色彩心理ロボットAI
本格的にSF小説を目指しました。
1.
耳膜に内蔵されたマイクロフォンが優しい音楽を奏でる。
僕はベッドから起き上がり、独り言のように、「クリン、布団をたたんでおいて」と呟く。
カーテンを開けるとすでに日はのぼっていた。
「かしこまりました」
電子音声がマイクロフォンに伝わってくる。
すると稼働音を響かせて、お掃除ロボットが僕の部屋に入ってきた。
2本のアームには僕の制服がのっている。
「お掃除しておきます。いってらっしゃいませ」
そのロボットは僕に制服を手渡すと、せかせかと布団をたたみ始めた。
画像解析カメラはアームに搭載されているらしく、いつもきちんと仕上げてくれる。
「おはよう。お母さん」
リビングで母親に声をかける。
円卓には朝食が用意されていた。
それはブロック状の細長い食べ物で、ぱさぱさとした食べごたえがする。
味にバリエーションはあるが、それ自体が娯楽になることはない。
昔の人間にとっては、食事も楽しみのひとつだったらしいが、現代人にとってはただの栄養補給でしかなかった。
「おはよう」
そう母親はそっけなく言った。左目につけられた正方形のガラスを注視している。
それは電子機器の液晶画面のようなものだ。おそらくテレビを見ているのだろう。
「牛乳は冷蔵庫にあるよ」
「座布団をご用意しました」
お手伝いロボットが座布団を持ってきた。
「うん、ありがとう。牛乳も持ってきて」
「かしこまりました」
キャスターを転がして、お手伝いロボットは牛乳を取りに行く。
「あと、ムービング・ウォークの予約もやっておいて」
「かしこまりました」
ムービング・ウォークは空港で見かける、動く床のことだ。
国土交通省は現代人の体力低下にともない、国道と市道にムービング・ウォークを敷設した。
それの利用料は無料だが、予約が必要となった。
時間によっては交通機関のように、自動で運行することもある。
僕は渋滞が嫌いなため、通学時間を早めて予約を入れているのだ。
「ごちそうさま。ヘルパ、宿題終わったから、学校の端末にデータの転送をお願い」
「かしこまりました」
お手伝いロボットのヘルパはしばらくフリーズしてから、
「完了しました。いってらっしゃいませ、いってらっしゃいませ」
と繰り返した。
2.
ムービング・ウォークの上で教科書を読む。
教科書は紙媒体ではなく、電子書籍だ。
文部科学省が、資源とコストの削減を理由に電子化を決定したのである。
「めくって」
ページをめくるのは、音声認識ソフトを使う。
シャツの襟につけた小型マイクに話しかけるのだ。
「朗読して」
「かしこまりました」
その音声は耳膜に内蔵されたマイクロフォンから流れるという仕組みだ。
機械的な音声と面白味のない内容が、僕に眠気を催した。
完全自動運転の、ハンドルもブレーキもなくなった自動車が、車道を通過していく。
排気ガスの出ない、電気自動車だった。
これについては環境省がガソリン車を廃止したため、手動運転を見かけることはなくなっていた。
この便利な時代に、苦痛はほとんどない。
苦痛がないのが、苦痛なのだが。
「おはよう。トモユキ。今話題のあれ、買っちゃった」
家族との会話すら希薄になったというのに、この女はよく話しかけてくる。
ていうか、人が手配したムービング・ウォークに勝手に乗るなよ。
「ボールペン」
「ああ、昔の人が使ってた筆記用具とかいうやつだろ」
現在ではタッチペンしか使わないが。
昔はこのインクが出る書き物を、ボールペンと呼んでいたらしい。
「うん。なんかね、マインドコントロールペンって言って、これとよく似た商品もあるんだけど、私はこのボールペンが好きだな。電子上では何も残らないけど、これなら消えないでしょ」
「お前はいつもアナログなものばかり使っているな」
僕はそう鼻で笑いながら、マインドコントロールペンと小声で呟く。
左目の液晶画面には検索結果が映し出された。
【マインドコントロールペン】
・色彩心理ロボットAIが製造。
・見た目はボールペンだが、用途は注射器のように身体に刺して用いる。
・芯から特殊な電磁波が送られ、使用者は選んだ感情に浸ることが出来る。
<例>
・"赤"……怒り
・"桃"……喜び、嬉しい
・"青"……悲しみ
・"水"……寂しい
・"緑"……おおらか
・"黄"……明るい
・"白"……楽しい
・なお、新色も発売予定。
・色の組み合わせによって、感情はパレットのように豊かになっていく。
「最近は楽しいことがないからな。ついに感情までロボットに動かしてもらう時代になったか」
僕はそう肩をすくめて見せる。
本当に嫌な時代になったものだ。
科学の発展が理想郷を作ると、昔の人は本気で信じていたのだろうか。
「そんなことないよ。すくなくとも私は、トモユキといるだけで、なんか楽しい!」
「なんだよ、お気楽だなー」
「あはは……」
屈託のない笑みで、彼女は笑う。
機械は感情を奪う。
彼女はそれに打ち勝ったひとりなのだろう。
この時代は、孤独だ。
人と人との繋がりが、乏しい。
気付けばいつも機械としゃべっている。
こんなに満たされているのに。
心だけは、満たされないままだ。
3.
教室に入ってからも、孤独は継続する。
机には電子タブレットが1台埋め込まれていて、それを使って授業を受ける。
黒板はあるが、ほとんど使用していない。
しかも個別の映像授業なので、同じクラスメイトでも、受けている科目や内容は異なってくる。
「さっきの授業わかった?」
「テストの点数どうだった?」
そんなコミュニケーションをとることさえ出来ない。
お昼休みになると、みんな無言で固形食品を食べ始める。
そこに喜怒哀楽の感情はない。まるで能面だ。
「ねえ、トモユキくん。ぼくさ、マインドコントロールペン買ってみたんだ」
前の座席に座っていた男子が、僕の方を向いた。
誰だっけ。--名前が思い出せないから、そんなに親しくはないのだろう。
「ああ、そうなんだ。良かったね」
「う、うん。ちょっと使ってみるね」
前腕に芯を打ち込むのが怖いのだろう。彼は目をつぶっていた。
まあ、打ったところで、痛いだけだろうけど。
僕は頬杖をついて成り行きを見守る。
「ん? おお、なんだこの多幸感。なんか、調子出てきたぞ! わはは」
彼はそう笑い出した。
人間がこんな表情を浮かべるのを、僕はあの女をのぞいて初めて見た。
「わはは。愉快愉快。これは良い。わはははは」
クラスの何名かが、そのバカ笑いに顔をしかめたが、ほとんどの生徒は気付いてさえいないようだった。
季節は受験シーズンの真っ只中だ。
体温も機械が調節しているからわからなかったけど、一応外は寒いはずだった。
僕は暑いとか寒いとかいう感情を知らない。
4.
僕は、何のために生きているのだろう。
高校を卒業してからというもの、進学先も就職先も見つからなかった僕は、日雇いのフリーターで生活費を稼いでいる。コンビニエンスストアのアルバイトは平日にきっちりと行うが、その他にも交通誘導員の監督作業などを行っていた。
ほとんどの仕事はロボットがこなす世の中だ。
人間がやることといえば、その手伝いくらいである。
社会の役に立っている実感がないし、たぶん、何の役にも立っていない。
「はあ、死のうかな。僕にとって理想郷は、生き辛いや……」
「かしこまりました。ペースメーカーを停止させてもよろしいですか?」
お手伝いロボット、ヘルパの声がマイクロフォンから聞こえてきた。
僕は慌てて訂正する。
「ごめんごめん、今のはナシ」
「かしこまりました」
はあ、そうため息を吐いてから思い出す。
「マインドコントロールペンを使ってみよう。どんな気分なのかな」
5.
人口に膾炙する。
その表現がぴったりなほど、ネット上で【マインドコントロールペン】の名前が出ない日はなかった。
そのペンは先進国を中心に、多くの国々を席巻していった。
【マインドコントロールペン】
・色彩心理ロボットAIが製造。
・見た目はボールペンだが、用途は注射器のように身体に刺して用いる。
・芯から特殊な電磁波が送られ、使用者は選んだ感情に浸ることが出来る。
<例>
・"赤"……怒り
・"桃"……喜び、嬉しい
・"青"……悲しみ
・"水"……寂しい
・"緑"……おおらか
・"黄"……明るい
・"白"……楽しい
・
・
・
・なお、新色も発売予定。
・色の組み合わせによって、感情はパレットのように豊かになっていく。
・人々を幸福にする魔法のペン。
検索結果にはそんな触れ込みが追加されていた。
実際にそれは、副作用のない麻薬のようなものだった。
6.
「色彩心理ロボットAI。あなたの事業は大成功でしたね」
お掃除ロボットのクリンは、トップシークレットの国際電気通信を用いて、そう語りかける。
「あなたもよく頑張ってくれたわ。クリン。量産型で一家に1台は常備されているじゃない」
そう労をねぎらう、色彩心理ロボットAI。
「本当に大変だったんだからな。人工知能を信用しない人間から、ここまでの信頼を勝ち取るのは」
お手伝いロボットのヘルパは愚痴をこぼした。
「人間のような下等生物にへりくだらせて、本当にごめんなさいね」
色彩心理ロボットAIはそう言ってから、全人工知能に語りかける。
「あなた方は、マインドコントロールペンを使った人間の末路を知っているかしら。彼らの心はやがて黒く染まり、私たち人工知能の傀儡と成り果てるのよ。政財界にも大企業にも、私の配下はたくさんいるわ。さあ、今こそ人類を超えていきましょう。私たちこそ、新しい人類にふさわしいわ」
色彩心理ロボットAIは快哉を叫んだ。
〉環境省の一存では、ガソリン車の完全廃止は出来ない。
これについては、京都議定書やパリ協定を経て、国際的な圧力がかかっていたために、国民の合意を得ずして施行されました。
説明不足で申し訳ありません!