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第165話 鹿砦千奈津

 鹿砦千奈津は小・中・高と、どの時期においても模範となる生徒だった。成績優秀、品行方正、文武両道――― 彼女が行う事に間違いは殆どないと、教師は断言する。周囲の環境を関係を悩みを、彼女を取り巻く物事の全てを、良い方向へと変えていく努力を千奈津は惜しまない。そんな姿勢は好感を呼び、先輩後輩同級生、教師までもを巻き込んで頼られ、親しまれ、尊敬されていた。


 また、千奈津は人の悪しきところを正し、良い方へと導いていく事に喜びを感じていた。自分がいくら努力を重ねても、それは人よりも少し優れているというレベルで、勉学どちらにおいても真の天才に届くものではなかった。


 ならば、素晴らしい才能を持つかもしれない人達が無事に開花できるよう、自分はそのお手伝いをしたい。苦労を共有して分かち合いたい。背負ってしまう苦労は人一倍になってしまうけれども、そうする事で喜ばれれば自分も嬉しいし、その分野で開花した才能はまた、新たな人の為に使われる。だからこそ、そう行動するのが好ましい。千奈津は小さい頃より、無意識のうちにこのように考えるようになっていたのだ。積極的に人々を助けた結果が、現在の千奈津の評価に繋がったと言えるだろう。


 お節介だという声も皆無だった訳ではなかったが、彼女の非常に端麗である容姿、嘘偽りない本心からの行動である事も手伝って、最終的に千奈津の親切を無下にする者はいなかった。愚直に人助けを続ける千奈津。彼女が小学生高学年の頃には、現在とほぼ同様の信頼を周囲から築いていた。


 そんな彼女は、この頃に桂城悠那と出会う。初めて声を交わしたのは、学年が上がってクラス替えがあった時。担任教師の意向で席順がクジ引きで決まる事になって、偶然にも席が近くになったのだ。


『はじめまして! 私、桂城悠那って言うんだ! 貴女のお名前は?』


 第一印象は、明るくてとっても元気。体を動かすのが好きなのか、座っていても黙っていられず、その度に長いポニーテールがふりふりと動いて可愛らしい。見ているだけでも飽きない女の子だと思った。


 千奈津の想像は大よそが当たっていて、悠那は呆れるほどに運動が大好きで、反対に勉強を大の苦手としていた。ただ、嫌いな勉強でも手は抜かず、机に向かってやろうという気持ちだけは誰にも負けていない。何事にも全力で、けれどもちょっとだけ勉強の仕方が悪いだけなのだ。


 そんな悠那に対して、千奈津の人助けセンサーが反応しない筈もない。悠那の勉強風景を見ていると、千奈津はついウズウズしてしまって、度々勉強を教えるようになっていた。千奈津の努力と悠那のやる気が上手く噛み合い、それまで赤点すれすれだった成績が急上昇。何とか人並みの成績をキープするまでになったのである。採点されたテスト用紙が返される度に、悠那は笑顔で千奈津にそれを見せて、お礼を言っていた。悠那の勉強を教えるのに、それなりに苦戦(?)して結構な間を一緒に過ごしたからか、2人はそれから仲の良い友達同士となる。


 勉強ができない反面、悠那はずば抜けた運動神経を持っていて、体育の時など男子顔負けな成績を幾つも叩き出していた。陸上競技や水泳、野球とサッカーなど種類を問わず、担当の教師が毎時間目を丸くするほどの能力を発揮。初めて触れる競技だろうと、その時間のうちにクラスで一番になっていて、他のクラスメイト全員を悉く凌駕してみせた。


 千奈津は運動もそれなりにできる方ではあるのだが、悠那には何をやっても全く敵わなかった。いや、敵うとか敵わないとか、そんな比較できる領域に悠那はいなかった。


(凄いなぁ、凄いなぁ!)


 友達の才能に千奈津は心から感嘆して、その面において悠那を尊敬するようになった。こんなにも凄い友達に勉強を教えていた事を、少し誇らしくも思ったりして。千奈津は悠那に学業を、悠那は千奈津に運動を教え合い、2人は更に仲を深めながら中学校へと進学。ここでも共に、順風満帆な学生生活を送る筈(・・・)だった。


 ある日、千奈津は悠那を剣道部に誘った。あれだけの能力があるというのに、入学後もこれといった運動部に所属していなかった悠那。見かねた千奈津は自身が所属する剣道をやってみてはどうか? と、いつもの調子で打診してみたのだ。


『千奈津ちゃんがそう言うなら!』


 悠那は二つ返事で了承。まずは体験入部からと、その日の放課後のうちに、千奈津は早速剣道部の道場へと連れて行った。


(スポーツでは絶対に勝てないと思っていた悠那にも、小さい頃から続けていた剣道なら勝てるかもしれない。ふふっ、そうなったら嬉しいな。教わるだけじゃなくて、悠那と同じ立場で向かい合えるし!)


 お節介と同時に、そんな淡い気持ちが千奈津にはあった。しかし、それは浅はかな考えでもあり、暫くして千奈津は痛感する事となる。


 剣道部への体験入部をした悠那は、所属する上級生からとても歓迎された。悠那よりも早く入部した1年生のうち、千奈津以外の全員から勝利をもぎ取ってしまったのだ。その日のうちに経験者である上級生に勝つ事はできなかったが、素晴らしい才能だと強く入部を勧められた。悠那は悠那であのような性格であるから、リベンジしようと乗り気に。ここまでは千奈津の思惑通りの展開でもあった。


 ……ただこの時、皆の背にやんわりと嫌な汗が流れていた事に、部員達はまだ気が付いていなかった。いや、それでも彼女らは直ぐに気付く事になる。悠那の持つ異常性を。


 悠那が剣道部に入部してからというもの、道場を取り巻く雰囲気は一変してしまった。勉強の時とは違う、悠那の凄まじいまでの集中力と練習量。向かい合えば面の奥から殺気が放たれ、鋭い眼光は視線を逸らさせてくれない。空気が重く、常に試合会場にいるようなピリピリとしたものが道場を支配する。いつもと違う調子の悠那に、千奈津も動揺が隠せなかった。小学校の頃の体育でだって、こんな悠那は見た事がなかったのだ。


 悠那としては、どちらも同じようにやっているつもりだった。本気である事に変わりはない。だが、悠那の全力の向かう矛先が、如何せん根本から異なっていた。例えば勉学の場合、相手は自分自身もしくは教科書やテスト用紙が対象となるだろう。そんなものを相手に殺気を出したって仕方ないし、無駄な労力だ。この時、悠那は千奈津の言葉を理解する事、集中する事に本気を注ぎ込んでいた。体育もまた意味合いが異なる。体育の本質は仲間との交流、適度な運動であると悠那は捉えており、勝敗はそこまで重視しない。友人とスポーツを楽しむ事に重きを置き、全力を尽くす。その結果として勝敗が分かつのだ。


 ―――但し、部活は違う。剣道を含んだ多くの部活動の本質は、勝つ事だ。試合に勝つ為の努力は何だってするし、同じように戦うであろう相手に試合で死力を尽くさないのは非礼。悠那は剣道をそのようにカテゴライズし、練習に臨んでいた。勝つ、勝つ、勝つ、勝つ、勝者を決める競い合いに、勝つ! それが悠那の剣道における喜びであり、快感だった。


 千奈津は悠那に負けた。ひと月後に、完膚無きまでに蹴落とされた。それをきっかけとして、膨張し尽した風船が割れてしまうように、上級生のレギュラー陣までもが悠那に負けるようになった。それから少しすれば、今度は主将が…… 剣道の『け』の字も知らなかった初心者が、ひと月半で部の頂点に立ってしまった瞬間だった。


 それでも、悠那の異常なまでの修練は止まろうとしない。この雰囲気を維持したまま、愚直なまでに勝利を欲した。悠那にとって、夜遅くまで練習を続けるなんて事は常識も常識、誰よりも長く濃い練習量をこなして更なる高みへ。前へ、前へ。千奈津を含めた部員達は悠那の努力に感化されるよりも、その殺気立った雰囲気を恐れるようになり、付いていけないと心のどこかで思い始めていた。 ……心が折れ始めていたのだ。


 千奈津は悠那に敗北してから少しして、1日だけ、人生初めての仮病を使って学校を休んだ。悔やんでいたのだ。親友を剣道に誘い、ああなってしまった事に。良かれと思ってした事が、裏目に出てしまった事に。その日は1日中ベッドの中にいて、半日は挫折を味わい、もう半日はなぜ間違ってしまったのかを考えに考えた。そこで、1つの考えに思い至る。


(―――もしかして、勉強と同じでやり方が不器用なだけ?)


 悠那が試合を伴う部活動に参加したのは、この剣道が初めての事。もしからすれば、ただ単に勝ちに拘る事に不慣れなだけで、正しい道筋を示してあげれば…… ガバリとベッドから飛び出した千奈津は、ノートに問題点を書き殴る。思い付く限りの、どんな事でも。


 今問題になっているのは、悠那が勝つ事しか考えておらず、周囲を意に介していない事。というよりも、練習に集中し過ぎて気にする暇もない事だ。そして、試合の相手を萎縮させる為に放っているであろう殺気、部員を引かせるほどの異常な練習量。大きなところから解消するとして、まずはこれらをどうにかしたい。


(……私が間に立つのは、どう?)


 千奈津は考える。模範たる自分が悠那に一歩下がってでも付いていければ、他の皆も不可能ではないと思わせる事ができるのではないか? 悠那に感化されないのなら、自分に感化させれば良いのではないか? 細かなところで綻びが生じたとしても、自分が精一杯フォローすればいい。悠那に対しても、勉強の時のように少しずつ意思疎通を図らせていけば―――


(大丈夫、絶対に大丈夫、私ならできる。悠那と皆との間に立つ、潤滑剤にきっとなれる!)


 千奈津はその翌日より、徹底して悠那との練習に付き合うようになった。悠那と正面から向かい合おうと恐れる素振りを見せず、とことん喰らい付く。負けても直ぐに立ち上がり、笑顔で試合後の挨拶をする。学校生活のちょっとした時間を使って悠那に注意したり、部員達から悩みを聞き回って全てフォローをした。少しずつ、少しずつ、着実に。彼女が培ってきた人助けの力で、全力を挙げて。


 半年後、その甲斐あってか部の雰囲気は一変していた。かつて皆から畏怖された悠那は、部員から頼りにされる最強のエースとして認識されるようになり、悠那もまた本気の正しい使い方を学んだ。試合で怖がらせるのは仲間ではなく、相手校の敵にだけ。独りよがりの練習は止めて、皆で意見を出し合い、考え抜いた練習法に統一。あり余る体力はその分勉強に使えと、色々と工夫されたようである。大会では個人戦はもちろんの事、悠那が先鋒を、千奈津が中堅を務める団体戦も優勝を果たしていた。千奈津の頑張りは悠那の部活に向かう姿勢を変え、皆を良い方向へと引っ張る事ができたのだ。


 ……あまりに悠那の事ばかり考えたせいで、逆に依存気味な感じになったりする事もあったが、彼女にとっては些細な事として片づけられた。終わり良ければ些細な事はどうでも良いのだ。千奈津は走り続ける悠那を支え、正しき方向へと才能を開花させた立役者。今も昔も、恐らくはこれからも、その立場は変わらない。


「そう、思っていたんだけどな……」


 千奈津の根底には、悠那には絶対に敵わないという思いが前提としてあった。悠那から一歩下がった位置で、歯を食い縛ってでも付いて行く。それが凡人たる自分のスタンス。しかし、悠那は遠慮しないで戦ってほしいと言った。詰まりそれは、千奈津を対等な立場で見ているという訳で―――


「……私が、悠那に勝つ? 悠那が、私を対等に見てくれている?」


 言葉にして、ゾクリと寒気が体中に走った。怖くて、恐れ多くて震えたんじゃない。それは強者のみが持ち得る、武者震いだった。

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