第227話 訪れし運命─ Spirit Collapse(3)
「……やった、か」
土煙が晴れていく中で、オスクが静かにそう呟いた。ヘドロがさらさらと消え去り、さっきまでガーディアンがいた場所の中央に倒れている人影が一つ。
タキシードとシルクハットを身に付けた、小太りの男精霊。さっきまでとは服装もシワが寄って乱れたものになっていたが、ガーディアンに呑み込まれたここのオーナーに間違いなかった。ガーディアンに体力やら気力やらを散々吸われたようでぐったりとしているものの、その胸は呼吸によって僅かに上下していた。
「い、生きてるよね?」
「……ああ。辛うじて、ってところだろうがな。だが、今はその方が都合が良い」
不安そうに尋ねてきたドラクに、オレはそう答えた。
オーナーが解放された……それはつまり、ガーディアンも完全に消滅したということだ。オーナーが隠し持っていた結晶のカケラもある筈だったが、周囲には見当たらない。恐らく、ガーディアンがその存在を維持するために力のほぼ全てを吸収していたことによって、さっきの攻撃で一緒に消し飛んだのだろう。
これまで散々悪足掻きを繰り返してきたオーナーだが、あそこまでボロボロになってしまえばもう抵抗できないだろう。オーナーも『滅び』に利用されているに過ぎなかったのだが、良からぬものと知りながら結晶に手を出して、その結果ガーディアンに喰われるという事態を招いたんだ。自業自得としか言いようがない。
……とにかく、無駄に長引いていた戦いもこれで終わりだ。ようやく勝利という終着点に辿り着けたんだ。
後はオーナーを拘束して連れ出したら色々後始末をつけて、オレらの元々の目的であったヘリオスからエレメントを託してもらえるかどうか、その答えを出してもらうだけ。
「ん……?」
オーナーの拘束を進めるべくレクトが兵士達に命令を出している最中、先にアイツがオーナーに近づいていた。
その足取りは幽鬼のように覚束ないもので。フードを被り、うつむいているために表情は窺い知れず。静かに、ゆっくりとアイツは未だ倒れたままのオーナーと距離を詰めていく。
やがてオーナーの横に辿り着いたその瞬間。アイツはオーナーを見下ろし、おもむろに腕を持ち上げて、狙いを定めたかと思えば……
「────アッ‼︎」
瘴気を纏わせたそれを、躊躇なく振り下ろす。
間一髪。凶器の如き殺気に気がついたらしい、オーナーがほうほうの体で避けたことにより、瘴気の刃はオーナーの身体に当たるか当たらないかというギリギリの位置に命中していた。
「ヒッ……ぃ⁉︎」
喰われる前は他人を見下す態度を崩さなかったオーナーも、これには腰を抜かして地面を情け無く這いずっていた。これまでに散々味わった恐怖と、今まさにその命すらも刈り取られようとしている現実に恐れ慄いている。
その態度が余計にアイツの癪に障ったらしい。暗く染まった紅い瞳に、怒りの色が余計に増していく。
「何故避ける? 何故恐れる? 気に入らなければ踏みつけにし、なぶり、嘲る。お前自身が散々してきたことを、自分の番となればどうして受け入れない? それとも、やり返される覚悟も無しにやったのか」
「ぁ……う……」
「安心しろ。償いの機会は今ここで与えられる。お前の、お前自身の命をもって……」
「……ッ、やめろ!」
アイツの意思に呼応するかのように、再び腕に瘴気が集まっていく。目的を察してなんとか制止しようと声を上げるが、間に合わない。アイツの怒りのままに腕が、刃がオーナーを貫こうと迫り……
「────ダメッ‼︎」
……が、それはすんでのところで止められた。咄嗟に駆け寄ってきたエメラが、アイツの腕を掴んだことによって。
「それ以上進んだら、駄目。じゃないと、そこから戻って来れなくなっちゃう……!」
手が瘴気で炙られ、蝕まれるのに構わず、エメラは必死に言い聞かせる。目にうっすら涙を浮かべて、なんとか説得を試みる。
たとえアイツが腕を掴まれた体勢のまま、振り向こうともしなかったとしても。
「酷いことされたから、やり返したいって気持ちはわかる。わかる……けど、命まで奪ったら一生背負うことになっちゃうから……」
「……」
「あなたのルージュを守りたいってこと、伝わってくる。だけど、無理に冷たいふりしなくていいの」
「なに……?」
初めて、アイツがエメラの言葉に反応を示した。酷く不愉快そうに表情を歪めながらエメラの方へと視線を寄越す。
その反応にエメラはアイツに言葉が届いていると思ったらしい。アイツに睨みつけられながらもさらに続けた。
「だって、わたし達のこと助けてくれたもん。違うって言ってたけど、わたしはその気持ちが偽物だなんて思わない。そうじゃなきゃ動いたりしないでしょ?」
「……ッ」
「ルージュもそうだった。辛い目にあったせいで認められなかっただけで、優しい気持ちを奥に隠してた。だからあなたも、」
「────そんなわけがあるかッ‼︎」
悲鳴のように、怒声のように突如声を荒げる。その拍子に、エメラは反射的にアイツの腕から手を放してしまった。
「お前を、助けた? 『私』にその意思は無かった。私にそのつもりなど無かった。なのに、勝手に身体が突き動かされた。アレは、『私』の行動じゃない……『私』の行動である筈がない!」
「ちょ、ちょっと……」
「絆など、繋がりなど、『私』にはない。ある筈がない。必要ない。信じない。認めない。わからない。些細なことで揺らぎ、切れるものなど、理解できるものか!」
「ね、ねえ……お願いだから落ち着いて、」
「『表』が信じるから? 『表』が受け入れたから? 『表』が手を取ったから? 裏切られ、傷つけられ、なじられ、踏み躙られ、足蹴にされ、打ちのめされたというのに! それなのに……そんなわけがないのに、嘘だ、やめろ、駄目だ、やメロ、うるさい、止めろ、来るな、ヤメろ、違う、止めろ、黙れ、やメろ、失せろ、やめろやめろやめろやメろやめろヤめロやメロやめロヤメろヤメロヤメろヤメロヤメロやメロヤメロヤメロ────」
「お、おい……?」
頭を抱えたまま、身体を震わせて、ひたすら拒絶の言葉を繰り返す。なんとか説得しようとしていたエメラも、明らかに普通ではない空気に表情が引きつっている。
その支離滅裂で、意味もまるで成してないない言動はさっきよりも酷い……これ以上悪化すれば、壊れてしまいそうなほどで。アイツの尋常じゃないその様子に思わず駆け寄って、その肩に触れようとしてみれば。
「『私』は決して認めない────‼︎」
「……ッ⁉︎ お、おいっ、待て!」
伸ばした腕はバチンッ、と強く弾かれてしまい。そしてそのまま、アイツは背を向けて闘技場の外へと駆け出して行ってしまった。
あんな状態のアイツを放っておけるわけがない。仲間達が戸惑いの声を上げるのにも構わず、オレはすぐさまその後を追いかけた。
なんとなく、ここで捕まえなければならない気がした。このまま手を放して、目を合わせないで、距離が離れてしまえば、何かが壊れてしまうような……そんな予感があった。
────辺りが暗闇に包まれ始めた中で、逃げ出した一人の少女はふと足を止めた。
止まった、と表現した方が正しかったかもしれない。それ以上、動くことができなかった。尋常ではない痛みが、思考を滅茶苦茶に掻き回している。青ざめた顔に苦悶に満ちた表情を浮かべ、何かに耐えきれないように……抑え込むように、頭を抱えて悶え苦しむ。
「あ〝……ぅ……がっ……!」
呻き声が言葉にならないまま、口から漏れ続ける。浮かび上がった大粒の汗が、雫となり、頬を伝い、零れ落ちていく。
「信じて……嘘だ。前を、嫌だ! お願い、認め、ない……!」
交互に入れ替わる意識。希望を求める言葉と、拒絶の意思。その二つは交わることなく、いつまでも平行線で、変化の兆しは見えてこなかった。
外に出ているものと、内から呼びかけるもの。ぶつかり、せめぎ合うつもりなどなかった筈なのに、距離はどんどん離れていくばかり。
「『お前』が、信じるからっ……ちがう、話を! こんなもの、やめて……いら、な、やめて! 切れてしまっ、やめて────‼︎」
胸を掻きむしり、その後に握り潰すような動作をする左腕を、制止の言葉と共に動く右腕が抑えようとするも間に合わず。そのまま、ブチリと何かが千切れる音が誰の耳にも届かぬまま辺りに響き渡り、空気に、暗闇に溶けていき、そして────
「くそっ、どこだ⁉︎」
アイツの後を追って、慌てて飛び出したオレ……ルーザは闘技場を、カジノの外に出てから、目的の人影を見つけるべく辺りをひたすら見回していた。
……アイツの様子は明らかにおかしかった。思えば最初から、出てきた経緯が経緯なだけに、いつも以上に憎悪が剥き出しだった。これまでなら、嘲るような言葉で内に秘めた本心を覆い隠しているような態度だったのに。さっきの言動も……いつもの常識が通用しない狂気というよりは、どうしようもなくなって自分でもわけがわからずに狂っていっているような、そんな感じだった。
とにかく、今アイツを一人にしちゃいけない。アイツ自身が望まなくとも、目を離すわけにはいかない。何か、何か取り返しのつかないことをしてしまうような……そんな雰囲気だったから。
「……っ、ルージュ……!」
やがて、探し求めていた存在は見つかった。カジノの入り口前の階段の隅で、頭を抱えたままうずくまっていた。まだ中身はアイツのままのはずだが、姿を確認できた安堵感からオレは思わずいつものように名前を口にしていた。
……その声が聞こえたのだろうか。ぴくりと身体を震わせると、アイツはゆっくりと顔を上げる。
「ん。お前、戻ったのか?」
その見開かれた紅い瞳には、さっきまであった暗い色が取り払われていた。
何がきっかけかはわからんが、アイツが引っ込み、打たれた魔法薬の効果もアイツが出てきた影響なのかすっかり切れたようだ。今にも壊れてしまいそうだった雰囲気も、もうない。これで解決と見ていいだろうか。
「うん……?」
……だが、どうにも様子がおかしい。狂気こそ消え去っているが、ルージュは目を見開いたままその場で固まっていた。その必要なんてない筈なのに、オレを見てずっと動揺している。膨れ上がっていく恐怖を抑えきれないかのように、徐々に身体をかたかたと震わせて。
何か、変だ。そう思ってルージュに駆け寄って、その手を取ろうとしたら「ヒッ」と引きつった声を上げて、後ろに下がってしまう。
「お、おい。一体どうした」
「……れ」
「ん?」
「だ、れ……?」
「────は?」
ひどく乾いた音が、溢れ出た。




