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幻精鏡界録  作者: 月夜瑠璃
第17章 理性と狂気とーbeing inseparableー
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第228話 千切られた繋がり(1)

 

 何を言われたのか、理解できなかった。理解、したくなかった。その言葉が耳に届いた瞬間、全身に氷水をかけられたかのような感覚に囚われた。指先から体温が無くなっていき、歩み寄ろうとしていた足が、伸ばそうとしていた腕が、声をかけようとした口が、凍りついたように動かなくなる。

 聞き間違いでなければ、今ルージュが口にしたのは。


「お前……何言って」


 訳がわからないまま、オレはふらふらと覚束ない足取りでルージュに近づき、無意識に手を伸ばす。

 普段と何一つ変わらない、距離を詰める何気ない行動。そこに悪意も敵意も何もない。にもかかわらず、ルージュはオレが近づいた分だけしゃがみこんだまま飛び退いてしまい。


「ゃ……こな、ぃ……で」


「────ッ」


「……にも、し、な……いで」


 その顔と紅い瞳にありありと浮かぶ、恐怖と拒絶の色。口から零された言葉から滲み出る困惑と戦慄。何もかもが、どう考えてもオレを全く知らない妖精だと捉えているものばかりで。一度だけならまだ勘違いで済んだ可能性があったものの、それが二度、三度と重ねられればもう聞き間違いでは片付けられない。

 息が、詰まる。声が出てこない。目が瞬きを忘れたかのように見開かれたまま。思考が上手くまとまらない……回らない。目の前に突きつけられた事実を、現実を知りたくない。受け入れたく、ない。


 アイツの明らかに異常な挙動と言動で、何か良くないことが起こる予感はしていた。だからこうして追いかけてきたというのに、自分が知らないところでそれは既に終わってしまった後で。しかもこんな……こんなことって。


「冗談はやめろ……っ」


 嘘だと、タチの悪い夢だと思いたかった。こんな……あいつの記憶が無くなっている、だなんて。

 これは全部幻なんだ。何か……急に二度も人格が切り替わったことによって、一時的に混乱しているだけで。自分にそう言い聞かせてルージュに近寄ろうとするものの、当の本人はさらに表情を強張らせてガタガタとより一層強く震えるのみ。

 ……自分の姉に。唯一血の繋がりのある肉親に。呼ぶ名すら忘れられて怖がられたという現実は、ショックを受けるどころの話じゃなかった。胸が抉られるような、今まで経験したことのない痛みが内側から襲いかかる。


「……こんなところにいたのか」


 胸を押さえながら呆然と立ち尽くしていると、後ろから近づいてくる気配が一つ。それと同時にかけられた声にどこかぼんやりしながら振り返った。


「おす、く」


 やっとのことで絞り出した声は、さっきまでとは打って変わって酷く掠れていた。

 オレを追ってきたのは、予想通り自分達の保護者役でもあるオスクだった。自分の気配を悟らせるためなのか、やけに靴音を大きく響かせていたというのに、すぐ近くに来るまで全く気付けなかった。


「なんて面してんのさ。今にも死にそうな顔しやがって」


「……ぁ」


 いつも通りの小突くような台詞。いつもならすぐ食ってかかるそれにも、今は言い返す気力すら湧いてこない。

 オスクなら、なんとかしてくれるだろうか。この、自分ではどうしようもない状況を。自分の倍以上生きた大精霊なら、何か有効な手立てを見出してくれるかもしれない。もう何をしたらいいのかわからなくて、らしくもなく縋りたくなる衝動に駆られる。


「んで、何があった?」


「ルージュ、が」


「うん?」


 なんとか説明しようとするものの、受けたショックの影響か言葉が上手く紡げない。早く、早く今ルージュがどうなっているか話して、この問題を解決して安心したいというのに。

 オスクはオレが理由を話せないことを察したのか、早々にオレから説明を聞くことを諦め、視線をルージュへと向ける。そのルージュはというと、急に現れたオスクにあからさまに怯えた表情を浮かべていた。

 見知った顔にする筈のない態度に、オスクは怪訝そうに顔をしかめ……やがて何か悟ったようにまぶたを静かに閉じて、息をつく。


「……成る程ね、そういうことか。『表』が過去の因縁を振り切って意見が完全に合わなくなったから、とうとう強硬手段に出たってわけだ」


「……」


「さっきのがきっかけになったというより、今まで積み重なったものがここに来て一気に爆発した感じだな。あんまりにも頑なだから、抵抗されてムキになって力の加減も見誤ったか。……いつかはこうなると思ってたけど」


「……っ、お前は!」


 それを聞いた途端、オレは思わずオスクに掴みかかりたくなった。

 知っていて、放置したのか。こうなるとわかっていながら、何の対策もせずに。アイツが……『裏』がいつか暴走することを予感しておいて、その結果が最悪な形で現れておきながら、どうして今も冷静でいられるのか。状況が好転するわけではないとわかっていても、一気に込み上げてきた怒りをぶつけたくなる。


「言いたいことはわかるけど、僕に何をしろって言うんだよ。僕はお前らの保護者ではあるけど、精々『外側』からの脅威から守ってやることが限界だ。内側までは管轄外なんだよ。それに、先に手を打ったところで問題を先送りにするだけで、根本的な解決はどうやっても無理だろうが。本人ですらどうしようもなかったことを、僕にどうやって対処しろって言うんだ」


「ぐ……」


「大精霊と言えど、全知全能じゃない。全てに干渉するなんて不可能だ。そこを履き違えるな。それに、僕が何の負い目を感じてないとでも思うのか? 予感があったとはいえ、そのきっかけとなった事態を未然に防げなかったんだ。立場上態度に出してないだけで、これでも責任を感じてる。だからこそ、今もこれからどうしていくかをあれこれ考えている最中なんだよ」


「……」


「悔いている暇があるならとりあえず歩け。片付けも済んでいないのに、お互い何も言わずに飛び出してきたんだからな。話はそれからだ」


「……わかった」


 足の感覚も怪しく、ちゃんと真っ直ぐ立てているかもはっきりとしないまま。それでも戻らないわけにもいかず、大人しくオスクの言うことに従う。


「……こっち、来てくれ。お前を傷つけることは絶対にしないから」


「あ……ぅ」


 今のルージュには、どこへ向かえばいいのかも忘れてしまっている。贖罪にもならないが、せめて先導してやらなければと手を差し出した。

 ルージュはそれまでずっとしゃがみ込んでいて、警戒心からなかなか動こうとしなかった。だがその目を真っ直ぐ見つめれば気持ちが伝わったのか……やがておずおずとその手を取ってゆっくりと立ち上がる。

 足取りは互いに若干ふらついていたが、転ぶなんてことにならないよう、一歩一歩踏みしめながら前に進む。先を行くオスクは、そんなノロマなオレらをちらちらと振り返りながら待ってくれていた。


 ────いつも、こうだ。手を掴み損ねた時は、必ず良くないことが起こる。オレが手を伸ばすのが遅れたせいで、決まってルージュに浅くない傷を負わせてしまう。

 腑抜けた自分を叱責するかの如くズキリと胸に走った痛みに顔をしかめながら、闘技場へと戻っていった。

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