第15話 或る男の記
長雨は次の日にやっと止んだ。
豪雨は各地で水害をもたらし多くの土地で水害が発生した。
幸いカーニャ村の周辺は水害を免れ現在は土地の水抜きだけが行われている。
あれ以降、排水場の四台のポンプは何事も無かった様に平常に動いていた。
その傍らで古式ゆかしい水車小屋の揚水装置も老骨にムチ打ちながら懸命に畑から滲み出た雨水を上の大水路へと汲み上げていった。
数日掛けて、村は再び平穏を取り戻しつつあった。
そんな中、カナセに対して村から思いも依らぬプレゼントが送られた。
「ほんとに良いのか、大将」
「ああ、この前の水害で活躍してくれた礼さ。村の水利組合が使ってくれだってよ」
そう説明するスルタンとカナセの前には一艘の小舟が水路に浮かんでいた。
「本当は新品を贈呈したい所だったけど村にも金が無くてっな。中古で申し訳ないがこれで我慢してくれって親父が言ってたよ」
「そんな事、無いよ。正直、金も無いのに舟まで無くしてて困ってた所なんだ」
「あと、コアモーターとウインチも付けといたよ。もっとも、どちらも前に沈められた若旦那の舟のを引き上げてオーバーホールしたものだけどな。だが動作確認はしてあるから、そのへんは安心してくれ」
「悪いなぁ、何から何まで……」
珍しく遠慮がちなカナセの態度にスルタンは不思議そうな顔をする。
「らしくないなぁ。どうしてそんな事、言うんだ? これは村を救ってくれた礼だって言ってるだろ」
「前に言ったよな。修理したのは通りすがりの美少年だって……」
「若旦那が修理したって事でみんな納得してるんだからそれで良いだろ? クレア嬢も貰っとけって言ってんだからさ」
「ああ、うん……」
カナセは生返事をするが心のどこかで納得いかない。まるで手柄を横取りする様で気が進まないのだ。
それにクレアの考えも今ひとつ掴み切れない。彼女ですら銀髪の美少年の存在を知らぬ風に振舞っている。
「まあ、難しく考えるなや。若旦那には若い者のひとりとしてこれからも村を盛り立ててもらいたいと皆、思ってるんだよ」
そう言ってスルタンは気安くカナセを励ました。
結局、カナセは新しい舟を受け取った。これからの生活の事を思えば正しく渡りに船と言ったところだった。
しかし問題が残っている。結局、カナセがコアの採集に割り振られた場所は最初のままだ。このままでは収益が出る前にコアを取りつくしてしまう。
「それならひとつ情報があるんだが……」
「情報?」
「となり村のルーウェイにビンズ・デンって男がいるんだ。そいつも若旦那と同じコアダイバーなんだけどな、以前はそうでも無かったのに最近やたらと羽振りが良い。昔は手漕ぎ舟で細々とやってたってのにウチで新しい大型艇に買い替えたくらいだ」
「へえ、でも何で?」
「それがモグリの穴場を見つけたらしいって噂だ」
スルタンが答えるとカナセの目の奥が光る。
「成程、そういう事か。判った、当たってみるよ」
「けど手ぶらじゃ無理だ。ビンズは癖の強い男だ。オマケにセコい。ウチでも羽振りが良いって割には品物を値切りやがった奴だからな。会うんなら色々、準備が必要だ」
スルタンはそうカナセに忠告した。
次の日、カナセはルーウェイ村のビンズの下に向かった。
「ビンズ・デンさんは居るかい?」
カナセが玄関前で家の主人を呼んだ。
ビンズの家は古いボロ屋だった。だが裏の水路には新品で大型の動力艇が停まってた。恐らくあれがスルタンの店で値切った大型艇だ。
「誰だ、朝っぱらから……今日は日曜だっていうのに、ヒック」
暫くして無精ひげを生やした黒髪に白髪交じりの男が現れた。
酒臭い。カナセは男の吐く息から逃れようと一歩下がる。
部屋の中には大量の酒瓶が転がっていた。銘柄は安い物から高い物までまちまちだったが高価なものほど瓶が新しい。成程、最近、羽振りが良いというのは事実の様だ。
「誰だ、お前ぇ……ヒック」
「カーニャ村のカナセだ。北の水没都市でコア集めをしている。今日はアンタに折り入って相談しに来たんだ」
「相談?」
見ず知らずの少年の言葉にビンズが胡散臭そうな表情を浮かべる。
「良い穴場を見つけたって聞いてね」
そう言うとカナセはカーニャ村の酒屋で一番高かった酒瓶を男の前に掲げた。スルタンに言われて準備した贈り物だ。
「誰から聞いた? ……ヒック」
「スルタンから噂話だってくらいだ」
「あのおしゃべりめ……ヒック」
ビンズが赤ら顔を顰める。
「ここじゃ、話せねぇ、ヒック。中に入んな……」
ボロ屋の中に入るとビンズは早速、カナセの手から酒瓶をふんだくった。
そして封を開け、テーブルの上に腰掛けながらラッパ飲みで胃の中に注ぎ込む。
「ふう……ヒック」
「それで穴場ってのは?」
「まあ、慌てんな。その前にその腰に下げた麻袋の中のモンを全部ここに出しな」
それは昨日、組合に割り振られた場所で苦心して採り尽くしたコアだった。
「おいおい、これは俺がここに来て集めて来たコアが詰まってるんだぜ」
「だったらこの話は無しだ。とっとと帰んな」
「チッ! 判ったよ」
そう言いながらカナセは腰に下げていた麻袋を渋々渡した。
ビンズは酒瓶を手放さないまま麻袋を奪い取ると中身を改めた。
「フフ……よしよし、まあ良いだろう。ヒック!」
ニヤニヤしながら袋の中を覗き込む男の顔の厭らしさにカナセは嫌な物を見たような気がした。
「ところで穴場ってのは?」
「その前に聞く。お前ぇのコアダイバーの資格は正規のモンか?」
「組合から割り振られた物だから正規だよ」
「だったら大人しく組合の言う事聞いてりゃ良いじゃねぇか?」
「駄目だ。組合から貰った土地のコアはその袋の中のもんで全部だ」
「全部? ふ~ん、そりゃ酷ぇなあ……。けどお前ぇも組合の掟は知ってるよな。このヨシュアでのコアに関わる事は全部組合が牛耳ってる。あいつ等の意に背くとコアを集めるどころか魔煌士としてやっていけなくなるかもだぞ。ヒック」
「その前にこっちが御飯の食い上げだよ。モグリでもナマズでもやってかないと明日の生活が立ち行かなくなる」
「まあ、そうだな……ヒック」
そう言いながらビンズはまた酒瓶を煽った。
「話はだいたい判った。良いだろう、お前ぇには俺様の秘伝を教えてやってもいい」
「本当か?」
カナセは嬉しそうに声を上げる。
「ただしここからが条件だ。もし俺の秘伝を知ったなら、そこで採ったコアの四割は俺に納めろ。ヒック!」
「四割だって?!」
その暴利にカナセが思わず声を上げた。
「そりゃボリ過ぎだろ?」
「ふん! 言っとくが話の主導権はこっちにあるんだ! 判ってるな、坊主。四割だ。それ以下には一銭も負けられねぇ」
男が強く出るとカナセは舌打ちする。
「チッ、人の足元見やがって!」
しかし今は我慢だ。身を立てる為に我慢が必要な時だってあるはずだ。
「それで、オッサンの秘伝ってのは?」
「まあ、慌てなさんな。これから連れて行ってやるよ。ヒック、ボートはあるか?」
「ああ、外に止めてある」
「じゃあ、そっちに回りな。ヒック」
カナセはボロ屋を出ると裏手の水路に回った。既にビンズが酒瓶片手に自慢の大型艇に乗っていた。
「おいおい、酔っぱらってて運転して大丈夫か?」
「ウルサイ! 子供が余計な心配するな、ヒック! それより四割だからな、忘れるな」
ビンズの大型艇が動き出すとカナセの新しい小舟もそれに付いていった。
前をいくビンズ艇は幾度となく蛇行を繰り返す。
見ていて不安になる様な酔っ払い運転だが河岸に衝突する様な事故は不思議と起こさない。
「へえ、以外にヘマはしないんだな……」
カナセはビンズの操船の確かさだけには感心した。あれなら真面目に働けば家だってボロ屋のままという事もないはずだ。
「けど四割はやっぱり酷いな。後で何とかして踏み倒してやろう……」
一方でカナセは舟を操作しながらビンズの秘伝の穴場がどんなものかと想像する。
自分の家をボロ屋で置いたままにしている呑兵衛に上手い金策が思いつくとは思えない。
だが何かしらの能力か発想の転換があるのは確かだ。
「オッサン! オッサンは何の魔煌士だ?」
試しにカナセは聞いてみた。しかしビンズの答えは意外なものだった。
「誰に向かって口を聞いてやがる、ヒック! そんな大それたモンじゃ無ぇよ!」
「なのにコアダイバーをやってるのか?」
「別にコアダイバーに魔煌士の資格なんて必要無ぇよ、ヒック。潜って拾う、それだけだ。逆に、それだけの事で何で魔煌技が必要なんだってんだ、ヒック?」
「まあ、そりゃそうだが……」
「それにお前ぇ、その組合様ってのに縛られて貧乏してるんだろ? ヘヘヘ、様ぁ無ぇなぁ、おい」
そう言って笑い返される始末だった。
やがて二人の船は大河川に到着した。北に向かえばトラスニークとカナセが組合から割り振られた水没都市があるがビンズの船は逆方向の南に向かった。
二隻が南に下っていく最中、カナセはあるものを見つけた。それは大河川の岸沿いに並べられた木造船の船列だった。更に船が泊められている小堤防の上には無数のテントが張られ大勢の人々が座り込んでいた。
そのテントの周囲からは幾筋か白い煙が立ち込め、それが煮炊きの為の煙である事に暫くして気付かされた。
「何だろう? あの人達は?」
カナセは小舟を操作しながら小堤防や船上の人々の動きを眺めていた。
皆、一様に疲れた表情でその場にしゃがむが腰を曲げて歩いていた。
「オッサン、あの人の集まりは何だ?」
カナセは前を行くビンズに聞いてみた。
「あぁ? ありゃキャンプ村だ」
「キャンプ村?」
「あそこの連中は戦災で西から逃げて来た難民だよ、ヒック」
「あれが難民だっていうのか」
テントの数も難民の数も数え切れない。それほどの人々が救いもなく河岸沿いに寄り集まっているというのだ。
「何であんな土手で暮らしてるんだ?」
「そりゃお上の作った居住制限令のせいだ、ヒック。お前ぇだって知ってるだろ? 難民は町中で暮らせねぇって決まりをな。そうでなくたって、クソ狭ぇ干拓地の中だ。余分な土地なんて物はどこにも無ぇ、ヒック。そいで仕方無ぇから空き地になってる堤防の土手や川ん中に居ついてるって寸法よ。金無し屋根無し頼り無しの無い無い尽しの根無し草って訳さ、ヒック」
「気の毒だな……。何とかならないのか?」
「はぁ? 生意気言うな、ヒック。何とか出来てんなら賢い奴がとっくにやってらぁ。お前ぇみたいなガキが心痛める前にな」
「……」
「お前ぇ、カーニャ村に住んでんだろ? まあ、ああならなくて済んだだけでも有難いと思っとくんだな。へへへへ、ヒック」
そんなビンズの薄ら笑いには嫌味が込められていた。しかしカナセは言い返せない。それが事実だったからだ。
舟は難民キャンプを通り過ぎると水門を越えヨシュアの南側の淡海へと進出した。
そして転進、今度は西へと向かった。
頭上からの太陽光で水面が煌めく中、ビンズが目指していた目的地が見えて来た。
「あそこだよ……」
ビンズが指差した先は石の塔が幾つも立つ南の水没都市だった。
そんな中、ビンズの船がその途中の水面から突き出た小さな岩の前で止まった。
「よし、ここに船を隠せ」
「船を隠す? 何で? さっさと先に進めば良いじゃないか」
「良いから隠せ! そいつも秘伝のうちだ。ヒック」
そう言われてカナセも自分の小舟を岩の裏に隠した。
そして岩場の陰から水没都市の方を観察する。
都市の規模はカナセがナタルマに倒された場所とさほど変わらない広さだ。
「お前ぇ、俺が嘘付いてると思ってるだろ? ヒック!」
「別にそんな事……」
「フンッ! 顔にそう書いてあらぁ! だったらよ~く見てみな、ヒック」
カナセは言われるまま水没都市に目をこらす。すると数十隻のボートが石の塔の周りに張り付いていた。
「あれって全部、ダイバーか?」
「そうだ。いわゆる同業者って奴だ、ヒック」
「じゃあ、俺達も早く取らなきゃ」
「待て、待て。あいつらはズブの素人か初心者だ。無理に混ざる必要なんて無ぇ」
「どういう意味だ?」
「まあ、暫く俺と一緒にここで見てるんだ。お前ぇが出した授業料くらいはちゃんと教えてやるからよ。ヒック」
暫くすると、石の塔に固まっていたボートの群れの中に数隻の大型艇がやってきた。
船はビンズ艇よりも更に大きく、甲板の上にはそれぞれ武装した男達が二十人ほど搭乗していた。
船尾にはヨシュアの赤地に国章の旗が掲げられている。
「あれって国奉隊じゃないか! なんでこんな所に……」
一方、大型艇の上で一人の男が拡声器でボートの上の採取者たちに向かって叫んだ。
「これより国奉隊によるコアの徴収を行う!」
船の上から聞こえる怒鳴り声にカナセが思わず顔をしかめる。
「げっ! あいつ等、こんな所まで出張って来てるのか!」
「ああ、金の成る木にはどこにでも群がる。それが国奉隊のクソ供よ」
国奉隊はダイバーのボートを集めさせると船の前で列を成して並ばされた。
そして船に置かれた木箱の中に彼等が採ったコアを入れさせていく。
「何やってんだ、あれ?」
「協賛金を払えって言ってるのさ。ここで安心してコアが採れるのは国奉隊様が守って下さっているお陰だ。だからその分のみかじめ料を徴収してるって寸法さ」
そうこうしている内にも木箱の中ではコアが山積みになっていく。
受け取る方は御満悦がだ渡す方は誰もが苦渋の表情だ。
そんな中、一艘のボートが密かに列から外れて逃げようとした。
しかしたちまちのうちに国奉隊の船に取り囲まれると、ダイバーは良い様に殴られた上にコアを全部没収された。
「全く、相変わらずチスイビルみてーな連中だな……ヒック」
その様子を遠巻きに眺めながらビンズが唾を吐いた。
一方、国奉隊の横暴を前にしたカナセの怒りはビンズよりも遥かに直情的だ。
「あいつ等、許せねえ! 何の権利があってあんな事が出来るんだ?」
その問いに対してビンズが鼻で笑いながら答える。
「何の権限も無いさ、ヒック。あると思ってるのは手前ぇ等の頭の中だけ。まったくおめでたい連中よ。けどな、殴られてるダイバーを助けようなんて思うな。そいつぁ、だだのお節介ってやつだ、ヒック」
「お節介って、別に俺はそんなつもりじゃあ……」
「お前ぇの顔にそうしたいって書いてあるんだよ、ヒック。だが言っとくが、ここではそんな正義の味方はお呼びじゃないんだ。でないと痛い目見るのはお前ぇ自身だ、ヒック」
やがてコアが集め終わると甲板上の男は高らかに言った。
「皆の尽忠報国の志、我等一同、感謝する。これからもウラ鉄をこのヨシュアから追い落とすその日が来るまで一層の忠節を期待する。励まれよ、ヨシュア国民!」
しかしダイバー達の中でその声を真面目に聴いている者は独りも居ない。
誰もが憎々しく国奉隊の連中を睨みつけるだけだった。
そんな時だった。今度は水没地帯の西の方から違うモーター音が聞こえてきた。
「お出でなすったな……」
「何だよ、オッサン」
「この水没地帯のヌシだよ、ヒック」
「ヌシ?」
「そいつらには誰も逆らえない。あの国奉隊だなんて息巻いているガキ供もだ」
暫くして西側からビンズが言うヌシの姿が現れた。
ヌシの正体は二隻の哨戒艇だった。だがそのマストにはレールの断面を象った社章の旗がはためいていた。
「ウラ鉄の水軍だ。どうして奴等が……」
「始まるぞ!」
そうビンズがつぶやいた矢先、哨戒艇から銃撃が開始された。搭載されている20㎜の機関砲が発砲されると水面に停泊していた船の群れが一目散に逃げていく。
最初に海域を脱出したのは国奉隊の大型艇だった。
奴等は背後で砲撃を受ける小型ボートの群れに見向きもせず水没地帯から離れていった。
「何が国奉隊様が守って下さるだよ。いの一番に逃げやがって!」
その一方でダイバー達の船は次々と機関砲の餌食となって沈められていく。
「酷ぇ事しやがる……」
その光景にカナセは顔を歪ませる。
小型艇の船体など強力な機関砲の前では何の防御力もない。ダイバー達は舟に乗ったまま哨戒艇に尽く駆逐されていった。
「さて、ここの狩場は当分、使えないな。坊主、ここから離れるぞ。付いて来い」
「ああ……」
カナセはビンズの船の後を追う。
ダイバー達を見殺しにする事には気が引けた。しかし今の自分に出来る事は何もない。
ただ逃げる様にこの場から立ち去るので精いっぱいだった。
二人の船は哨戒艇に見つからない様に西へ西へと進んだ。
水没地帯が続く中、ふたつの船はとある石の塔の傍で身を隠した。北には巨大な大堤防の壁が遠くに確認出来る。
「ところでオッサン、ここは一体どこなんだ? 国奉隊が居たり、ウラ鉄の水軍が居たりごちゃごちゃじゃないか。それにあの大勢のコアダイバーは何だよ」
「じゃあ、種明かしだ、ヒック」
ビンズは空になった酒瓶を海面に投げ捨てながらこう言った。
「ここはな、ウラ鉄とヨシュアの勢力が拮抗している丁度、まん中。言い換えればどちらの支配も完全に及んでいない、要はグレーゾーンだ」
「軍事境界線って事か?」
「そう、どっちの物でも無い。手出しが厄介な空白地帯。お陰でどんな奴でもコアが採り放題の穴場って訳さ、ヒック」
「だから国奉隊とウラ鉄の両方が居たって訳か……」
「それとあのダイバー達はな、ほとんどが食いっぱぐれの難民よ。大方はさっき見たキャンプ村の連中だが、まあ西側も幾らか混じってるだろうよ。そんな連中がグレーゾーンでコア集めだ。だから政府や組合の庇護も受けられず国奉隊みたいなヤクザ者に良い様にたかられるって寸法さ」
「……」
「さて俺の秘伝はここまでだ。後はお前ぇの頑張り次第だ。言っとくが坊主、四割だぞ。忘れるな、がははははは……」
そう言ってビンズは笑った。恐らく、新しい金蔓が見つかった事が嬉しくて仕方がないのだ。
「じゃあ、オッサン。俺はこの辺りをひと泳ぎしてみるからな」
「ああ、せいぜい気張りな若人。成果を楽しみにしてるぜ。ヒック」
「ふん、よく言うぜ」
「ファ~ア……坊主のせいで喋りすぎて眠くなって来やがった……」
酒が程よく廻り出したのか、話し終えたビンズは船の上で横になった。
そしていびきを掻きながら眠ってしまった。
「チェ、若い者が働く横で高いびきかよ。いい大人が気楽なモンだぜ」
カナセは眠りこくったビンズを眺めながら舌打ちする。見たくもない面構えだった。
しかし当分はこの髭面を拝む日々が続くのかと思うと嫌気がする。
「駄目な大人もここに極まれりだな。どんな人生送ってたらこんなになれるんだ?」
カナセはぶつぶつとつぶやきながら水面に体を着けた。
ビンズの事は別にして、この辺りから幾つかコアの反応が感じたのは確かだった。
「さて、今日の分くらいは稼がなきゃな……」
だが早速、潜ろうとした矢先。
「す、済まねぇ……俺が……俺が悪いんだ……」
眠っているはずのビンズから声が聞こえた。
「なんだ、オッサン。何か言ったか?」
カナセがビンズに聞き返す。しかしビンズから返事は返って来ず、代わりに眠ったまま意味の判らない言葉を発していた。
「俺が……俺が見張をサボったばっかりに……済まねえ、奥さん……」
「何だよ寝言かよ」
呆れたカナセが溜息を吐く。どうも眠りながらうなされている様だ。
「悪い夢でも見てるのか?」
カナセがビンズの方を見る。
しかしビンズは眉間に皺を寄せながら辛そうに呻くばかりだ。
「ふん、昼間っから深酒するからだよ。まあ、せいぜい悪い夢でも見てるがいいさ」
カナセは眠ったままのビンズを起こす事もなく水の中に潜ろうとした。
だがその直前、眠っていたビンズが突然、舟の上で立ち上がり大声を上げた。
「船長! さ、左舷に艦影! う、撃って来た!」
その光景にカナセが唖然とする。
しかしビンズの奇行はこれで終わらない。
今度は大型艇を急発進させると、慌てて石の塔から離れていった。
「せ、先生、逃げるんだよ!」
ビンズは相変わらず意味不明な言葉を叫び続けていた。
しかしその表情は血相を変え恐怖心で引きつっていた。
「おい、オッサン! いったいどうしたんだ?! オッサン!」
カナセはビンズに向かって何度も呼び掛ける。恐らく酒に酔って寝ぼけているのだ。
だが大型艇は蛇行を起こす事もなく海面に綺麗な弧を描きながら南へと進んでいく。
「オッサン、酔っぱらうのも大概に……」
「せ、先生! 走ってぇ! 早く! 早く!」
結局、ビンズは呼びかけにも応じる事もなく、船は沖の方へと突き進んで行った。
だがその一方で突然、別の方向から違うコアの反応が現れた。
「何だ?」
カナセが戦慄する。反応は海中から、かなり大きい。それがゆっくりとこちらに向かって近づいて来る。
そして反応に気を取られている内に、同じ場所からまた違うコアの反応が動き出した。
反応は小さかったが確かに最初のコアから分離した様な感じだった。
その直後、海中を走る白い箒星が目に映った。いや水中に流星が流れる事などあり得ない。しかしカナセに目には確かに白い箒星に見えたのだ。
箒星には吸い込まれるように水面を疾走するビンズの大型艇へと向かっていく。
「オッサン、危ない!」
カナセが大声で叫んだ。
だが箒星がビンズの下に瞬く間に辿り着くと爆発と共に巨大な水柱を上げた。
水柱は高さ100mにも達し、その凄まじい水圧でビンズの体を大型艇もろとも空中へ舞い上げていった。
「ああ……」
カナセは声を上げた。ひとたまりも無かった。ビンズと舟は上空で爆散しバラバラに砕け散った後、水面へ落ちていった。
それをカナセはただ茫然と眺める他なかった。
水柱が消えていく中、撃ち取られたビンズ艇の残骸だけが何時までも水面に浮いていた。
それを水中から見つめる者が居た。
正確には水中に沈む船の中で潜望鏡と呼ばれる光学機器を覗き込んでの観測だった。
「よし、目標物の撃墜を確認。テストは成功だ」
男が満足げな顔つきで潜望鏡から顔を外した。
「艇長、浮上して目標物の傍に寄れ」
そして横に立つ艇長と呼ばれだ軍服の士官に指示を出す。
「浮上、ぎょう角最大!」
艇長の指示に周囲が慌ただしく動き出した。
すると沈んだ船は船内の空気を使ってゆっくりと浮上した。
突然、海面が隆起しビンズ艇の破片を蹴散らしながら巨大な鋼鉄の構造物が姿を現した。
「なっ!」
浮上した構造物を見たカナセは愕然とした。
その正体はクラーケンの頭の様な船の艦橋だった。
船は上部だけを水上へと晒すと淡海の中を我が物顔で悠々と進む。
「潜水艦だ……。潜水艦って奴だ……」
正気を取り戻したカナセがやっとの思いでつぶやく。
間違いなくそれは海中を進む船、潜水艦だった。
無論、カナセが目にするのは初めてだった。
暫くして司令塔と呼ばれる艦橋から数人の兵士が這い出て周囲を警戒した。
形の差異はあれど身に纏っているのは紺色の軍服だった。
「ウラ鉄!」
カナセは奴等の居る前で大声を上げそうになる。
しかし必死に口を押えると代わりに小舟と自分の身を傍に会った水没都市の廃墟に隠した。カナセは司令塔を注視する。
人影の中で見知った顔があった。カナセは知らないが艦内で潜望鏡を覗いていた男だ。
「ポカチフ中将……」
間違いない、あれはリードヒルで殺し損ねた髭面の司令官、ポカチフ中将だった。
「中将がオッサンを殺したのか……じゃあ、あの箒星が魚雷って奴か?」
どんな理由かはしらないがビンズ艇はウラ鉄の潜水艦に撃沈されたのだ。
カナセは石の塔に身を隠しながらまじまじと潜水艦を観察する。
艦型は特殊潜航艇と呼ばれる小型の潜水艦だった。
しかし淡海では外洋で運行される様な大型の潜水艦は一隻も無く、潜水艦と呼ばれる物の全てが特殊潜航艇と言って良かった。
その潜水艦の小さな理由は淡海の水深に原因があった。
ウーラシア淡水海の最大深度は約800m。しかしその大半の水域が水深数mから数十mの遠浅の海が広がっている。特に干拓地の多くは出来るだけ浅い深度の上に作られているのが一般的だった。
お陰で淡海の船舶はどれも喫水と呼ばれる水面から下の船体部分が外洋船に比べて異様に浅く、貨物船やタンカー等の大型運搬船ですら2.5mほどしかない。
更にそれらは海底が整備された航路だけを通るからこそ可能な喫水で、海面下には水草の群生地帯や岩礁、水没都市の様な船舶の航行を妨げる存在が山の様に存在した。
それらの障害物が船底やスクリューを害し船舶の行く手を阻むという理由もあって、軍艦や警備艇など不用意な海域で活動する艦艇に至ってはその喫水は1mから最大で1.6mと非常に浅い。
それは浅海域で就航する船舶の宿命であり、そんな通常の船舶ですら運航制限がある険難な淡海の中で、水中航行が前提の潜水艦という艦種そのものが河川船舶における珍品中の珍品と言って良かった。
「でも何でこんなもんがここに?」
しかも艦にはヨシュア方面軍の最高司令官が座乗している。
カナセには訳が判らない。
やがて潜水艦はビンズ艇の残骸の前で止まった。ポカチフはそれを司令塔から見下ろすと自慢の口髭を撫でながら満足げな表情を浮かべた。
「これより帰還する。当艦の乗員には次回作戦の要として奮闘を期待する。以上だ」
中将がそう一言述べると艦は180度回頭し西の彼方へと消えていった。
ポカチフ中将を乗せた潜水艦がいなくなるとカナセはビンズ艇が沈んだ水面へと小舟を移動させた。
「……」
水面に残っていたのは船の残骸だけで死体は既に沈んでいた。
そのコアモーターの潤滑油に混じってビンズの薄まった血が水面に漂っていた。
「運が無かったなオッサン、まさか俺が送った分が末期の酒になるなんてな……」
仕方なくそう答えるしかない。
そしてビンズが死んだ水面に静かに手を合わせた。
カナセはグレーゾーンから離れるとそのままルーウェイ村へと赴き村長にビンズが死んだ事を伝えた。
結局、難民もビンズもあの海域に居た者は皆、見殺しにした。
無力な今の自分はそうする他なかった。
「そうか、ビンズがねぇ……」
渡されたビンズ艇の破片を見ながら村長は溜息を吐いた。
「よく伝えてくれたな、君。葬儀は村で行うから来れる様だったら来てやってくれ」
そう村長に言われた後。カナセはルーウェイ村を離れた。
ビンズはカナセの目から見て下らない大人だった。しかし村長の口振りから察するに生活破綻者であっても村の嫌われ者という訳でも無かった様だった。
「そう言えば、俺オッサンの事、何も知らないまま終わったな……」
ただ僅かに知りえたのは寝ぼけながら叫び続けたあの言葉だった。
「夢の中で何かに追われていたみたいだっよな……」
カナセはビンズの葬儀に出席する事に決めた。
カーニャ村に帰った夜、カナセはクレアにビンズの葬儀の香典代を借り受けようとした。
全財産のコアをビンズに渡してしまった今、カナセは無一文なのだから仕方ない。
しかしクレアがその理由を聞いた瞬間、驚いた表情を浮かべた。
「えっ、ビンズさんがお亡くなりになったの?」
「お亡くなりって……クレア、あのオッサンの事、知ってるのか?」
「知ってるって……お父さんが船医をしてた船の同じ船員だった人よ」
その一言に今度はカナセが驚きを覚える。
「でも、子供の頃に一度会って、それっきりだったから」
「どんな人だった?」
「私がまだリードヒルに住んでいた頃よ。お父さんが海で死んだ事を教えに来てくれたの。自分のせいだ。自分だけが生き残って申し訳ないってお母さんの前で泣きながら何度も頭を下げてた事を覚えてるわ。その後、船乗りの仕事を止めたって聞いたけど、ルーウェイの村に住んで居られたなんて……」
カナセはビンズの操船をふと思い出した。酒に酔っていても岸に衝突する事の無かった確かな技術だった。
そして死の間際、寝ぼけて叫んだあの言葉。
「先生! 逃るんだよ!」
あの時の悲痛な叫び声が何度もカナセの脳裏で繰り返す。
想像するしかないが、恐らく先生とは船医をやっていたクレアの父親で、彼はその先生をウラ鉄の攻撃の最中に助け損ねた事を、生涯、心の中で悔やんでいた。
恐らくビンズにとって船乗りは天職だった。だが先生を救えず自分だけ生き残った事に罪悪感を感じ船を降りたのだ。
そして田舎に引っ込み最後は酒に溺れ身を崩した。
カナセにはそんなビンズの事が急に気の毒に思えてきた。
そして四割の納品で愚痴を零した自分の器量の無さが急に情けなく思えた。