第26話 泡沫の洗礼(1)
私と姉さんはその日の夜、ルーザの家に泊めてもらっていた。
今晩は久々に姉さんとも食事が出来て、姉さんも凄く嬉しそうにしていた。こうして姉さんとテーブルに向かい合って食べるなんて一年ぶりで、それだけでもなんだか嬉しかった。
そうしてその翌日。影の世界での用事も済んだし、私と姉さんも光の世界へと戻るつもりだ。だから私も早く起きて、身支度を済ませようとした……のだけど。
「……あ、あれ?」
そうやって立ち上がったのはいいものの、突然立ちくらみに襲われる。さっきまでは気づかなかったけれど頭痛までしている。寒気も感じるし、やけに身体がだるい。
風邪引いたのかな……。シャドーラルは寒いし、身体が冷えてもおかしくはないけれど。とにかくすぐに暖かい格好に着替えよう。
身体を冷やさないようにいつもより厚着をして、若干ふらふらしながらもみんなが待っているリビングに向かう。
……こうしてただ歩いているだけなのに。そんな動作でさえ少し辛い。これは相当かもしれないな……。
「おはようございます、シュヴェルさん……」
やっとのことでリビングに辿り着くと、ついこの間休暇を終えて仕事に戻っているシュヴェルさんに挨拶する。
シュヴェルさんはテーブルを拭いていた手を止めて、にっこりと愛想よく挨拶を返してくれた。
「おはようございます、ルジェリア様。……おや、顔色が優れないようですが……?」
「あ、はい……。起きがけからなんかだるくて」
そう言った途端、ゆっくりとお茶を飲んでいた姉さんがいつものマイペースさからは考えられない程の速さで飛んできた。
「ルージュ、顔が真っ赤ではありませんか! 風邪引きましたか⁉︎」
「え、えっと……」
姉さんの勢いにびっくりして、私は何も言えずに言葉が詰まってしまった。
……そうだ。姉さんって、昔から呆れるくらいの過保護だったのを今更思い出した。
普段は私をからかったり、いい加減なところがあるけれど、姉さんはとにかく過保護。城にいた頃なんて外すらなかなか出してもらえなかったし、私がやる気を出して何かしようとすれば即却下。今となってはその縛りから解放されたものの、もうちょっと信用してほしかったのが本音だった。
今回もまたその例に漏れず。姉さんは私の額に手を当てたり、身体のあちこちを触ったりと、相変わらずの大袈裟な対応をしている。
「クリスタ様、落ち着いてください。ここでクリスタ様が取り乱しなさっても、ルジェリア様に負担をかけるだけです」
「そ、そうですね。ごめんなさい……」
そんな姉さんの慌てぶりにシュヴェルさんがタイミング良く冷静にさせてくれた。
「ありがとうございます、シュヴェルさん」
「いえ、これくらいなんてことありません。しかし、ルジェリア様はベッドにお戻りになられた方がいいかと」
「そうですね……」
こんな状態じゃ、普通に行動することもままならない。下手に悪化させないよう、素直にベッドに潜り込むことに。
そうして、シュヴェルさん経由で話を聞いたルーザとオスクも私が借りている部屋に入ってきた。
「熱がかなり高いようですね。ルジェリア様、他に不調はございますか?」
「えっと……頭痛と寒気がします」
「結構悪いようだな。シュヴェル、薬ってあったか?」
「申し訳ございません。確認してきたところ、丁度切らしておりました。私の管理不足でございます」
「気にしなくていい。お前はこの間まで休暇だったんだからな。だがどうするか……解熱薬の薬草って、ここじゃ夏にしか採れないぞ」
ルーザ曰く、元々冷涼な気候のシャドーラルでは夏の僅かな話にしか薬草を採ることが出来ないようで、そのせいで薬もあまり出回らないらしい。今の季節では生えていたとしても、雪や気温もあって凍ってしまうことが多いようだ。
ミラーアイランドなら強い解熱用の薬草も生えているかもしれないけれど……姉さんはこれから王としての政務に戻らなくてはいけないため、看病してもらうのは無理そうだ。
「仕方ない、オレが一旦光の世界に行ってイアとかに聞いてみるか。オスクはどうする?」
「んじゃ、お前に付いていくとしますかね。看病なんか知らないし」
「ごめん、ルーザ、オスク……。シュヴェルさんも」
色々面倒をかけることが申し訳なくなって、思わず謝罪を口にした。ルーザはそんな私に気にするなと言葉にする代わりに首を横に振る。
「誰にだって起こり得ることだろ? そんなことで頭を悩ます暇があるなら、お前は治すことに集中してろ」
「うん……」
「ごめんなさいね、ルージュ。本当は四六時中見守りたいのですが」
「……うん。ひっつかれるのも困るから早く戻って」
姉さんの変わらない過保護っぷりにため息をつく。
3人が部屋を出ていき、室内に残ったのは私とシュヴェルさん2人だけになる。シュヴェルさんは私の頭に乗っていた、熱を吸い込んでぬるくなったタオルを冷えたものに交換してくれた。
「ルジェリア様の看病をルヴェルザ様からもうしつかったので、ご不便がありましたら遠慮なくお申し付けください」
「ありがとうございます、シュヴェルさん……」
ルーザがせっかく気を遣ってくれたし、言われた通りに治すことに専念しよう。無茶したら、余計迷惑かけちゃうだろうし。
横になっていると風邪のせいか眠気が来る。しばらく眠っていようかな……。
……と、思った時、家のベルが鳴り響く。来客が来たことを知らせるベルだ。
「おや、お客様のようです。ルジェリア様、一旦失礼します」
シュヴェルさんはお辞儀をすると、出迎えに行った。ルーザ達が出て行ってから、あまり時間も経ってない。忘れ物を取りに来たというのもありそうだけど。
それなら気にすることはないかな……と、目を閉じようとしたその時。
────バンッ!
「……っ⁉︎」
……が、それは叶わぬままに終わった。部屋の扉が勢いよく開き、その音で私の眠気は吹っ飛んでしまった。
「おーおー、久々だな〜ここ。周りも変わってないな」
「あ、あのグレイ様。病人がおられますのでお静かに願います」
「ん、そうか。だけどシュヴェルさんよ、この部屋乾燥してるぜ。このままじゃ病人の喉がやられちまう」
「……私としたことが気がつきませんでした。ありがとうございます、グレイ様」
「え、えっと……?」
私はシュヴェルさんと、もう一人の誰だかわからない真っ白のコートを着た、どうみても私より年上の猫のような耳を持つ白い男妖精のやり取りをポカンとして見ているしかなかった。
シュヴェルさんが出て行くと、その男妖精が私に気がついた。
「ん、ルヴェルザに似てるな。君って誰だっけ?」
「あ、その……初対面です。ルジェリアと言います。ルージュって呼ばれています」
「ほう、そうか。俺はグレイ。フリードの兄だ」
えっ。フリードって兄弟いたんだ……。
確かに見た目は私より年上だし、白くて、尖った耳とかフリードにそっくり。言われてみると納得だ。
「長期休暇に入ったから家に帰って来たんだけど、誰もいなくてさ。ここにいるんじゃないかと来てみたけど違ったか」
「あ、それは……」
フリードはドラク達とかと一緒に光の世界に行っていると説明した。
グレイさんは光の世界と聞いた途端、驚いた表情になる。
「へえ! 光の世界ってホントにあったんだなぁ」
「あ、ご存知だったんですか?」
「フリードが本で見つけたりしてたからな。俺も興味はあったし」
「そうなんですか」
「っと、そうだ。ルージュだっけ? 見たとこ調子が優れないようだけど」
「はい……今朝から熱を出してしまって」
そう言うとグレイさんは急に持っていたカバンをガサゴソし始める。一体何をしているんだろう、と思いながらその様子を見守っていると、やがてグレイさんは何やらカゴを取り出した。
カゴの中には白くて丸い、何かがいっぱい詰め合わされていた。表面はつぶつぶとしたものが所々に散りばめられている、ほんのり赤みもある果物。
これって……苺? でもその色は雪みたいに真っ白だ。
「これは?」
「スノウベリーっていうんだ。俺のお土産だけど、良かったら食べるか?」
「えっ、そんなものいただいちゃって……」
「いいの、いいの! 病人の特権だと思ってさ」
グレイさんは笑ってそう言ってくれた。
なら……言葉に甘えちゃおうかな。苺は私の好物だし、興味がないと言えば嘘になる。
私は早速カゴに手を伸ばして、スノウベリーを一粒食べてみた。冷んやりとしているけれど、甘酸っぱい味が口の中に広がる。普通の苺より甘さがあってとっても美味しい。
「わあ……すごく美味しい……!」
「だろ? 俺も初めて食べた時は一気に10個食べちまってな、後で腹が張って大変な目に遭った!」
「そ、そうなんですか」
「さーて、このまま帰っても一人でつまらないし、ルージュの看病してるか」
「ありがとうございます、グレイさん」
流れでグレイさんが残ることになり、私は再び横になる。グレイさんは面倒見がよくて、私をすごく気遣ってくれた。
みんな、私の風邪のことで凄く心配してくれる。とてもありがたいことだ。なら、私も出来るだけ早く治せるように、今は休まなきゃ。
私はルーザ達の心配をしながら、浅い眠りについた……。




