第230話 疑念の奥底(2)
神殿を出てからも、僕の心は一向に晴れなかった。
ザワザワとした苛立ちと不満がずっと奥底にくすぶっている。何をしようが取り除けない。消えない。振り払うように早足で歩いても、背後にずっしりのしかかって離れない。
奴らが追っていている気配は感じられないのに罵声が、嘲笑が、今でも脳裏にこびりついて付き纏ってきているかのようだ。
もううんざりだ。いくら言っても、誰も彼も耳を貸さない。今の有り様をおかしいとも思わない。こんな、対の存在を互いに罵り、蔑み合う現状に対して満足しているとでもいうのか。
変えようと努力している。そのためにあいつの、ティアの話に乗って大精霊となるために鍛錬を重ねてきているのに。少し意見が食い違うというだけで、奴らは僕を足蹴にして押し潰そうとしてくる。それが、昔からのやり方だから受け入れろと?
「……腐ってる」
何もかもが無駄だと宣告されたような気分だった。どれだけ力をつけようが、世界を変えるほどのものにはならないのだと。いくら自分が動いても、周りがこの状態では尚更。
全てが、ぼやけて見える。全員が、敵のように思えた。
────僕が、自分が、今までしてきたことは。
それから、全てに投げやりになっていた。打ちのめされてあらゆるものがどうでもよくなり、日々励んでいた鍛錬にも身が入らない。特に何かするわけでもなく、人目のつかない雑木林に身を潜めつつ木の上で寝そべっていた。
あいつらとも────ティアとマフィとも、もう何日も会っていない。顔を合わせたら最後、あの2人にも八つ当たりしそうだったから。自分の都合であの2人を傷つけるのは嫌だった。それだけは避けたいと思った。
来る日も来る日もぼんやりと呆けながら虚空を見上げ、怠惰に過ごす日々。運悪く同族が近づいてきたら殴って返り討ちすることで鬱憤を僅かに晴らして。……これがいつまで続くのかと思い始めた頃に、終わりは唐突に訪れた。
「オスク……! よかった、ここにいたのね!」
「……アンタは」
ふと僕に近づいてくる気配を感じて警戒していると、茂みの中から姿を現したのは見知った顔だった。はあはあと息を切らして、長い輝くような金髪のあちこちに木の葉を付けたままの光の精霊────ティアが。
「心配してたの。ちょっと前から突然領域の境目近くに来なくなっちゃったから。マフィに聞いてもわからないって言うし……」
「……別に。僕の勝手じゃん」
息を整え、木の葉を手で払い落としながら歩み寄ってくるティアに、寝転がったまま僕は顔を背ける。
ここは闇の領域内。つまりティアは危険を承知で僕を探しに来たということだ。見つかったら最後、同族どもに何をされるかわかったものではないというのに。ティアはそれだけのために、こんなところまでのこのこ来てしまった。
突如連絡を絶った僕が、そうさせてしまった。そんな罪悪感に駆られたために。
「……オスク、もしかして他の闇の精霊に何かされた?」
「なんでそう思う」
「酷い顔、してるから。目のクマもすごいし。色んなものから置き去りにされちゃったような、寂しそうな表情してる」
「そうだとしても、アンタには関係ないだろ」
……違う。そういうことを言いたいわけじゃない。
このどん底から引き上げてくれるなら、こいつしかいないってどこかで思っていた。いつか見つけてくれるかもしれないと、少なからず期待を抱いていたというのに。
悪かった、ってその一言を告げればいいだけなのに、できない。口を開けば憎まれ口ばかり叩く自分が嫌になる。
「私、前に言ったよね。私が一番近くにいるから、私にしかできないことをあなたにしてあげたいって。私にできることなんてすごくささやかなことかもしれないけど、やれることはやりたいの」
「それがわかっているならやるだけ無駄だろ。いいから放っておけよ」
「駄目。そうやって一人で抱え込んでたら、オスクが壊れちゃう。今もギリギリなのに、このまま引き返すなんてできない」
いくら遠ざけようとしても、ティアは引き下がらない。意地でも僕の傍を離れようとせず、少しずつ距離を詰めてくる。
「最後に会ってからオスクに何があったのか、私は知らない。だから、教えてほしいの。オスクが背負ってる重たいもの、少しでも軽くしてあげたい」
「……」
「吐き出したら、ほんのちょっとだけでもすっきりするわ。溜め込んでばかりいたら気分だって沈んでいくだけだもの。だから、」
「……意味、無いんだよ。変えようと動いたところで」
我慢ならずに身体を起こして声を漏らせば、思っていた以上に低い声が出ていた。
救いを求めていた。だけど、奴らのせいで荒みきっていた心にティアの希望に溢れた言葉は眩しすぎた。その言葉に従った方がいいと頭では理解していても、素直に受け入れることはできなかった。どうせ自分は異端者だと、逸れ者だと、僕自身があまりにも捻くれていたために。
「こっちがいくら努力を積み重ねたところで、周りの奴らは現状を仕方がないからと甘んじて受け入れるだけだ。どれだけ働きかけようが、僕がしていることの全てが無駄だって無意味だって……簡単に切り捨てる」
「……っ、確かにすぐには受け入れてもらえないかもしれない。けど、オスクが今までしてきたことは決して無駄じゃない。いつかきっと、オスクの心が届く日が」
「────そんなのは聞き飽きた‼︎」
立ち上がって、近寄るティアを腕で突き放す。
期待を持たせようとする言葉がうっとおしくてたまらなかった。それをすんなりと飲み込もうとすれば真っ先に拒絶反応が出てくるくらいには、世界に対しての疑念が強まりすぎていた。ティアとマフィと接していく内に自分の中に僅かに芽生え始めていた希望を、ここ数日で裏切られすぎていた。
もう、やめてくれと。あらゆるものに、何の意味があるのだと。
「逃げ道塞がれて、全方位から罵られて! その場から逃げ出しても、味方の一人もいないこの気持ちがアンタにわかるのかよ⁉︎」
「オスク……」
「だから僕は、自分以外を信じることをやめたんだ! 誰も僕を信じようともしないのに、僕が他人を信じる道理があるか⁉︎ アンタも、ただ考えと立場が似通ってるだけで僕に近づいてきただけ────ッ」
────パンッ、と乾いた音が辺りに響き渡る。それと同時に、頬に衝撃と痛みが走った。
何をされたのか、一瞬理解が追いつかなかった。一拍置いてから視線を正面へ戻せば、今にも泣き出しそうな表情で手を小刻みに震わせるティアがそこにいた。
振るわれた後の腕を見て、そこでようやくティアにぶたれたのだと理解した。
「馬鹿に、しないで」
ティアは、怒りに満ちていた。涙ぐんだ声はぐぐもっていたが、それでも言葉に込められた感情は、意思は、僕の心にはっきりと聞こえてきて。
「私、そんな中途半端な気持ちであなたと友達になろうとしたんじゃない‼︎」
こいつが声を張り上げるところを、初めて見た気がする。いつも穏やかで、相手を包み込むような慈しみを感じさせる態度を崩さなかったのに、今はそれが一切取り払われていた。
「私、嬉しかったの。オスクが私の夢に協力してくれるって言ってくれた時のこと。私も、ひとりぼっちだったから……誰もわかってくれなかった。私の話を、聞こうともしてくれなかった。そんなの妄言だって。叶う筈のない、馬鹿げた話だって」
「……っ」
「オスクが、初めてだった。私の話をちゃんと聞いてくれて、同じ目標に進もうとしてくれたのは。私がそんなオスクにどれほど救われたのか、オスクは全然わかってない」
おもむろにティアは僕の方へと歩み寄ってくる。さっきまで逃げ出そうとしていたのに、今はその気が起きなかった。
そのままティアは僕の目の前に立つと、僕の身体に腕を回して抱き締めてくる。寄り添い、僕の胸に耳を当てながら口を開く。
「オスクが私を信じられないって言うなら、それでもいい。私が、信じてもらえるように努力すればいいだけだもの。私が警戒しなくてもいい存在だって、思ってもらえるように。これ以上、世界の全部が敵だって顔をさせたくない。だから」
ふと顔を上げたティアは、僕の目を真っ直ぐ見つめてきて。
「私のこと、教えてあげたい」
「────」
「あなたを、知りたい」
無理矢理照らしつけるわけではなく、柔らかく包み込むように。目にしても嫌悪感など一切感じさせない、あまりにも優しさに溢れた『光』を、いつの間にか懐に入られるまで拒もうともしなかった。
「僕は────」




