第11話 水路のある風景
組合の審査から三日が過ぎた頃、カナセの下に正式な居留外国人許可書と魔煌士組合の会員証が同時に届いた。
「へへっ、これで俺も大手を振ってここで商売が出来るって訳だ」
薬局の据え付けのテーブルの上で二枚の書類を並べながらカナセがニヤけ顔を浮かべていた。
「二枚とも額にでも入れて飾っとこうか?」
「別に国家試験の合格通知でもないんだから、そんな大騒ぎしなくても。それにもっとお行儀よくしていたらエニールさんだって普通に審査を通してくれたはずよ」
「けど将来、ヨシュアにこの人ありと謳われるカナセ・コウヤのデビューにしては中々の演出だったろ?」
「何が演出よ、こっちは最後までヒヤヒヤだったわ……」
クレアは呆れ顔でため息を吐いた。
そんな時、薬局のドアの小さな鐘が鳴った。
「いらっしゃいませ。あら、スルタンさん」
看板娘の姉妹が声を合わせて出迎える。
だが店に入って来たのは客ではなく、三日前にカナセを引き留めたあの青年だった。
「大将は居るかい?」
「カナセ君ならここに居るわよ」
「なら丁度いい。例のモノが仕上がったから知らせに来たぜ」
彼は村で必要な機械類の販売や修理を手掛けるスルタンという男だった。
あの日、国奉隊が消えた後、カナセはすぐにスルタンと仲良しになった。
そしてそのまま彼の店に連れて行かれ、店内を見せてもらった。
店のガレージには乗用車から農耕機械、そして水路を行き来する舟艇まで雑多な乗り物で埋まっていた。
「ここにある物はみんな売り物か?」
「そうだ。兵器以外、機械の類で必要な物があるなら何時でも相談に乗るぜ。けどコアダイバーってならまずは舟だよな?」
そう言ってスルタンはカナセに取扱品のカタログを渡してくれた。
そして次の日にカナセはスルタンの店である物を注文し今日がその納品日だった。
「おお! ナイスタイミングだ、スルタンの旦那! 待ってましたよ~」
カナセがスルタンの前に躍り出るとふたりは揃って店を出ていった。
それを見てクレアに思うところがあったのか箒を持って後を追う。
「ミリア、ちょっと出かけてくるわ。放っておくと何をしでかすか判らないし」
三人が店に向かうと、スルタンの店の裏の水路には一隻の小型ボートが停泊していた。
ボートを見てカナセがほくそ笑む。
「おお、良い感じじゃん」
「整備はばっちり、注文通りのモノも付けておいたぜ」
ボートは全長4mほどの中古品で後方に動力用の船外機が取り付けられていた。船の中央には密閉式の大きな箱が据え付けられており、先端には太いワイヤーが巻かれたウインチまで搭載されていた。
小舟はカナセがヨシュアでコアを回収する為の小型艇だった。
「じゃあ、処女航海と参りますか」
「動かし方は判るかい?」
「旦那、マギライダーにその質問は野暮ってもんだぜ」
カナセは早速、小舟に飛び乗ると後方の船外機を作動させた。
スクリューは無論、コアで動く。
「ボンボヤージュ。ガッチリ稼いできな~」
「サンキュー、スルタン」
カナセの小舟は淡海へと続く村の小さな水路を駆けていった。
船首は水を切り、小さなマギモーターも軽快な音を響かせる。
「おほっ! 快調快調!」
「調子はどう?」
小舟と並走する声が聞こえた。箒で飛ぶクレアの声だ。
「最高だね。 クレアも乗ってみれば判るよ」
「じゃあ、共同出資者として同乗させて頂こうかしら」
クレアが甲板に飛び移ると据え付けのボックスに腰掛けた。
小舟は順調に葦の群生に囲まれた水路の中をひた走る。
「どこに行くの?」
同乗中のクレアが訊ねた。
「コアの採集場まで」
カナセが答える。
「いきなり採りに入るの?」
「勿の論さ!」
「まあ、お気の早い事……なら丁度良かった。地図を持ってきて上げたわ」
「そりゃ、気が利くね」
「そう言うと思った。本当は居ても立ってもいられないんでしょ?」
「もう、背骨の芯がウズウズするよ」
そう答えたカナセがこのヨシュアで身を立てる為に選んだ仕事は結局、コアダイバーだった。
村での挨拶を済ませたその日の夜、カナセは後見人であるクレアとこれからの事で話し合った。
その結論がコアダイバーだったのだが、正直、それはカナセの本意ではなかった。
「せっかくヨシュアまで来たってのにこれじゃあ、来た甲斐がないよ……」
これでは田舎から田舎へ鞍替えしただけに過ぎない。
「そんな事ないわ。コアダイバーは立派な仕事よ。組合公認で援助だってしてもらえる。それに回収されたコアには一定の需要があるから真面目に働けば食い詰める心配は無いし、良い事づくめよ」
そう言ってクレアはカナセを励ましてみせた。
それにカナセにはコア探索という強い武器がある。
「カナセ君にとって天職だと思うけどなぁ……」
そうクレアに説得されてもカナセには不満が募る。
「クレア、俺は都会に出て一旗揚げたいんだよ……」
カナセは田舎から出て来た少年らしいその瑞々しい素直な気持ちをクレアにぶつけた。
「そんなにここが嫌?」
「嫌じゃ無いよ。カーニャは良い村だし、クレアだって居てくれる。当分、居候で居る分には申し分ないさ。けど俺は街に出てもっとデカい事がしたいんだ」
「可哀そうだけど、当分、それは無理ね。今のあなたはトラスニークには住めないわ」
「なんで?」
「法律よ。今、トラスニークでは居住制限が掛けられているの」
カナセが新首都トラスニークに住めない理由。それは都市部で施行されている居住制限令だった。
今、ヨシュアでは旧首都リードヒルを主に西方からの大量の戦災難民の受け入れ問題に大変苦しめられていた。
もしトラスニークで自由な入居を許せば新首都はたちまちのうちに難民で溢れ返る。そうなれば都市機能が麻痺し戦争の継続だけではなく政治や経済に悪影響を与えるのは必至だった。
その混乱を未然に為、現在、新首都トラスニークでは居住制限令によって定住その物が規制されている。それはリードヒルから避難して来たクレア達も同様で当然、新参者のカナセにも適用された。
それでもカナセが無理やりトラスニークに住もうとすれば、不法居住の罪でたちまち法執行機関によって逮捕される。そうなってしまえば下手をすれば国外退去か最悪な場合、何年も刑務所に入れられる事になる。
そうなればもうこのヨシュアで一旗上げるどころの話ではない。
だがそれでもコアダイバーが不本意というならば別の道を考える必要がある。
「じゃあ、モーフィング・マギアの力を利用してヨシュアの軍隊に入るか傭兵にでもなるってのはどうだい? そして戦いで敵を倒して手柄を立てるのさ」
そう答えてみたが戦争に直接参加する件はクレアに頭から反対された。
「駄目よ! 外国人のあなたが簡単に軍隊なんて入れる訳無いでしょ。それに傭兵は良い会社ほど軍歴や戦歴、そして能力を重視するわ。今のカナセ君が入った所で弾避けに使われておしまいだわ」
「賛成してくれないのか? 俺は君にウラ鉄と戦うって言ったぜ」
「別に戦いは銃を取るだけじゃないわ。銃後の守りって言葉だってちゃんとあるの」
「銃後の守り?」
「普通に働く事で戦いを支える事よ。だから悪い事は言わないから当面はここでコアダイバーの仕事を頑張りなさい」
「でもそれじゃあ……俺はクレアの所にずっとやっかいになる事になるぜ」
「そんな事、気にしないで。あなたがちゃんと自立するまでここに居てくれて構わないわ。これは後見人としての私の気持ちよ。それに正直、ウチも男の人が居てくれたら色々助かる事もあるし。最も、カナセ君が私達と暮らすのが嫌だって言うのなら考え直す必要があるけど……」
嫌な訳がない。本当ならずっとずっと永遠に一緒に住みたい位だ。
結局、話し合いはクレアに言い包められただけで終わってしまった。
そんな事もあって今、現在、カナセ・コウヤがこのヨシュアで一旗揚げる目途は全く立っていない。
そしてカナセが見ず知らずの田舎で身を立てる術は離れ小島で行っていた様な水没地帯でのコア集めしか無く、それをここでも続けていく他なかった。
だがそれを理由に腐っていても仕方が無かった。今はいつか訪れる自立の日に備えて出来るだけコアを集めていくだけだ。
それにコア絡みで良いニュースがあった。このヨシュアでは回収されたコアは同じ番数でも辺境のオートル村に比べ2倍の相場で取引される。
これを放っておく手はない。
それに自分には魔煌探知という他人より有利な力が備わっているのだ。
「これはチャンスなんだ。ポジティブ・シンキングって奴で行こうぜ」
そう切り替えて奮起するしかなかった。
小舟が20分ほど水路を走り続けると南北に延びる堤防の様な長大な土手が見えて来た。土手の上にはカナセ達が居る水路よりも更に幅広な水路が設けられていた。
小舟が土手の傍に到着すると二本の斜路が見えて来る。斜路は天辺に向かって延びており、ひとつはごく普通の土を固めただけの舗装路で、もう一本は線路の様なレールが敷かれており、その上に小舟を乗せられる台車が置かれていた。
カナセは小舟を水路から台車の上に引き上げ固定すると、台車の横にあった硬貨投入器に硬貨を入れ作動スイッチを押した。
上の方で機械音が聞える。土手の上には台車と繋がったワイヤーの巻き上げ機があり、小舟はその巻き上げ機の力で下の水路から土手の天辺へと持ち上げていった。
土手の天辺で新たな水路が姿を現す。
カナセは小舟を台車から外すと静かに水面に降ろした。
カナセが使った設備はインクラインと呼ばれる主に小舟を低い水路から高い水路へと運ぶ揚上設備だった。水路の各所に点在し金さえ払えば誰でも自由に使える。
そして小舟で淡海に出る為には何か所もこのインクラインに乗り入れねばならない。
「本当、余計な手間賭けさせやがって……」
再び小舟を走らせながらカナセがぼやく。手間だけではない僅かだがインクラインの利用には使用料も発生する。
「小舟を乗せられるだけのトラックがあればいいのにね。そうすれば斜路を登るだけで済むのに」
「全くだよ……」
同情してしてくれるクレアの前でカナセが苦笑いを浮かべた。
しかしそんな手間が必要なのは干拓地ならではの構造的な宿命だった。
淡海の干拓地造成工事はまず大堤防で干拓予定地を囲み外海と遮断する。そして大型ポンプによる排水と太陽光による蒸発を用いて将来、耕地になる海底に残った水を干上がらせるのだが結果的に干拓地の何処もが海抜ゼロメートル地帯である事を意味する。
よって海面下の水路に浮かぶ船舶を淡海まで上げようとすると特別な揚上設備が必要となる。先ほどのインクラインもそんな設備の一つだった。
その幾重にも重なる水路を登り切ると小舟は巨大な人工の大河川に辿り着く。
あのウラ鉄とヨシュアの境界線と同種のものだったがこちらはウラ鉄の姿が無い分、広がっている景色も穏やかなものだった。
そんな大河川の水も干拓地を縦断するほどの旅の果てに淡海へと辿り着く。
カナセ達の小舟は大河川をそのまま進むとやがて河口に当たる巨大な水門の前へと到達した。
水門は140mほどの川幅に五つに区切られ鋼鉄の壁で川をせき止めていた。
その鉄扉の向こう側はすぐにウーラシア淡水海だ。
目の前に高さ5mを超える鉄のゲートがそそり立つとカナセは身震いを起こす。
「でけぇ~」
それは滿汐からの逆流を防ぐ自然からの砦だった。
「でもここより大きな水門なんて他にもあるわよ」
「そりゃ、そうだろうけど……」
「そんな事より、制水ゲートの近くは立ち入り禁止区域だから気を付けて」
水門は五ヶ所全てが閉じられていた。
「さて、どっから淡海に出るんだ? またインクラインを使うのかな?」
「あそこに小さなゲートが見えるでしょ?」
クレアが水門の端を指差すと確かに二重扉の小さな水門が見えた。
インクラインより重厚で規模も大きい設備だ。
「小型船舶用の閘門よ。あそこから淡海に出られるわ」
カナセが閘門の方に船を回すと料金所と鉄で出来た大きな扉が見える。
既に扉の前では数隻の小型船が順番待ちをしていた。
安全の為、閘門を通過できるのは一隻ずつで、カナセの番が回って来ると、料金所の係員の指示によって扉の向こうへと通された。
扉の向こうは船舶が入れるほどの部屋になっており前後で二重扉になっていた。
そして頭の上には信号機が備え付けられ青を示している。
小舟が部屋に入ると入り口だった背後の扉が閉じられ信号機が赤になる。
カナセたちは部屋に閉じ込められると徐々に水位が上がっていく。
「これで淡海の水位と揃えるって訳か……」
暫くしてから水位が止まると目の前の扉が開いた。同時に開放を知らせる信号機の色が再び青に変わる。
「前進!」
遂に小舟は淡海へと乗り出した。
沖合では多くの大型船がゆっくりと行き交っていた。
最初に目に留まったのは大型の貨物船だった。全長100m、外洋船に比べれば小ぶりだが淡海の中で航行する船影は堂々としたものだ。
それに船は貨物船だけではない。淡海の中に浮かぶ船舶は実に多種多様だった。
干拓地国家同士とを繋ぐ大型客船に近海用の小型客船。
鉱物資源や木材、穀物、肥料等を運ぶ各種貨物船や巨大なタンクに工業用の液体や薬液を満たしたタンカー。
四角い鉄箱をいっぱいに積み込んだコンテナ船に生鮮食品を運ぶ冷凍船。
2万tの積載荷物を連結された艀で牽く曳航船にそれら船舶たちを支援する多くの小型船や連絡艇。
時には大型船の隙間を進む物売りのボートや大小の漁船も活発に動き回っていた。
無論、海上警備艇、更には水軍に所属する大型の軍艦や戦車の砲塔を二基搭載した比較的小型のガンボートも往来していた。
そんな船街道の脇をカナセの小型艇が擦り抜ける様に進んでいく。
「船の数が多いな……いつもこんなににぎやかなのか?」
「近くにトラスニークの港があるからでしょう。大概の船はそこで荷の上げ降ろしをしていくはずよ」
「クレアは船は好きかい?」
「う~ん……どうかしらね。お父さんが乗ってたってのもあるけど、好きな方だとは思うわ。でも一番好きなのはこれかな」
そう言うと舟に乗せていたコメット3を優しく撫でた。
「列車は?」
「嫌い! 大嫌い! 見たくも無いわ!」
クレアは美しい面差しをしかめてまではっきりと否定した。
「船なんてとても便利な乗り物があるのよ。なのにどうしてウラ鉄はわざわざ線路を敷いてまであんな物を動かすのかしら? 私には気が知れないわ!」
「そりゃ、まあ、奴等にとっても都合が在るからだろうな……」
カナセはぼんやりとつぶやくとクレアが嫌な顔をする。
「カナセ君、ウラ鉄の肩を持つ気?」
「そんなんじゃないよ。存在する限り、意味があるんじゃないかなって思っただけさ。例えば国奉隊もあいつ等なりに役割があるから存在し続けるんじゃないかな?」
カナセが心にもない事を言った。
「そうかしら? 私には無用の長物の様にしか思えないけど」
それにクレアが反応する。
「何でそう思うんだ?」
「それは……」
クレアは黙り込む。
「前から気になって仕方ないんだけど、クレアは国奉隊の事になると言葉を濁すよな。三日前もそうだ。後で奴等の事は話すって言っておきながら結局、何も教えてくれない」
「……」
「理由ぐらい教えてくれても良いだろ? 今からでもさ」
「教えて上げても良いけど一つだけ約束して。絶対に彼等とは村で喧嘩しないで。絶対に騒ぎを起こしちゃダメ。皆、静かに暮らしている人達ばかりなんだから」
「何だよ、その言い方。まるで俺が騒動を起こす前提みたいじゃないか」
クレアの言い方に今度はカナセが不機嫌になる。
「気を悪くしたんならごめんなさい。でも何か起こる前に言っておかなきゃって思うの」
「ああ、判ったよ。約束する」
「本当? その言葉、信じていい?」
「男に二言は無いさ」
カナセがそこまで言うとクレアはやっと国奉隊の事を語り始めた。
「事の起こりは戦争が始まって暫く経った時よ……」
古来、戦争が起きた時、敵側は相手側の政情不安を煽る為に専門の工作員を数多く送り込む。
工作の手段は要人暗殺や施設の破壊等の大掛かりなものから、民衆への宣伝活動、扇動、デマ、ゴシップと小さなものまで多種多様に及んだ。
だがそれが何にせよ工作を受けた相手側は対抗手段として警察の他に憲兵や公安などのあらゆる法執行機関を投入して工作員の排除を行い政情の安定化を図る。
それはこの戦争でのウラ鉄とヨシュアとの間でも変わりない。
しかしどの法執行機関も人的資源や処理能力には限りがある。
国内の安全と秩序を守るといった通常の任務がある上に、そこに敵の破壊工作や諜報活動の取り締まりという重責が加わるのだ。
そして現実は敵の謀略がこちらの処理能力を超えてしまう事態にしばしば陥る。
そんな時、犠牲になるのは常に弱い立場の市民達だった。
「そこでカナセ君。もしあなたがこの国の大臣になったとしたら、こんな時どうする?」
「そりゃ、警察官を増やすくらいの事はするだろうな。人の命が関わる事だもの。“出来ませんでした”では済まないだろ?」
「そうよね。そして皆、そう考えたわ」
しかし治安維持対策の増員はカナセが口で言うほど簡単な作業ではなかった。
ただでさえ国内は戦争で慢性的な人員不足に陥っている。それに加え急激な増員は、せっかく召集した人員から訓練期間を奪い、結果的に彼等の質の低下を招く。
だがそれでも事態打開への最低限の数は確保せねなならない。しかも早急に……。
そこでヨシュア政府が考えた解決策が覚えのある民間警備組織や政治団体に一定の権限を与えて治安維持活動の一部を代行させる事だった。
ある程度の軍事訓練を受けている彼等なら番犬の代わりが務まる。そう考えたのだ。
そうやって新たにヨシュア国内に誕生した治安維持組織のひとつのが国奉隊だった。
彼等は警察の代行者だった。政府から一定の権限が与えられ市民を逮捕する権利も有していた。
「じゃあ、あいつ等の存在は国家のお墨付きって事か。けどその割には酷すぎないか?」
カナセが指摘するとクレアは溜息を吐く。
「やっぱり、カナセ君もそう思う?」
「あれくらい見りゃ子供にだって判るよ。それに村の人達の嫌い方だって酷いもんだ。前に嫌がらせでも受けたみたいで。もしかして本当に何かされたのか?」
「彼等はトラスニークとその周辺の村々や企業に対して何かに付け協賛金の供出を要求して来るわ。村を守るから費用の一部を負担しろ、こちらの指示を受けたら素直に従えとかね。けど協賛金が支払われた所で真面に警備なんてされた事無いわ。逆に協賛金の供出を拒んだら直ぐに大勢で押し寄せて難癖を付けたり居座って村に嫌がらせをするの」
「じゃあ、その協賛金ってのは何に使ってるんだ?」
「組織運営の維持費ってのは名目で歓楽街での飲食や組織拡大の資金に使ってる。政治家への賄賂にも使われてるって噂もあるわ。隊の維持費に税金まで使われている上によ」
「最悪だな、おい! それを誰も文句を言わないのか?」
「言ってるわよ。でも国奉隊は準警察組織よ。下手に歯向かったら訴えた側が犯罪者や反逆者として逮捕される可能性があるの」
「だから手を出せないってか?」
「国家が公認してしまった以上、やっぱりそれだけの力があるのよ。それに組織の後ろにはあのエニール家が居るわ」
「エニール家? あのマッシュルームのおっさん、そんなに偉いのか?」
「エニール課長はそうじゃないわ。まあ、あの人も一族のひとりなのは確かだけど……」
クレアの説明ではエニール家はこのヨシュアで指折りの名家だった。
当家は古くからトラスニークに拠点を置きながら農業国であるヨシュアで生産された穀物を他の干拓国家に輸出する海運業で財を成した大金持ちの一族だ。
その財力を使って一族の幾人かを政治家や高級官僚として送り出し、政界との繋がりを強めている。
「それで奴等の隊長ってのが……」
「タモン・エニール。彼も一族のひとりよ。国奉隊の設立にエニール家の後押しがあったのは確かよ」
「だからあのデブが隊長に収まってるって訳か。けどそこまでして、エニール家は何を欲しがったんだ?」
「エニール家としては単に新たな利権が出来たから唾を付けて置きたかってのが通説よ。国から代行する警察権が手に入るのなら何かに備えて確保しておこうくらいの考えだったらしいけど……」
「それをタモンの野郎が現場で悪用しているって訳か。何だか悪い病気にでも罹った様な話だな。聞いてるだけで胸の奥がムカムカする……」
「ごめんね、ここに来たばかりのカナセ君に詰まらない事言って……」
「別に良いさ。聞いたのは俺なんだから。それよりも一番詰まらないのはずっとここに住んでるクレアみたいな人達じゃないのか? そんな連中にデカい顔されて相当、参ってるんじゃないのか?」
「……」
そう言われればクレアも返す言葉が無い。
「それでタモン・エニールとはどんな関係なんだ?」
「関係って、彼はその国奉隊の隊長で……」
「そうじゃなくって。なんでアイツ、クレアを探してたんだ?」
「それは……言わなきゃいけないの?」
「俺に取っちゃ、そっちの方が大事な事だ」
「私個人のプライベートなんだけど……」
「ごちゃごちゃ言わずに、ここで言ってスッキリさせてくれ! それでなくても俺は今、腹ん中にムカムカした物を溜め込んでんだ!」
踏ん切りの付かないクレアに向かってカナセが声を荒げる。
「どうして私が怒られなきゃいけないのよ……」
「それで何があった?」
「昔の事よ。戦争が始まる前の話……」
「良いから! じれったいなぁ」
「告白されたのよ。初めてあったその日に?」
「はぁ?! あのデブのオカマ野郎にか?」
告白の一言にカナセが顔を歪ませる。
「何時? 何処で?」
「魔女の学校の文化祭でね。私の班は舞台劇をしたの」
「文化祭って何だ?」
「そこから説明するのね。まあ、学校でやるお祭り位に思ってくれてれば良いわ。それでね、私が演劇で舞台に上がってたのを彼が観客席で観ていて見初めたらしいわ。そして劇が終わって教室に戻ったら、床一面に赤いバラが敷き詰められていて、その中で彼が両手を広げてこう言ったの」
「なんて言われたんだ?」
「ああ~ん、素敵! クレア・リエル、あなた最高! 特にその青く澄んだ瞳と流れる様な金色の髪! 本当に生きたお人形さんみたい! どう? 私の所に来ない? 取り巻きのひとりにして極上の愛を注いで上げる! 決して悪いようにはしないわ。お金だって自由なんだから!」
「なんだよ、あの腹でそんなふざけた事、言ったのか?!」
その慇懃無礼な態度をクレアの前でした事にカナセの中で怒りが沸き上がる。
「それで?」
「え?!」
「それでどうしたんだ? もしかして告白を受けたのか?」
「そんな訳ないでしょ! 怖くなって、その場から逃げ出したわ!」
「まあ、妥当な選択だな」
断ったという一言にカナセは納得の笑みを浮かべた。
「しかしバラを敷きつめて、女言葉で告白なんて気持ち悪い。どんな神経してるんだ?」
「こっちが気を失ってる隙にスカートの中を覗く様な人が言えた事かしら?……」
「何か言った?」
「いいえ別に……」
「けど向こうは諦め切れず未だに付き纏って来るって訳か?」
「要約すれば、そうね」
クレアがため息交じりに答える。その様子はほとほと困っている様に思えた。そんな彼女の姿が不憫でならない。
代わりにカナセの中でふつふつと怒りの炎が燃え上がる。
「しかし許せねぇ、断じて許せねぇ! デブでオカマで変態野郎が俺のクレアに横恋慕なんていい度胸だ! タモン・エニール、今から奴は俺の敵だ! 今度、会ったら組織もとろも木っ端みじんに壊滅させてやるぜ!」
「ちょっと、カナセ君! そんな物騒な事、考えないで! それに俺のクレアってどういういう意味よ」
「大丈夫、心配するなって。あんな奴、クレアには指一本触れさせねぇからな!」
カナセの言葉はいろいろ間違っている。しかし、それを指摘する事にクレアは少々疲れてしまった。
それでも一つだけ絶対に言い聞かせなければならない事がある。
「カナセ君、もう一度言うけど、国奉隊と喧嘩だけは駄目よ! 絶対に! あなたはもう村の一員なんだから、喧嘩をすれば必ず村の人達にも迷惑が掛かる。だからそれだけは約束して!」
そうクレアは前の繰り返しを口を酸っぱくして言い聞かせた。
そこまで言われれば流石にカナセも煩わしくなる。
「しつこいなぁ。判ったよ、村で喧嘩なんてしないよ。クレアの嫌がる事はしない。それで良いだろ」
「よかった、カナセ君は言えば聞いてくれる子だと信じてたわ」
「チェ、子供扱いしやがって……」
カナセは不満げだったがクレアはこれでようやく胸を撫で下ろす事が出来た。
そんな二人を乗せた小舟が快調に淡海の沿岸を進む。
沿岸は航路を外れたのか船の影もまばらになっていく。
そして最後に白い船体をした豪華な大型クルーザーの横を遠巻きに通り過ぎていった。
クルーザーは河川用にしては乾舷が高くカナセの目線からでは甲板の上を見る事は出来ない。
「デカい船だなぁ、個人の船かな? どんな奴が乗ってるんだろう……」
「でもこんな戦時に舟遊びなんて吞気なものね……」
子供の様にはしゃぐカナセに比べクレアの言い方には小さな棘があった。
彼女の気持ちは戦場から離れても戦時体制のままで止まっているらしい。
一方、その大型クルーザーの上では通り過ぎる小型ボートの引く軌跡を眺める者が居た。
「おや? アイツは……」
双眼鏡を覗きながら背の高い男がつぶやく。男は金髪に染めたチリチリパーマの頭の上にレイバンのサングラス乗せていた。しかし野獣の様な切れ長の目元はとても真っ当な一般人とは思えない。
男は国奉隊、副隊長のザガート・バングレだった。
「どうしたの、バングレ? 何か変わった物が見えた?」
甲板に敷かれた絨毯の上、そこに腰を降ろしたままひとりの男がバングレに訊ねる。
男はバングレとは真逆の体形で、背が低く脂肪の詰まった腹を豪奢なドレスで包みながら裸になった青い目の少女人形に小さな服を着せていた。
絨毯の上にはこれでもかと大量の人形のドレスが拡げられている。
バングレはドレスに囲まれた少女趣味丸出しの男に向かって答える。
「いえ、坊ちゃん。さっき通ったボートに知った顔が見えまして」
「知った顔?」
男は人形を片手に双眼鏡を取るとボートの方を見た。
「あらあらあら!! あれってクレアじゃない!」
双眼鏡のレンズ越しに映る美しき魔女の姿に声を上げる。男の正体はあのタモン・エニールだった。
新首都の警備など上の空、持て余している時間と金を使って優雅にボート遊びに興じていた所だった。
「こんなところで彼女を見つけるなんて……」
久方ぶりに見るクレアの姿に口元を緩ませる。
しかし今度は一転、彼女の傍でボートを操作する少年を見付けてキノコ頭を逆立たせた。
「な、ななななななな! なんなのよ、あの小僧は?!」
「見た事のある顔ですぜ。確か、カーニャの村で会った新入りでは?」
「そんな事はどうだっていいの! どうしてあの野蛮人がクレアと一緒に居るのよ!」
「さあ、付き合ってるんじゃないんですかい?」
バングレが薄ら笑いを浮かべながら肩を竦める。
「トギス!」
「は、はい! 只今!」
タモンの呼び声の後にひ弱な背広姿のキノコ頭が現れた。
「クレアと一緒に居た野蛮人の素性を調べて! 前よりももっと詳しく!」
「調べてと言われましても……」
「もう一度、魔導士組合に問い合わせれば良いでしょ! その天辺の脳みそは何の為に詰まってるの!」
「ひいいいい! かしこまりましたぁぁぁ」
「相変わらず使えない男ね! このまま淡海に突き落としてやろうかしら、ぺッ!」
甲板の上を逃げる様に走り去るトギスに向かってタモンが唾を吐きかけた。
しかしタモンが発破を掛けたお陰で調べはすぐについた。
「マギライダーですって? そのマギライダーが何でクレアと一緒にいるの?」
「どうも彼女の家に居候をしてるとかで……」
「な、何ですってえぇぇぇぇ?!」
居候の一言にタモンは顔を真っ赤にした。
そして勢い余って手にしていた少女人形の首を誤ってへし折ってしまう。
「ギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
穏やかな淡海の上で女装姿の野太い絶叫が響き渡った。
「うわぁ! わっ! 私のカトリーヌちゃんぐわぁぁぁぁぁぁ!!」
首の取れた愛用の人形を前にタモンが錯乱する。
「バングレ、今すぐ船を回して頂戴! あの野蛮人の船を追いかけるのよ! とっ捕まえて異端審問に掛けてやる!」
タモンは怒り心頭のまま命令を下した。
しかしそれにバングレが冷静に抑える。
「落ち着いて下さい、坊ちゃん。こんな事で坊ちゃんの御手を煩わせる必要なんて御座いませんよ」
「これが落ち着いて居られますか! この後、もし私のクレアがキズモノにでもされたらどうするつもりよ! それに大事なカトリーヌちゃんを! この恨み、晴らさで置くべきかぁぁぁぁ!!」
「ですから、その恨みを簡単に晴らす方法があるって事ですよ。それもこっちの手を汚さずにね」
「手を汚さずにってどうするのよ?!」
するとまだ怒りが収まらないタモンの前でバングレが地図を広げる。
「確か組合の話では、あの男にはF4の32番区画が割り当てられたと……」
「それがどうしたのよ?」
「あの近くは確かナタルマがナワバリにしているはずですぜ」
「ナタルマのナワバリって……成程そういう事。冴えてるわね、バングレ。野蛮人には野蛮人って魂胆ね」
「そういう訳です」
バングレの言葉の意味を理解したタモンが両手を打つ。
「じゃあ、早速、奴に連絡して! でもクレアを傷付けちゃ駄目よ。それだけは良く言い含めておいて。ふふん……あの野蛮人、目に物みせてくれるわ!」
そうつぶやくタモンの顔からは怒りが消え、今度は陰湿な笑みが浮かんだ。
一方、カナセ達の小舟はクレアの持ってきた地図に従って沿岸から水没都市地帯へと入っていった。
もうどこにもすれ違う大型船の姿はない。
だが周囲の光景にカナセは息を飲む。自分が育った小島の周囲にも大昔の都市の跡は見られたがここはその規模がまるで違っていた。
「こいつぁ、凄ぇ~」
堤防の向こう側は都市が丸ごと一つ沈んでいた。海面の下では川藻が生い茂りその隙間から古い言葉で高層ビルと呼ばれた石の塔の廃墟が水面から幾つも突き出ていた。
「それで俺の割り振りはどこになってる?」
割り振りとは魔煌士組合からコアダイバー個人に許可が下ろされたコアの採集場の事だ。
建前上、この国では人の手の届かないコアは組合の管轄になっている。
よってコアダイバーは組合から割り振られた採集場以外での回収は禁止されていた。
「書類にはF4の32番って書いたるから、このまま北西に進んで」
「何か目印みたいなものは?」
「特に無いみたい……」
その後、クレアが地図で指し示した場所に小舟が辿り着く。
だがそこは水没地帯から僅かに離れ、石の塔の影はなく平坦な水面が広がるだけで、あるとしたら近隣にする漁師が仕掛けた魞と呼ばれる定置漁具くらいだ。
「ここで良いんだよな?」
「そうね……」
クレアが地図を見ながらうなづくとカナセは錨を下ろし船を固定した。
水面をのぞき込むと、海流に乗って流れ着いた堆積物の下に大昔の住宅の屋根が僅かに見える。
「本当にここで良いんだよな?」
「そうだけど……どうかしたの?」
しつこく場所を聞き返すカナセの言葉にクレアは違和感を覚えた。
するとカナセが怪訝な表情を浮かべてこう言った。
「悪いけど、この辺り、ほとんどコアの気配を感じないぜ」
「そうなの?」
「その地図の区画の中でも0.5番以下がせいぜい十個あるか無いか……。こんな量、一日……いいや、半日で取り尽くしちまうぜ」
「本当に?」
クレアは耳を疑った。確かにその量は少なすぎる。
「取り尽くしたらどうなる? すぐに違う場所に移させてもらえるのか?」
「そうはいかないはずよ。確か更新は申請して一ヶ月後のはず……」
「冗談じゃない! その間、俺はどうするんだよ。船を買った時の借金だって残ってるのに。漁師に転向して魚でも獲ってろってか? じゃあ、今度は漁協に挨拶に行くのか?」
「ちょっと、待ってよ! そんなにまくし立てないで……」
カナセの不満にクレアは頭を抱える。しかしカナセの言い分は理解できる。
コアダイバーにとって割り振られた区画の埋蔵量は死活問題だ。
それにカナセはこれからここで頑張ろうと躍起になっていた。なのに初日からそのやる気が削がれる様な状況はあまりにも不憫だ。
「判ったわ、これから組合に行って掛け合ってみる」
「行ってくれるか?」
「だって私はカナセ君の後見人よ。あなたが独り立ちするまで見守る義務があるもの」
クレアは答えると箒に乗って船の上を飛んだ。
「じゃあ、ひとっ飛びして行ってくるから、そこで待っててね」
「頼むよ、マイ・ハニー」
「誰がマイ・ハニーよ! 調子、良いんだから」
そう言い残してクレアはカナセを置いて飛び去った。
そして一路、組合本部へと向かう。
「おおかた課長の嫌がらせね……」
審査の時、口の聞き方が気にくわなかった事と中庭の大立ち回りに対する仕返しのつもりなのだろう。
しかし最初からこんな目の付けられ方をされては先が思いやられる。
「とにかく今はカナセ君の割り振りを何とかしなきゃ」
そう言い終えた途端、クレアはふと冷静に戻った。そして疑問に思う。
「でもどうして私、こんなに頑張ってるんだろう?……」
確かに自分はカナセの後見人だ。しかし彼への世話の焼きようは自分でも過保護に思えてきた。
無論、彼の才能を見込んでの事ではあるが、今までそれを恩で返された事は無い。
それどころか面倒ややっかい事ばかり次から次へと持ち込んでくる。
「でも不思議と憎めないし、放ってもおけないのよね……」
そして結果的に彼を助けようとする。
全くおせっかいな性分だ。そんな自分の性格をよく同僚の魔女達からも指摘されていた。
だがそれが変な具合に彼の性格や置かれた状況とかみ合ってしまうのだ。
クレアは逆にカナセに問い質したい気分になる。
だがそんな事を聞けば彼は厚顔無恥にもこう答えるはずだ。
「それはねクレア、君が俺に恋している証なのさ……。だから今すくチューしようぜ」
「違うわよ! おバカ!」
クレアは箒で飛びながら首を激しく左右に振った。そして大声で叫ぶ。
「バカバカバカ! カナセ・コウヤのバカ! 全く、人の気も知らないで!」
クレアは叫びながら淡海を高く飛んだ。そして少しでも早く組合本部に辿り着こうと箒のスピードを上げた。
だがそんなクレアの顔は自分でも気付かぬうちに紅潮していた。