第19話 初めてのお使い
―――修行4日目。
この日、すこぶる朝の目覚めが良かった悠那は、いつも起床する時間よりも早くベッドから起き上がった。昨日に灰コボルト達との激戦があったばかりだというのに、体に疲れは全く残っていない。脳も冷水を掛けたかの如く冴え渡っており、普段よりも調子が良いくらいだった。
「師匠を起こすには流石に早過ぎるよね。朝の下拵えをするにも余裕あるし…… よし、ここは1つ自主練でもしますか!」
ジャージハルは寝間着代わりのジャージを脱ぎ、練習着ハルとなって鼻歌交じりに家を出る。日本にいた頃であれば朝食やお弁当の支度をする時、極力調理の音がしないように、まだ寝ている弟達を起こさないようにと注意を払っていた。しかし今となっては、多少音が出ようとも気にしないようにしている。師匠のデリスがちょっとやそっとでは起きないと、最近になって学んだ為だ。起こすのは手間だが、これは悠那にとって気が楽になって良い点でもあった。
「まずは――― あった! これはどうかなっと、うん、良い感じ!」
木々の根元付近で悠那が何かを発見。意気揚々と手に持ったのは、良い感じの木の枝である。形を少し整えて、手の感触を確かめる。そうして勢いよく――― 振るった。
悠那は木の枝を木刀に見立てて、上段から振り下ろす形で素振りをし始めたのだ。一刀一刀に風を斬る音が伴い、徐々に徐々にと素振りのテンポが上がっていく。最初の内はゆっくりとした間隔だったものが、今では常に枝先が消える速さで動いている。
一心一刀。振るう速度が変わろうとも、悠那が一太刀に篭める集中力が変わる事はない。枝はより正確に同じ軌道を描き、より迅速にそれを可能とする。5分も続いた久方振りの練習が終わると、悠那の練習着は既に汗だくの状態となっていた。
「ふう。さて、どうなっているかな?」
家から持参したタオルで汗を拭いながら、ステータス画面を確認する悠那。すると、杖術のスキルがレベル3に上昇しているではないか。
「ふんふん、木の枝でもちゃんと杖だって認識してくれるんだね。メモメモ」
この世界で初めて、木刀=杖の方程式が成り立った瞬間である。
「でも、少し伸びが悪いような…… やっぱり、しっかりとした杖で鍛錬した方がいいのかな? うーん、考えても仕方ないし、取り敢えずランニングに行こっと」
家の外壁に木の枝を立て掛け、タオルは首に。よし、行くぞと悠那は日課のランニングへ出発する。道は獣道、少しでも外れたらモンスターの生息する深い山の中、という適度な環境は、悠那にとって丁度良い練習場所だった。
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悠那はデリスが何の仕事をしているのか未だに教えられていない。教えられてはいないが、ここ最近は付きっ切りで鍛錬に同行してもらっているのは分かっている。
「やべぇ、仕事の存在を忘れてた…… ハル、悪いが1人でディアーナに行ってくれるか? 虎髭のガンさんに鉱石を渡すのと、ギルドに討伐依頼完了の報告をしてきてほしい」
起こしたデリスからそうお使いを頼まれた悠那。この歳になって初めてのお使い、と言ってはアレだが、普段からお世話になっているのもあり(実際はお世話をしている方でもあるのだが)、「はい!」と気持ちの良い二つ返事。準備をして、シャドーボクシングをしながら城下町ディアーナにやって来ていた。腰に鉱石や灰コボルトの尻尾を入れたポーチを着け、服装はなるべく冒険者に見えるようコンバットローブに着替えている。道中のシャドーボクシングは格闘術のレベルが高くなった為か、街へ到着するまでに1つしかレベルアップしなかった。
「今日は前よりもお魚が安い……!」
街の市場を少し物色しながら、悠那の足取りはまず虎髭へと向かう。デリスは大丈夫だと言っていたが、あの状態の鉱石でも本当に問題ないのかと、悠那は柄にもなく少し緊張していた。市場の物色はそんな緊張を解す為の、悠那なりの手段だったのである。
「ほう、小粒だが、その分かなりの量を持ってきたな。これだけありゃ問題ねぇよ」
「重っ! 親方、この鉱石、めっちゃ重いわっ! って、何でハルちゃん平気な顔して持てるん!?」
どうやら大丈夫だったようだ。顔を真っ赤にして鉱石を持ち上げようとするアニータに和まされながら、悠那はホッと息をつく。安心したせいか、悠那はある事をふと思い出した。
「あ、そうだ。ガンさん、練習用の杖って置いていませんか?」
今日の朝練で木の枝を杖の代用品として使用した事。しかしながら思いの外、スキルの伸びが悪かった事。それらを思い出した悠那は、安価なものでも正式な杖が欲しいかもと考えていたのだ。デリスからはギルドの依頼で稼いだ報酬は好きにしていいと言われていたので、まずは下見、その後で得た報酬金から購入する目論見だ。
「練習用の杖だ? そんなもん、デリスの家にいくらでもある――― ああ、なるほどな。こいつの慣らしにって事かい。よし、少し待ってな」
何かを察したのか、手に持った黒鉱石をジャラジャラといじりながら奥の工房へとガンは姿を消した。ややして、ハンマーで金属を叩く音が聞こえてくる。
「うちの親方も大概やなぁ…… ねえ、ハルちゃん。皆ふつーに持ち運んどるけど、この黒いのやばい重いで。デリスの旦那、何を頼んだん?」
「ええっと、ごめんなさい。私も詳しくは知らされていないんですよ」
「マジかいな。ガンの親方も未完成品は誰にも見せない性質やからなぁ…… ごっつい大盾でも作る気なんかなぁ? どんな大男が持つんか、想像できんけどなっ!」
「あはは、そうですよね~」
全国大会で出会った筋肉質で大柄な女性の姿を思い出しながら、アニータと共に笑い合う悠那。ちなみに、その女性との試合は悠那の完勝だったので、一概に笑える話でもない。それから客の来ない店内で、暫くアニータと談笑を続けていると、ガンが黒い棒状のものを携えて戻ってきた。
「待たせたな。ほら、嬢ちゃん。こいつを持って行きな」
そう言いながら、ガンがその棒を悠那に放り投げる。
「わっとと…… ガンさん、これは?」
悠那は少しよろけながらも、両手でそれをキャッチした。ズシリと手に残る重さの棒は杖だった。ステッキよりもかなり長めで、色は鉱石と同じ黒で統一されている。特に装飾のないシンプルな形状をしていて、恐らくは悠那が聞いた練習用のものだと推測する事ができた。
「お嬢ちゃんが採ってきた鉱石、ちょっと余裕があったもんでな。俺の練習がてらに打ったテスト品だ。代金はいらねぇから、それを持っていけ」
「「ええっ!?」」
驚きの声を上げる悠那に、なぜか驚きの声を合わせるアニータ。
「た、タダでこんな立派なもの頂けませんよ。お金はちゃんと払いますから」
「そやそや! 親方、ここはハルちゃんの善意に乗っかる場面やで!」
「うるせぇな。言っただろ、これは俺が練習する為に作ったんだ。断じて商品じゃねぇ! 練習用だ!」
「れ、練習用って、そういう意味かいな……!」
ガンが自分の練習用として作ったものだから、商品として並べられるような代物ではない。だが、店に置き場所はないから邪魔だ。捨てるにしても欲しがる奴なんていない。だから持っていけ、ほら。それがガンの並べた詭弁であった。
「ありがとうございます、ガンさん! 私、これで一生懸命練習します!」
「ああ、精々今のうちに慣れておく事だな。でねぇと、本番じゃ真剣に潰れるぜ?」
「……?」
ガンはそれっきり鍛冶場に籠ってしまった。最後の言葉の意図は分からなかったが、悠那は自分のものとなった黒杖を持ち、ほくほく顔で虎髭を出るのであった。次に目指すはギルドである。




