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第54話 ゴブリン

 子供かと見間違えるほどに背の低い緑色の亜人型モンスター、それがゴブリン。一般的な人間よりも非力であり、頭が悪く、寿命は短い。ないないない尽くしの新米冒険者でも倒せるようなモンスターなのだが、唯一侮れないのがその繁殖力だ。


 冒険者や国の兵、騎士らがいくら狩っても世界各地から絶滅する事は決してなく、冒険者ギルドは害獣モンスターとして常に格安の手配書を用意している。ゴブリンはなぜ消えないのか? 同種族でなくとも生殖行為が可能であるから、といった学説を熱心に唱えた学者達もいたそうだが、ある調教師が配下のゴブリンに実際どうなのかと意思疎通を試みたところ、「何言ってんだおめぇ」みたいな哀れみの感情が返ってきたそうだ。現実にそのような被害の報告はこれまでになく、この説は直ぐ様に否定されてしまう。


 単純に1度に沢山生まれてその周期が早いから、という無難な説が現在最も有力とされている。一部の学者は根気良く否定したがっていたが、周囲からの、特に女性やゴブリンからの視線はとても冷たいものだった。


 さて、そんな局地的で限定的な層の学者達の注目を集めるゴブリンであるが、冒険者にとっては唯々面倒なだけのモンスターである。簡単に狩る事ができると言えば聞こえは良いが、倒したとしても剥ぎ取って活用できる部位がなく、討伐証明として耳を収集するしか旨味がないのだ。しかも、その討伐報酬は非常に安価であり、わざわざ荷物を増やして持って行くかと考えると微妙なところ。新米冒険者ならばちょっとした小遣い稼ぎに丁度良いかもしれないが、それなりに稼げるようになれば耳を拾う者は少なくなるのが現状だ。新米の時に世話になり、耳がいらなくなったら駆け出し卒業。冒険者の間でそんな言葉もあったりする。


 通常、新米冒険者が先輩冒険者から教わる事なのだが、ゴブリンには稀に強い個体がいる。武器を持っていたり、他のゴブリンに指示を出す者がそれだ。予め警戒して戦えば新米でも対処できる場合が多いが、不意打ちを食らえば命を落とす事も少なくない。だが、それを倒したところで報酬は少ししか変わらず、ゴブリン狩りが不人気である原因の1つとなっている。


 見た目の容姿は同じこのちょい強ゴブリン、実はゴブリンの進化形態であるゴブリンリーダーなのだ。職業レベルによってモンスターが進化する現象はあまり周知されていないが、レベル1がゴブリン、レベル2だとゴブリンリーダー、レベル3でゴブリンコマンドになるのが実際のところだ。


 普通のゴブリンは引っかくか噛み付く程度の攻撃手段しかなく、単独行動の多い所謂雑魚モンスター。これがゴブリンリーダーになると、知能が上がるせいか剣や弓を使い始める。レベル3のゴブリンコマンドともなれば、片言の単語のみではあるが言葉を口にするようになり、格下のゴブリンに命令して集団行動を取るようになるのだ。ただ、進化したところで見た目は全く変わらない為、この3匹を並べても皆ゴブリンにしか見えず、冒険者はゴブリンがどういった行動を取っているかで強弱を判断するしか見分ける方法がない。


 見た目が明確に変わるのがレベル4、ゴブリンキングである。こいつの身体的特徴は他のゴブリンと同じだ。だが、ボロボロになった赤いマントを羽織るようになり、頭にはどこから持ってきたのか王冠を被るようになる。要は恰好で判別できるようになる。片言の会話も可能になり、見分ける事は容易だろう。ゴブリンは寿命が短く、キングに至る者は本当に稀だ。しかし、キングになると寿命が長くなるのか、その住処が何者かに駆除されない限り、長い期間ゴブリン達の王として君臨する。ゴブリンの王様らしく、巣には部下であるゴブリンコマンドを数体従えて、小さな軍隊のようなものを形成するのが厄介なモンスターだ。キングともなれば熟練の冒険者パーティ、或いは国の騎士団が出動するレベルになり、駆除の危険度もグッと高まる。


 しかし、上には上がいる。実際に発見された例は歴史上殆どないのだが、レベル5にはゴブリンカイゼルなる者が―――


「―――いるらしいわね。って、悠那、聞いてる?」

「………」


 デリスから借りたモンスター図鑑を見ていた悠那と千奈津。戦う前に敵の特徴を予習しておこうと、千奈津の発案で始まったお勉強だったのだが、ハルは途中から動かなくなっていた。ただ、頭を酷使して黒煙を出している訳ではなさそうだ。


「遂に、私の魔法がゴブ男君を超えたかどうかを確かめる日が……」


 悠那にしては珍しく、ボソボソと聞こえない声で何かを呟いている。されど、千奈津はこんな悠那を見た事があった。あれは剣道で初めて全国大会に出場した時の事だ。相手は悠那よりも経験を積んだ圧倒的格上、その試合の前、チャレンジャーの立場であった悠那はこんな状態だったのだ。静かに、だが確かに闘志を燃やし、神経を限界まで研ぎ澄ます。悠那はそうする事で試合中に自らの力を十全に出し、全国制覇を成し遂げていた。まるで試合最中の目をした悠那がそこにいるようで、その時千奈津はかなり驚いたものだった。


(でも、試合前に悠那がこの状態になったのはあの時だけ…… 一体、何がそこまで悠那を駆り立てているんだろう? それほどまでに強いモンスターの気配がする、とか?)


 答えは幼児向け魔法入門書『ゴブリンでも分かる魔法の初歩』シリーズに登場するキャラクター、ゴブ男君の影響なのだが、千奈津がそれを知る機会はたぶんない。


「おい、お前ら。兎の肉焼けたぞ」


 千奈津が悩んでいると、背後からデリスに声を掛けられた。両手にはこんがりと焼き上がった肉を乗せた皿を持っている。2人の分を持って来てくれたのだろう。


「あ、デリスさん。ありがとうございます。悠那は――― ちょっと集中してるみたいなので、後で私から渡しておきますね」

「ん? 何だ、ハルの奴、目がバトルモードになってるな…… まあいいや、それを焼いたネルに後で味の感想言ってやってくれ。あんな性格だけど、お礼を言われたり褒められればかなり喜ぶから」


 それは、相手がデリスさんだからなのでは。千奈津はそう思いはしたが、口にはしないでおいた。ここ数日の付き合いしかない千奈津も、ネルがデリスに対して好意を抱いている事を、殆ど確信に近いところまで察知していたのだ。


(逆にあそこまであからさまなら、他の人達も分かっていそうなものだけど…… うん、本人達の問題だし、部外者が変に立ち入っちゃ駄目よね。2人とも、私よりずっと大人なんだし)


 そんな大人な2人はやってしまった系な恋愛をしているのだが、千奈津がそれを知る機会は恐らくない。


「わ、美味しい……! ここだけの話、ネル師匠って料理できたんですね。てっきりお嬢様育ちで、全然できないのかと思ってました」


 外面はカリカリに、中には適度な熱が与えられていて、噛めば肉汁が溢れ出す。絶妙な火加減で作ったであろうこの肉を焼いたのは、現在鉄板前で食材の焼き上げ担当をしているネルなのだ。千奈津はそんなネルに聞こえないように、こっそりとデリスにそう耳打ちする。するとなぜか、お嬢様育ちと言った辺りでデリスが噴き出した。


「お、お嬢って、ク、ククッ……! ま、まあ俺らが昔冒険者だった時、調理の担当は殆どネルがやってたからな。普段は兎も角、こういう所での野外料理はお手の物だぞ。お蔭で俺の調理技術は無のままだ」

「無ってなんですか、無って」

「……ハッ! これは、お肉の香りっ!」


 とりとめない会話をしていると、悠那が肉の香りに誘われて気が付いたようだ。デリスはそんな食いしん坊万歳に皿を渡し、僅かに北を見詰める。ゴブリンの大群が来るまで、あと少し。

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