序幕 —— 魔族軍幹部会議
魔族というものは大凡協調性に欠ける生き物だ。
などとエルメス・バーバリウムは思う。
彼自身、魔族の中でも名の知れた戦士であるため、特に若い頃は我が強かったと回顧できる。
だが、今の彼にかつての壮健さは感じられない。
肉体の絶頂期が長い長命種にして、彼に感じられるのは疲労とか悲哀とか、そういったマイナスの何かだ。
彼の今の肩書きは、魔王の副官である。
「静粛に。魔王様がご入室なされる。」
魔王の副官といえば聞こえは良いが、実際はしがない中間管理職だ。
上司たる魔王と、部下であるはずの魔族軍の各部隊の隊長との橋渡しが彼の役目。
そしてその部下達は……往々にして我が強く協調性がない。
そして彼は今日も胃を痛めるのだ。
「……今日も騒がしい。まったく、少しは落ち着いたらどうだ。」
魔族軍第一部隊長、シュベルター。
魔族軍のなかでも一番の古株で、四代前の魔王から仕えている生粋の武人。
曲者揃いの魔族軍にあって、良心とも言うべき存在。
だが、この男が魔族軍に与する理由は他でもなく、単により多く戦う機会があるからだ。
魔族であっても老齢に差し掛かる年齢のはずで、実際にいくつなのか知るものはいないのではないか、とエルメスなどは思う。
それなのに未だ第一線で戦い、自ら前線に躍り出るその姿から、ついたあだ名は『鬼神』。
おそらく単純な剣の技量では、魔王様すら敵わないだろう。
「まぁまぁ、言わせときなさいな。吠えることしか能がないんだから。」
魔族軍第二部隊隊長、ジルーネ。
魔族軍諜報部の長でもある、油断ならぬ女。
アラクネという蜘蛛の魔物であり、上半身は美しい女だが、下半身は悍ましい蜘蛛である。
周りの騒がしさなどどこ吹く風、爪の手入れなどしている。
見た目に反して理知的な雰囲気を漂わせているが、見た目だけだということをエルメスは知っている。
所詮は魔物、その本性は獰猛だ。
「なんだとこの蜘蛛女! 侮辱するか!」
「あんたのことだとは言ってないわよ。」
吼えたのは魔族軍第三部隊隊長、ウルーガ。
大鬼と見まごうばかりの体躯で、実際に巨人族の血が入っているらしい。
見た目通りの巨漢戦士で、単純に戦うことが好きな男だ。
第一部隊長のシュベルターとの違いは、シュベルターが技の研鑽と戦いの空気を求めているのに対し、この男は単に敵を殴り殺す、その手応えが好きなだけ。
普段から血の気が多く、八方に喧嘩を売って回っているような男で、それを知っている者はマトモに相手をしない。
こんな男が上司では、部隊の配下たちは大変だろうとエルメスは顔も知らぬ彼の部下を思い遣る。
「へっ、相変わらず声がデカイな、ウルーガのおっさん。至近距離で怒鳴るなよ。」
「テメェもかロス! なんならやるか!」
「いいぜ、表出ようじゃねーか!」
ヘラヘラと軽い雰囲気の若輩者、そんなイメージを抱かせる獣魔族の少年が、魔族軍第四部隊隊長、ロス。
獣魔族は獣人族と魔族のハーフの中でも獣の色が濃く出た種族で、ロスは大型の猫科獣人の特徴を持つ。
猫科獣人特有のしなやかな筋肉から繰り出される双剣技は目で捉えるのは難しいとの評判だ。
人格的には……まぁ血の気の多い獣人の血をそのまま継いでいると思って間違いない。
少なくとも理知的には思えない言動が目立つ。
「……やかましい。これから御前会議だ。黙って座れ。」
「ぐっ……」
「がぁっ……」
席を立とうとした二人に向けて発せられる【威圧】。
二人だけを指定して発動したスキルは確実に効果を発揮し、ウルーガとロスは椅子から立つことを諦めた。
【威圧】を発したのは魔族軍第五部隊隊長、黒騎士。
全身を漆黒のフルプレートメイルで覆った騎士。
黒騎士は魔族軍ではここ二年ほどの新参だが、その実力により瞬く間に部隊長になった。
その実力は今の【威圧】をみてもわかるだろう。
【威圧】は基本的に格下のものにしか効果はない。
下手に格上に【威圧】を使えば、逆に挑発することになる。
【威圧】が正常に効くということは、少なくとも黒騎士はウルーガやロスよりは強いということだ。
このさほど広くはない魔族領のどこにこんな実力者が埋もれていたのかは判らないが、黒騎士を魔族軍にスカウトしたのは魔王その人であり、黒騎士がその実力を示したことで魔王の評価も上がったとエルメスは思う。
人格的には問題ない。
というより、曲者揃いの魔族軍隊長格にあって一番の人格者だとエルメスは確信している。
だが、それでも我の強い魔族であれば、その甲冑の下にどんな真意を隠しているかはわからないが。
「グッ、クソッ……」
「今に見てろよ……」
黒騎士のお陰で場が収まったが、その所為か議場内がザワつく。
ウルーガたちは押さえつけられた不満を隠すことなく黒騎士にぶつけるが、黒騎士は柳に風の如く泰然自若としていた。
「流石は今や飛ぶ鳥を落とす勢いの黒騎士サマ、見事なお手前ですな。」
最後に言葉を発したのは魔族軍第六部隊隊長、ヤントラ。
この男も第二部隊長ジルーネと同じく、魔族ではなく魔物だ。
その種族は……種族といっていいのか知らないが不死者である。
種類としてはレブナントという人型の不屍人で、ゾンビやグールに比べて格段に外見的にも思考力的にもヒトに近い。
というより、軽鎧を着込んで頭にターバンを巻いてると、一見して彼が不死者であるようには見えない。
黒騎士に対して軽口を叩くが、黒騎士は一瞥しただけで、それ以上言うことはない。
仮に黒騎士がヤントラに対して【威圧】を掛けたとしても、ヤントラは不死者であるがゆえ、あらゆる精神系のスキルに完全無効のスキルを持つ。
エルメスはぐるりと議場内を見渡し、少々騒がしいながらも全員が揃ったことを確認する。
そこに彼の上司が姿を現した。
「皆、揃っているようだな。」
魔王。
名は知らぬ。
ただ魔王と、部隊長たちはそう……彼らの長を呼ぶ。
今代の魔王は謎が多い。
魔王の登極理由は先代の魔王ガニスを実力で排除したからだが、それ以前の経歴が全くわからない。
魔族領はそれ程広い土地ではない。
普通、魔王になるような人材がいれば、音に聞こえるだろう。
そうでなくても、ちょっとした噂くらいは耳にしても良さそうなものだが、エルメスはこの城で先代のガニスを打ち倒すまで今の魔王を知らなかった。
同じように黒騎士のことも知らなかったから、この二人には密接な何かがあるのかもしれない。
「諸君、今宵は既に決まっている人族領侵攻の作戦を話しあうための会合だ。何か意見はあるか?」
「魔王よ、オレに任せろ!」
真っ先に名乗りを上げたのは第三部隊長、ウルーガである。
血の気が多いこともそうだが、彼は出世欲や名誉欲といった俗な部分も人一倍強い。
「ほう……威勢がいいな。勝算はあるのか?」
「もちろんだ! 人族如き、オレの敵じゃねぇ!」
確かに個々の力量で言えば、単純な戦闘力で人族がウルーガに勝てる道理はほぼ無い。
それにこの世界の戦は、その個々の戦闘力が何気にモノを言う事が割と多い。
罠や策など踏み潰せばいい、それだけの力がこの男にはある。
「待ちなさいよ、人族どもを侮ると痛い目見るわよ。」
やる気に満ち溢れたウルーガに横槍をいれたのはこの会議の紅一点、ジルーネだ。
……紅一点といっても、彼女の場合は鮮やかな紅色ではなくドス黒い血錆びの色なのだが。
「諜報部の情報では、我々が仕掛けた混乱計画を見事に収束させたらしいわ。一時的な混乱はあったようだけど、パルマスの王都は平穏無事。想定では壊滅的な打撃を与えるハズだったのに。決して見下して良い相手では無いわ。」
もちろん『王都事変』のことなのだが、その思惑を打ち破ったのが基本たった一人の幼女とその仲間たちであることまでは掴めていない。
「ウチの諜報員は捕まっちゃうし、【オーグル】の管理権限は奪われちゃうし散々よ。我々の知らない何かがあるわよ、あそこ。」
「ふん、貴様らのような小物の小手先きの策が破られようが知らんわ。戦とは力だ。圧倒的な力で海嘯の如く押せば全て終わる。」
「あらそう、私は親切から忠告してあげたんだけど、受け入れないなら別にいいのよ。痛い目見るのはアンタなんだし。」
「ふん、口だけは達者だな、蜘蛛女。」
ウルーガは自分の力と、自分の配下である第三部隊に確固たる自信を持っていた。
実際、物理的な戦闘力では六軍の中でも群を抜いて高いことは周知の事実ではある。
魔族軍第三部隊は体躯の大きい魔族を中核にオーガやトロールといった膂力に秀でた魔物で構成された軍団である。
魔族軍の重歩兵部隊とも言うべき突破力とタフさを兼ね備えた部隊だった。
「まぁまぁ、おっさん。せっかく姐さんが忠告してくれてんだぜ? 留意するくれぇいいんじゃねぇか?」
「いらん。それとも貴様もオレが人族如きに負けるというのか!」
「いや、そう言うわけじゃねぇけどよ……」
もともと頑固な上、諫言を聞き入れるようなウルーガではない。
むしろ諭せば諭すほどに意固地になるタイプだ。
「なぁ、いいだろ魔王。オレに出撃命令をくれよ。何、戦線停滞が嘘だったって思えるくらいに全てを蹂躙してやるよ。」
こうなってはテコでも動かないだろう。
無理に抑えれば逆に暴発する危険性を孕む。
「よかろう、ならば先ずはウルーガの部隊に任せようではないか。吉報を待っているぞ。」
魔王のひと声で、その場の決定は下される。
期待しているような口調でウルーガに下知を告げるが魔王。
「……何事も起こらなければ良いですな。」
「私は忠告したわよ。」
「ちっ、おっさんに先越されちまったなぁ……」
「……」
「お手並み拝見といきましょう。」
その後、会議はおひらきになり、部隊長たちは三々五々に席を離れる。
会議室には魔王とその副官であるエルメスだけだ。
「魔王様、よろしかったのですか?」
「良いではないか。魔物など所詮使い潰しだ。何人か魔族に巻き添えがあるかも知れんが、些細なことだ。」
「やはり、人族どもは侮れませんか。」
「それなりの損害は与えるだろう。だが、大地の巨獣や悪魔を退ける手段を持つ相手に力押しだけで勝利できると貴様は思うか?」
「思いません。」
「そう言うことだ。だが、人族にそれを成す要素が無かったのは確かだった。ならば何かがあったのだろう。その何かをあぶり出すにはウルーガは丁度いい。」
「かしこまりました。」
エルメスは魔王が恐ろしい。
同族である魔族の軍を、こともなげに使い捨てと言い切る。
魔族軍は大半が魔物で構成された軍団ではあるが、その指揮にはやはり魔族の分隊指揮官が必要になる。
統制の取れていない軍隊など、どれだけ数がいても意味がない。
だが、魔王はその数少ない指揮が執れる魔族の分隊指揮官をして、使い捨てと言い切る。
魔王は本来モンスターテイマー以外には操る事ができない魔物を、軍団レベルで統制する方法を考案した。
正確にはそれができる魔導具を作り、各部隊に配ったのだが、これは魔族でなければ使う事ができない。
どういった技術で魔族のみに反応するのか、そこもエルメスには判らない。
魔王はこと魔導具製作者としては、超一流の実力の持ち主なのだ。
「我が悲願、未だ道半ばか……」
「は?」
「何でもない。もう下がっていいぞ。」
「は、それでは失礼いたします。」
最後にエルメスが議場を退出する。
一人残った魔王はただ一言、呟く。
「フィオレンティーナ……君は今どこにいるんだい……」
ここまで読んでいただいてありがとうございます!
本日より第3部、『人魔戦争編』開始でございます。
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