第15話 巣の最深部
「うん、こんなものかな!」
部屋にいた大方の灰コボルトを亡き者にした悠那は、拳に付いてしまった返り血を拭いながらそう言った。恐怖してしまった灰コボルトはもはや烏合の衆と何ら変わらず、後半なんて逃げ惑う者が出る始末。悠那は特にダメージを受ける事もなく、本来パーティで挑む筈の戦闘は終了してしまった。
しかし悠那が起こした行動で、ただ1つ迂闊だった事がある。それは―――
「ああっ! このハンカチ、千奈津ちゃんのだった!? ま、まずいなぁ、思いっ切り血を拭いちゃった。急いで水洗いしなくちゃ……」
千奈津から借りたままだったハンカチで、滴るほどの血を拭ってしまったのだ。可愛らしいピンク色が、悍ましい鮮血色になっている。この世界に洗剤や漂白剤はない。これは時間との勝負だ。あわあわとしながら、水場はないかと悠那は辺りを探す。
「あっ、このバッグって入れたものの時間も止めてくれるんだっけ? と、取り敢えずはこれに入れておこっと」
―――問題は無事に解決されたようだ。ひと安心した悠那は、高く積み上げた灰コボルトの死骸の山から尻尾を切り取る作業に移る。切ってはバッグにポイッ、切ってはバッグにポイッ。なかなかにきりがない。
(それにしても、全体的に凄く調子が良かったなぁ。合気道の返しなんて漫画みたいに綺麗に決まるし、打撃技や関節技も面白いくらいに当たった。これもスキルのお蔭なのかな? もっとスキルを極めれば、現実じゃあり得なかった技もできるようになる、とか?)
そんな事を考えながらも、悠那の作業は淡々と進む。ややして、そこには38匹分の尻尾なしが残るのみとなった。
「解体作業、おしまい! うーん、この達成感、身に染みるぅ……! 戦った相手をばらすなら、いっその事『解体』のスキルを取る選択もありかな。うん、師匠に相談してみよっと。こういう事は悩むのも楽しいんだけどな~」
狩猟ナイフをバッグにしまい、悠那は次の目的地へと目をやる。最下層にある、見た目は他の穴と何ら変わりない洞穴だ。数多くある壁の穴を全て探索するのは時間と労力が掛かり過ぎる。この解決法として悠那は、逃げ出した灰コボルトがどの穴に向かうかで判断する事にしたのだ。先の戦いで逃げようとする灰コボルトが何匹かいて、わざと泳がせてみると、どの個体もこの穴の中へ逃げようとしているではないか。悠那はこう考える。
(詰まり、この穴には何かあるっ!)
……馬鹿と天才は紙一重というものだが、この場合はどうなのだろうか?
洞穴に入ると、ここにもクリスタルが壁に埋まっているのが確認できた。視界の確保、よし。一応奇襲を警戒しながら、ズンズンと進んで行く悠那。壁には所々で掘られた形跡、地面にはツルハシが放置されている。恐らくは採掘の途中だったんだろう。今はその金属音は全く聞こえない。
「ええっと、ここが終点かな?」
洞穴の先には、また広い空間が広がっていた。さっきの大部屋ほどではないにしても、ここもそれなりのスペースがある。デリスの家くらいなら、丸々何軒かは収まってしまいそうだ。そして、悠那は遂に発見する。奥の壁に黒々とした、他の鉱石とは異質の雰囲気を醸し出している鉱石が埋まってある事を。灰コボルト討伐に次ぐ、2つ目の目的。この鉱石を採取し持ち帰れば、悠那に課せられた鍛錬は完了する。
「グゥルォオオオーーー!」
「うん、まあそんな簡単に終わる訳ないよね!」
空間の高所から鳴り出した大きな雄叫びに、悠那は予想通りだなとばかりに瞳を輝かせた。ギルドでジョル爺さんがあそこまで反対していたのだ。その討伐依頼がこんなに温い筈がない。絶対何かある。悠那はそう確信していた。
「グゥオオウ」
悠那が見上げると、そこには巨大な影があった。灰コボルトの等身を3倍増しにして、牙や爪、筋肉を強靭に置き変えたような姿。手に持つ武器は廃棄寸前の棍棒などではなく、鋼鉄製の大型バトルメイス。目の前の悠那を獲物として見ているのか、狼の口からは唾液が溢れ出ていた。
ブンと振るった強腕。何かが飛んでくる事を察知した悠那は、急いでその場を離れた。
―――ダァーン!
投じられたのは大岩だった。猛烈な勢いで飛来したそれは、悠那が通って来た洞穴に直撃して通路を塞いでしまった。
(あらら、退路が塞がれちゃった。灰コボルトのボスさんかな? 師匠は全部倒してから採掘するようにって言ってたし、まずはこれを何とかしないとだね)
屈強な灰コボルトボスを眼前に、悠那は指を開いたり握ったりしながら処理順番を決めていく。獲物として見ていた悠那のそんな態度が気に食わなかったのか、灰コボルトボスは尚も叫び怒りを露わにするのであった。憤怒は次の行動に直結し、彼は瞬時に高所を飛び降りた。
「グゥルルルゥ……!」
「うわ、近くで見るとより一層おっきいなぁ」
対峙した悠那と灰コボルトボスは大人と子供、それ以上の体格差がある。ましてや相手は鈍器持ち。愚直に正面から力勝負を挑んでは、勝負にすらならないだろう。もちろん、悠那もそうする気は更々ない。
「グルゥアーーー!」
力任せに振るわれたメイスが大地を叩き、採掘所内を揺らす。これを回避する悠那は、やはりパワーでは勝てない事を再確認。ならばと柔よく剛を制す方針に移った。
大槌の猛撃を合気でいなし、自らの力を加算して灰コボルトボスを地面に叩き付ける。攻撃のターゲットにするのは、奴の頭部。直立した状態では当てるのも一苦労だろうが、倒れてしまえば高さなんて関係がない。悠那は相手を倒すと直ぐ様に頭部への蹴りを食らわせた。今の力で叩き出せる、渾身の一撃である。
―――ブォン!
「わっと!」
振るわれたメイスが、悠那の長い黒髪を掠めた。
「グオオゥ」
「うわー、思ったよりもずっと頑丈かも……」
灰コボルトボスは気付けをするように頭を震わせ、低い唸り声を上げながら立ち上がった。まさかあの状態から反撃までしてくるとは思っておらず、悠那の鼓動は少し速まっている。長年培った武道による反射神経が活き、紙一重で躱せたものの、もし当たっていれば致命傷になっていたかもしれない。
(あ、危なぁ…… 緊張、とは違うような気がするけど、胸が高鳴っちゃうよ)
その後も続けて灰コボルトボスを地面に叩き付け、深追いはせずにヒットアンドアウェイで攻める悠那。ダメージは少しずつ蓄積している。だが、これだとなる決定打が決まらない。眼球や喉元などの急所を狙おうかとも考えたが、多少なり学習能力があるのか倒れた際にしっかりとガードされてしまうのだ。
(関節を決めるには体格が違い過ぎるし、毛と分厚い皮膚で威力が分散されちゃってるなぁ…… フフッ、遂にこの時が来ましたかっ!)
灰コボルトボスが再び倒れた隙を見て、喜びの笑みを貼り付かせた悠那は右手に意識を集中させた。悠那がやろうとしているのは闇魔法だ。忘れがちだが、ここにきて漸くそれっぽい事をやり出した悠那の本職は魔法使いである。決して格闘家などではない。
(かつてゴブリンの英雄ゴブ男が、魔王オーク保を倒す際に使ったとされる大魔法…… これで、お前を倒す!)
悠那がデリスに教えられた闇魔法は、教本の最初に記されるレベルの初級魔法1種類のみ。それでも、彼女の本職は魔法使いで間違いないのだ。




