第366話 列車での移動は圧迫感が付き物
―――グゥーーーンーーー。
自身で走る際に耳にするものとは異なる、静かに風を切る音。車内に聞こえて来るのはそれくらいなもので、地下を走る列車での旅は実に快適なものであった。何せ汗だくになって駆ける必要なんてなく、到着するまでただ座っていれば良いのだ。人によっては移動時間が暇、なんて言う奴もいるかもしれないが、それは贅沢過ぎる悩みってものだろう。人はな、安らぎがないと生きていけないんだぞ?
「すみませんが、ネルの馬鹿さん? もっとそちらに詰めて頂けません? その無駄にでかいだけの胸に圧迫されて、ご主人様が苦しそうではありませんか。トーコちゃんを見習って、気を遣う術を身に付けた方が良いと思いますよ?」
「あら、奇遇ね。私もリリィヴィアに気遣いを覚えてほしかったところよ。夫婦が仲良く並んで座るのは世間一般的な常識からして妥当なところだけど、横から勝手に入ってきて文句を垂れるのはどうかと思うの。あ、学ぶのは気遣い以前に常識からだったわね。勘違いしてごめんなさいね?」
「フ、フフッ。大八魔相手に常識を説いてる時点で、貴女も十分常識外れだと思いますけど? それにですね、常識人はこんな人前で身を寄せたりしないものなのでは? ねえねえ、知ってました? 知ってました?」
「その理屈だと夫婦以前に他人であるアンタが同じ行動をしてるし、やっぱりリリィヴィアの方がおかしいのは明らかじゃない? その拙い頭で理解できたのなら、回れ右して他の席に移動しなさいな」
「………」
そう、安らぎがないと生きていけないのだ…… 乗車してからかれこれ1時間近くになるが、俺を挟んでこの2人はずっとこんな感じで口喧嘩を続けている。間に挟まれて幸せなのは極一部分だけで、残りの殆どの部分はメキメキと痛めつけられている最中だ。君らさ、口喧嘩に熱中するあまり、俺を無意識に攻撃するの止めてくれない? 魔法で治療してるからまだ生きてるけど、不慮のクリティカルでも出たら死ぬよ? 普通もう死んでるよ?
「お前ら、いい加減に―――」
「「―――デリス(ご主人様)は黙ってて(ください)!」」
「あ、はい……」
口を挟もうにも、そういう時に限って絶妙な団結力を見せてくれるもんだから、俺からは止めるに止められない。弟子達に助けを求めようにも、興奮状態にある大八魔級、それも2人の相手をさせるのは憚られる。この閉ざされた空間では逃げる事も許されず、万が一にバトルの引き金にでもなってしまったら、この列車は鉄の棺桶に早変わりだ。
「車内販売デゴザイマス。美味シイオ弁当、オ飲ミ物、回復薬ハ如何デスカー」
「すみません、MPの回復薬を3つ。一番高いやつで」
「マイドー」
だからこそ、俺に残された道は我慢しかない。なぜか定期的に車内に現れるゴーレム移動販売を利用し、魔力の回復手段を確保。到着までに後どれほど時間を要するのかは不明だが、俺の気さえ触れなければ何とかなる。
「私、この限定肉弁当とお茶ね!」
「こちらはおつまみセットでお願いします。あ、このカップ酒も付けてください!」
……お前ら、実は仲良いんじゃない?
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デリスらが熾烈な修羅場を迎えている一方で、悠那達4人はそこから少し離れた場所にて、まったりと座っていた。弁当の肉を奪ったり、お返しにおつまみのジャーキーに噛み付いたりと、あれだけの騒ぎを起こしているのだ。当然ながら4人も口喧嘩をするネルとリリィ、間に挟まれピンチに陥っているデリスに気付いている。
「師匠達、本当に仲が良いよね!」
「待て悠那、お前の目は節穴だったのか? あの惨状を見て、マジでそれ言ってる!?」
「む、私はいつでも本気だよー」
「はいはい、私達まで喧嘩しないの。デリスさんは大丈夫らしいから、今は無駄な体力を使わないよう専念しましょ。目的地に到着したら、何が起こるか分からないんだし」
「それは良いが、本当に止めなくて良いのか? いつものチナツであれば、嫌な顔と死の覚悟をしつつ止めに行くと思っていたのだが」
「えっと、私いっつもそんな感じでした……?」
少なくとも、フンドの目にはそう映っていたらしい。千奈津に向けられるフンドの瞳は、実に優し気なものだった。
「実はもう、数十分前に2人の喧嘩を止めようとしたんです。流石のデリスさんも、あの状態が続けば危ないんじゃないかと思って…… でも、声を掛ける寸前にデリスさんに止められてしまいました。今は止めとけって、リフレクトフォートレスで文字を作られてしまいまして」
「あー、ダマヤで千奈津が使ったあの魔法? あん時の建造物には驚いたもんだが、コンパクトに使えば文字にもなっちまうのか」
「盾にも伝言板にも建物にもなれるって事かな?」
「光輝魔法の最上級だから、普通はそうポンポンとは使えないわよ……」
「ふぅむ、兎も角だ。結論から言えば、デリス殿は見た目以上には大丈夫という事であるな?」
「まあ、たぶんですけどね。ああ、そうだ。その時にこれも一緒に投げ渡されたんです」
千奈津が一冊の本を皆の前に出して見せる。
「それは?」
「竜神の島の観光ガイドブック、だそうです……」
「「「普通に観光、できるんだ……」」」
大八魔の支配領域は、思いの外に観光地が多かった。ちなみにガイドブックの表紙には、まさに南国といったイメージの島々が描かれている。
「さっき皆がお弁当を食べてる時に、パラパラっと一通り読んでおきました。デリスさんから『皆に予習させておいて』、とも伝言されたので、悠那と刀子にも分かるように説明したいと思います」
((あ、これ授業が始まる流れだ))
千奈津がガイドブックを開いた瞬間、悠那と刀子はほぼ同時に同じ事を考え、同じ表情を作った。千奈津としてはこれも教え導く事なので、スキルのレベル上げに繋がるのだ。できるだけ分かりやすく、かつ重要なところは記憶に刷り込ませようと、千奈津はパキパキと指を鳴らしながら気合いを入れている。そんな千奈津の仕草が2人には恐怖の対象として映ったようで、ガタガタと列車で揺れる振動以上に震えてしまっている。
「もう、そんなに暗くならないでよ。このガイドブック殆ど絵だし、美味しいご当地料理の情報も沢山載ってるんだから。まあ2人のその反応を想定して、デリスさんもこれを用意したんでしょうけど…… 勉強というよりも観光の下準備みたいなものだと思えば、気が楽になるわよ?」
「美味しい料理……!」
「待て、悠那! そいつは餌だ! 下手に食い付くと、机に縛り付けられるぞ!」
「どれだけ学問を苦手にしているのだ、お主ら……」
『竜神の島』という名で一括りにされているが、実際のところ『竜王』リムド・バハの領土は、大小8つの島から成る群島だ。島々の空には昼夜問わずドラゴンが飛行しており、飛空艇での移動は難しく、傍から見ればどう考えても危険エリアでしかない。それでもこの場所には多くの人々が暮らし、ドラゴンとの共存を続けている。竜王の敷いたルールに従えば来訪者への危害はなく、豊かで美しい自然が汚される事なく残っている事から、今日ではガイドブックが作られるほどに旅行者が増え―――
―――ボンッ!
「おい、爆発して2人の頭から黒い煙が出始めたぞ」
「大丈夫です。まだ初期症状なので、このまま断行します」
「しょ、初期症状……!?」
観光スポット情報、グルメ情報を合間合間に交える事で、何とか悠那と刀子は死線を潜り抜けた。




