第316話 ネルのお願い(威圧)
―――修行58日目。
炎の卓上決戦を経て、新しい一日がやってきた。昨日の事に関して詳しくは言わないが、何とかドローにまで持ち込んだとだけ伝えておこう。その代償に弁償代を払う事にはなったが、命の対価だと思えば安いものだ。それに温泉場の従業員達は焼け焦げた部屋を見て、苦笑いで丁寧に対応してくれた。
『大丈夫です。許容範囲内なので、お構いなく』
恐らく、彼らはアレゼルから前もって何か言われていたんだろう。ネルが何かやらかしても、笑って許してやってや~、とか。そんな事を言われたら、後が怖くて多めに金を払ってしまうというもの。俺は意欲的に示談を成立させ、笑顔のまま握手を交わしたのであった。まあ、昨日は色々あったんだ。それに尽きる。
二日酔いからスタートした昨日の朝とは打って変わり、今日はネルと共に爽やかな朝を迎える事ができた。昨日の温泉卓球地獄巡りがストレスのはけ口となって、よろしくない感情をまとめて発散してくれたんだと思う。ぶっちゃけ、ネルは俺と本気で遊びたかっただけなんだろうし…… と、好意的解釈。
それから宿での朝食を済ませ、俺達は荷物をまとめてある場所へと向かった。アレゼルともそこで待ち合わせをする事になっている。
「お、来たな~。おはようさん」
「おはよう。船はもう来てるか?」
船と言えば、そう、飛空艇の発着場だ。今日はゼータが機械国アル・ノヴァへと旅立つ日、そして俺達もその便に同乗する日なのである。
「もう少しで到着の時間さかい。しっかし、急な話やなぁ。てっきりあたしは、ゼータはんだけがアル・ノヴァに向かうと思っていたんやで?」
「悪い、こっちの都合が変わったんだ」
「すみません、私のわがままなんです……」
「チナッちゃんの? へえ、そんなタイプには見えないけどなぁ」
アル・ノヴァ行きの便を手配してくれたアレゼルに対して、深々と頭を下げる千奈津。どうしてこうなったのかというと、卓球の後始末の後に千奈津から相談を持ち掛けられたのが切っ掛けだった。
『私もゼータさんと一緒に、アル・ノヴァに行きたいです!』
『『……は?』』
思わず声を合わせてしまう俺とネル。ハルと刀子もどうやら初耳だったようで、揃いも揃って目を点にしていた。
で、詳しくその理由を聞いてみれば…… どうもゼータから、転移者が元の世界に戻る方法があるという話を聞いていたらしい。彼の名探偵な渕と愉快な仲間達が探していたけど、全然情報が集まっていない例の件である。千奈津も千奈津で、独自に帰る方法はないか模索していたのかもしれない。
更にゼータより詳細を伺うと、以前にゼクスからそんな話をされた事があった、くらいのニュアンスで、ゼータ本人は方法を知らないとの回答。これは確証まではないと言って良いだろう。だが、千奈津にとっては大いなる希望に違いはない。
「まあ、ヨーゼフのじじいの悪巧みに利用されて、強制的に転移させられたのが始まりだったからな。ジバ大陸の脅威がなくなって、勇者としての本分を果たした今、故郷に帰りたくなる気持ちは十分に理解できるよ」
「あの、師匠とデリスさんは反対じゃないんですか?」
「何でだ? 至極真っ当な理由だし、千奈津がそう考えるのは当然だと思ってるよ。むしろ、ハルと刀子の行動原理の方がおかしいだろ」
「「へっ?」」
おいそこ、なぜに? とか、これからの戦いはどうするの? みたいな表情で疑問符を浮かべるな。
「私もデリスと同意見ね。仮に私が別の世界に飛ばされたら、死に物狂いで戻る方法を探すもの。私がデリスと一緒にいたい感情と、チナツが元の世界にいる人を大切にする感情は一緒でしょ?」
「ネル師匠……!」
おお、ネルがまともな事を言って、千奈津が感動してる。若干惚気が入っていて、俺もちょっと恥ずかしい。
「ハルナとトーコの言い分も、同じくらい凄く分かるけどね!」
「ですよね!」
「だよな!」
「ネ、ネル師匠……」
そこでその一文はいらなかったかな。ハルと刀子の賛同は得られたが、千奈津の感動は薄まってしまったぞ。
「帰る帰らないの話は、その方法の有無を確認してからでも遅くないだろ。悩むのはそれからにしとけ」
「せやな~。そんな方法があれば、色々と夢が膨らむわな~」
「流石にそれで金稼ぎは止してくれよ…… だけど、別世界に転移する方法か。渕には前に話した事があるんだが、そんな方法は聞いた事がないんだよな。ゼクスの奴が何で知っているんだ?」
「ゼクス様の知識は底が知れませんから! ご存知だったとしても、何ら不思議ではありません!」
「そ、そうか。うん、そうだな」
いかん、見えてるゼータの地雷を踏み抜いた。
「ヨーゼフさんが使った、私達を転移させた方法は使えないんですか?」
「あれは今だと使用を禁止されている禁術、迂闊に触れれば火傷する類のもんだ。別世界からランダムに素質のあるもんを召喚するんだが、どこの世界のどいつが送られてくるか分かったもんじゃない。しかもその逆、元いた場所に送り戻す力はないときたもんだ」
「詰まり、狙った世界や人物を転移させる訳でもなく、一方通行の召喚しかできないという事ですか?」
「そういう事。むかーしは勇者召喚として正式に使われていたそうだけど、倫理の観点から過去の勇者が禁術に指定したとかで、今は世界的に禁止になっているんだ」
そんな禁術を使ったヨーゼフがあの程度の処罰で済んだのは、ハルらクラスメイトの殆どが転移に賛同的、かつこの世界としてはかなり善良な性格だったからだ。中にはやらかした奴、ええと…… 名前は忘れてしまったが、そういった連中は表沙汰になる前に消しておいたし、アレでも悪人としては程度の低い方に入る。ま、元は普通の学生(一部目の前に例外あり)な訳だし、それも当然だろうさ。
「今は小競り合いこそはすれ、大八魔がそこまで世界征服を企む時代でもないし、表立って使う奴は皆無に近いよ」
「そうそう、時代はラブアンドピースや!」
「どの口が言うのかな?」
とまあ、苦労を抱えがちな千奈津にしては珍しいそんな要望を呑んで、折角だから俺達もご一緒する事になったのだ。大八魔の階級としては第六席のアレゼルの1つ上だし、今こいつらをゼクスと会せるのも悪くはないだろう。
「あ、そだそだ。ネル、例のブツが今朝届いていたで。ほれ」
アレゼルが厳重に封をされた木箱を、思い出したかのように取り出してみせた。木箱は細長く、黒を基調とした色彩で塗装されている。見た感じ、この箱だけでもかなり豪華なものだ。
「あら、思っていたよりも早かったのね」
「何だよそれ?」
「ガルデバランの連中に依頼してた、チナツの新しい武器よ。暫くアーデルハイトを留守にしちゃうから、完成したらクワイテットの支社を通して送るようにお願いしてたの」
「あー、なるほど。例のブツな」
「よっぽど作業を頑張ったんやろな。これを預かったうちのもんに依れば、国が総出になって鍛えた最上大業物っちゅう話や。最後は武王自らが鍛冶道具を握ったらしいで。ネルの影響力は凄いなぁ」
「可愛いチナツの為だもの。これくらいしてやるのは、師として当然の事よ。さ、チナツ。これを貴女に授けるわ。武国ガルデバランの威信をかけて造らせた、最高の一振りよ。大切になさい」
「あ、ありがとうございます。たた、大切にします……」
果たしてネルはどんなお願いの仕方をしたのやら。俺は深くまでは考えないけど、その可愛い千奈津は緊張のあまり受け取る手が震えてしまっていた。




