第174話 屋敷案内
悠那は使用人に案内され、割り当てられた部屋へと到着した。何人かの使用人に手伝われながら、配置はさて置き、家具や必要品の移動のみは終えたようだ。本来は来客用にと整えられた部屋らしいのだが、この場所だけでもデリス家の私室より随分と広い。こういった感覚だけは割と庶民派である悠那は、この広さを目にして逆に落ち着かず、家具を置いても余るであろうスペースをどうしようか考えていた。
「ここ、どう考えても2人用の部屋だよね? 私には広過ぎるかなぁ……」
「ゴブ?」
軍部トップの地位にいるネルの屋敷は考えていた以上に広く、下手に探検でもしたら迷子になってしまいそうなほどだった。家具の悩みは後にするとして、悠那はせめて自分の部屋の位置とその周辺だけでも正確に覚えようと、部屋の外で待機している使用人のお姉さんに声を掛けようとする。
「悠那~!」
「あれっ、千奈津ちゃん?」
その直前に掛けられた声の方向を見ると、駆け足で近づく千奈津を発見。かなり急いでいる様子だ。
「ど、どうしたの、そんなに急いで?」
「はぁ、はぁ…… 悠那とデリスさんが引っ越してくるのが今日だって聞いたから、早目に仕事を切り上げて来たの。ほら、引っ越しのお手伝いとかしたかったし」
「あ、あー…… ええとね、実は、そこまで大きな仕事はなかったりしまして……」
「へ?」
かくかくしかじか、これこれうまうま。
「家ごと、持って来たの……!?」
呆れと驚愕が半分半分入り混じった顔で、千奈津が一歩退く。馬鹿で阿保なのかと口走りそうになったが、弟子の悠那の手前、その言葉は出さずに飲み込んだ。
「う、うん、師匠が頑張っちゃってね。家ごと引っ越して来ました」
「予想外というかダイナミックというか、うちの師匠も大概だけど、デリスさんも思い切った事をしたわね…… それじゃあ、もう殆ど仕事は残ってないって事かぁ」
「そうなるかな。気を遣わせてごめんね?」
「ううん、私が好きでやってる事だし、気にしないで。うーん、それならデリスさんに一言挨拶しようかな? んんっ?」
「それも今はどうかなぁ…… 師匠、今はネルさんに連れて行かれちゃって―――」
「悠那、それ以上言わなくていいわよ。何となく察したから。さっきからネル師匠の部屋、凄く危険な殺気が駄々漏れになってるもの」
千奈津の対師匠用危険察知スキルは、彼女にこう教えていた。死にたくなれけば近づくな、と。職業上の僧侶として、一応はデリスの無事を祈っておく。それ以上の力添えはできないので、今は悠那の手助けをするのが優先。デリスの事は仕方ないと諦め、記憶の端っこへと追いやる事にした。
「そうだ! 良い機会だし、私が屋敷の中を案内してあげる! さっきの悠那の様子だと、メイドさんに案内をお願いするところだったんでしょ?」
「え、良いの?」
「任せてよ。このお屋敷かなり広いから、何も知らないと本当に迷っちゃうし。場所によっては危ないところもあるから、今日のうちに覚えちゃおう。ほら、ゴブ男君も!」
「ゴーブ?」
「わわっ!」
千奈津に背中を押され、悠那とゴブ男は屋敷の奥の方へと進んで行く。まず千奈津に案内されたのは、3人の料理人が集う厨房だった。それぞれの料理人に挨拶をして、悠那に調理場を使わせてもらえるようお願いする。しかし、この厨房はあくまで実力主義。自分の仕事場である調理場を使わせる事に、料理人達は渋っている様子だった。が、悠那の調理した料理を腕試しにと食べた途端に出されるゴーサイン。胃袋を掴む事で懐柔は成功し、屋敷での調理権を悠那は獲得した。
「ハルナちゃん、今度あの料理のレシピを教えてくれよー!」
「千奈津さん、また後で臨時相談室開いてくださいねー!」
ついでにファンと信者も会得した。
「むー、何で私が『ちゃん』で、千奈津ちゃんが『さん』なのかなぁ?」
「ふふっ、悠那の方が誕生日が早いのにね」
続いて向かうは大浴場。家に風呂がある事自体が途轍もなく贅沢なこの世界。その上でネル邸の風呂は広大なもので、まるで王族が使うかのように豪勢。さりとて派手という訳ではなく、どこか雅な印象を受ける上品な仕上がりの石風呂だった。聞けば露天風呂まであるらしく、拘りにも思える手の入れようである。
「ふわー…… これ、全部お屋敷の? ネルさんが作らせたの?」
「そ。師匠、大の風呂好きだからね。あと、これはここだけの話なんだけど、デリスさんも結構風呂は好きなんでしょ? それで、デリスさんが来る前提で大規模な改築をしたみたいなの。好みとかも独自に調査して、大金使ったみたいよ」
「……千奈津ちゃん、愛って凄いんだね」
「凄いよねぇ。でも、そんな一途なところがまた、師匠のポイントだったりするのよ。まあ、裏返ると今みたいになっちゃうんだけれどね!」
「あはは、笑えないよ~」
―――ズドォン!
不意にネルの部屋の方角から、爆発によるとんでもない轟音が轟いた。サーっと背筋が冷たくなるような殺気を感じ、悠那と千奈津は一瞬にして顔が青白くなってしまう。
「ごめん、笑えなかったね……」
「う、ううん。次、行こっか……」
気を取り直して向かう次の場所は、大浴場と並ぶ屋敷の見所の1つ、地下鍛錬場である。地下への階段を下って行くと、そこは地下とは思えないくらいに広い空間となっていた。鍛錬用の各器具、アーデルハイト魔法学院で見たような射撃場や、十分な広さを確保した模擬戦場まで。部屋の至る所に魔力の流れを感じる事から、幾重にも障壁が施されている事が分かる。多少の事では破壊されないだろう。ただ、1つだけ気になる事があった。
「血痕があちこちにあるのは一体……?」
「い、色々あったの……」
どうやら、深く聞かない方が良いらしい。
「鍛錬場の奥にも大きな扉があるんだけど、そっちは立ち入り禁止だから気を付けて」
「あの扉?」
鍛錬場の一番奥、その片隅に異様なほど大きな扉が佇んでいる。鋼鉄製で開けるのも一苦労しそうな、重厚な扉だ。
「私もあの奥には行った事がないんだけど、師匠の鍛錬用に捕らえた凶悪なモンスターがいるって噂があるの。かなり念を押されて入るなって言われてるから、絶対に入っちゃ駄目よ。師匠の話じゃ、デリスさんも入れた事がないらしいから」
「凶暴な、モンスター…… うん、分かったよ!」
「……悠那、本当に入っちゃ駄目だからね? フリでも何でもないからね?」
「あはは、大丈夫だよ~。千奈津ちゃんは心配性だな~」
「………」
悠那は基本的に人の注意を聞き分ける良い娘である。それはこの場合においても、一切変わらないだろう。しかし、この話をうっかりデリスにしてしまったら? 悠那は大丈夫でも、デリスが興味を抱く可能性がある。そうなれば、デリスはあの扉を奥を調べようとするかもしれない。仮にその犯行がバレでもすれば、秘密をあばかれたネルの怒りは一気に膨れ上がり、結果的にデリスは―――
(―――死ぬかなぁ。うん、流石に死ぬかもなぁ。扉奥の中身にもよるけど、ものによっては死んじゃうなぁ。後で師匠とデリスさんにフォローしておこ)
瞬時にそこまで考えた千奈津は、最悪のビジョンに至らぬよう手助けをする決意を固めるのであった。




