第49話 希望の朝
―――修行8日目。
窓を開ければ、清々しい朝の風が部屋の中に入り込む。雲ひとつない青空から注がれる日差しは、温かく俺達を迎えてくれているようだ。目覚めは快適、不思議と溜まっていた鬱憤が晴れていた。これ以上ない爽やかな朝に、感謝の念を捧げなければ。
「………」
「………」
そんな当て付けのようにクソ爽やかな朝の中、俺とネルは昨日散々ワインを飲んだ小テーブルにて頭を抱えていた。床には誰が空けたのか分からぬワインの空瓶が散乱し、ちょっと引いてしまうほどの本数が転がっていた。全く、誰が高貴なネル様の部屋にこんなものを捨てたのだ。今名乗り出れば超絶優しきネル様が許してくれるぞ? ほれ、はよう正直に申さないか。
「その、何だ…… すまん、全然記憶がない」
「……うん、私も」
はい、犯人は僕たちです。昨晩、一体何時まで飲み続けたのか、どのタイミングで寝たのか、お互いに身に覚えがないのです。あれだ、高い酒は駄目だ。下手に飲みやすい分、自分の限界以上に飲んでしまう。それでいて二日酔いにはなってなくて、目覚めた後の脳は実に爽快感に満ちていた。そんな爽快溌剌な俺が起きた瞬間に見たもの、忘れられる筈がない。
昨日まで俺が恐れていたハルの添い寝はなかった。幸か不幸か、ネルの部屋には鍵が締まっていたのだ。流石のハルも、2階にあるこの部屋に窓から侵入しようとは思うまい。というか、案外常識のある弟子だからそこまでは絶対しない。いやー、良かった良かった。最悪はハルや千奈津にあの状況を見られる事だったのだが、それは何とか回避できたようだ。その点だけはナイスだ、昨日の俺。
だがな、昨日の俺。これはいかん、これはいかんでしょ。かつての過ちから酒を断ち、確固たる意志で同じ失敗はしないと誓ったではないか。それがどうだ? これだけの酒を浴び、記憶を飛ばすまでに好き放題してしまうとは。年齢を考えろ、年齢を。もうそんなミスをする歳でもないだろう?
「ご、ごめんなさい。実は、私もあれからお酒を止めていて、久しぶりだったから限度が、その……」
「いや、俺こそ本当にすまない。あんなに楽しかったのは久しぶりでさ。何と言うか、その…… すまない」
はい、全面的に僕が悪いのです。どう言い繕うとも最終的には俺が悪い。
ああ、そうだとも。目が覚めたら俺はネルのベッドで裸で寝ていたさ。ネルもそうだったさ! あとは察しろよ。これ以上俺に罪を被せるんじゃない。反省はしているんだ……!
―――コンコン!
「「っ……!」」
ビクリ。俺は王国最強の騎士様と一緒に、扉を叩かれた音を聞いて飛び跳ねた。こんな姿、絶対にハルや千奈津には見せられない。師匠としての沽券に関わる。
「当主様、朝食の準備が整いましたが、いらっしゃいますか?」
声の主は使用人だったようだ。おいおい、今はお互いに服を着ているとはいえ、こんな朝早くに俺がここにいちゃ色々不味いだろ。と、ネルにアイコンタクト。分かってるから黙っていなさい! と、力強い眼差しを向けられてしまった。
「分かったわ。着替えたら食堂に向かうから、もう集まっている人達にはそう伝えて頂戴」
「承知致しました。それと、デリス様がお部屋にいらっしゃらないようなのですが、当主様はご存知ですか?」
「「………」」
この使用人、部屋の中が見えてる訳じゃないよな? バレてないよな? と、再びアイコンタクト。ネルは少し悩んでから、窓の外をチラリと見た。
「……私は知らないけど、朝の散歩にでも行っているんじゃないかしら? そのうち戻ってくるでしょうから、朝食の準備だけはしておいて」
使用人はネルの言葉に納得したのか、簡単な挨拶を済ますと、踵を返して来た道を帰って行く足音を鳴らした。
「ナイス言い訳」
「ハァ、朝から心臓に悪いわ……」
「兎も角、朝食に行かないとな。あんまり遅いと怪しまれる。俺は適当に外をうろついてから戻るとするよ」
俺は自分にフラージュの魔法を施して、体を光学迷彩化させる。これで視覚的には発見され辛くなる筈だ。あとは2階から飛び降りて、忍者の如く脱出。折りを見て朝食に向かうとしよう。
「あ、それとネル」
「何?」
「もう1回、やり直さないか?」
「……か、考えておく」
赤面してそっぽを向くネルの姿を心のフィル厶に収めた後、俺は窓から飛び降りた。
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朝食の席で朝の散歩という完璧なアリバイと偽装を披露した俺は、何とかその場をきり抜ける事ができた。ハルが「師匠が朝に、散歩……!?」と酷く驚いた表情をした時は心臓が止まるかと思ったが、そこは今日の遠征の話に切り替えて逸らし誤魔化し頑張った。ネルの口数がなぜか少なかったから、代わりに頑張ってフォローもした。朝から疲労困憊だよ……
朝食の後は、遠征の準備を整えて皆で集合場所に向かう。城下町ディアーナの城壁外、そこに馬車を待たせているという。
「あっ、団長に皆さん。こちらですっ!」
目的地に近づくと、カノンが手を振りながら出迎えてくれた。カノンの甲高い声を聞いて、奥からムーノ君が駆け足で、ダガノフ老が少し遅れて出て来た。
「ネル団長、大変申し訳ありませんっ! あのような無様な姿を晒してしまい、私は―――」
「えっ? あ、あー…… 別に良いのよ。あの後に私もハルと模擬戦をやったんだけど、想像以上に力を付けていたもの。ダガノフでも勝てないわね、ハルナには」
「そ、そこまででありますか…… ハルナ殿、昨日は大変失礼な事を言ってしまい、申し訳ありません! その師であるデリス殿にも、要らぬご迷惑を!」
「そ、そんな! 私こそ、一瞬で倒してごめんなさいっ!」
ハル、謝るポイントはそこじゃない。
「いや、ムーノ君は大したもんだよ。自分の意志を貫いて、あのネルにも具申できるんだからな。カノンの奴にも見習わせたいくらいだ」
「デリスさん、無茶言わないでくださいよ……」
「カノンの言う通りです。自分は認められるような人間ではありません。昨日、お話は伺いしました。かつてデリス殿はネル団長と共に冒険者として研鑽に努め、互いの力を磨き合った仲だという事を。恥ずかしながら、自分はもっと下種な考えがデリス殿にあるのでは、などと馬鹿な考えに陥ってしまったのです! ああ、昨日の自分を殺してやりたいっ! 恥ずかしいっ!」
うん、ごめん。俺も昨日の自分を殺してやりたい。とんだ下種野郎でした、ごめんなさい。ネルも急に無言にならないで! いつもの無慈悲な態度をしてくれないと勘ぐられる!
「これ、ムーノ。デリス殿が困っておるから、その辺にしておけ。団長、我々の準備は整っております。もう出発しても?」
「え、ええ、お願いするわ」
「………?」
「師匠、楽しみですねっ!」
ダガノフ老の助け舟、ありがたい。乙女モードが侵食し始めているネル、それを不審に思い始めた千奈津、通常運転のハルを引き連れ、騎士団所有の馬車は街道を走って行く。もうこの時点で俺には不安しかなかった。




