第132話 味噌汁
―――グツグツグツ。
調理場から香ってくるは、腹を空かせる魔性の匂い。無理してハルに合わせ、早朝から似合いもしないランニングをした甲斐があったってものである。いつもであれば起床時にはテーブルに並べてある朝食も、こうした過程を楽しむ事でより一層美味しくなるのだ。なら、毎日早起きすれば良いじゃないかって? ハッハッハ、過労で殺す気か?
「むにぁー…… 香しくも心地好いこの匂いはぁー…… ハルちゃんの、ミソスープぅ……」
「……ハッ! 何か良い匂いがするぜっ!?」
色欲魔人と野生児が香りに釣られて起き出した。ああ、最近リリィが俺よりも早く起きるのが多いと思ったら、料理の匂いが目覚まし代わりになっていたのか。居間だと特に、ダイレクトな香りが流れてくるからな。
一同が会したところで、ハルとゴブ男が朝飯を運んで来る。ここぞとばかりに刀子とリリィは背筋を伸ばして、待てをくらった犬のように行儀良くするのであった。 ……犬じゃなくて獅子と兎かな?
「そう言えばご主人様、朝方にやたらバタバタとした音がしていましたが、何かされていたんですか?」
「え、マジで? 熟睡してて全然気付かなかったぜ?」
「フフフ…… それはまあ、これでも私はこの家の未来を預かるメイド長ですし? ちょっとした変化にも気付ける有能メイドですし?」
「なら起きろよ」
「……ほら、睡眠不足は美容に良くないので」
こいつ、また夜遊びして来たな。後で仕入れて来た情報を寄越すように。
「私が日課のランニングをしていた時に、ヨーゼフさんが待ち伏せをしていまして。気配を察知した師匠が、私を助けに来てくれたんです」
「ヨーゼフって、あのヨーゼフか!?」
「それ以外のヨーゼフを俺は知らないよ。俺は嫌いな奴の気配に聡いからな。寝るところだったんだが、直前に何とか感じ取れたんだ。ま、結果的に何事もなくて良かったよ。ハルに変な魔法を掛けられている様子もなかったし」
「はい! 私も魔力察知で確認していましたけど、その兆しはなかったと思います!」
俺が到着した時点では、ヨーゼフはハルに言葉を投げ掛けるだけで、他には何もしていなかった。正確にはそこから何かしようとしていたんだろうが、ハルの冤罪攻撃と俺の介入で計画がおじゃんになったんだろう。まあ、碌でもない事には変わりない。
「はー…… 何でハルちゃんを狙ったんですかね? あの人、数少ない私の魅了が効かない人の1人ですからねー。効けば速攻で吐かせて、ついでに弱みも握っちゃうんですけど」
「え、そうなんですか?」
「リリィが夢の中に入り込むにも、色々と条件があるんだよ。異性である事、この場合は男だな。後は油断して心に隙がある事とかな」
「大抵は寝させるだけで大丈夫なんですけどね。普通、それで無防備になるものですし」
「へー、よく分からねぇけど、すげぇんだな!」
「そう、実は私は凄いんですよ! トーコちゃん、見る目があるわね!」
大して考えもせず、感性だけで率直な意見を言う刀子が来てからというもの、リリィは上機嫌である。こいつら、もしかして相性が良いのか?
「ま、ヨーゼフには通じないんだけどな」
「あう、ご主人様は容赦ないですね…… たぶん、あの人は高齢で枯れてるか、もしくは同性愛者なんですよ! そういう欲望が薄くなるご老人や、そもそも女の子に興味がない人には効かないんですっ!」
「いや、ヨーゼフは既婚者だぞ。相手もれっきとした女性の筈だ。もう大分昔に亡くなったらしいけどな。息子はもう国に仕えているし、孫までいる。孫は昔に見た書面上の情報しか知らないが、今なら年齢的にはハルと同じくらいだ。同性愛はないだろう?」
「しゅ、趣味趣向が途中で変わる事も、稀にあったりなかったり…… 兎も角、一概には言えないんですっ! サキュバスの能力は繊細なんですっ!」
「おおっ、お前サキュバスなのかっ!? ……サキュバスってなんだ?」
段々とリリィの言い分が苦しくなってきた。混沌としてきたし、リリィ虐めもこの辺にしておくか。
「ところで師匠、ヨーゼフさんのお孫さんって何をされているんですか?」
「どうした、藪から棒に?」
「いえ、私と同じくらいの歳だって言ったので、少し興味があって。もしかしたら、そのお孫さんを使って近づいて来る可能性も、これからはありますよね?」
「む、言われてみれば確かに……」
的を射た意見だ。ヨーゼフ本人、またはその手の者達については警戒していたが、奴の孫にまでは頭が回っていなかった。弟子に指摘されるとは、ちょっと悔しい。
「名前は確か、ウィーレル・ヨシュアだったかな。俺も資料で見ただけだから、今どこにいるかまでは―――」
「―――ウィーちゃん? その子なら、この前に学院で一緒にお昼を食べましたよ?」
「……はい?」
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ハルから事情を聞いた。話をまとめると、ヨーゼフの孫娘であるウィーレル・ヨシュア、愛称ウィーちゃんは現在アーデルハイト魔法学院に通っており、希代の天才として有名なのだとか。あのテレーゼ嬢が自らの同列だと断言するほどであると。 ……それはプラス要素なんだろうか? なんだろうなぁ。
「そして、あの食堂でハルの対面に座っていたのが彼女だった。詰まりそういう事か?」
「そういう事です!」
「悠那は格闘技やスポーツを抜きにすれば、昔から人の輪に入るのが上手いからなー。でも、デリスの旦那が知らないところで、よく知り合えたな?」
「テレーゼさんの紹介で、ちょっとだけね。魔法を撃ってもらって、水の鯱と戦ったりもしました!」
俺の知らないところで、既に一戦交えていらっしゃる……! さては学長室で聞いたあの爆音、ハルとウィーレルが起こしたものか。
「色々と言いたい事もあるが、まずはハル。そのウィーちゃんとやらは、恐らく卒業祭にも出場してくるだろう。もちろん、ヨーゼフの手駒として出てくる可能性が高い。お友達気分で接するのは禁止な」
「えー、良い子でしたよ?」
「えーじゃありません。少なくとも、疑いが晴れるまでは駄目なんです」
その子に悪意がなかろうと、保護者が悪意に満ちていたら面倒なんだよ。これは今回の件に限らず、どこの世界でも一緒である。
「ウィーレルが使った魔法は水の鯱だったか。水魔法の上位スキル、水彩魔法レベル50で覚える『ラビリスオルカ』だな。その年齢でそんなものまで使えるとは、なかなか大したもんだ。魔法を扱う力だけなら、ハルを遥かに上回っていると考えた方がいい。それで、その鯱をハルはどうしたんだ? 杖で殴ったのか?」
「いえ、ポーチを着けてなかったので、杖が取り出せなくて…… 代わりに、この拳と蹴りで乗り切りましたっ!」
「おお、流石は悠那! 遂に鯱にまで勝ちやがったか!」
「………」
クソッ、千奈津がいないとツッコミが間に合わない! 何で俺の周りにはボケ役しかいないんだ!
「ま、まあ水系統の魔法を使うと分かったのは大きいな。それだけでも、大分対応のしようがある」
「具体的には何をするんです?」
「考えていた鍛錬にプラスして、ハルに水魔法系統の基本魔法を勉強してもらう。水魔法は俺も使えないから、こればっかりはお勉強な」
「あわわわ……」
どんな魔法があるのかが分かれば、自ずと対処法も考えられるというもの。今のハルが頭を爆発させたとしても、狩りモードのハルなら糧としてくれるだろう。
「ハルちゃん大変だねぇ。家事もしなきゃだしねぇ。ああ、ミソスープが美味しい」
「俺はその間どうすっかなー。あ、一緒に勉強とかは勘弁な。俺は悠那以上に頭が悪いし、勉強に関しては一切のやる気もないんだ」
なんちゃってメイドと不良学生、開き直り過ぎだろ…… しかし、こいつらを持て余させるのも、何だか勿体ないよなー。
「……そうだな。刀子、時間を持て余すのも勿体ないし、ここにいる間はリリィに弟子入りしてしまえ。こいつ、丁度良い具合に格闘術得意だから」
「お、マジか! よろしくな、リリィ師匠!」
「ブッ!?」
「ああっ、私の特製味噌汁っ!」




