第32話 慈しみなる水乙女(2)
島に降り立つと、靴を通して砂浜の感触が伝わってくる。
いよいよ到着したシールトの離島。近くで見ると、目の前に立ちはだかるうっそうとジャングルに改めて圧倒された。私達の背丈の軽く五倍はいってそうな、幹も葉も大きい植物の数々は私達を呆気に取らせるのには充分すぎるものばかりだった。
「大きいね……」
「だ、大丈夫かなあ。変な虫とかいたり……」
「ああ。そんなのはうじゃうじゃいるぞ」
「ええ⁉︎ やだよ〜、そんなの相手にするの!」
「虫ごときでビビってんじゃねえぞ、黄緑のお嬢ちゃん。そんなのは気合でなんとかしろ!」
なんていって、虫を嫌がっているエメラをそっちのけにロバーツさんはズンズン進んで行く。
頼もしいことは確かだけど……私もそんなのが目の前に来たら嫌だなあ。なるべくそんなのが来ないことを願おう……。
「遅れを取るわけにはいかないっしょ。早く行くぞ」
「ええー⁉︎」
その後をこのジャングルにちっとも動じてないらしいオスクが、当然のようについて行ってしまった。それに続いてルーザとイアが。フリードとドラク、ロウェンさんは少々ジャングルに足がすくんでいたようだけれど、やがて意を決して一歩前に踏み出し、みんなの後を追った。
「うう……置いてけぼりなんて酷いよ〜」
「ま、まあ、これも大精霊に会うためだから。私と手、繫いで行こう? それなら少しは怖さも和らぐかも」
「……うん」
そう言っても、エメラはまだ怖くてたまらない様子だった。でも、どんどんみんなとの距離が開いてしまってることにいよいよそうするしかないと観念したようで、ジャングルをキッと睨みつける。そして一度、深呼吸してから私が差し出した手を取って、2人で横に並びながらみんなを追いかけた。
「おっと。早速お出ましだぜ」
ジャングルに入ってから暫くしない内に、ロバーツさんが急に足を止めた。その前には数匹の魔物が。
植物の芽のような魔物と、動く木のような魔物。それぞれシーディとディボーノという種類のはずだ。
普段は穏やかな魔物なのだけれど、通常の個体に比べて目つきが鋭い。今にも襲いかかってきそうなのは確認せずともわかることだ。
「わお、やる気満々じゃねーか」
「話に聞いていた通り、飢えているのは嘘じゃないようだね」
殺気立っている魔物を前に、イアとロウェンさんは緊張した面持ちでそれぞれの武器を構え、私達も続いて臨戦態勢を整える。
お腹を空かせているのは可哀想な気もするけど、私達だって足止めを食らう訳にはいかない。襲いかかってくるなら、突破させてもらうまでだ。
「こいつらなら火が通るよな! くらえ、『エルフレイム』!」
イアが挨拶代わりとばかりにすぐさま火球を放つ。敵が植物系の魔物だけあってかなり効いているようだ。
もちろん、魔物もやられっぱなしでいてくれるわけもなく、仕返しとばかりに殴りつけてくる。
「よっと! 当たんねえぞ!」
だけど、魔物の攻撃は正面からの単純なものだった。イアも攻撃の軌道を読んで余裕でひらりとかわす。みんなも攻撃の反動で動きが鈍った隙を狙って、次々に攻撃を浴びせていった。
「うおらあっ‼︎」
そして最後にロバーツさんが力強く剣を振るい、シーディ達を撃退出来た。流石に人数が多いと心強い。魔物の数もそれなりにいたけれど、そう時間をかけずに決着をつけられた。
だけど話に聞いていた通り、魔物は確かに凶暴化しているようだ。なんというか、闘争心が強い気がする。今相手にした魔物は通常、争いを好むタイプじゃない。縄張りに入ってしまったとしても、敵が出ていくまで身を隠すような性格なのに。
「何匹も相手をしていると疲れそうだね……」
「水不足が原因なんですよね? 大精霊の力はここまで届かないんでしょうか」
「そりゃあな。大精霊サマだって力の行使には限界があるようだからな。島のこんな端っこじゃあ、無理なんだろうよ」
ロバーツさんの言う通りだ。小島ではあるけれどそこそこの広さだ。島全体まで力を使っていれば、いつか尽きてしまうんだろうな。
なんとか枯れてしまっている水を戻せれば魔物達も少しは理性を取り戻してくれるだろうけど……そんな芸当が出来る力は持ち合わせていない。それこそ大精霊でもなければ無理な話だ。
「水……か。おい、ロバーツ。魔物達がたかる池とかこの辺りに無いのか?」
「ん、どうした灰色のお嬢ちゃん? そりゃあるにはあるが」
「なら案内してくれ」
「ルーザ、池で何をするの?」
「……ちょっと思い出したことがあってな」
そう言ってルーザは不敵に笑って見せる。
他の私達には訳がわからないまま、ロバーツさんに池まで案内してもらうことになった。また襲いかかってくる魔物達を撃退しながら、奥地へと歩みを進めていく。
やがて着いたその池は、枯れているとかそんな程度のものじゃなかった。底であった地面はひび割れて水なんて一滴も見当たらない。そもそもここが池なのか疑ってしまう程だ。
乾季でここまでなっちゃうなんて……魔物も飢えてしまう訳だ。
「あーあ。随分干からびちゃって。これじゃ相当だな」
「この島の池は枯れたらとことん枯れるからな。魔物も暴れる訳よ」
この通り池自体に水は一切無いし、こんなカラカラな状態では水属性の魔法を使ったところで焼石に水だ。ルーザは一体何をするつもりなのだろう。
「まあ見てろよ。お披露目にも丁度いいだろ」
ルーザは懐をまさぐり、あるものを取り出した。
……水のように揺らめく光が閉じ込められた、蒼く澄み切った丸いオーブだ。
それって……ドラゴンのフレアに渡されたものと同じオーブ?
いうが早いか、ルーザは早速そのオーブを上に放り投げる。すると、オーブは頭上で眩い光を放った。
私達は眩しさに思わず目を細める。次の瞬間、バサっ! と大きな音と風を同時に感じると共に、目の前が真っ暗に。
「うわっ⁉︎」
恐る恐る目を開くと、目の前には水を纏った白く大きな怪鳥が!
いきなりのことに私はビクッとしてしまった。
「あ、あの時のオーブランですね!」
「ふーん、成る程ね。こいつならいけるかもしれないけど」
私達が驚いている中、フリードとイア、オスクはあまり動じていない。3人は、この怪鳥を知っているようだ。
だけど他の私達はそういうわけにはいかない。エメラなんて、足がガクガク震えて腰を抜かす寸前だ。
「え、えっと……ルルーザ、この鳥は?」
「お前の薬調達の時に色々あってな。その時にこいつを渡されたんだ」
そう言ってルーザは器用にオーブを指先で回す。
オーブラン……確か、薬草を守る魔物だったはず。ルーザ達に薬を持ってきてもらった時に出会ったのかな。
とりあえず、オーブで呼び出したなら味方だろうからひとまず安心だ。
「いきなりで悪いが、この池に水を戻してほしいんだ。……いけるか?」
ルーザがオーブランにそう聞くと、オーブランの気持ちが私に伝わってくる。
……『任せて』、とはっきり言ってくれた。
「ルーザ、やってくれるみたいだよ!」
「そうか。じゃあ頼んだぞ!」
ルーザがそう言うと、オーブランは答えるように高く舞い上がる。
オーブランはそのまま、池の真上まで飛んでいくとその周りを円を描くように旋回し続ける。オーブランが羽ばたく度に翼に纏う水が輝きながら池に落ちていき、周囲を包んでいく……。
「クルルゥゥ‼︎」
オーブランが鳴き声を上げると池に落ちた水滴が一際強く光り輝き、一瞬のうちに池に戻った。
池の水はさっきまでの状態が嘘のように、澄んだ水を豊富に蓄えている。滑らかにその表面を踊らせると同時に、周りにいた魔物達が待ってましたとばかりに水に飛びついた。
「す、すごい。あっという間に池を復活させちゃった……!」
「たまげたなあ……。こんな芸当ができるとはな」
「これでこの周りは落ち着くだろ。ありがとな、オーブラン」
ルーザがお礼を言うとオーブランは喜んでいるかのように飛び回った。羽に纏う水がキラキラと輝き、まるで宝石のようだ。
「それにしても桃色のお嬢ちゃん、魔物の気持ちがわかるのか?」
「あ、はい。必ずって訳じゃないんですが」
「ほう。珍しい力を持つ妖精もいるモンだな」
ロバーツさんに褒められたようで嬉しい気持ちはあるものの、素直に喜べない。私でもなんでこんなことが出来るのかよくは知らないからなんとも言えないから。
とりあえず魔物が落ち着いた今がチャンスだ。今の内に大精霊の元へと急ごう。
水に夢中の魔物達の横をすり抜けて、島の奥地へと急いだ。途中で池の跡に着くとまたオーブランに水を戻してもらいながら、確実に進んでいく。おかげでこの辺りの魔物達を大分鎮めることが出来た。
「これなら帰る時も安心だな」
「ああ。オーブラン、助かったぞ」
ルーザの言葉を聞くとオーブランの周囲に大きな魔法陣が現れて、オーブランはその中に吸い込まれるように姿を消した。おそらく、役目を果たしたことで元の場所に戻ったんだろう。
「さぁて、大精霊サマはこの奥にいるぜ」
「よし。みんな急ごう!」
もちろん反対意見は出なかった。道が拓いた今、目的を果たすために一気に奥へと駆け出した。




