第254話 晴れ姿
―――そわそわ、そわそわ。
俺が歩く度に、そんな鳴る筈がない音が耳に入ってくるのは気のせいだろうか? 如何に今日が俺とネルの結婚式だからといって、そこまで気持ちが落ち着かないという事もないと思うんだが。
「そわそわ」
うわ、また聞こえたよ。絶対聞こえた。平静を装っていても、自分が感じる緊張感までは隠せないってのか? いや、そんな筈はない。脈拍は正常だし、変に熱がある訳でもない。大丈夫、俺は大丈夫。
「そわ―――」
「おい、アレゼル。俺の背後で何そわそわ呟いてんだ。わざとか、わざとだよな?」
歩くと見せかけ後ろに振り向くと、そこには身を屈める茶色の頭があった。結婚式用に着飾った俺の古い旅仲間のアレゼルは、妙に愛嬌のある笑みを浮かべながら立ち上がる。
「にゃはは、やっぱバレてもうたか」
「何だよ、そのキャラ作りを意識した笑い方は……」
「何ゆうとんねん。商人はキャラも重要に決まっとるやないか。親しみが湧いて、ポロッと大金を落としてくれたら儲けもんやし」
「結局はそこに行き着くんだな。お前、大八魔になる前はバリバリの標準語だった癖に」
そう、アレゼルが俺やネルと冒険者をしていた頃は、手癖と口は悪かったが、喋り方は今のようなエセ関西弁ではなかった。口を開かないで黙ってさえいれば、良い所のお嬢さんにしか見えないような容姿だったし…… いや、容姿は今も変わらないか。くそ、エルフは狡いな。
「あたしは過去を振り返らない女なんやで~」
「はいはい。それで、そんな素敵な女性となったアレゼルが何のようだ? ただ悪戯しに来たって訳でもないだろ?」
「ああ、そやそや。ネルの着付けが終わったで。新郎に我がクワイテットが総力を挙げてドレスアップした、ネルの晴れ姿を先に見てもらおうと思ってな」
「お、おう……」
それを先に言わんかい。俺がこの廊下を何往復したと思っているんだ! しかし、偉く時間が掛かったな。こういうのは男よりも女性の方が時間を要するのが相場なんだろうが、普通、こんなに掛かるもんなのか? 普段ネルは化粧もシュバッと終わらせるからな。ううむ……
「そわそわ」
「おい」
そうと決まれば善は急げ! アレゼルの案内の下、俺はネルが着付けをしていた部屋へと足を運ぶ。行き着いた扉の前で止まり、腰に手を添えたアレゼルはニヤニヤ顔で俺に振り返った。
「さ、新郎。心してお入りや。心臓止まっても知らんけどな」
「……そんなに凄いのか?」
「ったりまえやん! アンタ、自分の奥さんがどんだけ良いもん持っとんのか、ちゃんと理解しとるのか? 美形美形と持て囃されるあたしらエルフとタメ張るどころか、そん中でもずば抜けて突出してるレベルなんやで?」
え、そ、そうだったのか? 昔っから毎日会って成長過程も知っていたしで、見慣れていたせいか全然そんな自覚がない。ネルが美人なのは先刻承知の事実だが、そこまで褒め称えるまでいく?
「あー、その顔は全然分かっとらん顔やわー。駄目やね、この男は駄目やわ」
「そこまで言われる筋合いはないんだが……」
「まあ、あんさんの周りに綺麗所が揃っとるってのも災いしたんかなぁ? ほら、ハルナちゃんとチナツちゃんやっけ? 随分と綺麗どころを揃えたやないか。ネルも全然イケイケやけど、それ以上に若々しいところを、あんだけなぁ。愛人にはリリィはんもおるし、いやー、デリス怖いわぁ」
ご馳走さんとばかりに、にやけた口端を更に鋭くするアレゼル。こいつ、頭の中で一体どんな想像を膨らませていやがるんだ?
「お前がどんな馬鹿な事を考えてるかは知らないけどな、ハルは俺の弟子、千奈津はネルの弟子ってだけの関係だ。それ以上も以下もない」
「どうだかね~」
「つうか、その話は今するもんでもないだろ。良いか? 扉開けるからな!?」
「あ、ちょい―――」
アレゼルの話に付き合っていては、いつまでも終わりが見えそうにない。俺は勢いのまま扉のドアノブに手を掛け、振り切るように開いた。
「あら、デリスじゃない。どうかしら? まだ鏡を見てないから、自分じゃ確認―――」
―――パタリ。俺は静かに扉を閉めた。
「おやおや~、デリスの旦那どうしたんかなぁ~? 何で扉を閉めるん? んん~?」
「……マジか?」
この言葉はアレゼルに問い掛けたものでもあり、俺自身に問うものでもある。さっきのあれは、本当にネルなのか? ウェディングドレスを着れば、そりゃ普段よりも綺麗に見えるもんだろうよ。だが、今のは流石に行き過ぎだろ? 一瞬俺の意識が飛び掛けたぞ!?
「素直に敗北を認めぇやぁ。あたしらクワイテットの支援力の恐ろしさと、ネルの美しさになっ!」
そしてこいつは何で勝者側の発言をしているんだ? 商社だからか、って駄目だもう…… ここ最近のおっさん化に抗えない。今はそんな気力もない。分かった、認めるよ。俺の負けだ。完全試合だ。文句の付けようがない……! 今のネルは、確かに綺麗だった。そう思ってしまった。
―――ガジャリ!
ドレスアップを終えたネルが、俺が結界まで施して封印した扉を力任せにこじ開けて、その晴れ姿を再び俺の眼前に晒した。
その時、俺は自身の魂の悲鳴を確かに耳にした。ぐわぁーーー! 浄化される! 俺の中の汚い何かが、確実に浄化されていくぅーーー! ……と。不味いぞ、このままでは綺麗なデリスになってしまう。
「ちょっと、どうしたのよ? 突然扉を閉めて…… って、何でデリスが頭を抱えて蹲ってるの?」
「なぁに、完全に負かされて意気消沈しとんのや。ついでに極度の混乱状態に陥っとる。やったな、ネル。あたしらの勝利やで」
「は? 何の話よ? それよりもデリス、ちゃんと私を見なさいよ! 感想をまだ聞いてないわ!」
「うわ、死に体に追い打ちとは、ネルも容赦ないなぁ……」
ネルは視線を地面で固定した頭を両手で持ち上げ、強制的に俺の顔を自らに向けさせる。首が凄く痛い。と、感じるのと同時に俺は正気に戻るのであった。
「ど、どう?」
「え? あ、あー、ええっとだな……」
そしてネルは、感想を言えと無言の圧を掛けてきた。この場で言えと? 結婚式の情報をうっかり漏洩させた諸悪の根源の前で、それを言えと!?
あ、言います言います! だから頭の両サイドを万力みたいに押し込まないでくれるとアイダダダ!
「き、綺麗過ぎて驚いたんだよ! 部屋から逃げるくらい、綺麗だと思っちゃったんだ! 正直、お前が嫁さんで本当に良かった!」
「……そ、そう? ふーん、そう。そうなのね、ふーん」
「「………」」
沈黙アンド沈黙。今更ながらにすげぇ恥ずかしい。
「いや、2人して赤くなって黙んなや。そんな歳やないやろ…… 普段あんだけえげつないのに、どれだけピュアやねん……」
アレゼルがボソボソと何か呟いていたようだったが、俺の耳には入ってこなかった。




