第353話 槍の降る日
―――修行65日目。
妙に居心地の良い空間というのは厄介なもので、時間が経つのを忘れさせてしまう。案の定、対リリィヴィア戦作戦会議は夜遅くまで続けられ、部屋に帰って来ないデリスをネルが探しに来る事で漸くストップ、同時に部屋の空気もストップした。長い時間放っておかれたせいか、ネルが見るからに拗ねていたのだ。そんな様子の師匠の登場に千奈津戦慄、デリスも戦慄。有無を言わさず耳を引っ張られ、2人の寝室へと連れ去られるデリスの姿を最後に、その日の話し合いは終わりを告げたのであった。
そして時間は流れ、本日は約束の決戦日。師の胸を借りる立場である刀子は、いつも起こす昼よりも大分早い朝の時間帯に、リリィの部屋を訪れていた。格好はもちろんメイド姿で、リリィの言い付け通りの格好である。
「うお!? も、もう起きてたのかよ? 明日は槍が降るな、こりゃあ……」
部屋に入るなり、刀子は驚愕した。いつ何時であろうと、決まってベッドの中で熟睡していた筈のリリィヴィアが、既に起床を終えていたのだ。それも、大八魔衣装の着替えまで済ませている。この大陸へ旅立ってからというもの、面倒だからと毎度毎度刀子に着替えさせてもらっていたというのに。刀子がそれだけ驚いたのも無理もない、それだけの珍事、大事件である。
「いやいやいや~、出会い頭に失礼が過ぎるでしょ~? ノックもなしに女の子の部屋に入って来るのもそうだし、やっぱり師へのリスペクトが足りてないのかな?」
たっぷりと浴びた朝日の光を背に、リリィヴィアが刀子の方へと振り返る。
(……今の時点では駄メイド師匠なのか。なら戦いの場でも? いや、フンドの旦那や他の大八魔がいる手前、その場に出た瞬間豹変するのか?)
対策会議の内容を思い出しながら、刀子はリリィの様子を注意深く観察する。自力で朝起きられた点を除けば、一見いつものリリィにしか見えない。しかし、それなりの時間を彼女の介護に費やした刀子だからこそ、何か違和感を感じてしまう。それが何なのか上手く言語化する事はできないが、刀子の中で鳴りを潜める野生が、そう警鐘を鳴らしていた。
「何々、そんなに改まっちゃってどうしたの? いつも遠慮のないトーコちゃんらしくないな~?」
「……ああ、リリィ師匠がいつになく野心的な気がしてよ。結局、一昨日のアレから一度も起きなかったし、元気一杯ってか?」
「フッフッフ、調子は頗る良い感じだね。今日の為に寝だめを徹底したから、今まで演技ってた疲れはないと思いなよ。今日の私はひと味もふた味も違うから、ちゃんと4人まとめて全力で来ないと悲しい事になっちゃうよ?」
「師匠から言われなくとも、最初からそのつもりだ。つか、やっぱどこかおかしいぞ? デリスの旦那に何か言われたのか?」
「……! ほ、ほ~? 一体何の事かな?」
この反応が天然なのかわざとなのか、刀子には判別できなかった。ただ、デリスに何か言われたのは確実だと確信する。
「マジかよ! リリィ師匠のモチベが上がったって事は、ご褒美か!? 途轍もなくすげぇご褒美をもらえる約束でもしやがったのか!?」
「うっ! ト、トーコちゃん、野生の本能は沈めたんじゃなかったのかな?」
「この、吐けっ! この野郎!」
「野郎じゃないもん!」
ベッドの上での小競り合い、交渉の末、リリィヴィアは刀子にだけ特別に教える事にしたようだ。ぶっちゃけ、誰かに教えたい感が駄々漏れな様子である。
「しょ~がないな~。トーコちゃんにだけ特別、特別だよ? これ、ネルに知られちゃうと無効って約束になってるんだから!」
「言わねーよ。ってか、んな約束になってんなら今のうちに吐いとけよ。さっきの様子じゃ、戦ってる時に自分から約束を晒しかねないぜ?」
「ああ、確かに。ではでは、お耳を拝借。実はね―――」
ごにょごにょと刀子の耳に口を寄せて、小声で約束の詳細を伝えるリリィ。その内容を聞かされた瞬間、刀子の両目がバッと見開かれた。
「なあっ、なああっ!? よよよよ、夜にぃ!?」
「声が大きいよ、トーコちゃん。まあ、驚くのも無理はないよね。今日の戦いで私がトーコちゃん達に勝利したら、アレをナニする約束なの。ふふん、羨ましい? 正直に言ってごらん、羨ましいんでしょ?」
「あばばばばば……!」
「あ、あれ? おかしいなぁ、夢の中で耐性を付けさせた筈なのに……」
赤面硬直してしまった刀子を見て、リリィが首を傾げる。
「あ、そっか。私だけ抜け駆けしちゃうようなものだもんね。うーん、そうだなぁ…… もし仮にトーコちゃんが勝ったら、トーコちゃんがそうするようにってご主人様にお願いしてあげようか? その方がトーコちゃんのやる気が出るし、対等な勝負ってもんでしょ?」
「ななななぁっ! おれおれ、俺がっ!?」
「クスクスクス」
刀子の反応を見て楽しみながら、妖艶に笑みを浮かべるリリィ。やる気に満ちた今日だからか、いつになくサキュバスをしている。
「ふ、ふざけんなっ! 俺はもっとこう、真っ当に旦那にアタックしたいんだ! そそそそ、そんな手には乗らねぇんだぜ!」
「既婚者相手に真っ当な恋愛もないと思うけど? ま、私的には十分真っ当な線だけどねっ!」
「……ク、ククッ。良いぜ、リリィ先輩。いつか袂を分かつ日が来るとは思っていたけどよ、まさかそれが今日だったとはな。その挑戦、謹んで受けてやるぜっ! 俺が勝って、旦那専属メイドの座を明け渡してもらう!」
「わあ、謹んで受けちゃうんだ? そんな事を言われちゃうと、私も本気にならざるを得ないよね~。ご主人様のおひざ元は、未来永劫私の指定席。師を差し置いてイチャコラされちゃ、怠惰な私も堪ったもんじゃないよ!」
「ぶっ潰す!」
「滅茶苦茶にしてあげる!」
ヒートアップする2人の前哨戦。そんな口撃の応酬が成される部屋の外では、デリスと悠那が扉を背に、2人が出てくるのを待っていた。悠那は刀子を探しに、デリスはこの展開を予想して、ネルがこの場に来ないよう叫び声を魔法で遮断しにと、ここを訪れたそもそもの目的は異なるようだ。
「刀子ちゃんとリリィ先輩、何を言い争っているんでしょうね?」
「あー、分かりやすく言えば、ハルがやってるお手伝いさんの地位を争ってる感じだ。ただ頑張る方向が明後日を向いてるから、やっぱりハルになっちゃう流れだな」
「へ~。よく分かりませんけど、2人とも大変ですね!」
「ついでに俺も大変だよ。この方面にかけての諦めの悪さは、ハルに通じるものがあるんだよなぁ…… ハル、今日の戦いは絶対に勝ってくれ。俺はお前達を信じているぞ」
「ラジャッ! 師匠の信頼に応えられるよう、粉骨砕身頑張りますっ!」
様々な思惑が交差し、師弟間の関係にも色々ある昨今。戦う理由というものは、本当に多種多様であるものだ。デリスの未来は兎も角として、各々の意地をかけた戦いが機械国アル・ノヴァ、その地下深くにて始まろうとしていた。




