第231話 今だ微睡みは醒めず(2)
……再び歩き始めてから、どれくらい経っただろうか。
どれだけ進もうと景色が一切変化を見せないこの世界では距離の感覚も掴めず、時間の概念すら曖昧だ。実際はそれほど経過してはいないのだろうが、こうも見渡す限り真っ白では気が狂いそうになる。
ティアの足取りを掴むためにもう何度もこの世界に足を踏み入れているが、この得体の知れない気持ち悪さはいつまで経っても拭えそうになかった。
「なんでしょう。今までと比べて空気……というか、雰囲気がちょっと変わったような気がします」
「それは僕も感じていた。生身じゃないから正確にはわからないけど、さっき発生源を解放したことでなんらかの要素が取り戻せたっぽいな」
歩いている最中、辺りを見回していたライヤ────今はルジェリアでもいいだろう────も変化に気づいたようでそう呟いた。
景観は相変わらずだが、瘴気を晴らしている効果は少しずつこの世界に影響を与え始めている。レシス……ルヴェルザも今は念話の術を一度切って引っ込んでいるとはいえ、世界に干渉できる時間や範囲を徐々に広げられている。目に見えた大きな変化は見られないが、今までの行動は決して無駄にはなっていない。
このまま進み続けてティアと再会できるかどうかもまだ不明瞭ではあるが、今は信じて光を頼りに奥へと向かうしかない。
「お、オスクさんっ、前に!」
「ハッ。大分視界も開けてきたっぽいな」
そこへ水を差すように僕らへ接近してくる影が3つほど。山羊だか鹿だか、ツノを持った獣を模したガーディアンが迫ってきていた。影の色をそのまま染めたかのようにどす黒い身体に、何の感情も宿さない赤い瞳だけがギラギラと光っている。
以前は自分達の目では目の前まで近づいてこないと姿を捉えることすら困難だった。ルヴェルザの術がなければ事前に回避もできなかったが、瘴気がいくらか晴れたことで少しばかり離れたところでも視認できるようになっている。
今回出くわしたガーディアンはサイズも大したことなく、そこまでプレッシャーも感じない。つまりは雑魚。さっさと蹴散らすに限るということだ。
「いきます、『命天の光』!」
先手必勝とばかりにルジェリアが杖から光を放つ。あらゆる邪悪を祓うそれを正面からモロに浴びたガーディアン共は、突進を仕掛けようとしていたところを突かれて体勢を崩した。
「『カオスレクイエム』!」
その隙に僕は一気に間合いを詰めて、魔力を込めた刃でその身体を躊躇なく両断する。真っ二つに切り裂かれたガーディアン共は、何をされたか理解が追いつく前に消滅していった。
……手応えもない。こちらの妨害というよりは、そこらを徘徊していたのとたまたま鉢合わせしただけか。
「すんなり倒せましたね。ルヴェルザが随分警戒していたので、身構えちゃってましたけど」
「杞憂に終わるに越したことはないけどさ。アイツが察知していたのは別にあったのか、どこかですれ違ったか。どっちでもいいけど、とりあえずは先を急ぐぞ」
「は、はい!」
今遭遇したガーディアンは発生源を隠していたわけでもない。これ以上、ここで立ち止まっている理由もないということだ。
ルヴェルザから引き上げられる気配もまだ無し。さっき、発生源を一つ解放したことで時間にも少し猶予ができたのだろう。今回はもう少し進めるようだ。
ゴールは相変わらず見えないにしても、やれることはやっておきたい。僕は再び浄化した結晶を魔力を込めつつ叩いて、光を発生させる。その光が指し示す方向へ向かってまた歩き始めた。
「あの、オスクさん」
「ん、何」
「さっき、ぼんやりされてたのってティアさんのこと思い出されてたんですか? なんだかその後も表情が優れないようだったので、気になってしまって」
「……まあね。正確に言えば、あいつが直接絡んできた前の出来事の記憶だけど。昔は頭でっかちの頑固な年寄り連中どもに振り回されることもしょっちゅうだったし」
「苦労、されてたんですね」
「そりゃあね。大精霊になる前なんて、同族だろうが全員敵みたいな認識だった」
思い出した記憶は光と闇の確執を無くすために努力を重ねていた頃で、実際に行動に移す前だったから両者の空気は最悪だった。どこもかしこもギスギスとした雰囲気に包まれ、安らげる場は皆無だった。
あの時からいつか世界の存亡を揺るがす災い────すなわち『滅び』が降りかかることが予感され、精霊の間では周知の事実であったというのに、両者には協力しようという姿勢は全くなし。それどころか、お互いにあわよくば『滅び』に呑まれて消えてしまえとか考えていたのだから手に負えない。
この世界は均衡が主軸。両者が支え合うことで成り立っている。何一つ欠けていいなんてことはない。それなのに、周りは自分達のちっぽけなプライドを優先していつまでもいがみ合うばかり。馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。
「ティアさんと一緒だった頃、同じことを言ってました。大きな危機にみんなで手を取り合って立ち向かうってことが、こんなにも難しいことなのかな……って」
「……ま、光と闇が仲良くなるように、なんて突拍子もないこと言い出したのはそもそもあいつだから、想像はつくけどさ」
ルジェリアも、ティアに匿われていた時に愚痴を聞いていたようだ。あいつはあまり弱音を吐かない質だが、それでも必死で動き回る中で改善しようとする気のない周りにはため息をつきたくなるものだろう。実際、僕もそうだったのだから。
「あと一つ反論」
「え?」
「あいつの存在を過去形で語るな。あいつはいる、絶対に。どうしてこんなところにまでのこのこやってきたのか知らないけど、必ず連れ戻す。自分達の手でな」
「……っ、はい!」
僕の言葉に、ルジェリアはハッとしてから力強くうなずいた。
今はまだ何の根拠もない希望的観測でしかないが。それでも、心ではそう信じてこんなところまで乗り込んできたんだ。その気持ちだけは、否定させるものか。
「あっ! オスクさん、前見てください!」
「……!」
ふと、ルジェリアが目の前を指差しながら声を上げる。その先にあるのは数本の柱がそそり立ち、その中央に台座が鎮座する小さな神殿のような場所────発生源だった。
「……今回は随分とまあ」
さっきのと合わせて、一度の潜入で二箇所目の発生源の到達。こうも短いスパンで発見したのは今までにないことだ。
順調に進んでいる。喜ぶべきところなのだろうが……素直にそうはできないのが本音だった。僕の捻くれた性根が、疑えと訴えかける。これをあっさりと受け入れてしまえば、足元をすくわれるのではないかと危機感を抱かせる。
……何かに、誘い込まれているのか。そんな懸念が奥底でくすぶっていた。
「オスクさん、どうかしたんですか? 早く台座に結晶を置かないと」
「……ったく、お前はもうちょっと危機感持てっての」
「え、なんか駄目なところありました⁉︎」
「まあいいさ。どうせ何もしないわけにもいかないし」
警戒のけの字もないルジェリアに、僕はやれやれとため息をつく。
……こんな時、身体なら意見が合うのだが。色んな意味で早く戻ってこいという気持ちが強まる。
だが見つけた以上、何もしないで素通りする選択肢があるわけもなく。ルジェリアに言われた通り、台座へと歩み寄ってその中央に結晶をそっと静かに置いた。
「……っ!」
途端に、台座から眩い光が溢れ出す。目を潰さんばかりのそれに、反射的に目をつぶった。
これでまた何かが修復されていくのだろう……そう思いながら光が収まるのを待っていた時だった。
『────』
「……は、」
ふと耳を掠めた小さな音。ほぼ意味は成さないものだったが、それは確かに声だった。今も求め続けている、記憶から離れることがなかった優しさに溢れた声が。
まさかと、聞き間違いだと、疑う気持ちは消えていない。だが、もしかしたらと希望を見出す自分も確かに存在していて。ただ一つ、確かに言えることは。
「オスクさん?」
「……っ」
……いつの間にか、光は収まっていた。頭を抱えたままピクリとも動かない僕の顔を、ルジェリアが心配そうに覗き込んでいた。
「お前には、聞こえなかったのか?」
「え、何がですか?」
「……僕だけに聞こえたのか」
質問の意図がわからず、不思議そうに首をかしげるルジェリアにそうだと確信した。今起こった事象について、全てとはいかずともほとんどのことを。
「前に発生源を解放した時、ティアの気配があったって言ってただろ。ティアは確かに、この世界に来ていた」
「や、やっぱりそうなんですね⁉︎ ということは……オスクさんも何か感じたんですか?」
「あいつの声が聞こえた。といっても、言葉として捉えきれないくらいの曖昧なものだ。進展があったって喜ぶべきなんだろうけど、難しいな。……こんな『滅び』の副産物であるはずの場所に、何故だかあいつの痕跡が残っている、なんてさ」
「……」
そこまで言って、ルジェリアはやっと表情を曇らせた。
よくよく考えてみれば最初からおかしかった。『滅び』のせいで消し飛んだ末端の世界の埋め合わせとして生まれ、だが『滅び』の影響を受けたままだったが故に、あらゆるものが欠落しているこの世界で、ティアの気配があること自体が。
そもそもこの世界に踏み入れたのも、浄化した結晶から放たれる光にティアの魔力を感じたのが理由だ。これも、元々は『滅び』を振り撒く元凶であったもの。そんなものに、ティアの痕跡が残されているということは。
……このまま進んで、辿り着いた先に何が待ち受けているのか。その謎に対して、今更ながらとてつもない不安を抱く。
200年……200年だ。ティアが姿を消してから、決して短いとはいえない時間が経過してしまっている。無事でいる可能性は、あまりにも小さすぎる。
『おい……いいか?』
「レ、……ルヴェルザか」
『そろそろ時間だ。タイミングを見ても、引き上げるべきだろ』
「ああ……そうか。そうだな」
『……お前が今、何を思っているのか大体予想はつくが、どんな結果が待っていようが、やめるつもりはないんだろ? とっくに見切りをつけているなら、こんなところまでわざわざ乗り込んで追い求めたりなんかしてない』
「当然だろ。行動に移してなかっただけで、こっちはずっと足取り探してたんだ」
『なら、いい』
納得いく答えを得られたのか、ルヴェルザからはその一言だけ返ってきた。声色で、口角を上げて薄ら微笑んでいるのだろうと想像がつく。
……この間に転移の術を使ったらしい。徐々に視界がぼやけて薄れていく意識に、現実へ戻ることを予感する。戻ったらすぐに、ルーザを立ち直らせなければならないという仕事が待っている。
「まあ、務めは果たしてやるさ」
世界が黒く塗りつぶされていく中で、静かに決意を固める。双子を先導するのが、僕の役目だ。
ふっと浮上するような感覚を覚えたその直後────僕は目覚めた。




