第226話 憤りし悪夢(1)
『再来の』
『微笑せし』
『深淵なる』
『憤りし』
────その心はどちらのものか。
暗く染まった瞳から滲み出る、隠し切れない狂気。だが、それ以上に見たこともないほどの憤怒が溢れ出していた。
今までなら、自分の周囲にいる存在全てが目障りだとばかりに全方位に敵意を向けて、その悍ましいまでの力を無遠慮に振るっていたというのに。現在は、それが全て正面にしか注がれていなかった。
ついさっきまで意識を失っていた筈のルージュが突然立ち上がったことに、周りも気が付いたようだ。あり得ないことが目の前で起こっている事実に、ぎょっとした表情を浮かべている。
「おい、何をっ」
アイツは無謀にも真正面からガーディアンに歩いて向かっていた。
いくら敵が弱っているとはいえ、何をしてくるかもわからない相手にこんな開けた場所で、身を隠せる障害物もないというのに、正面突破は危険すぎる。オレは思わず、その腕を掴んで止めようとしていた。
中身が違うことなんて百も承知だ。それでも、その身体は『ルージュ』に変わりないんだ。傷付いていいことなんてある訳がない。
だが、オレのそんな想いも虚しく、腕は無情にも振り解かれてしまった。
「邪魔だと、言っている……!」
「……っ」
尋常じゃない殺気を向けられ、たじろぐ。今までコイツと対峙してきた時だって散々その内に宿す負の感情をぶつけられてきたが、今のはそれとは比べものにならなかった。
……今、コイツはキレている。恐らく……いや、確実に『表』に対して卑劣な手段で意識を奪われたことに対して。オスクも態度と言葉からいつになく怒りを滲み出しているが、コイツはそれ以上だった。
背後からの奇襲というのもそうだが、コイツがここまで怒りを露わにする原因はもう一つ考えられた。あのオーナーの振る舞いは、かつてルージュの心に深い傷を負わせたベルメールとかいう奴に似ていた。
『外』に対して強い不信感を抱かせる元凶であった、権力と財力を盾に自分の思い通りにならなければ暴力をもって足蹴にし、嘲笑うその手法。だが自分で手を下すのでもなく、脅すことで従えた駒をけしかけるばかりで決してその手を汚そうとはしない、卑怯者。『表』が、自分が抱く必要の無かった憎しみを植え付けた存在を思い起こさせるオーナーを、コイツも許せないのだろう。
それこそ、あまり良い感情を持っていないオレらのことすらも眼中にない程に。
「死に損ないが……さっさとくたばれ……!」
アイツの足元から紅い瘴気が吹き出し、全身を包み込む。それが掲げられた手の中へと集束していき、封じられていた力が解き放たれる。
「『滅』‼︎」
呪詛が唱えられた途端、ガーディアンの周囲の地面が陥没した。全てを潰さんばかりの重圧が無音で襲い掛かり、その中心にいたガーディアンも相応のダメージを負ったようで鈍いうめき声を上げた。
……ここまでの一連の流れを、周りは唖然として見入るばかりだった。当然だ。動ける筈のないルージュが当たり前のように立ち上がって、その上今までとは掛け離れた雰囲気を纏って、背筋に寒気が走るような禍々しい力を行使しているのだから。
「る、ルージュさん、どうしちゃったの? なんかその、こわいよ……」
「なんだ……? ルジェリア王女は、内に何を飼われていた」
剥き出しの殺意に、理性の光が消えた瞳。言動と態度を含めて、どれもが今までのルージュからは想像がつかないものに溢れていて、アレウスも戸惑いを隠せない様子だ。
レクトは流石名参謀と言われるだけはあり、その洞察力で外見は変わらずとも中身はそっくりそのまま入れ替わってしまっていることに勘付いていた。そして、周りの顔を見渡して一番事情を理解していると踏んだようで、オレに向かって視線を寄越してくる。
……『アイツ』が今まで出てきたのは、事情を知るオレらか、酒呑童子など自分の興味があること以外は無関心な奴の前だけだったから大事にはなってこなかったが、今回はタイミングが最悪だ。
王女としてこの国に赴いている上に、ルージュの事情について何も知らない大勢に囲まれているこの状況。まだ二日も経っていないが、これまで一緒に行動してきて親交が深まってきていたアレウスと、戦いの中でそれなりに信頼が築けてきていたレクトも、この豹変ぶりには明らかに動揺している。
話してもどこまで信じてもらえるかはわからないが……こうなってしまった以上、説明は避けられないだろう。そう覚悟を決めて、重い口をゆっくりと開く。
「ルージュは、事情があって二重人格のような状態にあるんだ。医学的に見れば正確には違うんだろうが……アイツが今、行使してる力が意思を持ったことが原因だ」
「……そんなことが、あり得るのか。魔力が意思を持つなど」
「力と、体質が特殊なせいなのかわからない。こっちも全貌はまだ把握し切れてないんだ。ルージュ本人の精神を縛られて奥に沈んだことで、『アイツ』が表に出てきてしまった。あの通り、敵味方見境のない危険な存在なんだが……今回は経緯が経緯だから、無防備になった身体を守る意味でもあるのかもしれない」
そう説明しても、アレウスもレクトも全ては納得できていないような表情を浮かべていた。それも仕方ないだろう。やらざるを得なかったから話したが、ちゃんとした説明にもなっていないんだ。それっぽい曖昧な言葉を並べて、したような気になっている、大雑把がすぎるもの。
それでも、目の前でこうして事態が起きてしまっているために、納得せざるを得ないとレクトもそれ以上は何も聞いてこなかった。そして、改めてルージュがああなってしまった原因を思ってか、表情をくしゃっと歪めた。
今までと、さっきのアイツの攻撃でかなりのダメージを負っている筈のガーディアンだが、まだ消滅する気配はない。
だがガーディアンは本来、あの黒い結晶から生み出されるもの。その結晶を外敵から守るために暴れて、それと同時に『滅び』の力を周囲に蔓延させるために存在している筈だというのに……今はその目的さえも見失っているように思えた。
自分が逃げ延びるためならば手段を選ばないオーナーを取り込んだのもあるのかもしれない。守るべき結晶を飲み込んで、標的であるオレらを潰したいためだけに存在を維持することにしがみついている、哀れな怪物。目的と手段が入れ替わってしまっていることにも気付けない、汚泥としか言い表せない粗末な姿。生き汚いとしか言いようのないその有様が尚更、アイツの怒りを余計に増大させているのだろう。
こんな奴のために、ルージュが傷付いて精神が縛られるなんてことになってしまったのか……と。
「消し飛べ……『罰』!」
アイツは瘴気で作り出した無数の刃をガーディアンに向かって雨のように浴びせる。だがガーディアンもただではやられないとばかりに、またしても波動を放って刃を相殺する。
ガーディアンと波動の繋がりを絶てば防御を崩せるというのに、アイツは攻撃することしか頭にないようだった。とにかくガーディアンを、オーナーを叩き潰すという怒りに支配されて、周りが見渡せていない。周囲の被害を気にする奴でもないが、これでは時間を無駄に費やすだけだ。
舌打ちし、一旦収めていた鎌を再度握り直す。仲間と呼べる間柄ではないし、アイツ自身も認める気は一切ないだろうが、この状況下では些細なことだ。
そうしてオレが前に出た途端、当然と言うべきか酷く歪んだ顔と、非難の眼差しを向けられる。
「……失せろ。アレは私の獲物だ」
「んなこと言ってる場合かよ! ちょっとは頭冷やせ! がむしゃらにやっても倒し切れない。連携とか考えなくてもいいから、目的ばかりに捉われんな!」
「フン……」
言うことを聞いたとも思えないが、一応は納得したようでアイツは視線をガーディアンへと戻す。オレも、いつでも動けるように体勢を整えた。
状況がどうあれ、オーナーを引きずり出し、表を……ルージュを救う。そのために。




