第12話 襲来
コアダイバーとは主に淡海に沈んだコアを回収する事で生活の糧を得る人々の事だ。
そんな職種が生まれたのはアイス・インパクトが起きた魔煌技文明崩壊以後の事だったが誕生には理由があった。
アイスインパクトと呼ばれる氷惑星の落下により全てを破壊し尽くされた地上で、人類が再び元の魔煌技文明を復興させるには速やかなコア生産施設の再建が必要だった。
しかしその再建中のコア製造過程で重大な事実が発見された。
コアの製造には煌気と呼ばれる空気中に遍く存在する魔法の粒子を特殊なガラス玉の中に封じ込める必要があるのだが、アイス・インパクト以降、どんな手段を用いても作業工程で煌気をガラス玉の中に封入する事が不可能になったのだ。
原因は氷惑星内に含まれていた未知の粒子が大気中の煌気と結合した為に、煌気そのももの性質が変わってしまった事だ。
新しい煌気はどんな手段を用いてもコアの種となるガラス玉の中には入らない。
それはこの世界で新たなコアが生産できない事を意味した。
その結果、世界は恒常的なコア不足という事態に陥り、導き出された対策が古い魔煌文明で残されたコアのサルベージだった。
そして生まれた職種がコアを回収するコアダイバーと呼ばれる専門業者だった。
子供だったカナセが師匠に死に別れた後も自活出来たのはそんな社会の背景があったからだ。
コアダイバーは今日もどこかでコアを回収する。生き残った文明を支える為に水の中へと潜るのだ。
しかし水中に埋蔵されているコアの量にも限りがある。恐らく今のペースで回収し続けるとコアはあと五十年で取り尽くされると言われていた。
なのに人類は戦争によって今日も膨大なコアを無駄に消耗し続けていた。
クレアが居なくなり、カナセはひとり、淡海の上に残された。
「さて、どうしたモノか……と、悩んだって始まらねぇ」
何にしても働かなければ借金は返せない。
逆に獲物の位置は判っている。働いた分だけ金になるのだ。
「取り合えず、ある分だけでも取り尽くしちまおうか」
カナセは気を取り直して水の中に飛び込んだ。
一瞬、泡が視界を塞ぎ徐々に消えていくと、目の前に水没した町の一端が姿を現す。
近くにトラスニークの町があるせいか透明度はあまり良くない。
1m、2m……3m……。茂った川藻を掻き分けながら潜り続けると、ようやく海底に辿り着いた。
底は古代の住宅街だった。朽ちたまま立ち並ぶ家々は様式も構造も使われている建材も今の物とはまるで違っていた。
スレート葺きや葦葺きでもレンガ壁や土壁でもない、箱舟の外壁に近い、もっと薄く硬い材質の建材で全体を覆っていた。その様式もまるで缶詰の様に無機質、画一的で到底、現在の人間の肌に合う様なものではない。
「よく昔の人はこんな家に住んでたモンだな……」
見れば誰もがそう答える……そんな家だった。
その泥の中からカナセはコアの反応を見つけた。ビー玉ほどの小さな0.5番コアだがここに来て最初の獲物だ。
カナセは泥を掘ってみる。目の前は瞬く間に濁り始めた。
しかし泥は深く、指先はコアまで届かない。
息が続かずカナセは一旦、浮上した。
買ったばかりの小舟の舳先に掴むと大きな息を何度も吐く。
「こりゃ、思ったよりも手ごわいな……」
廃墟の中の小粒のコアの上に大量の泥が埋まっている。
「水圧ポンプで泥を飛ばすか時間を掛けて手掘りするかしかないか……」
しかしどちらを選択しても金と時間が掛かる。苦労した末に手に入れたのが0.5番程度では売った所で割りに合わない。
「上手くいかないもんだな……。こうなったら場所を変えてみようか」
カナセは即決すると海面から揚がり小舟を再び動かした。
小舟が水面を走り出すと割り振られた場所から離れていく。
「さて、どこにコアが溜っているかな……」
カナセのやっている事は組合からの割り振りを破る違反行為だった。だが会員を食わせる事の出来ない取り決めなどなぜ守る必要があるのか?
暫くすると二つの高層ビルが折り重なる根元でコアが密集する場所を発見した。
「ビンゴ! この分じゃ借金も今週中に返せそうだ……」
カナセはビルの傍で小舟を泊めると再び水の中へと飛び込んだ。
水の透明度は先ほどと変わらずあまり良くない。だが代わりにビルの巨影が太陽光を遮り藻の生育を阻む為、海底が容易に見渡せる。
カナセはコアの反応を頼りに傾いたビルの根元に到着した。
だがコアはそこにはなくビルの外壁を一枚隔てた向こう側にあった。
「目測と少しズレてるな」
カナセはビルの壁に触れながら内部に進入出来そうな穴を見つけると一旦、浮上し肺の中の空気を入れ替えた。
そして再び水の中に潜る。素潜り一本で勝負だ。酸素ボンベもシュノーケルの設備も無い。一歩間違えれば酸欠で死に繋がる危険な作業だ。
だがカナセにとって水中は生活の場のひとつだ。長年の慣習がその恐怖心を薄紙よりも希薄にさせていた。
水没したビルの出入り口から中に入っていった。そこは光が届かず暗い上に狭く、朽ちた内装の隙間からむき出しのコンクリートの躯体が見える。
それはさながら未踏の海底洞窟の様だった。
水没したビルの廊下をゆっくりと進む、もうすぐコアの反応があった場所に辿り着くはずだ。
十数秒後、カナセは目的地の到着した。暗黒の中で天井の隙間から僅かに光が漏れる。
孤独の中、コアの反応を頼りに手を伸ばした。だが指先に触れたのは力のこもった弾力のある肉塊だった。
肉塊が一瞬、天井から漏れた光に照らされ銀色の腹を見せる。
「ここのヌシか……」
肉塊の正体は海底で眠っていた全長30センチほどのナマズだった。
「晩飯にされたくなかったらあっち行ってな」
カナセが手で追い払うと、鯰は尾ヒレを動かしながら闇の奥へと消えていった。
邪魔者が居なくなった後、カナセは鯰の寝床に手を伸ばした。手探りで薄い泥の層を取り除くとガラス玉が頭を現す。
「こいつぁ、16番じゃないか?!」
息を止めながらカナセは色めき立った。
そして泥の中に両手を入れると埋まっていたバレーボール大のコアを一気に引き抜いた。
「当たりも当たり、大当たり!」
暗い水の中で唯一人、カナセの胸が弾む。
「こりゃ、幸先良いぞ……。売れれば借金が消えるどころか御殿が立つぜ!」
ここに来た早々、こんな大物に当たるとは思っても居なかった。しかもコアの反応はこれだけではない。掘り起こした16番の下にもまだ幾つも眠っている。
「だがこれだけの物、人力で引き上げるのは無理があるな……」
カナセは16番コアを一旦、そこに残したままビルの外に出た。
再び浮上して肺の中の空気を入れ替えるとボートに戻り袋状にしたネットとウインチのワイヤーを引っ張り出そうとする。
「これで効率よくガンガン引き上げるぜ」
カナセの笑いが止まらない。
だが再び潜ろうとした時、突然、頭の上から声が聞えた。
「ふ~ん、掘り出し物でも見つかったか?」
「そりゃもう……」
だがその瞬間、カナセが声のした方を慌てて振り返る。
折角、見つけた穴場が他人にバレたかもしれない。
声は傍にあった半壊したビルの頂上から聞こえた。
目を凝らすと日を浴びた人影が削られたコンクリートの端に腰掛けている。
「誰だ?!」
「誰だって? それはこっちのセリフだよ!」
返ってきたのは声変わりも終わっていない少年の声だった。
カナセは光の中で目を凝らす。それは長く青い髪を後ろに束ねた美少年だった。歳は見た目だけでもカナセより遥かに幼い。丁度、ミリアと同じ位の年頃の様だ。
しかしその緑色の瞳は怒りに燃え、尖った様な視線をカナセに向けていた。
「手前ぇか! さっき話にあった漁場荒らしってのは!」
「漁場荒らしだと?」
「ここはオイラの縄張りだ! 手前ぇは誰の許しをもらってここで漁をしてやがる!」
カナセはすぐに青い髪の少年が何に怒っているかを理解した。
だがカナセには頭から相手にする気はない。
「仕事の邪魔だ。子供は帰ってかーちゃんのおっぱいでも揉んでな」
「何だと!」
カナセが揶揄うと少年は立ち上がった。そして傍にあったコンクリートの塊を両手で持ち上げると水面のカナセに向けて投げつけた。
「うわっ!」
危うく塊がぶつかりそうになったカナセは思わず体をよじる。
破片が落ちた水面には大きな水柱が立ち波紋がたった。
「危ないな、当たったらどうするつもりだ!」
カナセは少年を罵る、悪戯でも当たれば冗談では済まされない。
しかし少年は悪ぶって言い返した。
「言ったはずだぞ! ここはオイラの縄張りだって! 痛い目に遭いたくなかったら、とっとと出ていきやがれ、この余所者!」
「ふざけるな! ガキの癖に生意気ほざきやがって!」
「ガキじゃねぇ! オイラにはナタルマ! ナタルマ・シングって名前があるんだ」
ナタルマと名乗った少年はビルの天端から飛び上がった。そして水の中で動きが鈍いカナセに向かって落ちていく。
しかしカナセは慌てなかった。少年の体が当たった所で大した威力にもならないはずだ。落ちて来る前に水面で移動して避けるか水に潜って水中でやり過ごせば良いだけだ。
「フンッ! どの道、落ちて来た所で焼きを入れてやる!」
最初はそう考えていた。しかし少年が両腕に嵌めていた黒い手袋から凄まじいコアの反応を感じた瞬間、その考えを一瞬で翻した。
「マギアルマだって?!」
「テヤァアァァァ!!」
空中でナタルマが振りかぶった瞬間、手袋から青い光が輝く。その凄まじい光の中で手袋は銀色の籠手へと姿を変えた。
「ヤベッ!」
カナセは小舟に飛び乗るとそのまま急発進させた。
小舟が消えた水面へ銀色の籠手の一撃が襲った。海面で凄まじい破壊の渦が発生し淡海の底までもが深くえぐり取られる。
カナセは銀色の籠手の威力の前に戦慄した。
同時に小舟を走らせながら早口で呪文を唱えた。
「闘神マルケルスよ。我、血となり骨となりその身を捧げ、百鬼羅刹を討ち滅ぼせぇ!」
一撃目の後、直ちに二撃目が襲い掛かる。
「ヴァイハーン!」
小舟はカナセを飲み込むと瞬く間に闘神へと変形し淡海の中へと潜水した。
しかし逃れた海中でヴァイハーンは衝撃波の洗礼を浴びた。
「うわあああああ!」
闘神ですら銀色の籠手の脅威に翻弄される。
「なんでだ! なんであんなガキがマギアルマなんて持ってやがる?!」
マギアルマとは戦闘用の魔煌具の事だ。古代魔煌文明前期には多くが作られ頻繁に使われたが今は現存する品も少なく見つかれば博物館送りの代物だ。
そんな事もあり、当節、魔煌武器を使う戦士、マギファイターなどにお目に掛かる事は滅多にない。
しかしもし使われれば御覧の通り、携帯火器を上回る凄まじい威力を発揮する。
「あいつナタルマって言ってたな、何者だ?……」
水流に揉まれながらカナセは相手を見くびっていた事を後悔する。
だが逃げている間にも第三波が襲ってきた。
「うぎゃぁああ!」
ヴァイハーンを襲う凄まじい衝撃にカナセは再び翻弄される。
「逃がす気はないって事か!」
戦況は明らかにこちらが不利だった。非武装の小舟が元となる今のヴァイハーンではあのマギアルマに対抗できない。
使われる乗り物の能力によって戦闘力が左右される。それは常に付き纏うマギアギアの弱点だった。
更にヴァイハーンに潜水能力はあっても騎内に取り込んでいる呼吸の為の酸素量は不足していた。こんな量の空気ではすぐに底を尽き酸欠になる。
だが浮上した途端、ヴァイハーンがあの籠手の餌食にされるのは明らかだ。
カナセは決断に迫られる。水中でギリギリまで待つか浮上して一戦交えるか。
それはトラスニークの町に来て以来、初めての窮地だった。
カナセが水没都市で追い込まれている頃、ヨシュアの国の西側のリードヒル駅に一本の列車が到着した。
この駅に到着するウラ鉄の長大編成は大きく分けて二種、線路敷設の為の機材や作業員を満載してくる民間列車か、路線防衛の為の兵員や兵器を搭載した軍用列車のどちらかで今回はそのうちの後者の到着だった。
長い編成の先方、士官専用の客車車両から降りる多くの乗客に混じって、大佐用の階級章を付けた制服姿の少年が駅に降り立った。
少年は周囲の士官達の中でも浮いた存在だった。
しかし周りから目立つのは年齢と不相応な大佐の階級章ではなく、その顔を隠す為に付けられた銀製の獅子仮面だった。
少年は箱舟の穴から吹き込む風を受けながら、仮面の下でつぶやく。
「血と硝煙の匂い……。やはりヨシュアは良い。ここには人の生きた証がある」
ウラ鉄とは『ウーラシア横断鉄道公社』の略称だった。だがその下部組織である『鉄道公安機動軍』も併せてウラ鉄と呼ばれるのが一般的だった。
少年はそんなウラ鉄公安機動軍に所属する軍人のひとりだった。
「隊長! グレン・ハルバルト隊長!」
少年を呼ぶ声が聞こえた。声の方に顔を向けると一人の赤髪の少女が直立不動の姿勢で待機していた。
「ご無沙汰しております。二十七日と四時間三十二分十一秒ぶりの再会です」
きめ細やかに日付を述べたのは辺境の淡海でクレア・リエルを取り逃がしたあのリサ・マキーナだった。その表情は堅く生真面目さが伺えたが目元は笑って見える。
「久しぶりだな、リサ」
少年もリサに敬礼で答える。声も年若く、前に立つリサが姉にさえ見える。
しかし少年は列記としたリサの上官だった。
挨拶の後、二人は長い駅舎を歩き始めた。
「本部は如何でしたか?」
「あそこは何も変わらんよ。我々は当分、ここの方面軍に随伴せよとのお達しだ」
「またポカチフ中将に煙たがられますか?」
「仕方ないさ。嫌味を聞くのも給料分だ」
「そんな御発言は隊長らしくありません」
「まあ、そう言うな。そんな事より皆の様子は?」
「息災です。一同、隊長の御帰還を心待ちにしております」
「東征號は?」
「ご命令とあらば今すぐにでも出撃可能です」
「頼もしいな。よく維持管理してくれた」
「仕事ですから」
リサの生真面目な言い回しにグレンは仮面の下で笑みを浮かべた。
「何か戦況で変わった事は?」
「特に何も……。境界線でにらみ合いが続いています。ただヨシュアの水軍で動きがあるようだと……」
「具体的には?」
「ギップフェルの件かと……」
「誰が伝えて来た?」
「17號からです」
リサは冷然と答えた。
「ヨシュアの方面軍にその事は?」
「別口で数日後に伝わりました」
「成程流石、17號。なら、本決まりだな。この手の情報で17號がしくじった事はない。ポカチフ中将の様子は?」
「阻止せんと近日中に何かしらの先制攻撃を仕掛けるとの事です」
「はは、それは御苦労な事だな」
グレンが軽く笑った。
「ところで、リサ。空爆の魔女を逃がしたらしいな?」
隊長が質問した途端、リサの表情が硬くなる。
「申し訳ございません。弁明の余地もありません」
「別に責めてなんてないさ。君の頑張りでポカチフ中将は命拾いしたんだからな。最もそれに関して方面軍から感謝状は届いてないが……。それよりもお前が逃がした理由を知りたい。何があった?」
「とんだ邪魔が入りました」
「邪魔?」
グレンが聞き返す。
「突然、マギライダーが現れ、逆襲を受けました」
「はて? リサが手こずる様なマギライダーがまだヨシュアに居たかな?」
「いいえ、辺境の漁師の様な輩です。水没していた漁船を変形させ水の中から襲ってきました」
「それは難儀だったな。それでそのマギライダーはどうなった?」
「ご興味が御在りですか?」
「リサをやり込めるほどの奴なのだろ?」
「それが……」
「どうした? 気難しい顔をして」
「奴はその日のうちにクレア・リエルの招きでこのヨシュアに潜入し、ハンター部隊と戦闘を行ったと報告がありまして。そして数日後にヨシュアの魔煌士になった様です」
「それも17號からか?」
「はい。資料の写しを渡されました」
「なら探す手間が省けたという訳か……。名前は?」
「カナセ・コウヤと……」
「カナセ? 聞いた事ないな……。しかしそんな未知の人材が埋もれていたとは面白い」
そう言ってグレン・ハルバルトは笑ってみせた。そして最後に付け加える。
「ポカチフ中将の相手なんてウンザリだと思ったが……これは退屈せずに済みそうだ」