第442話 はぁー
峡谷の両壁に纏わりつく漆黒の糸。クモの糸のようだと称したが、ここまで黒々としていては、別の何かに喩えた方が良かったようにも思える。実際のこいつは暗ーい峡谷の深淵にあり、暗闇と同化している為に、視覚ではまず感知する事ができない。強力な粘着性も兼ね備えているので、間違って触れてしまえば、その場で捕らえられてしまうだろう。この辺は獲物を捕らえるクモの糸っぽい性質だが、こんな場所まで降りて来るもの好きは殆どいない。食料を捕まえるというより、城への侵入を防ぐトラップとしての意味合いが強いかな。
「あっ、アレゼルがいたわ」
「おー、アレゼル生きてたか。黒糸に触れていないだろうな?」
「宙を蹴って何とか…… って、大事な仲間に最初にかける言葉がそれ!?」
先ほど足を滑らせて落下したアレゼルは無傷であった。まあ、当然の結果だろう。アレゼルはこの程度で死ぬような玉ではないと、最初から分かり切っていた。よって、そこまで感情に駆られる事もない。こいつが死ぬ時は金に埋もれて溺死するか、金に埋もれて圧死するかのどちらかしかないのだ。
「むー」
「おいおい、そんなに拗ねるなよ。あれくらいじゃアレゼルが死ぬ筈ないって、俺達がお前を信じた証みたいなもんだろ?」
「ふん! 私はそんな甘言に騙されないからね! 私はネルとは違うんだから!」
「さ、城の真横の高さまで降った事だし、飛び移りますかね」
「ねえねえ、城を支えてる糸を燃やすのが手っ取り早くない? 一網打尽じゃない?」
「無視されると流石に傷つくかなっ!」
これ以上拗れると後々面倒なので、小休憩してアレゼルに平謝りタイム(俺のみ)。アレゼルの機嫌が直った後、城への侵入を試みる事に。ちなみに可動式の防音不可視魔力遮断の結界を張っている為、俺達の会話が外に漏れる恐れはない。それにだ、これだけギャーギャー騒いでいる間も、この2人は踏み込んではいけない一線をしっかりと認識している。
「さっきの続きになるけどさ、城を支えている糸を燃やすのはNGだ。ダーカの力で作られたこの糸は、接触したもんを物理・魔法と対象を問わずに察知する能力がある。何よりも炎に強いって話だから、無理矢理燃やそうとしている間に俺達の存在を気取られちまう」
「こう粘っこいと、私が盗む訳にもいかないよねー。何より触りたくないです」
「ん、素直でよろしい」
「なら、ぶった斬るのは?」
「燃やすのと同じだよ。ネルの腕なら斬るのも燃やすのも可能だろうが、城の四方八方に巡らされた糸を一気にって訳にはいかないだろ。ダーカに感付かれたら、折角の不意打ちの機会が台無しだ。つかそもそもの話、城を落としたところで天下の大八魔が死ぬとは思えない」
「それもそうね。アレゼルだって生きていたし!」
「ちょっとー、私を物差しにするの止めてー?」
皆が納得してくれたところで、糸に触れないルートを選んで直に城へと跳躍する俺達。各々の察知スキルで逆に糸を感じ取ってしまえば、まあ何とでもなるものである。
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ダーカの城に無事潜入した俺達は、巡回するモンスターに発見されぬよう細心の注意を払いながら、気配を断ってやり過ごす、騒がれる前にやってしまう等々、臨機応変に行動しながら進む。例の黒糸が城内にまで張り巡らされている為、これらにも触れないよう気を付けなければならない。まったく、用心深い奴は本当に嫌になるよ。俺はこの時点で、ここの城主の性格の悪さを確信したね。 ……同族嫌悪じゃないかって? いやいや、何を仰る。俺は極めて客観的に判断したに過ぎない。それ以上でもそれ以下でもない。ないったらない。
「あ、この部位高く売れそ♪」
暗闇が支配する通路の天井に張り付いて、通りかかった二足歩行の昆虫モンスターの首をもぎ盗るアレゼル。渓谷で落下した名誉挽回とばかりに、お得意の隠密&暗殺術を発揮してくれている。しかし、素手で敵を解体するエルフの姿はいつ見ても異様だ。シュタっと着地する頃には、部位どころか既に全身の解体を終えている手際の良さである。
「ねえねえ! 殻が良い感じに耐久性ありそうで、防具用の素材として高く売れそうじゃない!?」
「んな風に聞かれても、その耐久性ありそうなモンスターが素手で解体される場面を見せられた俺としては、心から同意はできそうにないよ。何なの、その奪取術? 最早暗殺の域に達してない? どんな指の力してんの?」
「べ、別にパワーでもぎ盗ってる訳じゃないし! 『窃盗』と『解体』のスキルを極めたら、こんな事もできちゃうの! 力じゃなくて、そういう匠の業だから!」
実際に体験したくない、恐ろしい匠の業だ。
「ちょっと、無駄話なんてしている暇はないでしょ? そろそろ城の最奥に到着する気がするわ。おっきな気配がちょうど3体分あるもの」
「だな。アレゼル、そろそろマジでいこう」
「私は最初からマジだよ! 大八魔の気配は兎も角、宝物庫の位置はバッチリ!」
「うん、真面目にな?」
欲望に忠実なアレゼルを嗜めつつ、結界を再度付与。抜き足差し足ランラランと、目標地点手前の通路に到着。アレゼルによる素材集め――― 間違えた、制圧も完了。
「いやー、意外と気付かれないもんだね。私の仕事が早いお蔭かな?」
「うー、私も仕留めたい……!」
「ネル、落ち着け。お前の火力はパーティ随一だけど、その代わり戦闘音が隠し切れないんだ。今は大人しくアレゼルに任せておけって」
「私だって、やろうと思えば音もなく倒せるわよ! この剣がじゃじゃ馬過ぎるの!」
「そうは言ったって、魔剣を使い始めて結構経つぞ? それにだ、今回の戦いでその魔剣は絶対必要になる」
「ううー、本当ならデリスから貰った剣で戦いたかったのに……」
不意に聞こえてしまう、ネルの本音の呟き。しっかりと耳掃除を済ませていた俺は、しっかりと聞いてしまった。
「ほら、デリス。気の利いた台詞でも言ってやる場面じゃないの?」
「……聞かなかった事にするのも、優しさの一つじゃないか?」
「はぁー! やっぱデリスはデリスだったー! 今時、草食系のエルフだってもっとガツガツいってるっての! はぁー!」
でけぇ溜息をこれ見よがしに二度もつかれ、おまけに肩をオーバーにすくめられる。呆れたという感情を、これ以上ないくらいに表現されてしまった俺は、歳相応に固まる事しかできなかった。
「……はい、注目! 突入前に大八魔の皆さんの様子を、ちょっと覗き見しようと思いまーす」
そう言って俺はスクロール式光輝の魔法レベル40、『クレアレンズ』を唱える。
「あ、逃げた」
「えっ、敵が逃げたの?」
「逃げてない! 俺も敵も逃げてない!」
「はぁーーー、こりゃあ先が思いやられるかなぁ」
「?」
会話に多少の齟齬が発生しているが、今大事なのはそこじゃない。俺は心を強く持って、二人に手元に作った水晶を差し出す。
クレアレンズ、こいつは一定距離の場所にある光景を、生成した水晶上に映し出す事ができる魔法だ。一度映し出したポイントから映像を動かす事ができない、維持する為の魔力がそれなりといったデメリットがあるものの、壁などの障害物を通り越して偵察を行う事ができる為、なかなかに有用な魔法として俺は気に入っている。掘り出し物のスクロールを買った甲斐があったってもんだ。スクロール万歳!
「どれどれ? へえ、これが大八魔なのね……!」
水晶の映像を注視した時、ネルの瞳から乙女成分はすっかりと消え去り、代わりに闘争心が宿り始めていた。何だかんだ言って、魔剣を派手に振るうのも大好きなお年頃なのである。 ……いや、それはそれで一体どんなお年頃なんだろうかと、セルフツッコミ。
活動報告にて黒凪のダンジョンマスター2の書影を公開中です。




