sub.暁雪の師弟(7)
それから、カグヤ様に依頼された酒呑童子についての話を終えて、俺は一旦彼らと別れた。
彼らが何と戦おうとしているかはわからない。でも、戦力として鬼の長を引き入れなければならないほど、強大なものであることは間違いない。それがなんなのか、今俺が知る術はない。それでも、彼らの力になりたい。下心のある薄汚い感情ではあるが、やっと巡ってきたこの機会を、夢に辿り着けそうな繋がりを、決して手放すわけにはいかなかった。
「……ふう。薄桃色で、紅い瞳……似てるからつい声かけちゃったけど、やっぱり違ったかな。そもそも種族違うし。あーあ、聞き込みで声出しちゃうなんて失態、駆け出し以来だっての」
霊峰・フジへと向かう彼らを見送って、俺は独りごちる。
話をしながらあの妖精の少女の挙動を観察していたが、俺に対して強く反応することは終始なかった。名乗っても、途中で目配せしても、気付くような素振りを見せないまま。やはり、雰囲気が似てるだけの別人なのだろうか。
「……名前くらい、聞いとけば良かったかな」
一つ、失態を犯していたことを思い出し、頭を掻いて反省する。それを訪ねてまるっきり違う答えが返ってきたら、すっぱり諦められたというのに。
結局、未練たらたらだった俺は引き返そうとする足を自力で止められず。適当に時間を潰した後に、彼らが戻ってくるであろう瞬間を見計らって呉服屋へと戻った。
彼らがなんとか仲間に引き入れられたらしい、酒呑童子様には当然のように俺が彼らへ情報を提供したことがバレた。それもそうだろう。直接周りを嗅ぎ回ったというわけではないものの、俺の倍以上生きる大妖の目を誤魔化せるはずがなかった。
とはいえ、ここで素直にやられるわけにはいかない。そう思って周りに見られることを承知で振るわれた薙刀を防いだのだが……
「ちょ、ちょっと2人とも! けんかは止めて!」
「……え? うわっと⁉︎」
割って入ってきたのは精霊の少女……しかもその容姿ときたら、師匠本人といっても差し支えないほどそっくりだった。俺の記憶に刻まれている姿が、そのまま形になったかのような。
酒呑童子様の攻撃から逃れるため、動揺を彼女に悟られないため、オスク様の影に隠れさせてもらった。……小刻みに震える手を、誰の目にも入らぬよう必死に隠しながら。
それから呉服屋の中に入って作戦会議へと移る前に、何気ない風を装って突如現れた2人の少女精霊がいる理由を聞き出せば、思った通りさっきまでいた少女妖精達が姿を変えたかららしい。
師匠と似た特徴を持っていたから、精霊の姿になれば師匠本人と見間違うほどそっくりになるのは当然なのかもしれない。だが、それでもここまで似るものだろうか。他人の空似で済ませられるものだろうか。偶然にしてはあまりにも一致しすぎてないだろうか。
尋ねればいい。聞けばすぐにわかることだ。彼女の名前を。ずっと前に会ったことを。そう頭では理解しているのに、口が動いてくれない。俺の名を聞いても気付くような素振りがなかったために、もし「知らない」と返された時が怖くてたまらなくて。
結局、答えを得られないまま戦いに赴く彼女らの背を見送ることしかできなかった。
「はあ……」
彼女らが無事に戻ってきて、カグヤ様が開いた宴に俺も情報提供の対価として相席させてもらえることとなった。
話をするにはまたとない絶好の機会だ。それは百も承知だというのに、またしても俺は一歩踏み出すことができず。似た容姿のもう一人の少女精霊から土産物の情報収集を依頼されたことに乗じて、俺はその場を離れてしまった。
ここでやるべきことを果たした彼女らは、明日にはもうシノノメを発ってしまうという。だから、今晩が最後の時間となるだろうに、勇気が出ない。どこまでも情け無い自分に反吐が出る。
どうして俺はこんなにも怖がりなのだろうか。後で後悔することなどわかっているだろうに。成長して改善したと思ったのに、それは気のせいだったのか。
自己嫌悪から視線が下がり、足元ばかり見てとぼとぼと町を目指す。誰に見送られるわけもなく、ただただ孤独に。
「ん……?」
そんな時、背後からぱたぱたと足音が聞こえてきた。誰かが追いかけてきたらしい。しかも、「待って!」と呼び止める甲高い声と共に。当然、気になって振り返ってみれば。
「あれ、君は……」
俺を追ってきたのは、あろうことか師匠に似た彼女だった。だがもう希望も失せていた俺には依頼の追加のために追いかけてきたのだとしか思えず……けれど彼女は首を振った。
「あれ、違ったか。えっと……ああ、まだ名前聞いてなかった。良かったら聞かせてくれないかな?」
「うん。私はルジェリア。ルージュって呼ばれてるけど」
「……そう。良い名だね」
返ってきた答えに、こっそりと息を呑む。やはり、彼女は。でも、俺との記憶は……
「依頼じゃないけど、一つ聞きたいことがあるの。聞きたいというか、見てほしいというか……」
「うん、なんだい?」
「……これ、見覚えない?」
「え。それ、って……」
彼女から差し出されたそれを目にして、今度こそ言葉を失った。彼女の手の平に乗せられているのは、摘めるほどの小さな白い石。遠目から見たら雪玉にも見えなくもないそれは、見覚えがあるどころじゃない。
それもその筈だ。だってその石は俺がお礼にと渡したものだったから。まさか……まさか。
「約束、果たしに来たよ。すっごく遅くなっちゃってごめんね」
その顔に浮かんだ笑みは、あの頃と全く変わらないもので。かつても俺を励ますために向けてくれた、大好きな表情を。
「プッ、あははっ!」
思わず、笑い声を上げていた。思い出が失われたわけではなかったんだ。今の今まで、思い出せなかっただけで。でもこうして記憶を拾い上げてくれて、またしても目の前に現れて失意に暮れていた俺を救ってくれた。
……思い出の村を失ったあの時は恨んだ神を、この時ばかりは感謝してもいいかもしれない。そう思えるくらいには、落ち込んでいた心が見違えるほどに光が溢れていた。
「あー……もう、あれこれ悩んでた自分が馬鹿みたいだ。こうなるんだったら自分から突撃するべきだったかな〜。まあとにかく、」
「お久しぶりです────師匠」
300年ぶりに再会を果たせた俺達は、2人きりで夜を堪能した。別れてからどうしていたかを簡単に話してから泥棒を成敗した後、シノノメの町を駆け回った。
師匠の提案で師弟という関係から脱却し、友人として手を繋ぎながら。今度こそは俺が腕を引く番だと意気込んで。ルージュと────彼女の呼び名を口にして、この時間を目一杯楽しんで心に刻むのだと誓った。
この時間がずっと続けばいいのに。そう思ったが、何事にもいつかは終わりが訪れるもの。楽しい時間はあっという間に過ぎていき、翌日には予定通りルージュ達はシノノメを後にしていった。
彼女らにもやるべきことがあるから、この別れは仕方がない。思い出して、2人の時間を再び過ごせただけで満足なのだと自分に言い聞かせて無理矢理納得させた。
いつかまた巡り会える時は来るだろう……それが訪れたのは、予想に反してかなり早いものだった。
「火の大精霊様を、ですか?」
師匠と……ルージュと再会を果たしてから一ヶ月が経過した頃。突然、俺の前にオスク様が現れたかと思えば、とある人物を探してほしいという依頼を持ちかけられた。その横に、水の大精霊であるニニアン様も引き連れながら。
捜索する対象は、火の大精霊様だという。恐らく以前シノノメを訪れていた時と同様に、それは世界に迫ってきているらしい強大な災いに対抗するためなのだろうけれど。
「そう。あっちこっちほっつき歩く面倒な奴でさ。すーぐどっか行くもんで、ただ歩いて探し回るんじゃ埒が明かない。顔見知りのニニアンと、そういうの得意なお前とでそいつを捕まえてほしいわけでさ。水同士で相性もいいっしょ」
「引き受けるのは当然構いませんよ。国を救っていただいた恩もありますし、大精霊様直々の依頼とあらば断る理由もありません」
「そいつは有難いことで。僕も行く方が効率はいいんだろうけど、生憎そんな暇ないものでね」
「なんだかそれ以外にも理由があるような感じしますが」
「……アイツと必要以上に顔合わせたくない」
「あれま」
俺の指摘に、オスク様はあからさまに嫌そうな表情を浮かべて顔をプイッと背ける。
これは相当な嫌われ様だ。信用を獲得するためだとはいえ、身の上話をべらべら喋った俺も大概だとは思うが、オスク様が火の大精霊様に向けるものはそれ以上なのが見て取れた。
彼がこれ程までに苦手とする放浪癖があるらしい相手の捜索はなかなか骨が折れるだろうが、それでも引き受けないという選択肢はない。少しでも彼女の……ルージュの力になりたいから。
「まあ、それはそれとして。先に言った通り、拒否するつもりはないですからね。オスク様より直々に賜った依頼、謹んでお受けいたします」
「ああ、頼んだ」
「ではその、フユキさん……でしたっけ。これからよろしくお願いします」
「はい、こちらこそ」
そうして、俺はニニアン様と協力して火の大精霊様の捜索に当たることになった。まずはニニアン様が気配を感じたというアルマドゥラ帝国へと向かい、そこで情報収集をしながらその足取りを辿る。
オスク様が面倒だと評しただけあって、依頼はかつて見ないほどに難航した。放浪癖があるというのは伊達ではなく、それらしき人物の目撃情報を得られても着いた頃には既に移動してしまった後だったということばかりでなかなか捕まらず。二手に分かれても、世界で最も大きな国であるが故に効率がいいとはお世辞にも言えない。
2人で聞き込みをして、走って向かってを繰り返して……最終的に「かじの」とかいう賭博を楽しむ施設へと辿り着いてようやく対面することが叶った。
やはり大精霊というべきか、火の大精霊様もあちこち歩き回りながらも世界に迫り来る災いの気配は感じ取っていたらしい。オスク様の依頼で俺達がここまで来たことを伝えれば────その時やけに表情が輝いていた気もするが────彼はこの場で待つことを快く約束してくれた。
オスク様に依頼を達成したことを報告すると、案内のために俺とニニアン様も彼女らと同行することになった。
それを聞いた時、俺は飛び上がって喜びそうになった。やっと念願が叶う時が来たのだと。300年前にルージュと出会い、別れてからいつか隣に並び立って、彼女の助けになれるように努力を重ねてきた。それがようやく現実になったんだ。嬉しくないわけがなかった。
いつもとは異なる、集団での行動。他愛のない話を交えながら歩くというのは、いつも一人きりで仕事のために廻るのとは違って新鮮なものだった。
うかれていないと言えば嘘になる。それだけいつになく心が弾んでいたから。ああ、だから。だからこそ────
「おい、しっかりしろ。おいっ……!」
目の前に映る光景を、信じたくない。ルーザというらしい妖精の腕の中にいるかけがえのない大切な存在のその姿を。
今しがた背後からの奇襲によって倒れることになったルージュ。手足が力無く投げ出され、頭も重力にしたがって下がるばかりで。あの紅玉のような綺麗な瞳は、まぶたの裏に隠されて見ることが叶わなくて。
────こんな目に遭わせるはずではなかったというのに。




