第76話 巨悪降臨
「明日ディアーナを出るの? 急な話ね」
「学院に寄るだけならまだ時間はあったんだけどな。ギルドからの依頼…… じゃなくて、ちょっとした予感がするんだよ」
「……? どういう事?」
ネルと千奈津に冒険者ギルドでの話をしてやる。依頼として受けた訳ではなく、秘密裏にそういった手筈にしている事を含めて。
「オルト公ねぇ。悪い噂は少ないけど、子煩悩で有名ではあるわ。娘の名は確か、テレーゼ・バッテンだったかしら」
「知ってるのか?」
「良い意味でも悪い意味でも有名だもの。1度会った事もあるけど、なかなか面白い子だったわよ? あの子を助けるのなら、まあ私も賛成かしらね」
「意外と乗り気なんだな。天才を自称しているから、てっきり尊大な貴族様かと思ってたけど」
「だから、良い意味でも悪い意味でも面白いのよ。ま、見ればきっとデリスにも分かるわ」
「……?」
よく分からないけど、テレーゼ本人の詳細については後回しにしておくか。ギベオン遺跡内で鉢合わせになると面倒だから、恐らくは隠れて遠目に観察するに止まると思うが。
「アーデルハイト魔法学院に行くのなら、カノン辺りも連れて行く? 一応は去年の卒業祭成績優秀者だし、何かと便利だと思うわよ?」
「カノンか? うーん…… 言っとくけど、俺は馬車とか洒落たものは用意してないぞ。ハルの鍛錬も兼ねて自身の足での移動になる。たぶん、結構な道のりを走り続ける事になるけど、カノンで大丈夫か?」
「……今日の新訓練の様子だと、かなり厳しいでしょうね。止めておきましょう」
「なら、行くのは俺ら6人だけだな。出発は明日の朝1番にしようと思ってる。身軽な格好で街の東門に集合な」
保管機能付きバッグがあれば格好に制限は付かない。走りっぱなしでも、荷物の心配はしなくていいだろう。
「了解よ。 ……6人? そのゴブリンを入れて5人じゃなくて?」
「師匠にネルさん、千奈津ちゃんに私、最後にゴブ男君で――― やだなぁ。師匠、5人ですよ~」
「ん? ああ、まだ言ってなかったな。今回は俺が使役しているモンスターも連れて行く」
「「モンスター?」」
「ゴブ?」
使役モンスターと聞いてハルと千奈津がゴブ男に振り向く。
「……デリス、まさかあの子を連れて行く気?」
「そのまさかだったりする。学長にはこれが一番効くだろうしな」
ネルが露骨に嫌そうな顔をした。話せばなかなか良い奴だったりするんだけどな。
「あの、あの子っていうのは……?」
「私のゴブ男君みたいなゾンビとかですか?」
「いや、闇魔法系統の一種で、特定のモンスターを呼び出して契約する魔法だ。召喚魔法の亜種みたいなもんかな。昔、俺らが冒険者やってた時に見つけたスクロールで覚えたんだ。そういや、あれ以来市場で見掛けた事はなかったな」
「あれが一般に流通してたら恐ろしいでしょうが……! それとデリス、あの子を出すなら私の隣に来なさい! 早く!」
「心配性だな。大丈夫だって」
「い・い・か・ら!」
ネルに腕を掴まれ強制的に隣のソファに座らされる。警戒しまくりである。
「ネ、ネルさんがそこまで用心するくらい、危ないモンスターなんですか!?」
「あの、私達も近くに行って良いでしょうか?」
「そうしなさい! 最悪、食べられてしまうかもしれないわ!」
食べないし食べさせねぇよ。と俺がいくら言っても、ネルは聞く耳を持ちそうにない。もうそれでいいから早く召喚させてくれ……
「準備良いか?」
「いつでも来なさいっ!」
「ワクワク!」
「だ、大丈夫かなぁ……」
「ゴ、ゴブ……」
ソファに座る俺の腕に手を回しながら剣を抜くネル。ソファの後ろに隠れながら顔を半分出すは、興味津々なハル。そして恐る恐るな感じの千奈津。心なしかゴブ男も緊張気味だ。ほらぁ、ネルが怖がらすから…… もういいや、さっさと召喚してしまおう。
「じゃ、召喚するぞー。 ―――サモン・リリィヴィア」
俺が詠唱すると、団長室の床に白墨で描いたように真っ白な魔法陣が浮かび上がった。淡く光る魔法陣から闇が放出され始め、昼間だというのに部屋の中に射していた太陽の光は遮られ、辺り一面が夜の世界に化していく。何処からともなく現れた蝙蝠は天井へぶら下がり、まるで主の出現を今か今かと待っているかのようだ。
「こ、これはっ! ボスの予感っ!」
「危ないからちゃんと顔を隠しなさいっ!」
「は、はいっ! 悠那、もっと屈んでっ!」
本当はこんなエフェクト要らないんだけどな。相変わらず派手な演出だ。
「………」
やがて、闇の中にうっすらと人影が見えてきた。魔法陣の光が更に強くなり、その姿がより鮮明に視認できるようになった。モンスターと称してはいるが、その外見は殆どが人間そのもので、違いと言えば羊のような巻き角、蝙蝠の翼、悪魔の如き尻尾が付いているくらいだ。艶やかな銀髪の髪は肩からやや下にまで垂れ下がり、ネルとまではいかなくともなかなかに豊満な身体つきをしている。瞑っていたまぶたを開けると、彼女の紫色の瞳が微笑むようにこちらへと向けられた。
「リリィ、俺が分かるか?」
「……ええ、分かります。分かりますとも。前回の呼び出しから待ちに待つ事、46日と13時間4分――― やっと私を呼んでくださったのですね、ご主人様っ!」
暗闇の演出から一転して、大そうな笑顔を携えながら現れたのは、メイド服を着た悪魔であった。
「出たわね、巨悪……!」
「メイドさん?」
「悠那、頭を下げてって!」
ハルとしては思っていたのとイメージが違ったのだろう。最高に警戒しているネルと千奈津とは反対に、キョトンとしている。
「……ご主人様、何だか侍らす女が増えているようなのですが、気のせいでしょうか? ご主人様の為に体を張って働いていたのに、リリィ、悲しい!」
「侍らしてない、侍らしてない」
およよと芝居臭い仕草で泣き崩れるリリィ。少なくとも、そんな関係にあるのはネルだけだから。変な事を言わせる前に、俺の口から説明してやらないと。
「こいつの名はリリィヴィア。かつて俺が誤って召喚してしまったモンスター、サキュバスだ」
「ちょ、ちょっと、誤ってってどういう事ですかっ!?」
「そのままの意味よ。貴女、事ある毎にデリスの寝込みを襲おうとしていたじゃない!」
「ふふん、下僕が主に尽くすのは当たり前の事ですから」
「そのお蔭で、召喚して暫くは『好きもの』の烙印を冒険者やギルドで押されたんだけどな……」
「良いじゃないですか。ふしだらな生活、好きですよ?」
「デリス、やっぱりこいつ殺しましょう。この世から抹消しましょう」
ネルとリリィヴィアが火花を散らす中、ソファの後ろに隠れるハル達はどうしたものかと迷っているようだった。
「出て来ても大丈夫だ。どっちにしたって、こいつは今回の旅に同行させる」
「は、はぁ……」
「あの、何でメイド服を着ているんですか?」
「そこのポニーテールの可愛い子、よくぞ聞いてくれました!」
ネルをそっちのけにして、リリィヴィアは語り出す。サキュバスとは人を堕落させ、精を戴く者であると。また、何よりもそれを生き甲斐にしているのだと。リリィヴィアは考えた。この世で最もそれに適した者とはどのような者であるか、と。長きに渡る苦悶、試行錯誤の連続、失敗に次ぐ失敗――― その果てに、彼女は遂に行き着いたのだ。堕落の象徴、人々を最も堕落させる究極の存在に!
「それがメイドらしい」
「はいっ! ご主人様を適度に搾って健康管理を行い、私生活の面でもガンガン堕落させていく。それが堕落オブ堕落! メイドさんなのです!」
「つってもこいつ、俺並みに生活力が死滅してるけどな。格好しかメイドらしさがない。ハル、頼まれても絶対仕事させるなよ? お前はお前の仕事を死ぬ気でやり抜け」
「はーい」
「え? この子メイドさん? 私の後輩なんですか? リリィ、嬉しい! 私の事はリリィ先輩って呼んでね!」
ハルに抱きつき頬ずりまでするリリィ。焦る千奈津。満更でもないハル。
「……デリス。あの子、本当に連れて行くの?」
「ちょっとだけ不安だな……」
悪い奴ではないから、たぶん大丈夫。大丈夫だよな? 大丈夫だと良いなぁ……




