、魔煌士なんでしょ? ではコアを一つ売って下さいな。お代は助けて戴いたお礼と一緒に責任をもって後で支払いますから」

「そんな気安く答えていいのかい? 凄い高値でふっかけるかもしれないよ」

「お気遣い結構!」

「じゃあ、現金じゃなくそのでっかいおっぱいとおケツで払って貰おうかな……」

 だがそうカナセが答えた途端、クレアは箒の柄を強く握り直すと、そのまま少年の頭の上で再び振り被った。

「冗談だよ、冗談! 本気にすんなよ……」

「それでお幾らかしら?」

「ちょっと待っててくれ。その前にコアを持ってくる」

 そう言うとカナセは立ち上がった。

「もしかして本当にコアを渡してくれるの?」

「そうだよ。君がそうしてくれって言ったじゃないか?」

 少年の最後の言葉にクレアは少し拍子抜けした。今までの彼の言動からこれからコアを巡って嫌な意地悪でも仕掛けて来るかと思っていたからだ。

「案外、良い人? ……それとも揶揄われていただけ?!」

 そう思うと少し腹が立つ。

 そんな中、少年は小島の奥へと入って行った。

 行く先には葦束屋根を乗せた簡素な家が建っていた。

「あそこに住んでいるのかしら……」

 クレアがつぶやく。

 だがその周囲は整然としており辺境のみすぼらしさは感じられない。

 カナセがコアが入った葦籠を持って来るとクレアと向き合う様に座った。

「コアのサイズは?」

「9番よ」

「飛行用だよな。在ったっけな? そんなマイナーな高級品……」

 カナセは籠の中身を地面に向けた。転がり出てきたのは大小様々な幾つかの黒いガラス玉だった。

 それは彼等の言うところのコア、正しくはマギアコアと呼ばれる魔法の玉だった。

「さて、9番、9番と……」

「これあなたが全部集めたの?」

「そうだよ」

「ひとりで? 素潜りして?」

「他に誰が居る?」

「そうじゃなくって、大変じゃなかった?」

「そうでもないよ。泥の中でも見つかりさえすれば鯉やナマズの掴み獲りより訳ないさ」

 カナセはしゃべりながら地面の上に黒いガラス玉を並べる。

 コアは古代からのこの世界の文明を支えて来た力の象徴だった。

 クレアのモトブルームもウラ鉄が乗っていた哨戒艇もカナセが水没していた漁船を変形させた力もこのマギアコアに封じられた煌気と呼ばれる不可思議な力のお陰だった。

 カナセはその中から野球ボール程度の大きさのコアを見つけた。

「これだけど、どうだ? 金口が合えば良いけど」

 カナセは拾い上げたガラス玉を渡した。

「ちょっと待ってて、試してみるわ」

 そう言ってクレアは箒の穂先の中に指を入れ中にあるコアを取り出そうとした。

 しかし穂先の中に指を入れたままクレアは困った顔をする。

「どうした?」

「外れないのよ。さっきの銃撃を受けたせいで留め金が壊れているみたい」

 クレアは素直に理由を打ち明けた。

「貸してみな。俺がやってみる」

 クレアは言われるがままに何気なく箒を渡す。

 だが渡し終えた途端、背筋に緊張が走る。

 この少年は先ほど気を失っていた自分にいかがわしい行為を行おうとした張本人だ。

 そんな人間に大事な箒を何の考えも無しに渡してしまったのは浅墓ではなかったか。

 もしかしたら身を守る術を失った途端、自分に襲い掛かるかもしれない。

 クレアはカナセの前で身を固くした。

 だがカナセは乱暴な素振りを見せるどころか穂先のコアを取り出す事に専念した。

「ああ、こりゃ留め金が曲がってる。工具がいるな……」

 そうつぶやくとカナセは一旦、立ち上がり今度は家の中から工具箱を持ち出した。そして何事もなかった様に作業を再開する。

 それを見てクレアは警戒心を緩めた。

「思っていたほど悪い人でも無いのかも……」

 そして少年に作業を任たまま、再び周囲を伺った。

 小さな葦原に囲まれた小島の上には自分達以外の人の気配は無い。

「ねえ、あなたご家族は?」

 クレアが少年に尋ねた。

「家族って師匠の事か?」

「師匠って、あなたの魔煌技の先生って事よね? 御挨拶差し上げて良いかしら。お礼もしたいし。今どこにいらっしゃるの?」

「そこに居るよ」

 そう言ってカナセは葦葺きの家のある小島から少し離れた更に小さな小島の上を顎で指した。そこには墓石の様な祠が祀られていた。

 クレアは祠の意味をすぐに理解した。

「ごめんなさい。お亡くなりになられていたなんて……」

「別に謝る事なんてないよ。もう三年も前の話だから」

「じゃあ、それからずっと独り?」

「そうだよ」

「寂しくない?」

「別に。独りの方が気楽で良いさ。口やかましく言われる事も無いしね。それにここから南に行ったところに小さな村があるんだ。そこで気が向いたら引き揚げたコアを売りに行く。人恋しくなる事なんてないさ」

 そうカナセは平然と答えた。口調からは何の感慨も感じない。

 彼の中では師匠と呼んだ人の死は既に終わった事なのだ。

 だがクレアはそれを聞いた途端、自分ならそんな生活が続けば寂しさで押しつぶされるに違いないと思った。

「私なら周りに誰かいてくれた方が嬉しいかな……」

「まあ、真っ当な人間ならそうなんだろうね……そういえばクレアちゃん、国は何処?」

「ヨシュアよ」

「ヨシュアだって?!」

 クレアの国の名を聞いた途端、カナセは驚いた様な声を上げた。

 そしてコアを触る指先を一旦、止めると今度は目を輝かせながら傍にあった古びた雑誌を拾い上げクレアに渡した。

 開いたページには風景写真が幾つか載っており、石造りの重厚な街並みの間を人と車が行き交う賑やかな光景がモノクロで映っていた。

「リードヒルの町ね。随分、前の写真みたいだけど」

「判るのか?!」

少年の声は興奮で微かに震えている。

「生れ育った町ですもの。写真の風景のもう少し先に行ったところに生家があったわ」

「ならクレアは都会っ子か?」

「まあ、そう言われればそうね。それよりもコアの方はどうなってるの?」

「ああ、そうだよな……ちょっと、待って。もう少しで……」

 穂先の中で小さな金属音がした。曲がった留め金からマギアコアが外れた音だ。取り出したコアの表面を調べると銃撃による亀裂が入り機能を失っていた。

「酷ぇ事しやがる。一度死んじまったコアはもう生き返らないっていうのに……」

 そして今度は自分が持ってきたコアを修理した留め金にはめ込んだ。

「よし、嵌った。これでいける思うけど……」

 カナセはコアを交換した箒をクレアに渡す。

「でもこれって普通の9番よね。コアは種類が違うと良くないって聞くけど……」

「厄介なのは番数違い。逆に飛行用と一般用の違いなんてぶっちゃけ耐久性や精度って話だけだよ。ちゃんと嵌るし、まず飛べないって事はないはずだよ」

「まあ、それはそうでしょうけど……」

「その代わり途中で落っこちる危険性はあるけど。でもどうしても飛行用が欲しいっていうのなら、今から水の中に潜って探しに行くか、バザーで掘り出し物が出てくるのを祈るしか無いかな」

「次のバザーって何時なの?」

「二週間後だよ。まあ、その間は君をここに泊める位は俺も構わないから。大船に乗った気でいてくれ。フシシシシ……」

 その厭らしい笑い声を聞いた途端、クレアはぞわぞわとした嫌な悪寒を感じた。

 これは自身の身の危機でもある。何が何でもこの箒で空を飛ばねばならない。

「じゃあ、飛んでみせるわよ」

「どうぞ、お気を付けて。もし落っこちても、そのデッカイケツは俺が下でしっかり受け止めてやるよ」

「全く嫌な人ね。いやらしい事をズケズケと……」

「裏表の無いさわやかな性格って言ってほしいね」

「よく言うわ……。いいわ、そこで大人しく見ていなさい。プロの腕を見せて上げる!」

 カナセが見守る中、クレアは再び箒に跨ってみせた。

 そして意識を集中すると呪文を唱え始めた。

「さあ舞い上がりなさい、コメット3……」

「コメット3って?」

「私の箒の名前よ。今、詠唱中だからちょっと黙ってて」

 呪文の詠唱を終えた途端、コメット3に跨ったクレアの体がふわりと浮いた。

「やったわ。コアが正常に機能してくれてる!」

 上昇を終えた箒は小島の上で何度も旋回飛行を繰り返した。

 その飛び方はまるで風に乗った羽虫の様に軽やかだった

「凄ぇ……あの子、昨日まで水の中に浸かってたコアで飛んでる。やっぱり都会の魔女ってのは一味違うな……」

 飛行するクレアを見上げながらカナセはしきりに感心する。

 暫くして飛んでいたクレアがカナセの前に降りて来た。

「問題ないわ。このまま飛んで帰れそう」

「帰ればよかったじゃん。そうすれば俺に払う礼金も踏み倒せるのに」

「そんな恥知らずな事出来ますか。約束を反故にするなんてヨシュアの魔女としての誇りに傷が付くわ」

「誇りか……。思っていたよりも真面目なんだな」

「おべっかなんて結構よ。さあ、私はあなたにお幾ら払えばいいのかしら?」

「いいさ、金は要らない」

 そうあっさりと答えるカナセの言葉に魔女は目を丸くした。

「お金が要らないって、どういう事? もしかして私に体で払えって言うんじゃないでしょうね? ダメよ! そんなの絶対ダメ! ダメなんだから!」

「そうじゃないよ。もう箒でぶたれるのは沢山だ……」

「じゃあ、何が欲しいの?」

「俺をヨシュアまで連れて行ってくれ。俺はヨシュアに行きたい」

 そうカナセ・コウヤは申し出た。

「ヨシュアにですって?!」

 そんな少年の求めにクレアは驚きが隠せない。

「ヨシュアに行ってどうするつもり?」

「そこで一旗揚げたい!」

「働くつもり?」

「そうだ、大都会をこの目で見てみたいんだ」

「ふ~ん。でも、何で急にそんな事、急に思い始めたの?」

「だって、さっき見せた写真みたいな町がどこまでも広がってるんだろ? 見てみたいと思うのは当たり前じゃん」

「軽い気持ちね」

 カナセからの返答にクレアは呆れ返る。

 この少年は随分と浅墓でぼんやりした動機に人生を賭けようとしているのだ。

 しかしこんな辺境の離れ小島に住んでいれば、外を見てみたいという好奇心に駆られるのも判らない話でもない。

「でもヨシュアに行った所であなたが求めている様な物なんて何も無いと思うわ」

「それを決めるのは俺だ。君じゃない」

「ここで静かに暮らしている方がいいと思うけど……」

「さっき退屈で死にそうだって言ってたじゃん」

「そんな事、言ったかしら? それより、あっちに何か伝手はあるの?」

「そんな物ないよ。それでちょっと困ってる。まあ、あえて言うなら君くらいかな?」

「成程、あなたの考えが読めたわ。私に身元保証人になれって事ね?」

「俺が向こうで落ち着くまでで良いからさ」

「そんな、いい加減な事で大丈夫? こことは大分、勝手が違うわよ」

「同じ人間だ。食って、寝て、クソするだけなら変わりはないさ。違うかい?」

「あらあら、随分と楽天的ね」

「頼むよ。それが助けた礼だと思ってさ」

 そう言って手を合わせるカナセにクレアは溜息を吐く。

 やはり少年の軽率な動機と大胆な決断には呆れ返るしかない。

 だが暫く考え込むとカナセにこう言った。

「まあ、良いわ。あなたをヨシュアに連れて行って上げる」

「本当か?」

「不本意ながら私が身元を引き受けてあげるわ。でもこれで貸し借りはチャラね」

「ありがとう! じゃあ、少し時間をくれ。用意するから」

 そう言うとカナセは満面の笑みを浮かべながら葦束で作った家の方へと向かっていった。

 その表情は若者らしい希望に満ちた闊達な笑顔だった。

「ふふ……ありがとう、か……」

 クレアもそんなカナセの顔を見ると何故か自分の胸の奥まで熱くなる。

「あんなギラギラした目の人って初めて見た……」

 だが今度は振り返って沖の方を見ると、離れ小島に立つ小さな祠に向かって膝間突き頭を垂れて祈った。

「彼の御師匠様。どなたかは存じませんが、これから私が企てる目論見に彼を巻き込む事を先立ってお詫びします……」

 それは魔女のみが知る懺悔の言葉だった。

 そんな祈りの最中、背後から枯れた草木が焼け焦げる匂いが漂ってきた。慌てて振り向くと先ほどまで立っていた葦葺きの家が紅蓮の炎を上げて炎上していた。

「ちょっと、何が起きてるの?!」

 突然の火事にクレアは茫然とした。

 バチバチと音を立てながら燃え盛る葦葺きの横では荷物を背負ったカナセが粛々と我が家を見つめていた。

「あなた、何をしたの!」

「家を焼いた」

「そんなの見れば判るわ!」

「師匠の遺言だ。島を離れる日が来たら、ここにあるものを全部、焼き尽くせって」

 それをカナセは実行しただけだった。

 彼は小島に未練もなければ帰る場所を失った事さえも恐れていなかった。

 クレアはカナセの気性に一抹の不安を覚える。

 自分は荒ぶる獣を世に放とうとしているのではないか……。

 だがそんなクレアの思いも知らずカナセは明るい笑顔で言い放った。

「さあ、行こうかクレア。ヨシュアが俺たちを待っている!」

 その間にも葦葺きの家は炎を捲き上げる。

 それは向こう見ずな少年の巣立の儀式。

炎が奏でる旅立ちの序曲だった。

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