第240話 天真爛漫
俺は奴を追っている。刀子の差し入れを胃に入れている最中、気紛れでふと立ち上がった奴を。リリィもまた奴を追っている。そのまま鼻歌交じりにクラウチングスタートの姿勢となって、風となって走り出した奴を。
「リリィ、お前の親は馬鹿なのか!?」
「反論の余地がないのが悲しいわ……」
奴とはリリィの母、マリア・イリーガルの事だ。すっかり観戦モードになって、夢中でニンニクを頬張っていたから少し気を抜いてしまった。が、奴はその隙を突いた。そんな企みがあったのかは知らないが、たぶん思い付きでの行動だろう。向かう先はもちろんハル達の戦地、海に面した岬だ。
「流石に追い付けないか! リリィ、黒の衣装持ってるか? あと、お前の大八魔の衣装も」
「あるにはあるけど…… まさか、走りながら着替える気?」
「そのまさかだ。というか、着替えさせて!」
「……大八魔である私に、服を着替えさせてと?」
「メイド服着てるし、半分セーフだろ! 今のお前は正にパーフェクト超人、いや、パーフェクトメイドだ! そうであると俺は信じているぞ!」
「ま、まあそこまで懇願されるのなら、仕方がないわね。黒になるなら私の部下って事でもあるし、早着替えも苦手じゃないわ。黒、そのまま走り続けなさい……!」
それから俺は目にも止まらぬ早さで着替えさせられ、一瞬にして黒の衣装にドレスチェンジするのであった。リリィもリリィでメイド服から魔王に早変わりだ。流石は大八魔リリィなだけはあって、下着を晒すなんてミスも全くなかった。
「フードを深く被って、と…… なあ、顔を隠す仮面とお前の香水も貸してくれないか?」
「変装用に持ち歩いてはいるけど、何でよ?」
「ほら、ハルって勘が良いじゃん。嗅覚とかも犬並みだからさ、匂いも誤魔化しておきたいんだよ」
「そこまで徹底するのね。まあ、良いけど。はい」
リリィから高級そうな香水を手渡してもらい、適度に吹きかける。うむ、フローラル。そして如何にも魔王の幹部っぽい仮面をして――― 黒、完成!
「よーし! マリアが現場に到着次第、様子を窺いつつ最悪の場合は確保するぞ!」
「ママの気分次第では大惨事ね、それ」
「大八魔全員が注目する現場なんだ。そこまで無茶はしないと願いたい!」
マリアの馬鹿はもう岬に到着する間際、俺達も全力で疾駆してそれを追い掛ける。
「ちょっと待ったぁー!」
岬の手前で大きく跳躍したマリアが、太陽の光を背にして戦場のど真ん中に着地する。ど真ん中とは詰まり、ハル達がいる場所そのものである。派手な登場の割には音もなく着地したマリアに注目が集まり出す。
「大八魔第三席、『吸血姫』のマリアちゃん参上~! はい、拍手~!」
「「「「………」」」」
空気が死んだ。完全に死んだと俺は確信する。色鮮やかなドレスを着た銀髪幼女が空から降って来て、魔法少女の如く如何にもなポーズを取りやがったんだ。そりゃシリアスな空気も即死するわ。すやすやと眠るテレーゼを除いて、ハルやフンドをはじめとした魔王と勇者達が面食らってしまっている。唯一、セルフで拍手をするマリアの姿は見るに堪えない。え、あそこに行きなきゃ駄目なの、俺? あの空気の中に割り込むの、すげぇ嫌なんだけど。
「黒、飛び込むわよっ!」
あ、やっぱり飛び込むよね。俺が言い出した事だもんね。はぁ、行くかぁ……
―――ズゥンズゥン!
マリアの背後に着地。フンドの前でもあるし、リリィの部下である体で振舞う。要はリリィの隣に控え、問答は任せる。俺は黙る。
「ママ、急に飛び出さないで頂戴。挙動不審なのは淑女として失格よ」
「え~、だって楽しそうだったんだもん。それに、審査役としての役目も果たさないとだし」
「……貴殿ら、一体何をしているのだ? 大八魔が2人も揃って――― む、部下まで連れて来ているのか?」
一番早くに反応してくれたのはフンドだった。ふう、どうやらバレてないようだな。
「「………」」
ハルや千奈津は警戒しまくってる。うん、それで良い。暫く動いてくれるなよ。
「ほわぁ……!」
しかし約1名、凄く輝いた目で俺を見詰めてくる奴がいるんだが、一体何事なんだろうか? 俺の正体に気付いた訳でもなさそうだし、よく分からん。
「言ったでしょ、監視役としての来たの。フンドちゃんさあ、規則を破ったからって負けを認めようとしていたでしょ? 違う?」
「……今までの戦い、どこかで見ていたのか?」
「バッチリ見ていたよ。妾、審査役だからね」
フンドとマリアのやり取りにリリィが割って入ろうとするが、少し待てと合図を送る。もうちょっと、マリアの審査役としての仕事振りを見てみよう。
「確かに、余は負けを認めようとした。自ら提示した規則を、自ら背いてしまったのだからな」
「ええと…… この過度に環境を破壊してはならない、ってやつ?」
マリアはどこから持って来たのか、フンドがクロッカスに送った果たし状と同様の書簡を手に持っていた。
「貴殿、どこからその文章を……? ―――まあ、その通りではある。余の攻撃であの大穴を開けてしまったからな」
「んーとねぇ、フンドちゃん。それはないんじゃないかなぁ?」
「……何?」
「妾達大八魔にとってはね、あの程度の穴を開ける行為なんて、環境破壊とは言わないの。土魔法の術者を集めて時間をかければ修復できるだろうし、あんなもので負けを認めるなんて馬鹿らしいわ。大八魔に負けは許されない。何度も何度も妾は言ってきたでしょ。フンドちゃん、その宣言を取り下げなさい。まだ大八魔でいたいならね?」
表情仕草は幼女のそれから変わらないが、僅かにマリアの言葉から圧が感じられる。フンドの返答次第では、実力行使も止むなしといった雰囲気だ。
「断る。支配者である余がそんな言葉遊びで意見を変えては、下の者達への示しが―――」
「えいっ」
ブンと、マリアが真っ赤なエネルギーの塊を放り投げた。クレーターのある方向に。
―――カッ!
次の瞬間、赤い閃光が走り周囲一帯が赤で染められる。その間に轟音が立て続けに聞こえてきて、視覚的にも聴覚的にもきつい状況に見舞われてしまう。痛い、目と耳が両方痛いレベル。
そんな眩い迷惑発光迷惑騒音が終わると、クレーターのあった場所がなくなっていた。正確には、その方向に向かって岬全体が3割ほど抉れていた。あー、うん。これは環境破壊だ。
「ほら、フンドちゃんが作ったっていう穴はなくなったよ。これで何の証拠もないじゃない。はい、解決!」
「………」
「貴方、諦めなさいな。こうなったママは意固地になっちゃうから。それ以上断り続ければ、今度はこの国の3割が吹き飛ぶわよ?」
様子を窺うハルと千奈津の顔が、一気にリリィの方へと向けられ、次にフンドの方へ。空気を読んでくれ。そう念じているようだ。ああ、そいつは冗談じゃなくやりかねないよ。
「冗談では…… ないようだな。分かった、この国にそのような傷跡を残すのは本意ではない。全く、脅すにしても方法が荒過ぎる」
「フンドちゃんが分かってくれて、妾嬉しい! それじゃ、今回の戦いはマリアが預かる事にしよっかな。『吸血姫』の名にかけて、戦争はおしまい! はい、解散っ! お疲れ~」
機嫌良くぶんぶんと手を振りながら、マリアはドレスの下に隠していた翼を広げ、青空の向こうへと飛んで行ってしまった。その姿はもう豆粒ほどの大きさに。
「「「「「―――え?」」」」」
丸、投げ、だと……!? 誰が収拾するの、この状況?




