第538話 賢者の血
―――修行89日目。
「賢者の血、ですか?」
「そっ、妾の試練をクリアしたご褒美。デリスにも同じものを渡してあるから、良い感じに使ってあげてね~」
夫婦喧嘩&マリア襲来の翌日、ネル邸地下鍛錬場にて悠那はマリアより、深紅色の液体が封入された瓶を手渡されていた。香水瓶ほどの小瓶に入れられたその中身は、昨日デリスも受け取っていたマリアの血そのものだ。
「なるほど、良い感じにですか。 ……どうやって使うんでしょうか?」
デリスと違い知識が微塵もない悠那は、小瓶を角度を変えながら凝視するのみで、その用途を掴めずにいた。マリアにとっては予想通りの反応である。
「その辺はネルとか妾の娘達に聞いてね。妾、小難しい話って苦手だから♪」
「は、はぁ……」
「それじゃ、確かに渡したからね? 本当なら妾、昨日のうちに帰って次のコンサートに向けて調整するつもりだったんだけど、デリス達が面白くて、ついつい長居しちゃって」
「えと、昨日何かあったんですか? 師匠の実家の方から、凄まじい魔力とプレッシャーが轟いていたように感じたのですが。なぜか、一日中全面立ち入り禁止になっていましたし……」
「ウウン、何ニモナカッタヨ? ソウダヨネ、ネル?」
「何で片言なのよ…… まあ、ちょっとした行き違いがあっただけだから、ハルナは気にしないで良いわ。鍛錬に集中して」
「りょ、了解です」
若干気落ちしている様子のネルを見て、何かあった事だけを察した悠那。それ以上追求するのを止める。
「それじゃ、妾はこれで。ハルハル、決戦の日取りが決まったら、一番に教えてよね! 一番に会場入りしてあげるんだから!」
「分かりました。その時はよろしくお願いします!」
「うん! ばいばーい!」
悠那の元気な返事を聞いたマリアは満足そうに手を振り、どこからか入って来た風と共に消えてしまった。マリアという名の台風が去り、ネル邸にひと時の平和が戻る。
「良し、行ったわね。さて、そこで倒れてるチナツとトーコ、そろそろ起きなさい。貴女達にまとめてマリアの血について説明してあげるから」
「ま、まださっきの模擬戦の疲れが……」
「三対二、きっつい……!」
そう嘆くは、いつものように鍛錬場の床に倒れ伏す千奈津と刀子。アレゼルによるデリス対策合宿、ネル&ウルスラを相手にした特別組手、そしてそれ以外の時間はこうしているのが、今やこの鍛錬場のおなじみの光景となっている。
「だらしないわね、悠那を見なさい。もうすっかり元気になって立ち上がっているのよ?」
「えへへ。倒れている間に眠っていたら、休憩時間の短縮に繋がりました!」
「リ、リリィ師匠みてぇに『快眠』スキルで回復してたのか。道理で回復が早い訳だぜ……」
「魔法でHPは回復できても、体に蓄積した疲労にまでは効かないのよね…… 私もそのスキル、取っておけば良かった……」
悠那が初期の頃から会得していた『快眠』も、今では『完全快眠』のレベル100オーバーにまで成長している。つまるところバッと倒れてスッと復活できる、悠那にとっての理想とも呼べる鍛錬環境が完成していたのだ。
一方の千奈津と刀子は、『快眠』がない事に後悔するばかり。しかし、いくら後悔しても疲労が消え去る訳でもない。ふらふらと頼りない足取りであるが、何とか立ち上がってネルの前にまで歩み出す二人。本人としても、傍から見てもギリギリであった。流石のネルもこの様子を見兼ねたのか、勉強合宿に使っていた勉強机を用意し、そこへ全員を座らせる事にしたようだ。
「全員席に着いたわね? さっきマリアが置いて行ったあいつの血液だけど、これは触媒として賢者の石と同じくらいの価値があるの。チナツ、賢者の石って知ってる?」
「あ、はい。どういったものかについては、かなりうろ覚えではありますけど。確かそれを触媒にする事で、自由に卑金属を貴金属に変えたり、生物を不老不死にしたり――― とにかく、非現実的な事を可能とする石だったと思います。存在自体が伝説的で、あくまで物語や伝説の中にしか存在しない、架空の物質だったかと」
「へ~、凄い!」
「へ~、すげぇ!」
キラキラと瞳を輝かせながら、素直に感心する悠那と刀子。
「えっ、賢者の石ってそんな事もできるの? 凄いのね、マリアの血って」
そんな二人と打って変わって、ネルはポカンとした表情を浮かべていた。どうやらネルが想定していた答えとは違ったようである。
「い、いえ、あくまで私達の世界の認識だったので、こちらとは違うかもしれません。と言いますか、ネル師匠の今の反応を見て、違うと確信しました」
「ああ、そういう事。なら、改めて説明しようかしら。こっちの世界でいう賢者の石も、希少価値的な意味ではチナツの言った答えと同じよ。ただ、かつての錬金術師が創造したっていう記録だけは、文献として確かに残っているの」
「えっ、実在していたんですか?」
「ここだけの話、このアーデルハイトの初代国王がその人だったりするわ」
「「「えええっ!?」」」
鍛錬場に三人の声が響き渡る。
「この国ってマジックアイテムが豊富でしょ? その下地を作ったのが賢者の石なの。まあ大きさは拳程度と小さかったし、国をここまで発展させる途中で、その石自体は使い切ってしまったらしいけど」
「はへ~…… でもでも、一財産を、いえ、一文化を築いちゃった訳ですよね? やっぱり凄いです」
「あれ? ちょっと待ってください。そうなると、ディアス王はその子孫に当たるのでしょうか?」
「そういう事。ちなみにだけど、賢者の石の主な効力についてはチナツの認識と違うわ。効力の一つは魔法の威力増強と効果範囲の拡大、消費魔力の大幅削減。超一流の魔法使いがその一生でどんなに乱雑に魔法を行使し続けても、ほんの一欠けらの賢者の石でその全ての魔力を補えるんだとか」
「つまり、これさえあれば魔法が使い放題、しかも全てが強化されるって事ですか?」
「理解が早くて助かるわね。尤も大八魔レベルの魔法を連発すれば、流石にその量じゃ枯渇しちゃうかもだけど…… うーん、参考例がマリアしかいないから、そこの加減が何とも言い辛いわね」
「ネル師匠、さっきマリアさんの血は賢者の石と同等と言っていましたけど、マリアさんの血って全部が全部そうなんですか?」
「ええ、そうよ。マリアの血は特殊でね、アレの全身に巡るそれ全部が液状版の石だと思ってくれて良いわ。昨日デリスが言っていたのだけれど、一滴の血だけでも豪邸や城以上の価値があるんだとか。正に存在自体が異常性の塊、傾国の女ってね。まあ、マリアは変に意識が高いところがあるから、血を売ったりはしないみたいだけど」
仮にマリアが見境なく自らの血を市場に流したとすれば、それだけで世界の価値観が揺らぐ事に繋がるのは想像に難くない。マリアのアイドル意識の高さ故に防がれた事なのだが、この点だけはデリスも素直に感謝していた。
「この瓶詰めや記録にある石と違う点と言えば、マリア自身が使った場合は即行で血が再生成されるから、真の意味で限度がないってところかしら? だからこそ、あまり参考にならないのよね」
「やりたい放題じゃねぇか。改めてとんでもねぇな……」
「そこは攻略の仕方次第よ。現に私とデリスにハルナ、ついでにアレゼルで勝利できた訳なんだし――― って、話が逸れたわね」
コホンと咳払いを挟み、ネルが説明を続ける。
「次。効力の二つ目、魔具の強化。所謂マジックアイテムを作る時に、エネルギー源として賢者の石を使うの。素のフィジカルが単純に強いマリアは絶対にやらない使用法だけど、恐らくデリスはこっちで勝負を仕掛けて来るわ」




